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14 晴天霹靂②

「は? なんで?」

「そんなこと私も知りませんよ。こっちが聞きたいくらいです」



 憮然とした表情のオリバー様は、はっきりと納得がいかないらしい。



「永く鎖国状態を保っていたケルヌスが、新王の即位を契機に鎖国を解くのです。これは恐らく有史以来最も価値のある瞬間、歴史に残る重大事件ですよ。その戴冠式に、国王夫妻ではなく王太子夫妻が招かれるなど……」

「まあ、普通に考えたらおかしいよな」

「私たちでは力不足だと思うのですが」

「そんなことはありません。ただ、先方の真意が読めないのがどうにも……」



 オリバー様が、あまりお目にかかれないような気遣わしげな顔を覗かせる。



「実はオルギリオンの『聖女降臨を祝う夜会』に出席して以降、お二人の外交手腕に関しては世界各国からも高い評価を得ているんですよ」

「そうなのか?」

「ええ。ですから新王の戴冠式に招待されてもおかしくはないのですが」



 こういった場合、一般的には国王夫妻を招くのが妥当だろう。ケルヌスは新王が即位するのだし、私たちでは釣り合いが取れないような気がする。でも、招待状に書かれていたのは紛れもなく私とアレゼル様の名前だった。なぜ私たちに白羽の矢が立ったのか。まるでわからないのだが。



「しかし招かれた以上、お二人にお願いするしかありません。陛下も王妃殿下もお二人に任せるとおっしゃってますし」

「大丈夫でしょうか?」

「まあ、永く国を閉じていたとはいえ、先方もれっきとした主権国家です。国を開き、これから国際社会の中で対等に渡り歩いていくつもりなら、戴冠式に招待した他国の来賓を不当に扱うことはないと思うのですが……」

「心配してくれてんのか?」

「……それは、まあ」



 照れたように視線を逸らすオリバー様。あらま。可愛いとこあるじゃない。



「万が一ラエル妃殿下に何かあったら、身重のアンナがケルヌスに殴り込みに行きそうで心配なのです」

「そっちかよ!」






◇◆◇◆◇






 ごつごつとした石の階段が続く。



 薄暗さで一本道だと思っていた狭い通路は、途中で二手に分かれていた。あのときとは逆側の通路に進むと、豪華な造りの地下牢とはまったく別の部屋にたどり着く。むき出しの石で囲まれた、冷たさと穏やかさの共存する不思議な空気が満ちる一室。



「驚いたか?」



 燭台を手にして、真正面で微笑むのは国王陛下である。オリバー様からケルヌスの新王戴冠式について聞いた翌日、私とアレゼル様はなぜか陛下に連れられてここへ来た。



「陛下、ここは……?」

「父上でよい」

「え?」



 突然の不可解な言葉に、アレゼル様が不審顔をする。



 陛下、いや私にとってはお義父様になるわけだけど、その人が佇む背後にふと目を向けて唖然とした。



「お前たちに頼みがあってな」



 にこやかにも見えたお義父様の表情が、瞬時に強張る。燭台を置き、くるりと私たちに背を向ける。その視線の先にあるのはどう見ても棺である。場違いに華美な装飾のされたそれは、謎めいた存在感を示している。



 お義父様は意を決したように、勢いよく棺の蓋をずらした。




 促されて、中を覗き込んだ私たちが目にしたのは。





「まさか……!」

「え……?」






 棺の中に横たわっていたのは、ガストル殿下だった。



 驚愕のあまり声も出せない私たちを見て、お義父様が無表情で話し出す。



「実はな、ガストルは死んではいない」

「……どういう、ことですか?」

「あのとき飲ませたのは、自害用の毒ではなかったのだ。仮死状態にする毒だった」



 重々しい声の衝撃的な告白。



 アレゼル様は眉を顰めて顔を上げ、続きを話してくれるようお義父様を急かす。



「ガストル自身は自害用の毒だと思って飲んだはずだ。本人がそれを望んでいたし、お前も見届けただろう?」

「……はい」

「仮死状態の毒を飲ませることにしたのは、私自身の勝手な判断によるものだ。寸前まで迷っていたのだがな……」



 そこでお義父様は、ふっと薄く笑った。いや、笑ったのだろうか。光の加減なのか、泣いているようにも見えてしまう。



「以前、ガストルが話していたことを思い出したのだよ。一縷の望みがあるのならと、つい思ってしまったのだ。王としては、許される行為ではないな」

「どういう意味ですか?」

「ガストルは、世界中のあちこちを旅していたとき他国で面白い話を耳にしたと言っていたんだよ。獣人の国ケルヌスには人智を超える力を持つ魔女がいて、呪いを解くことができるらしいと」



 その言葉に、私もアレゼル様も目を見開く。ケルヌスに、魔女がいる。人智を超える力を持つ魔女が。



「ガストルもケルヌス南端のガルムの街を訪れたことはあったらしい。しかし当時はまだ鎖国状態にあって、ガルムの街に入ることはできてもその先に行くことは禁じられていたからな。魔女が本当にいるのかどうか、その噂の真偽を確かめることはできなかったのだ」



 それはそうだろう。いくらガストル殿下でも、フォルクレドの王弟だといっても、ガルムより北に進むことはできなかっただろう。こっそり侵入なんてしようものなら、国際問題になりかねないし(でもディア様だったらやりかねないという気がしないでもない)。



「ケルヌスで新王が即位し、鎖国を解くことになったのはお前たちも知っているな?」

「はい」

「自分の生きている間にケルヌスが鎖国を解くことになったのも、戴冠式にお前たちが招かれたのも、何かの思し召しなのかもしれないと思ってな」

「は? 何を……」

「その魔女とやらを、見つけてほしいのだ」



 お義父様の目が、真っすぐ私たちに向けられる。冷徹さと寛容さとを併せ持つ賢王と名高いその人の目は、温かった。



「見つけて、どうするのですか?」



 アレゼル様の余裕のない声が、石でできた壁に吸い込まれる。



「ガストルの『呪い』を解いてほしいんだよ」

「『呪い』ですか?」

「お前も思ったことはないか? 『運命の乙女』とは王族にとって癒しをもたらす唯一無二の存在だが、王族は抗い難い本能や衝動に支配され、その執着をコントロールすることもままならない。これ以上ない恩恵を与えると同時に、己を縛りつける鎖ともなるいわば『呪い』のようなものだと」

「何を言っているのです!?」


 

 突き刺すような激しい口調で、アレゼル様が声を張り上げた。



「父上は母上のことをそんなふうに思っていたのですか? 俺は『運命の乙女』を、ラエルのことを呪いだなんて思ったこと――」

「私はあります」



 そう言うと、憂いや恐れに彩られた二人の目が同時に私を捉える。



「自分自身が、いえ『運命の乙女』という存在が、王族にとって危うい諸刃の剣であると思ったことはあります。忌まわしい、呪いじみた存在だと」

「そんなこと……」

「もちろん、だから忌むべき存在だと悲観しているわけではありません。卑屈になってるわけでもありませんし。ただ、自分の意志が介在する余地なく縛りつけられるという意味では、呪いのようなものだと思っただけで」

「私とて、ヘルガを忌まわしいなどと思ったことはない。ヘルガは私にとって何者にも代えがたい、己の命を賭してでも守るべき存在だからな。愛しいと思う気持ちに今も昔も変わりはないが、ガストルのことを思うと時々やりきれない思いに駆られるのだよ」



 お義父様が棺に眠る弟の顔をじっと見つめる。静かで、穏やかで、哀しみも痛みも感じさせない王弟殿下の健やかな寝顔。



「獣人には『番』というものがあるだろう? あれもまた、魂に刻まれた特異な結びつきだと聞く。しかしケルヌスにいる魔女は、その結びつきを断つことができるらしいのだよ」

「結びつきを断つ?」

「『番』という本能的な関係を解消することができるらしい。それもガストルが旅の途中で聞いた噂でしかないが、もしも本当に『番』の解消ができるのなら、ガストルと『運命の乙女』とのつながりもまた断つことができるのではないかと思ってな」



 自嘲気味に笑うお義父様を、アレゼル様は黙って見返した。瞬きすら忘れたその顔は、それでも冷静さを失っていない。



「……それは、叔父上が望んだことなのですか?」

「一度だけ、似たようなことを言っていたことがある。どうせ『運命の乙女』が見つからないのなら、どこにいるのかわからない『運命の乙女』との本能的なつながりを断ってしまいたいとな。そうでないと、別の女性を愛せる気がしないと笑っていたよ」



 今となっては、ガストル殿下が言ったというその言葉の本当の意味が嫌というほど想像できてしまう。目の前にいるのに、絶対に手の届かない『運命の乙女』。もしもそのつながりを、本能的な欲望をなかったことにできるとしたら。別の女性を愛せる可能性があったとしたら。ガストル殿下の人生は、もっと違ったものになっていたはずだった。



「死んだはずなのにまだ生かされていて、目が覚めたときどう思うのかはわからないがな。でも選ばせてやりたいんだよ。ヘルガへの執着を抱いたままでやはり死ぬのか、そのつながりを断って別の人生を生きるのか。そのために、『運命の乙女』とのつながりは断つことができるものなのか、あるいは本能的な欲望や衝動を収める術があるのかどうか、魔女に確かめたいのだ」



 アレゼル様はお義父様の言葉を無言で聞いていた。そしてガストル殿下の安らかな寝顔を一瞥する。その目が宿した深く澄んだ色で、私は夫の想いのすべてを悟った。




「わかりました。魔女を探して、確かめてきます」






◇◆◇◆◇






 えらいことになった。



 まあ、わりといつも、えらいことになってはいるんだけど。



「ケルヌスに行くのが不安なのか?」



 私の顔を覗き込むアレゼル様のほうが、どことなく不安げに見える。



 鬱々とした雰囲気を払拭するように、私は殊更明るい笑顔を作ってみせた。



「いいえ。まったく」

「え」



 見慣れた美貌が固まっている。ちょっと可愛いとか思ってしまう。



「ケルヌス側が何を考えているのかはわかりませんが、特に不安はないですね」

「ないのかよ」

「はい。あなたと一緒なら、何があっても大丈夫なので」



 そう言い切ると、途端にアレゼル様の顔面の緊張が緩む。すごく緩む。緩み過ぎである。



「アレゼル様のほうこそ、何か心配事でも?」

「いや……」



 と言いながらも私を抱き寄せて肩に顎を乗せ、ふう、と息を吐く。その吐息にも、心なしか戸惑いが交じる。



「心配というか……」

「というか?」

「叔父上が生きているってのがさ。まだ受け止め切れないだけだよ」

「確かに、驚きました」

「まあな」



 珍しく頼りなげな声が、耳の奥に届く。心許なさを癒すように、肩の上に乗る頭をなでなでしてみる。でもアレゼル様は嫌がる様子もなく、黙って撫でられ続けている。



「ケルヌスにいる魔女が、『北の魔女』なのでしょうか」

「だろうな。可能性は高い」

「じゃあ、一石二鳥ですね。『北の魔女』に会えれば、ガストル殿下のこともミレイ様のことも一気に解決します」



 まあ、問題はうまいこと見つけることができるか、会うことができるかどうかなんだけど。でも今からそれを悩んでも仕方がない。ケルヌスに行くことは決まっているのだし、何がなんでも見つけなければ。そうなると、また滞在期間が延びそうじゃない? オリバー様の憤怒の表情が目に浮かんでしまう(まだ出発もしてないのに)。




「ラエル」

「なんですか?」



 私の肩に顔を乗せたまま、アレゼル様がまた耳元で低くささやく。



「……愛してる」

「どうしたんですか急に」

「……ラエルがそばにいてくれる幸せを噛みしめてるだけだ」



 硬い口調でそう言って、アレゼル様は私を抱きしめる腕の力を強めた。その強さに、アレゼル様が抱える痛みの深さを思い知る。



「なあ」

「はい」

「今日こそは、ラエルに触れてもいいか?」

「……いつも触れてるじゃないですか」

「そうじゃなくて」



 顔を上げたアレゼル様は、アメジストの瞳を艶めかしく光らせる。



「わかるだろ?」



 うっとりとした視線が、甘く絡みつく。





 今日くらいは。






 あれこれ難しいことを考えるのはやめて、アレゼル様の深すぎて重すぎる愛にただひたすら溺れてしまってもいいんじゃないかな。と素直に思った。















東方三国編はここで終了です。

次回からは新章「ケルヌス編」になります。

よければまたおつきあいください。

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