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5  虚心坦懐

 突如として我が身に降りかかった怒涛の一日を終え、フラフラになりながらもようやく帰宅した我が家は上を下への大騒ぎだった。



 当然、アレゼル殿下との婚約の決定についてはすでに連絡が届いていた。それだけでも家族全員がひっくり返るほど驚いていたのに、その他もろもろの手続きやら説明やら何やらで、両親そろって口も利けないほど憔悴しきっていた。まさに、げっそりと。




 でも私だって、実は帰ってくるまで一苦労だったのだ。


 

 アレゼル殿下は「もう婚約は決定事項だし、今日から王宮で暮らすべき」と言い張って譲らず、イアバス侯爵が全力で取りなしてくれたおかげでようやく帰れることになったんだから。



 いや、本当に、『運命の乙女』への執着はすさまじい。



 いまだに自分がアレゼル殿下にとっての『運命の乙女』だということに信じられない思いはするけれど、当の本人がそう言い切るし、確かめようもないから信じるしかない。


 あとで「やっぱり違った」なんてことになったらどうするんだろう、とか密かに思っていたら、殿下に「オーラの色味は生涯変わらないと言っただろう? 思い違いなど絶対にないから心配しなくていい」とまで断言される始末。





 翌日の朝には、約束通り王家の紋章が入った豪華な馬車で迎えに来た殿下。



 あまりのことに恐縮しまくり、挙動不審になっている両親やちょっと興奮ぎみの弟に慣れた様子で軽く挨拶をすると、殿下はにこやかに、そしてスマートに私をエスコートする。



 ところが馬車に乗り込むと、打って変わって思い詰めたような真剣な表情をするからそのギャップに目を疑ってしまった。



「ラエル嬢」

「な、なんですか」

「昨日は、すまなかった」

「は?」

「一方的に王家の秘密や『運命の乙女』について説明したうえ、戸惑い混乱する君を気遣うこともせず、さらには同意も得ずに婚約を決めてしまって……。反省している」

「え、どうしたのですか? 急に」



 不敵な笑みさえ浮かべながら終始自分のペースで話を進めていた昨日が信じられないくらい、殿下はしおらしい態度でうなだれている。



「昨日、君が帰ったあと、実はみんなに非難されまくりだった」

「みんな、とはどなたのことですか?」

「陛下に王妃殿下、妹たちだよ」

「王家の皆様方じゃないですか!」

「『運命の乙女』が見つかったことは喜ばしいが、舞い上がりすぎて肝心の君の気持ちを蔑ろにしているとさんざん責められてしまった。父上――いや陛下は『気持ちはわかる』と言ってくれたが、それでも初めて『運命の乙女』について知った君の驚きや混乱、そして王太子の婚約者となることへの躊躇や困惑を思いやることができないのは浅慮なだけでなく傲慢であるとまで言われてしまって」

「うわ、王家の方々って結構辛辣なんですね」

「いや、みんなの言う通りだよ。昨日は『運命の乙女』に出会えたのが信じられなくて、俺としたことが我を忘れてしまった。理性を失って本能に突き動かされたうえ、まわりが見えなくなるようなことがあってはならないと小さい頃からあれだけ言われてきたってのに……。これじゃ何の意味もない、クソッ」



 え? 「クソッ」? 今「クソッ」って言った?



 あの殿下がそんな言葉を使っちゃうの? と思わずツッコミそうになる。しかも殿下は自分の言葉遣いが荒ぶり始めていることに気づかず、なおも続ける。



「せっかく見つけた『運命の乙女』を大事にできないなんて、ほんとに情けないし馬鹿なのか俺は。王族の秘密とか『運命の乙女』とか、こっちの都合だけ押し付けてラエル嬢の気持ちを聞きもしないなんて結局俺もあのクソ野郎と同じじゃねえか。ほんと最低だ」

「あの、で、殿下」

「なんだ?」

「その、大変申し上げにくいのですが……。お言葉遣いが少し、雑になってらっしゃいます」

「あ」



 殿下が「しまった」という顔をする。数秒ほど石のような無表情になって、それから諦めたように大きなため息をつく。



「すまない。つい癖で……」

「癖」

「ああ。普段はその、王太子モードで自制してるんだが……。素はこんな感じで……」



 王太子モード。初めて聞いたワードだ。



「普段の王太子モードのときは、理想的な王太子に相応しい態度を心がけてるんだが……。でもその反動で、王宮とか親しいやつらの前ではいろいろと雑になって……。言葉遣いとか人への接し方とか……」

「はあ」



 やらかした感に苛まれているのか、ぼそぼそと口籠る殿下。




 そうか。殿下って普段は王族に相応しい、「品行方正で完璧な王太子像」を見せているのか。いろいろ取り乱した挙句、素が出ちゃったわけね。ちょっと親近感。


 そういえば途中から、自分のことを「俺」と言ってたものね。



 私はふふ、と小さく笑うと、想定外に素をさらしてしまってさらに極限まで気落ちしている殿下に声をかけた。



「大丈夫です、殿下。そんなにへこまないでください」

「ラエル嬢……」

「私、王太子モードじゃない殿下もいいと思いますよ。親近感が持てますし」

「え、親近感……?」

「はい。近しい方々の前では、そっちのモードになるのでしょう?」

「ああ、まあ、うん」

「でしたら、婚約者である私にも王太子という役割がオフになっている今のモードで接していただきたいです」

「え?」



 呆気に取られた殿下の顔は、なんだか年相応で可愛らしい。言われた言葉の意味を理解したのか、殿下の表情が次第に歓喜の色に染まっていく。



「え、じゃあ」

「はい。確かに昨日の話は私にとって驚天動地と言いますか、俄かには信じられないことばかりでしたけど……。でも殿下が嘘を言っているようには思えませんでしたし、この世界には私の知らないことがたくさんあって、これもその一つなんだろうと思ったんです。平凡な私なんかが殿下の『運命の乙女』なのは逆に申し訳ない気もしますが」

「そんなことはない! 俺には君が誰より輝いて見える。君だけが、俺にとって唯一無二の存在なんだ」

「ほら、そんなふうに言ってくださるのは、多分殿下しかいないと思ったんです。元婚約者からは、ずっと軽んじられて冷たくあしらわれてきましたから。殿下が私を求めてくださるのなら、精一杯お役に立つよう努めたいと思ったんです。一晩寝たら、思いのほかすんなりと腹が決まりました」

「役に立つとか立たないとか関係ない。君は俺のそばにいてくれるだけでいいんだ。それだけで充分なんだ」

「そういうわけにはいかないでしょう? 昨日も話したではありませんか。殿下の婚約者になるということは、王太子妃、ひいては王妃になるということです。昨日うちにいらした王家の使いの方からも、これから王太子妃教育を受けてもらうと説明があったそうですよ」



 昨日、あれだけじたばたと抵抗し、悪あがきを繰り返したものの。結局、帰る頃には私の気持ちはほぼ決まっていた。



 だって、びっくりするような気障な誉め言葉とか、「君しかいない」とか「心から愛している」とか、ほかにもいろいろふわふわするような愛の言葉を怒涛のように並べられて、それでも抗うなんてできるだろうか。いやきっと無理。少なくとも、これまで嘲りや罵りの言葉にまみれてきた私には無理だった。ちょろいと言われても、それはそれで仕方がない。



 正直に言えば王太子妃とか王妃とか、本当はいまだに恐れ多くて足がすくんでしまう。不安ばかりが押し寄せてきて、体中の震えが止まらない思いもするけれど。



 それでも、私は決めたのだ。



 このタイミングでバルズ様との婚約が解消になったのも、何かの縁なのかもしれないし。




「王太子妃教育か……。そうだよな、俺もできる限り協力するから」

「ありがとうございます」

「礼を言うのはこっちの方だ。これから君にはいろいろと不自由な思いをさせてしまうだろうけど、何かあれば遠慮なく言ってくれよ。すべての憂いは俺が払うから」



 そう言って、殿下は昨日も何度か見かけた妙に熱っぽい視線を私に向ける。




 うぅ、ちょっと待って。いきなりどぎまぎしてしまう。




 動揺を悟られないよう、私は急いで少し話題を変えた。



「と、ところで殿下。『運命の乙女』について、いくつかお聞きしたいことがあるのですが」

「なんだ?」



 昨日初めて知った王族の秘密。帰ってからあれこれ考えてみると、改めていくつか疑問が生じてくる。



「『運命の乙女』や『運命の申し子』に出会うと、王族の方々はすぐにそれとわかるのですよね?」

「そうだな。自分自身、理解も説明もできないほど瞬時にその相手に心奪われてしまうからな。昨日君に出会った瞬間は、まさに衝撃でしかなかった」

「では、もしもその相手がすでに婚約していたり既婚者だったりした場合はどうなるのでしょう?」



 私の問いに、殿下ははっきりと難しい顔をした。



「そこが厄介な問題なんだよ。大昔にはそういうときのための側妃制度があって、婚約や婚姻を無理やり解消させて王家に嫁がせていた時代もあったと言われててな」

「そうなりますよね」

「ただ、それはあまりにも非人道的すぎるってことで側妃制度は廃止になったんだ。でも側妃制度をなくしても、相手がすでに婚約していたり結婚していたりなんてことは残念ながら起こり得る。昔は『運命の乙女』を強引に手に入れようとして、力づくとか非合法的な行為に走る王族もいたらしいんだ。もちろんそういったやつは、王族に相応しくないとされて粛清や処罰の対象になってきたんだけどな」

「王国の歴史の中で、王族の方が何人か表舞台から突然退場されてますけどそれってもしかして」

「さすが察しがいいな。表向き、病を患って、とか不慮の事故で、となってるけどな」

「うわー……」

「だからこそ、俺たち王族は激情に駆られずどんなときでも自制心を保てるよう、幼少の頃から絶えず厳しい教育を受けてんだよ」

「でも本能的なものだからこそ、制御が難しいのではないですか?」

「まあな。そういうかつての悲劇や間違いをできるだけ防ぐために、早い段階で王国全体の同年代の貴族子女を集める機会を設けるんだよ。まあ、相手が平民だったり他国の子女だったりした場合には、結局出会えず諦めるしかないことも多いんだが」

「あ、じゃあ『運命の乙女』や『運命の申し子』が被ることはないのですか? 同じ人が複数の王族にとっての『運命の乙女』だったなんてことは」

「うーん、これまでの王族の歴史の中でそういう話は聞いたことがないな。『運命の乙女』や『運命の申し子』とは一人の王族に対して一人と決まっている、というのが王室の中では一致した見解だと思う」



 なるほど、と頷きながら話を聞いていると、なんだかまたしても妙な視線を感じてしまう。



 恐る恐る顔を上げた先には、さっきとは比べ物にならないくらい甘い熱を孕んだ殿下の目があった。



 そして、遠慮がちに口を開く。



「ラエル嬢。その……、隣に座ってもいい、か?」

「え? あ、ああ、どうぞ」



 しどろもどろになりながらも慌てて答えると、殿下はぱっと顔を輝かせてささっと隣に移動してくる。



 なんか、思ったより密着している気がするけど、どぎまぎしてしまって何も言えない。



「ラエル嬢」

「はい」

「その……、ラエル、と呼んでもいいか?」

「あ、はい、どうぞ」

「では君も、俺のことは『アレゼル』と」

「え、さすがにいきなりそれは……。もう少し、心の準備が必要かと」

「どれくらい?」



 そう言った殿下の端正な顔がすぐ目の前で甘く微笑むから、私は取り繕うように笑って誤魔化すしかなかった。



 内心、しばらくは無理だろうと思いながら。















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