9 作戦会議
「証拠を見つける?」
「どうやってだよ?」
遠慮のない王子二人の問いにも、ミレイ様は飄々とした態度を崩さない。
「要するに、昨日のその時間にここからヒノデ御所まで女性を乗せた人力車の車夫を探せばいいわけでしょ?」
「だからそれが難しいんだって。いるかどうかだって定かじゃないのにさ」
「まあ、一人ひとりを訪ね歩くのは多分無理よね。だったら全員に来てもらえばいいんじゃない?」
「は?」
王子二人がぽかんとした顔を見合わせるのを見て、ミレイ様は可笑しそうにくすくす笑う。
「まあそうね、これは一種のファンサよ」
「ファンサ?」
「そう。ファンに対するサービスの一環ってとこね」
「ファン?」
「サービス?」
まるで状況が飲み込めない王子二人を尻目に、ミレイ様は少し真面目な顔つきになった。
「グレアム様」
「なんでしょう?」
「突然で悪いんだけど、今からお触れを出してほしいの。東都中の人力車の車夫を対象にして」
「え? お触れですか?」
「そう。実はオルギリオンの聖女がお忍びでこのアカツキを訪れていて、とても親切にしてくれた人力車の車夫にお礼を言いたい、でもどの人かわからないから心当たりのある者は名乗り出てほしいって」
「え?」
今度はグレアム様がぽかんとしている。
「人力車には何度か乗ったが、特別親切にしてくれた車夫なんていたか?」
訝しがるルーグ様の言葉に、ミレイ様は悪戯っぽく頬を緩ませる。
「いないわよ。だからこれは、できるだけたくさんの車夫を集めるための口実なの」
「は? 口実?」
「そう。訪ね歩くのが無理なら、みんなに来てもらえばいいって言ったでしょ?」
思いついた作戦に興奮を抑えきれないのか、ふふっと笑うミレイ様。いまいちピンと来ていない私たち全員に対し、意気揚々と説明し始める。
「お触れを出したら、きっと東都中の車夫が集まってくると思うの。この国の人たちは聖女がどんな外見をしてるかまでは知らないそうなのよ。どんな人なのかわからないなら、自分が乗せたかもしれないって思っちゃうのが普通じゃない?」
「そうかもしれないな」
「それで集まってきた車夫たちに、昨日のことを聞き出せばいいってわけか?」
「そうそう」
「でもタカラ様を乗せた車夫がいたとして、金か何かを握らされて『誰にも言わないように』とか口止めされてるんじゃないか?」
「それに、そんなことをしたら車夫以外の人たちも集まってしまいますよ。聖女がアカツキに来ているとなれば、東都の人たちは珍しがってこぞって見に来るでしょうし」
アレゼル様の危惧もグレアム様の懸念も、ミレイ様には想定の範囲内だったらしい。
「そこは聖女の『力』の出番よ。集まった車夫に昨日のことを聞くときは、『嘘をついても聖女にはすぐバレてしまう』とか『嘘つきには聖女の祝福は効果を発揮しない』とか予め言っておけばいいのよ。お金で口止めされてる程度のやつなら、それで簡単にしゃべっちゃうと思うんだけど」
「なるほどな」
「私目当てで集まってきちゃった野次馬の人たちには、私が聖女としてファンサするから大丈夫よ」
「だからなんだよ? ファンサって」
いつもの調子で謎言語を繰り出すミレイ様は通常運転だけど、意味を説明してくれないからルーグ様がそこはかとなく不機嫌である。でもむしろ、ミレイ様は楽しげに微笑む。
「オリギリオンでやってきたことと同じよ。聖女として仰々しく登場して、さも聖女が言いそうなことを上品ぶって言うのよ」
「聖女が言いそうなこと?」
「『私のためにこんなにたくさんの方々にお集まりいただき、聖女として大変光栄です』とか『みなさまに精霊フレアの祝福のあらんことを』とかそういうこと」
「ああいうの、ファンサって言うのか?」
「ふふ、まあ、そんなとこ。とにかくそれらしいことを言っておけば、集まってきちゃった人たちもそこそこ満足してくれるんじゃない?」
「なるほどな」
「考えましたね」
アレゼル様やグレアム様は、感心したように何度も頷いている。
「もちろん、それでお目当ての車夫が見つかるかどうかはやってみないとわからないけどね。でも使える力があるなら、存分に使わないともったいないじゃない」
ルーグ様顔負けのウィンクをするミレイ様はなんだか誇らしげで、ちょっと拍子抜けしてしまう。これがあの、生きることを放棄しようと頑なにすべてを拒絶していた人なのだろうか。とても同一人物とは思えないんだけど。
この半年、たとえそれが半分以上演技だったのだとしても、ミレイ様は聖女としての役割をその身に引き受けてきた。背後に真逆の本音を隠しながら、それでも聖女として振る舞い、聖女という仮面を被り続けてきたのだ。これはその成果とも言えるし、私たちが思ってもみなかった何かをミレイ様にもたらしてきたのかもしれない。そんな気がした。
◇◆◇◆◇
そこからの動きは早かった。
まずグレアム様は、早速ミレイ様に言われた通りのお触れを出した。しかも『明日中に名乗り出るように』と期限を設けたのだ。
「こうすると、触書きの伝達が早まるんですよ」
思わぬ形で驚きの有能ぶりを見せつけるグレアム様。あれ、この人、外でヘマしないよう監視の意味もあって父親のベレンシア公爵の補佐をさせられてたんじゃなかったっけ? 聞いてた話とだいぶ違うような。でも総領事としての役目をしっかりと果たし、スタッフにも信頼されている目の前のグレアム様はやけにのびのびとしている。ここへ来て初めて、この人にはこの人なりの事情があったのかもしれないなんてことに気づく。
そんなグレアム様は、この作戦の先鋒を切る重要任務を命じられてとてもご満悦らしい。ずっとニヤニヤしていた。
私とアレゼル様は作戦会議のあとすぐにヒノデ御所に戻り、レオファ様に事の次第をざっくりと話すことにした。胡散くさい補佐官は国家の一大事を他国の要人に勝手に話してしまったことにはいい顔をしなかったし、思った通り『タカラ様が会談の途中で抜け出した可能性がある』という情報だけでは満足しなかった。でもタカラ様を乗せた人力車の車夫を見つけるための作戦を話すと、次第に表情を崩して前傾姿勢になる。
「オルギリオンの聖女は随分と面白いことを考えましたね」
なぜか上機嫌になったレオファ様に、私たちはそのままの勢いで警備の人員を貸してほしいと依頼した。恐らく明日、オルギリオンの総領事館は人力車の車夫と見物人と野次馬とで溢れかえるに違いない。その混雑と混乱を回避するために、警備の人員が必要だと考えたのだ。レオファ様は「おっしゃる通りですね。私にお任せください」とすぐさま快諾し、百人近い規模の護衛兼警備員を派遣することを約束してくれた。
ルーグ様は最初、「俺がやることはないのかよ?」なんてぶーぶー言いながらあちこちぷらぷらしていた。でも気がついたら、いつの間にか総領事館のスタッフと一緒に明日の準備に奔走し始める。さすがは王家一のお調子者、こういうイベント事には慣れっこらしくプロデューサー兼現場監督として遺憾なくその本領を発揮した。
◇◆◇◆◇
翌日。
私たちが総領事館に着いたときには、予想通りものすごい人でごった返していた。でもレオファ様が派遣してくれた護衛と総領事館のスタッフが適切に人員整理してくれていて、さほど大きな混乱は生じていなかった。
朝早くから大勢詰めかけていた人力車の車夫は、一旦総領事館の大会議室に集める手はずになっていた。そこから一人ひとりを別の部屋に連れ出して、一昨日の午後二時頃から午後四時頃までの間にここからヒノデ御所まで女性を乗せたかどうかをそれとなく確認する。もちろんミレイ様の忠告通り、話を聞く前に『嘘をついたり隠し事をしたりすると聖女の祝福は受けられない』と釘を刺しておくことも忘れない。ルーグ様とグレアム様が思いがけないコンビネーションを見せながらうまいこと采配を振るったおかげで、ひっきりなしに集まってくる車夫の事情聴取は順調に進んでいったらしい。
一方、ミレイ様目当てに集まった人たちは総領事館の中庭に通すことになった。中庭が見物人や野次馬でいっぱいになったところで、二階のバルコニーからミレイ様が姿を見せる。そのときの歓声といったらもう。私は聖女様付きの侍女という体で近くに控えていたのだけど、「聖女様!」「聖女様!」と呼ぶ声や「わーー」とも「きゃーー」とも言えない悲鳴のような声にただただ圧倒されてしまった。
でも、さすがはオルギリオンの聖女。こういう状況はある程度慣れているのだろう。ミレイ様は落ち着いた様子でにこやかに登場し、聖女らしい雰囲気を醸し出しながら聖女らしいセリフを口にする。
「みなさま、ようこそおいでくださいました。今日はみなさまにお会いできて、大変うれしく思っております」
ミレイ様が話し始めると、それまでの喧騒が一気に霧散する。恐ろしいほどしんと静まり返った中庭に響くミレイ様の涼やかな声。その声を一つも聞き漏らすまいというアカツキの民たちの真剣なまなざし。ある者はミレイ様に手を合わせて拝み、ある者は目に涙を浮かべて、聖女の発するありがたい祝福の言葉にただひたすら耳を傾ける。
「……精霊フレアもアカツキのみなさまの歓迎を心から喜んでいます。私は近日中にオルギリオンに帰国しますが、遠く離れた彼の地でみなさまの幸せをお祈りしています。みなさまに精霊フレアの祝福のあらんことを」
ミレイ様のありがたいスピーチが終わると割れんばかりの拍手と歓声が嵐のように巻き起こり、中庭を埋め尽くす。それを見て満足そうに微笑みながら、ミレイ様がバルコニーから退場する。
……という挨拶(ミレイ様の謎言語で言うとファンサ)を、結局何回繰り返したのだろう? 五回? 六回?
「あら、七回よ、ラエル様」
最後の回を終えてバルコニーから部屋に戻ると、ミレイ様はけろりとした様子で笑った。
「……慣れてらっしゃるんですね」
私なんて特に何もしてないけど、ちょっとへろへろである。アレゼル様と結婚したとき、似たような感じでフォルクレドの民の前に出たことはあるけどあのときだけだし。しかもそんなに長い時間じゃなかったし。
「さすがにここまでの回数を一日でというのは初めてだったけどね。でもアカツキの人たちはマナーやモラルを弁えているからやりやすかったわ。穏やかな国民性なのね」
「そうですね、暴れたり暴動が起きたりなんて要素は一ミリもなかったですね。みんなミレイ様の言葉に感動してる様子でしたし」
ソファに凭れるミレイ様は「あー、疲れたー」なんて言いながら勢いよく手足を放り出して、大きく伸びをする。
「でも、よかったのですか?」
ミレイ様の向かい側に座るアレゼル様は、難しい顔をしながら慎重に言葉を選んでいる。
「アカツキの民たちは口々に『またアカツキにおいでください』とか『聖女様に会いにオルギリオンに行きます』とか言っていたようですが」
アレゼル様の言わんとすることを察したのだろう。ミレイ様も一瞬微妙な表情になる。
ミレイ様がこの国に来たのは、元の世界に帰るためだ。その願い通り元の世界に帰ることができたら、再びこの国に来ることもなければオルギリオンにいることもない。この世界から、ミレイ様という存在はなくなってしまうのだから。
「あんなこと言われると、ほんとに困りますよね」
感情を極力排除したミレイ様の声に、どう答えていいのか思いあぐねていると。
「みんな、『当たり』が見つかったぞ!」
ドアを開けたルーグ様の顔は、狙い通りの獲物を見つけた高揚感で上気していた。