11 実事求是②
タカラ様の姉……?
突然投げ込まれた思いがけないワードに面食らう。
ただ、サララ様とアスカ様、そしてタカラ様の表情には似たような感情が透けて見える。明らかに動揺している。
「カツラがどうしたっていうの……?」
平静を装うサララ様の声は、震えを抑えきれていない。
タカラ様の姉といえばサララ様やアスカ様とは同い年の幼馴染、八年前に病気で亡くなった元補佐官だと聞いている。タカラ様はその姉の遺志を継いで、補佐官を目指したはずでは。
「タカラの姉は病死したそうですが」
「……そうよ」
「病死ではなかったとの証言があります」
「何を言うの? カツラは病死よ。ふざけたこと言わないで」
「タカラの姉が亡くなったとき、確認した医師が話してくれましたよ。あれは病死ではない、他殺かもしくは自――」
「やめて!」
声を荒げたサララ様がこらえきれず立ち上がった。
「レオファ。何を調べたのか知らないけれど、それは死者への冒涜よ。口を慎みなさい」
「しかしサララ様。そのカツラという女性の死が、恐らく今回の凶行の動機なのですよ」
「え……?」
みんなが一斉にタカラ様に目を向ける。その視線の圧に怖気づいたのか、タカラ様は一、二歩後ずさる。
「タカラは姉が病死したわけではないと知っていた。身内ですからね。そりゃ気づくでしょう。そして、姉を死に追いやったものが何なのかを突き止めようとした」
「そのために補佐官になったんだろ?」というレオファ様の声は、どこか憐れみを帯びている。
「タカラの姉の不可解な突然死は補佐官になって間もなくのことです。何かあったのではと考えるのが普通でしょう? 俺はね、以前タカラからあなたたちのことを聞いていたんですよ。サララ様とアスカとカツラ、同い年のあなたたちはとても仲が良かったが、いつしかアスカとカツラは恋仲になったと」
「え?」
つい驚愕の声を漏らしてしまったイズミ様が慌てて口元を押さえる。イズミ様の反応とは意味が違うけど、私だってちょっとびっくりである。そうなの? いきなりの展開なんだけど。
「ところがサララ様が執政官となり、アスカとカツラが補佐官になってすぐに二人の関係は破綻したようですね」
「それは……」
「アスカはカツラと別れ、今度はサララ様と恋仲になった。捨てられたカツラは悲観して――」
「違うわ!」
凍てつくような声が飛んだ。決して大声ではないのに、氷の刃はいとも簡単にレオファ様の推論を封じ込めてしまう。
「出鱈目を言うのはやめなさい。私とアスカはそのような関係にありません」
すべてを薙ぎ払うような冷たい口調に、それまで壁際に立ち尽くしていたタカラ様が突如として荒々しく牙を剥いた。
「そんなの嘘よ! あんたたちのせいで姉様は死んだのよ!」
「タカラ、違う――」
「何も違わない! 姉様がどれだけアスカを好きだったと思ってるの!? 姉様はずっとずっとアスカのことが好きだったのよ! それを横から奪ったのはあんたでしょ!」
「タカラ、それは違うんだ……!」
座ったまま振り向いたアスカ様の絞り出すような声に、タカラ様の顔つきが変わる。
「何が違うのよ……?」
ふらりと壁際から離れたタカラ様は、ゆっくりと歩を進める。
「……あんたが執政官になってから姉様はおかしくなった……。補佐官になってアスカと一緒にサララを支えたいって言ってたのに……。夢が叶ったのに……」
「タカラ……」
「あんたが……」
「違う、タカラ」
「あんたが……!」
その瞬間。
サララ様の数メートル先まで近づいていたタカラ様の手元が鈍く光る。
それが隠し持っていた刃物だと気づいたときにはすでに、まるで幽鬼のごとき形相のタカラ様がサララ様に斬りかかっていた。
「サララーーーー!!」
「タカラ!」
「やめろ!」
「うわっ」
「あっ!」
カシャン、と床に落ちた刃物がそのままくるくると回る。
尻もちをついたタカラ様が、信じられないという顔をして私を凝視する。
「は? なんで……?」
「ラエル!」
椅子から立ち上がったアレゼル様が急いで駆け寄ってきて、足下に転がる刃物を素早く拾い上げる。振り返ったその顔は、呆れたような困ったようななんとも説明し難いものだった。
「お前、また……?」
「……ごめんなさい、体が反射的に……」
「……だよなあ」
盛大なため息をつくアレゼル様以外の人たちは、たった今目の前で起こったことが脳内で処理しきれないらしい。全員茫然としている。
「……え、今ラエル妃殿下がテーブルの上に飛び乗りましたよね?」
「あっという間だったわ」
「それからタカラに飛びかかって」
「いや、あれは飛びかかったというより、むしろ回し蹴り……」
「え、回し蹴り?」
「足でタカラの持っていた刃物を叩き落としてました」
「え?」
「なんで?」
「妃殿下、何者なんです……?」
今の動きを交代で詳しく言語化するの、やめてくんないかな。あとイズミ様が小声で「忍び……?」って言ったの聞こえてますからね。
「ラエルはその、人並み外れた身体能力を有しているんだ」
「は?」
「つまり、まさかの肉体派王太子妃?」
なんだその肉体派王太子妃って。不本意すぎるネーミングにツッコみたい気持ちはあったけど、ひとまずスルーすることにした。あれこれ言い訳しているうちに、時々ハラルド様から内緒の特訓を受けていたことがバレたらまずい。
「タカラ……?」
私の足技を食らった反動で吹っ飛んだタカラ様は、そのまま床に座り込んでいた。サララ様の身を守るように、長身のアスカ様がすぐ前で仁王立ちしている。タカラ様に近づこうとしてアスカ様に止められたサララ様は、仕方なくその場で声をかけた。
「タカラ、大丈夫……?」
「は? なんで私の心配なんか」
「だってあなたにこんなこと……。私たちが良かれと思ってしたことが、かえってあなたを追いつめてしまったのね……」
「う、うるさい……!」
涙と憎悪の入り混じった声で言い返すタカラ様に、レオファ様がやれやれといった風情で手を差し伸べる。
「いいから落ち着け。お前の計画はとっくに失敗してるんだよ」
その言葉で我に返ったかのように、タカラ様は動きを止めた。そしてぐしゃりと表情を歪め、声を上げてその場に泣き崩れた。
◇◆◇◆◇
「カツラと私たちとの間に起こったことについて、事実を隠していたことは認めます」
深い後悔の刻まれたサララ様の声が、部屋に響く。
タカラ様はとりあえず拘束され、すぐ横にはレオファ様が見張るように立っている。アスカ様はサララ様にぴたりと寄り添い、離れる気配はない。イズミ様だけが、どうしていいかわからないのか妙におろおろしている。
「私たちはただ、カツラの名誉を守りたかったのよ」
「……サララ様」
「でも本当のことを話すわ。アスカ、いいわね?」
「はい」
それぞれが元の席に戻っても、アスカ様はやっぱりサララ様を守るように動かなかった。
サララ様はふう、と深呼吸して背筋を伸ばし、凛とした声で話し始める。
「私とカツラは幼い頃から親友だったの。どんなことでもカツラには話せたし、私はカツラを信じ切っていたわ。カツラとアスカがつきあうようになっても、それは変わらなかったのよ」
「……恋仲というのは、本当だったのですか?」
アレゼル様がちょっと意外そうな顔をして、直立不動のアスカ様を見上げる。
「はい」
あっさりと答えたアスカ様はちらりとタカラ様に目をやると、言いにくそうに眉を集めた。
「カツラとサララは確かに仲が良かった。それはタカラも間近で見ていたはずだ。でもカツラは、実はサララに対して劣等感も抱いていたんですよ」
「劣等感?」
「サララは幼い頃から神童と言われ、将来を嘱望されていた。何をしてもサララに勝てないカツラは、次第に大きな葛藤を抱くようになったのです。サララは大事な友だちだが、同時にどうしても負けたくないとね。必死で努力し続ける彼女がいじらしくて、私は放っておけなかったのです」
「私はね、そんなカツラの気持ちなんて全然知らなかったのよ。ただただ信じて、頼ってばかりいたの。それが結果として、カツラにどんな思いをさせていたかなんて気づきもしなかった」
痛々しいサララ様の虚ろな空色の瞳。脇に立つアスカ様が労わるように、その肩に優しく手を乗せる。
「カツラの中には、サララに対する友情と劣等感、そしていつかサララを超えたいという野心がずっとくすぶっていたのです。表面的にはサララを慕い、支えようとして健気に振る舞いながら、その心の裏側には激しい対抗意識を隠していた。そんな後ろ暗い部分を私以外の人間には見せないよう、注意深く振る舞っていたのですが」
やるせなさの沈む目で、アスカ様がタカラ様を見据える。カツラ様が慎重に隠し続けたという心の裏側に潜むどろどろとした感情の数々。何も知らなかったであろうタカラ様の顔は、衝撃と狼狽に縁取られている。
「そして私たちが補佐官になったとき、彼女の抱えるそうした苦悩や葛藤につけ込む者が現れたのです」
「つけ込む者?」
「誰だ?」
「エーギル海賊です」
おっと。またしても思ってもみないワードが飛び出した。エーギル海賊。東方の海域に出没し、船や沿岸地域を襲撃して略奪を繰り返すとんでもない輩だったはず。東方諸国と海賊は、長い間敵対関係にあったはずでは。
「当時、アカツキでは対海賊用の最新鋭軍艦が開発途中でした。それは画期的な戦闘用軍艦で、完成すれば海賊に大打撃を与えられると期待されていたのです。ところがその情報がどこかで漏れ、海賊に軍艦の存在が知られてしまった」
「海賊の中にね、頭の切れる優男がいたのよ。そいつが言葉巧みにカツラに近づいて、カツラをうまく利用したうえまんまと軍艦に関する機密情報を手に入れたのよ……!」
サララ様の恨みのこもったまなざしが、まるですべてを焼き尽くすかのように強烈な光を放つ。
「軍艦の開発にはすでに長い年月と多額の資金が費やされていたの。でも機密情報が漏れてしまったら、開発を続けるのは難しくなる。利用されたことに気づいたときにはもう遅かったのよ。カツラは罪の意識に苛まれ続けて、とうとう自ら命を……」
「え……」
知らなかった怒涛の真実に否応なく晒されて、言葉を失うタカラ様。苦しげに、何度も浅い呼吸を繰り返している。姉の死に隠された真相は重すぎて、すぐには受け入れられないのだろう。
そして私たちは、その様をただ黙って見ていることしかできない。
「じゃあ、私のしたことは……?」
タカラ様のつぶやきが、無情にも床に落ちる。
姉の死に疑問を抱き、真相を探るべく補佐官になり、突き止めたと思った事実はまったくの見当違いだったのだ。姉が亡くなったのはサララ様とアスカ様のせいだと思い込み、その報復のため周到に重ねてきた企みが全部無意味だったとは。それを思い知ることがどれほどの虚しさと悔恨をもたらすのか、想像もできない。
「……とんだ思い違いだったってことか」
レオファ様の皮肉めいた嘆きも、タカラ様の嗚咽を止めることはできなかった。