8 暗中模索
その日の午後、私たちは早速オルギリオンの総領事館へと向かった。
オルギリオンの総領事館は、ヒノデ御所から徒歩で15分ほどのところにある。この国の人たちは遠距離を移動する際、基本的には乗合馬車を使うことが多いらしい。短い距離の移動には一般的な馬車も使われるけど、それよりは車輪のついた台座を人が引いて走る『人力車』と呼ばれる乗り物の方が好まれる。馬車を頼むのは値が張るし、東都の街は碁盤目状に整備されていて狭い道が垂直に交わっているから、何かと小回りが利く人力車の方が都合がいいんだとか。
普段は馬車を使っていたけど、昨日タカラ様は人力車を使ったと聞いたので私たちも乗ってみた。人力車を使ったら総領事館まで七~八分といったところだろうか。十分はかからなかったと思う。
総領事執務室に入ると、昨日アケボノ観光を楽しんだらしいミレイ様やルーグ様も待っていてくれた。もちろん、この部屋の主であるグレアム様も。
「どうしたのです? いきなり招集をかけるなど」
「私も忙しいのですよ」なんて不満たらたらの声には、意外なことにうれしさが混じっている。ほんと素直じゃないんだから。一度は憎まれ口を叩かないと気が済まない性分らしい。
でもアレゼル様はそんな安い挑発に乗ることなく、グレアム様に一瞬だけ目を向けると無機質な声で「悪いな」とだけ言った。
その様子に、みんながみんな何事かと目を見開く。いつもなら憎まれ口の応酬になるところなのに。嫌味が返ってくるのをちょっと期待して待っていたグレアム様が一番呆気にとられているのが、なんというかまあ、気の毒と言えば気の毒である。
「実はみんなに協力してほしいことがある。ただしこれは、この国にとっての一大事、国の根幹を揺るがしかねない超重要機密事案でもある。だから絶対に他言無用だ。いいな?」
アレゼル様のいつになく切羽詰まった表情に、ミレイ様とルーグ様は先日の毒混入事件に関することだと思い当たったらしい。一方のグレアム様はようやく仲間に入れてもらえたのがうれしい反面、明らかに狼狽えてもいる。
「いや、待ってください。そんな国家の一大事とやらに無理やり巻き込まれても……」
おどおどと尻込みする総領事の言葉を、アレゼル様は問答無用で遮った。
「うるさい。お前はもうとっくに巻き込まれてんだよ」
「は?」
「いいから聞け。お前に選択権はない」
そうして、毒混入事件から始まる一連の騒動について話すアレゼル様。何も知らなかったグレアム様は、話を聞いていくうちにどんどん顔色を失っていく。そして自分がタカラ様のアリバイを証明する一端を担っていると知り、その表情は一気に蒼ざめた。
「い、いや、待ってください……。確かに今朝方、ヒノデ御所から役人が来て昨日のタカラ様との会談について聞かれましたが……」
「なんて答えたんだよ?」
「え、覚えていることをそのまま話しましたよ。タカラ様がいらっしゃったのは昨日の午後二時頃だということと、最近オルギリオンとアカツキとの間で観光客が増えているのでそれについて意見交換をしたということと……」
「タカラ様はいつ頃帰ったんだ?」
「四時頃だったかと思いますが」
「その間、タカラ様が三十分くらい席を外したとかそういうことはなかったのか?」
「なかったですよ」
グレアム様が突っかかるような口調で「あるわけないじゃないですか」と付け加える。
「むしろ私のほうが中座することになってしまい、タカラ様にはとんだご迷惑を」
「は?」
ちょっと待て。グレアム様、あなた今とんでもないこと言ったわよ。私たち四人から鋭い視線を向けられていることに気づかないのか、グレアム様は面倒くさそうにため息をつく。
「実は昨日、一悶着ありましてね」
「一悶着?」
「オルギリオンからの観光客でも来たのか?」
「いえいえ、アカツキの国民ですよ。わざわざ総領事館へ来て、あれこれ注文やらお願いやら厚かましい輩が来ましてね」
「何の注文だよ」
「いや、それは、まあ……」
突然歯切れの悪くなったグレアム様がきょろきょろと落ち着きを失う。そしてミレイ様にちらりと目を向けたかと思うと、ごほんと一つ咳払いをした。
「いろいろとあるんですよ。しかも連中はしつこくてなかなか帰らず、ここのスタッフもほとほと困ってしまったようでして。最終的に私が呼ばれたので、直接行って対応したんです」
意外にもしっかり総領事としての役割を果たしているグレアム様に、私たち四人の目が点になる。いやー、私たちの中のグレアム様の評価ってほぼどん底、なんなら地面にめり込んでたくらいだもんね。どんだけ低かったかってことよね。ちょっと申し訳ない気もするわね。
「その面倒な訪問客の相手をするために、会談中一度だけ中座したことは事実です」
「お前、なんでそれヒノデ御所の役人に言わなかったんだよ」
「タカラ様が何時から何時までここにいたかだけ聞かれて、そこまでは聞かれなかったんですよ」
「中座したのは何分くらいだ?」
「だいぶしつこいやつらだったので……。20分、いや30分近くかかったかもしれません」
「その間、タカラ様はずっとお前を待っていたのか?」
「はい。ここでお待ちいただいてました。本当に申し訳なくて」
「それ、ほんとなのか? タカラ様はほんとにここから動かず、ずっとお前を待ってたって言えるのか?」
「え……」
アレゼル様の圧に気圧されたグレアム様が、言葉を詰まらせる。自分は面倒な訪問客の相手をしていてそれどころではなく、館内のスタッフだって似たようなものだろう。誰もこの部屋に残っていなかったのだから、タカラ様がずっとここにいたことを証明できる術などない。
そして総領事館に隙が生じたその瞬間を、タカラ様が見逃すわけがない。いやもしかしたら、その隙を作らせたのはタカラ様だという可能性もある。
「これ、アリバイが崩れたことになるんじゃないか?」
ルーグ様がははっと軽く笑い飛ばした。
「グレアムが30分近く中座してたのなら、その隙にタカラ様がここからヒノデ御所に戻って、イズミ様が中庭を通るタイミングで植木鉢を落として、またここへ戻ってこれるんじゃないか? 人力車を使えばギリギリ可能だろ? その面倒な訪問客だって、もしかしたらタカラ様に頼まれたのかもしれないしさ」
「いや、それは、まさか……」
具体的で現実的なルーグ様の指摘に、グレアム様は蒼ざめた顔のまま黙り込む。その様子を視界の端に捉えながら、アレゼル様が厳しい表情で腕を組んだ。
「いや、まだ不十分だ」
「不十分?」
「それだけじゃアリバイが崩れたとは言い切れない。タカラ様はここにいたかもしれないし、いなかったかもしれない。そんなあやふやな情報じゃ、レオファは納得しない」
午前中、これ見よがしに持論を披露していたレオファ様を思い出す。確かに今の曖昧な情報だけなら、あの自信過剰ともいえるローズクォーツの目を光らせながら「その程度の情報で満足するとでも?」とか言いそう。くそ、やっぱりなんか腹立つな。
「じゃあ、どうしたらいいんだよ?」
「もっとしっかりとした証拠が必要だな。例えばここから抜け出すタカラ様を見たっていう目撃証言とか、もし人力車を使ったのならタカラ様を乗せたっていう人力車の車夫の証言とかさ」
「でもそれ、どうやって探すんだよ」
「うーん、目撃証言はともかく、人力車の車夫には一人ひとり聞いて回ればいいんじゃないか?」
アレゼル様がそう言った途端、しばらく沈黙していたグレアム様が弾かれたように顔を上げた。
「殿下、何言ってるんですか? この東都に人力車の車夫が何人いると思ってるんですか?」
「何人いるんだよ?」
「数十人、いや、下手したら数百人単位ですよ」
「……まじか」
想像以上の途方もない数字に、度肝を抜かれる。人力車の車夫ってそんなにいるんだ? 考えてみれば、東都の街の至るところで見かけたような。仮に一人ひとりに聞いて回ったとして、何日かかるんだろう。しばらくフォルクレドに帰れる気がしないんだけど。
「人力車の車夫というのは基本的に車宿で雇われていますので、一つひとつの車宿を回って話を聞くことは可能です。ただ、車宿の数自体が相当多いですし、車宿に所属していない車夫もいますから全員に話を聞くのは至難の業ですよ」
勝手知ったるグレアム様の的確すぎる説明に、みんなが呆然とする。
議論が行き詰まりかけたとき、それまであまり口を開くことのなかったミレイ様が静かに微笑んだ。なぜかその漆黒の目には、聖女然とした慈愛さえ浮かべている。
「グレアム様」
「なんですか?」
「昨日あなたたちを煩わせた面倒な訪問客って、私に会いに来たんでしょ?」
不意打ちに、グレアム様が目に見えて動揺する。完璧な挙動不審になる。
「いや、ミレイ様、何を……」
「聞いちゃったのよ。私に会わせろってしつこかったって」
「なんだそれ」
苦笑するミレイ様の言葉にルーグ様がいち早く反応する。若干キレ気味である。
「どういうことだよ? グレアム」
「いや、そんなことは……」
「私が聖女だからよ」
静かな口調のミレイ様は、グレアム様があえて話さなかったことを全部知っているらしい。訳知り顔には、圧倒的な余裕さえ感じられる。
「オルギリオンに聖女が降臨したことは、東方諸国の人たちも聞き及んでいるらしいの。だけど東国では、何故か聖女の伝説的な偉業ばかりが注目を集めて評判になっているらしくて」
「あ、不治の病を治したとか、一瞬で荒れ地を緑に変えたとかか?」
「そう。それで私が、つまり聖女が今アカツキに来ているとどこかで聞きつけた人たちが、一目聖女に会いたいとか話をさせてほしいとか言って押しかけたらしいのよ。そうでしょ?」
ミレイ様の説明に、グレアム様は決まり悪そうに肩をすくめた。
「……申し訳ありません、ミレイ様。あなたの耳に届かないよう配慮していたつもりでしたが」
「いいのよ。私がここのスタッフから強引に聞き出したんだから」
そう言って、ミレイ様は面倒な訪問客についてスタッフたちが話していたのをたまたま耳にしてしまったこと、なんとか言いくるめてその全容を聞き出したこと、総領事館のスタッフたちはミレイ様をかばい、はた迷惑な勘違いをしているアカツキの人たちに憤慨していたことなんかを教えてくれる。
「そこまでご存じだったのですね。お恥ずかしい限りです」
観念したように目を伏せるグレアム様は、上目遣いでおずおずと話し出す。
「確かに、東方諸国では聖女に関する間違った情報、誤った認識が流布しています。聖女の何たるかを知らず、『大いなる力を持つ』とか『不老不死である』とか、そういう的外れな勘違いが横行しているんです」
「どこでどうやったらそんな勘違いになるんだ?」
「わかりません。でもこれまでの長い時間をかけて少しずつ正しい認識は歪められ、間違った知識だけが残っていったのでしょう。この国の一部の人間が聖女に対して抱く思いは、もはや偶像崇拝に近いものがあるのです。しかしミレイ様は聖女といっても一人の人間。しかも東方諸国に興味を示し、実際にこの地に赴くほど純粋な関心を抱いてくれているのです。そんな人に、煩わしい思いをしてほしくなかったのですよ」
あれ。グレアム様、なんか急にいい人になってない? この人、東方諸国愛がすごすぎて、同じように東方諸国に興味関心を示す人には果てしなく親切で寛容なのよね。あくまでも東方諸国に興味関心を示す人限定なのが惜しいんだけど。
「それで会わせろだのなんだの、うるさいやつらが押しかけたのか?」
「はい。まあ、なんとか追い返したのですが……」
そこでミレイ様は、意味ありげにふっと笑った。
「だからね、私がその聖女の力で今回の事件の『しっかりとした証拠』ってやつを見つけてみようと思うのよ」