10 実事求是①
ミレイ様の『ファンサ』が終わる直前のタイミングでようやく現れたその車夫は、恐らくタカラ様から口止めされていたにもかかわらずこちらの思惑以上にぺらぺらとよく話してくれた。
「一昨日ですか? 確かにその時間、ここからヒノデ御所まで女性を乗せましたよ」
「どんな女性だった?」
「えー、顔はよく覚えてないけど、小柄な人でしたよ。焦げ茶色の髪をしてたかな」
「ヒノデ御所まで乗せたあとはどうしたんだ?」
「すぐ戻ってくるからここで待っててほしいって言われたんですよ。そしたら十分もしないうちに戻ってきましてね。それからまた総領事館に帰ってほしいと言われたんで、とんぼ返りしたんですけど」
悪びれる様子もなく、聞かれたことに次々と答えてくれる人力車の車夫。あまりにも簡単に事実を話してしまうものだから、不審に思ったグレアム様がズバッと切り込んだ。
「お前、そのこと口止めされていたんじゃないのか?」
「ああ、されましたよ」
「じゃあ、なんでそんな簡単に――」
「え、だって嘘ついてもどうせ聖女様にはバレるんでしょ? はした金もらったくらいで聖女様の祝福を受けられないんじゃ、割が合わねえよ」
当たり前のように主張する車夫に、みんな開いた口が塞がらない。
聖女という神聖な存在の底知れぬ影響力を前に、私たちはただただひれ伏すしかなかった。ちなみにミレイ様だけは、得意げな様子でふふんとほくそ笑んでいた。
◇◆◇◆◇
「タカラ様の本当の狙いって、何なんでしょう?」
その日の夜。
大きな仕事をやり遂げた達成感をみんなで存分に共有したあと、私とアレゼル様はヒノデ御所の離れに戻ってきていた。心地よい疲労感を夕食後のお茶で癒しながら、隣に座るアレゼル様の端正な顔を見上げる。
「アスカ様を陥れるためだろうってレオファは言ってたけどな。何のためにかってことだろ?」
「はい」
私だって、タカラ様のことをそこまでよく知っているわけじゃない。でも温厚で気さくなタカラ様がなぜ、と考えるとどうしても腑に落ちない。自作自演とかわざわざアリバイ工作してまでイズミ様を襲ったとか、証拠が揃っているとしてもどうにも釈然としない。
「動機に関してはレオファもいろいろと調べてるらしいけどな」
「でもタカラ様とアスカ様は幼馴染だったのですよね? 幼い頃から気心の知れた仲だったはずなのに、どうして……」
「さあな」
そこでなぜだか唐突に、アレゼル様はおもちゃを取られた子どもみたいな不貞腐れた表情になった。
「ラエル」
「はい?」
「そんなことはともかく」
「はい」
「ここんとこ、いちゃいちゃが足りなさすぎると思わないか?」
「は?」
不機嫌な口調ながらもどこか媚びるような目をして、私の顔を覗き込むアレゼル様。
「昨日も言ったが、ここへは新婚旅行で来たはずだよな?」
「あー、はい。そうですね」
「でも思ってたのと全然違ってきてないか?」
「まあ、それは」
ははは、と笑って誤魔化す。新婚旅行の次に大事な目的だったはずの『ミレイ様が元の世界に帰る方法を探す』こともままならず、一連の騒動が勃発し、そしてなぜか事件解決の協力をさせられている私たち。
確かに、思ってたのとは全然違う。そりゃ私だって、もっとアレゼル様といちゃいちゃしたりべたべたしたりを密かに想像(期待)してたもの。二人きりで甘々な時間を過ごせたのって、最初の二日くらいじゃない? え、ちょっと待って。そんな新婚旅行ってある?
「特にここ何日かは総領事館でルーグたちと何かしら話し合ってるか、レオファにいいようにこき使われるかだったよな?」
「……そう、ですね」
「もっとラエルと二人きりで過ごせると思ったのに」
むすりとした声が降ってくる。かと思うと、アレゼル様は徐に両手を伸ばして私の頬にそっと添える。包み込まれた顔のすぐ目の前で、不貞腐れていたはずのアメジストの瞳が切なげな色香を放っている。え、ちょっと、色気だだ漏れすぎじゃない?
「俺たち、今日はがんばったと思わないか?」
「……どちらかというと、がんばったのはミレイ様とかルーグ様たちだと思いますが」
「ミレイ様の『ファンサ』のサポートだって大事な役割だろ?」
「それは、まあ」
「じゃあ、褒美をくれよ」
「褒美、ですか? 何を……?」
「今日こそラエルを独り占めしたい」
掠れた低い声にどくんと胸の奥が疼く。
アメジストの瞳の奥に激しい渇望の色が走る。その目が有無を言わさぬ甘い熱を帯びたまま、静かに近づいてきたときだった。
「アレゼル殿下、ラエル妃殿下。よろしいでしょうか」
……やっぱりねー。こうなると思ったよねー(棒読み二回目)。
想定外の邪魔者登場に敵意むき出しの顔をするアレゼル様を牽制しつつ、私は渋々ドアを開ける。今日の作戦の首尾を確認しに来たであろうレオファ様を部屋に通すや否や、苛立ちを隠す気もないアレゼル様は投げやりな口調で言った。
「タカラ様を乗せた人力車の車夫は見つかったぞ」
その一言で、レオファ様はいつもの胡散くさい笑みを引っ込める。
「これでタカラを追及できます」
「どうするんだよ?」
睨むように威圧的な目つきをするアレゼル様に、レオファ様も神妙な顔つきになる。
「明日、これまでの一連の騒動について調査結果を報告することになっています。その場で速やかにタカラを追及します」
「勝算はあるのか?」
「そうですね」
そこでレオファ様は、一瞬だけ視線を落とす。
「条約調印記念パーティーの際は倒れるずっと前から毒の匂いがしていたことや、イズミが襲われたとき実はオルギリオンの総領事館からここに戻ってきていたという事実を指摘すればタカラも認めるしかないのではと」
「お前自身もタカラ様のことをあれこれ調べてたんだろ?」
「え? ええ、まあ」
「狙いが何なのかわかったのか?」
「いえ……。はっきりとは……」
気まずそうに言葉を濁すレオファ様。なんとなく心当たりはありそうだけど、この場で話すつもりはないらしい。突っ込んだところで大した情報は得られないだろうと判断したアレゼル様が諦めたように小さく息を吐くと、レオファ様が真面目な顔をして言い切った。
「お二人には、明日その場に同席いただきたいのですが」
「「は?」」
さすがにそんなこと頼まれると思っていなかった私たちは、思わず素っ頓狂な声を上げる。
「なんでだよ?」
「イズミが襲われた時間、タカラがオルギリオンの総領事館からここへ戻ってきていたという事実を突き止めたのはお二人です。タカラを乗せた人力車の車夫と直接お話しされたことを、その場で証言していただきたいのです」
突然のレオファ様の提案に、困惑しかない私たち。でもどうやら最初から、断るという選択肢はなかったらしい。
◇◆◇◆◇
翌日。
レオファ様に促されて部屋に入ると、一番奥の席に座っていたサララ様がすぐさま立ち上がった。
「アレゼル殿下、ラエル妃殿下。今日はこのような場にわざわざご足労いただき、ありがとうございます」
今日この場に私たちが同席することに関しては、事前にサララ様の承諾を得ていた。ただ、レオファ様以外の補佐官の方々は何も知らなかったのだろう。一様に驚いた顔をしている。そりゃそうだ。これから国家の一大事に関する話し合いをするってのに、他国の王太子夫婦が闖入してくるんだもの。場違い感が半端ない。
「では早速ですが、調査結果を報告します」
そんな場の空気など気にするわけもなく、全員が席についたのを確認したレオファ様は淡々と話し始める。
「まずは六日前、条約調印記念パーティーでの毒混入事件に関してです。タカラのワインに毒を入れたのは――」
レオファ様は持っていた書類から目を離し、大仰に全員の顔を見回した。自分の言葉を待つ全員の緊迫した表情に気を良くしたのか、臆面もなく相好を崩す。
「タカラ自身です」
「は!?」
「何を……!?」
「どういうこと!?」
タカラ様が両手でテーブルを叩きつけ、椅子から勢いよく立ち上がった。その目が映すのは怒りと戸惑い、そして焦りだろうか。
「私が自分で毒を飲んだとでも言うの!?」
「その通り。自分で用意していた毒を飲んだ、これはいわゆる自作自演だ。誤って死なないよう量を調整し、すぐに解毒剤を調達できるサエアを使ったのも自作自演だからだろ」
「何言ってるの? そんなわけ――」
「証拠ならある。お前は毒を飲む前からサエアの匂いがしていた」
冷徹な目が、容赦なくタカラ様の琥珀色の目を射抜く。
「え? 何を――」
「俺の鼻が利くのを甘く見たな。毒がすぐ特定できるようサエアを使ったんだろうが、あの甘い匂いは異常に鼻につく」
「でも、そんな……」
「それと、三日前にイズミが狙われたのもタカラの仕業です」
「それは違うわ! 私はあのときオルギリオンの総領事館に行っていて……」
「そのアリバイもとっくに崩れてるんだよ。そうですよね? アレゼル殿下」
そこでレオファ様は、サララ様の斜め前に座るアレゼル様に視線を移す。アレゼル様はタカラ様に物憂げな目を向けて、それからゆっくりと口を開いた。
「ああ。タカラ様がオルギリオンの総領事と会談している間、総領事は実は訳あって30分ほど席を外しています。その隙にタカラ様は人力車を使ってこのヒノデ御所に帰ってきて、すぐにまた総領事館に戻っている。タカラ様を乗せた人力車の車夫がそう証言しています」
一気に説明し終えると、陽が翳るように表情を曇らせるアレゼル様。どこかやりきれなさが滲む。
「う、嘘よ! そんなの知らないわよ! 人力車の車夫なんて」
「うまく口止めしたつもりだろうが、神聖な存在である聖女の奇跡の力には勝てなかったようだな」
「え?」
「それと、最初に総領事に事情を聞きに行った役人を買収したこともわかっている。あまり詳しいことは聞かずに、自分が何時から何時までいたのかを確認するだけにしろと指示したそうだな」
「え……」
みるみる顔色を変え、追い詰められていくタカラ様に向かってサララ様が悲痛な声を上げた。
「そんな……。タカラ、どうして……?」
「サララ様、違います! 私は被害者です! だって暴漢にも襲われて――」
「その包帯の下に傷などないことはわかってるんだ。なんせ、血の匂いがしなかったからな」
吐き捨てるようなレオファ様の声に、タカラ様は思わずといった様子で包帯が巻かれたままの左腕をかばった。
「ナイフで切りつけられたなら血が出たはずだ。治療するのに消毒もしただろう。だが暴漢に襲われたと報告を受けたとき、そんな匂いは一切しなかった。お前、その包帯を取って傷を見せてみろと言われたらできるのか?」
本当に傷痕が残っているなら見せることに何の躊躇もない。でも、なかったら。それこそが決定的な証拠になってしまう。
鋭い語気で詰め寄られたタカラ様は、苦し紛れに攻撃的な目をしてレオファ様を見返した。
「そこまで言うなら、動機は何だって言うのよ?」
「それは、アスカを陥れるためだ」
「……俺?」
アレゼル様の真向いに座るアスカ様が、驚いたように二人の顔を見上げる。
「執政官の後継者争いがまことしやかにささやかれる今、タカラとイズミが襲われれば疑いの目は当然アスカに向けられる。それを狙ったんだろ」
「いや、そもそも俺たちは別に後継者争いなんてしていない。そういう噂があるのは知っていたが、なんでそんな話になってるのか……」
「その噂を流したのも、タカラなんだよ」
自信しかないレオファ様の口調からは、すでにはっきりとした証拠を掴んでいることが窺える。タカラ様はぎりりと歯嚙みして、言葉を返すこともできない。
「タカラはだいぶ以前から、補佐官同士がいがみ合っているとか次の執政官の座を狙って諍いが起きているとか、ありもしない噂を吹聴していたんだ。御所内はその悪質なデマに踊らされていたんだよ」
冷ややかな声に、アスカ様が力のこもらない声で反論する。
「……そんな、俺を陥れてどうするっていうんだよ? タカラがそんなことするはずがないだろう?」
「本当にそう言えるのか?」
レオファ様の挑むような強い視線がアスカ様と、なぜかサララ様に向けられた。
「……タカラの姉が関係していると言ったら、どうする?」