2 旧雨今雨
「ラエル様!」
夕方。
東都の街を観光してからオルギリオンの総領事館に着くと、懐かしい顔がすでに玄関で待っていてくれた。
「ミレイ様! お元気でしたか?」
「元気よ、元気! アレゼル様もお元気そうね」
「……ミレイ様、なんか別人みたいになってないか?」
「まあな。この半年でだいぶ別人だよな」
「うるさいわね」
ジト目でツッコむミレイ様の隣でニヤニヤしているのは、オルギリオンの第三王子ルーグ様である。
およそ半年前の『聖女降臨を祝う夜会』で初めてお会いした二人。聖女ミレイ様は実は別の世界から来た『異世界人』であり、元の世界にどうしても帰りたいと訴えた。でもいくら調べても帰り方はわからず万事休すかと思われたとき、偶然にもミレイ様が元いた世界とこの東方諸国に共通点が多いことを知る。東方諸国に行けば、何かわかるのではと考えたミレイ様。
しかしオルギリオン王家は、神聖な存在である聖女を掌中に収めたら最後、絶対に手放そうとはしない。これまでも聖女を緩く縛りつけ、国から出ることを認めてこなかったらしい。過去複数いた聖女たちも誰一人として他国に赴いたことはなく、ミレイ様が東方諸国に来ることはほぼ不可能と思われた。
その不可能を覆したのが、奇跡の男・ルーグ様である。
ルーグ様はミレイ様の「帰りたい」という切なる願いを理解し、自分が東方諸国に連れて行くと約束してくれた。
そして、着々と準備を始めた。その作戦のすべては、ミレイ様が手紙で逐一報告してくれている。
まず、ルーグ様とミレイ様はなんと婚約した。これは王家を油断させるためのいわゆる『偽装婚約』である。婚約は、聖女がオルギリオンに留まる意志があることを明確に示すもの。本当は留まる意志なんかないけど、王家を欺くためにとルーグ様から提案され、ミレイ様も決断したらしい(何度も言うけどルーグ様もその王家の一員なんだが)。
それからミレイ様は、聖女という立場を引き受けたように見せ始めた。聖女として王家の主催する集まりには頻繁に顔を出し、神殿にも赴いて奉仕活動に従事したり礼拝に来た人たちの相手をしたり。まるで積極的に聖女としての役割を全うしているかのように振る舞った。
そのうえ、ミレイ様は毎日のように孤児院に顔を出し、子どもたちに勉強を教え始めたのだという。歴代の聖女は病気の治癒や荒れ地の開墾など、さまざまな『奇跡』を起こしたと言われている。ミレイ様は「自分には何ができるのかまだわかりません。ですので、子どもたちと一緒に学びながらそれを見つけていきたいのです」などともっともらしいことを言って、子どもたちに文字の書き方や簡単な計算の仕方なんかを教えているのだという。
『元の世界では、子どもはみんな六歳でショウガッコウに入学するのです。ショウガッコウというのは、子どもたちに生きるための基礎になる勉強を教える場所なの。私はずっと、ショウガッコウの先生になりたかったのよ。だからもっともらしい理由をつけて、元の世界でやりたかったことをこの世界でも勝手にやってみることにしました』
と、ミレイ様は綴っていた。文面からも楽しげな様子が伝わってきて微笑ましい。
そんな地道な努力を重ねる中で、ルーグ様は少しずつ王家の束縛を緩めていった。そしてあるとき、国王陛下やバロール王太子殿下にこう切り出したのだという。
「ミレイはここまで、聖女としての役割を充分すぎるほど全うしてきました。こんなにがんばっているのですから少し休ませてやるべきです。働かせすぎたことで、かつての聖女のように王家に不満を抱いて逃げ出されたら元も子もありません」
これってちょっと、いやほとんど脅しのような。言われた国王陛下やバロール王太子殿下の焦りようといったらもう尋常じゃなかったらしい。なんせ婚約者として聖女の一番近くにいる王子が言うことだし、王宮に移った頃のミレイ様の拒絶的な態度を考えればそんなバカなと楽観視もできないし。そうして聖女に褒美を与えることが決まり、ミレイ様は東国へ行くことを願い出たんだとか。
そんなこんなで、条約調印のためにアカツキを訪れることになった私たちとタイミングを合わせてやってきた二人。今日ここで、落ち合うことになっていたのだ。
そして、もう一人。
「お待ちしておりました、ラエル妃殿下」
総領事執務室のドアを開けると、待っていたのはなんとあの、グレアム・ベレンシア公爵令息である。
満面の笑みで近寄ってくるのをアレゼル様がすかさず阻止すると、グレアム様はあからさまに眉を顰めた。
「あなたもいたのですか、アレゼル殿下」
「当たり前だろ。ていうか、偉そうにため息をつくな」
「残念ながら、今この総領事館で最も強い権限を持つのは私なのですよ、アレゼル殿下。一番偉いのは私なのです」
「相変わらず腹立つ言い方するよなー。総領事様とは出世したもんだ」
「まあ、適材適所、私の知識と能力が高く評価されたということでしょう」
グレアム様の高笑いが止まらない。
グレアム様は、この春からここアカツキで総領事を務めている。東方諸国に対して揺るぎない愛と確かな知識を持ち、もはや歩く広告塔と化していたグレアム様にとっては願ってもない派遣人事だっただろう(小躍りしていたとディア様が手紙に書いていた)。
「ラエル妃殿下、東都の街を直接ご覧になっていかがでしたか?」
「古い時代の建造物であるお寺や神社を幾つか拝見しましたけれど、歴史と風情を感じますね。あ、オルギリオン王宮の東方庭園で見た赤い門がたくさん並んだ神社に行ったんですけど、圧巻でした。とても神秘的で」
「ああ、あそこは人気の観光スポットなんですよ」
「あと五重塔でしたか? あの建物は不思議な形ですけれど、なんだかとても心惹かれてしまって」
「わかりますわかります。宇宙の神秘を感じますよね」
「それから……」
「二人だけで盛り上がるな」
うわ。超絶不機嫌なアレゼル様が睨んでる。
「口を出さないでほしいですね、アレゼル殿下。東方文化を正しく理解なさっているラエル妃殿下を少しは見習ったらどうですか?」
「お前に言われたくねえし俺の大事な奥さんと無駄に仲良くすんな」
「ほう、アレゼル殿下は見た目以上に狭量でいらっしゃる」
「ふん、人妻に手を出すようなやつよりマシだ」
「まあまあ」
いつぞやと同じように、心の底から面倒くさそうに間に入るルーグ様。
「お前たち、ほんといい加減にしてくれよ」
呆れたように二人を見比べて、それから私の方に顔を向ける。
「俺とミレイはしばらくこの総領事館に滞在することになるから。二人は明日、条約の調印式と記念パーティーがあるんだろ?」
「はい」
「俺たちも明日は一日東都見物する予定だからさ。そっちが片づいたらまた会おうよ」
ルーグ様が意味ありげなウィンクをする。視線を移すとミレイ様まで同じようにウィンクするもんだから、思わず目を見開く。この二人、いつの間にこんなに仲良くなったんだろう。お互い呼び捨てだし。なんか、普通に仲睦まじい婚約者同士なんだけど。
二人はこのあとグレアム様から東方諸国に関する話を聞き出しつつ、ミレイ様が元の世界へ帰る方法を探す手がかりはないか探りを入れる予定なのである。ちなみに、私たちも明日の調印式とパーティーでそれとなく情報を集めることになっている。
「聖女様のことはこの総領事館で精一杯おもてなしさせていただきますよ。それと明日の東都見物のために、名所を幾つかお教えしましょうか?」
「俺ももてなせよ、グレアム」
「厚かましい第三王子ですね」
「お前なあ、これでも一応お前の国の王子なんだぞ? ちっとは敬えよ」
「あー、はいはい」なんてどこまでも悪態をつき続けるグレアム様は、その態度とは裏腹になんだかとても楽しそうに見えた。
◇◆◇◆◇
翌日。
無事に条約締結の調印式を終えた私たちは、その夜調印記念のパーティーに出席した。
念のため言っておくけど、今日のドレスもまたアレゼル様が用意してくれたものである。今回は少し珍しく、同じ紫系統の色でも淡いラベンダー色。形はシンプルながらも繊細な総レースのデザインはラグジュアリー感と洗練された上品さがあり、王室御用達デザイナー・ナウスのドヤ顔がどうしても頭に浮かんでしまう。
「あー、やばい」
ドレスを纏った私を見た瞬間、夫の語彙力が死んだ。
「やばいってなんですか」
「いつも以上の美しさだと思ってさ。ラエルの魅力を表現し尽くす語彙力を持たない自分が恨めしい」
「ふふ、大袈裟ですよ」
「それと、できれば早く脱がせたい」
「っもう」
このふしだらな夫をなんとかしてほしい。
サララ様やアカツキの要人たちと歓談するアレゼル様から離れて飲み物を取りに行くと、二人の補佐官が和やかに話をしていた。一人はこの前話したタカラ様、もう一人はこの国の出身ではなさそうな、丈夫な体格の男性補佐官。流れるような長い黒髪にはところどころに明るい灰色が交じり、端正な顔つきと魅惑的なローズクォーツ色の目をしている。と思ったら、その男性補佐官が何やら意味深な視線をこちらに向けてくる。
訝しく思いながらもそれをスルーして、私はタカラ様に声を掛けた。
「タカラ様、先日はありがとうございました。おかげで東都の街を満喫できました」
「妃殿下のお役に立てたのならよかったです。ちなみにどちらに行かれたのですか?」
「タカラ様おススメの神社です。赤い門がたくさん並んだ……」
「ああ、『鳥居』ですね」
男性補佐官が堂々と会話に乱入する。
「あの神社は素晴らしいですよね。神聖で神秘的で、ミステリアスで」
胡散くさい笑顔を浮かべる男性補佐官。なんだかやけに馴れ馴れしい。距離近くない? ていうか、この人の名前なんだったっけ? 一際覚えにくい名前だった気がするんだけど。思い出せなくて焦るし会話どころじゃない。
「レオファもあの神社がお気に入りなのよね? 一人で何度も参拝してるんでしょう?」
「願い事をしながらあの鳥居の中を通ると願いが叶うって言われてるだろ? 俺の国にはそういう言い伝えのある名所はないからな」
やっぱりこの国の人じゃないんだ。と思いつつ。
この人の名前が『レオファ』だとわかって急速に安堵する。初日にサララ様から「どうぞファーストネームでお呼びください」と言われているから、これで無問題である。
「ラエル妃殿下、今回の滞在は一週間だとお聞きしておりますが」
そのレオファ様が、またしても意味深な目つきをして私を見つめた。
「明日以降の予定はお決まりなのですか?」
「ええ、まあ……」
なんだろう。この射抜くような、探るような視線。不思議と気持ち悪さはないけど、そわそわ? いや、ざわざわする。
謎の不可解さに言葉を詰まらせた瞬間、腰の辺りにいつもの感触が。
「どうした? ラエル」
歓談を終えたらしいアレゼル様だった。
その声に、その仕草に、いつものあの温かさに、自然に頬が緩む。見上げたら、いつものあの眩しい笑顔がある。否応なしに、ほっとしてしまう。
「タカラ様やレオファ様と、東都の街巡りについてお話ししていたのです」
「ああ、タカラ様のおかげで、とても有意義な時間を過ごすことができましたよ。ラエルは東方文化に興味があるのでとても喜んでいたのです」
「お気に召したのであれば光栄です」
気のせいか、アレゼル様のレオファ様に対する目が冷たいような。会話に入れないよう、どことなく排除しているような。
しかしレオファ様も負けてはいなかった。
「ラエル妃殿下。明日以降はこのレオファがアカツキの国をご案内いたしましょう。東都以外にも見所はたくさんあるのですよ」
「え? いや、レオファ様もご公務がおありでは……」
「いえいえ。調印式も無事に終わりましたし、明日から暇なんですよ」
そんなばかな。ツッコみそうになって、横から溢れ出す殺気に気づく。アレゼル様めっちゃ殺気立ってるじゃん。もう見なくてもわかる。
「レオファ殿、残念ながら明日以降も私たちは予定が詰まっておりましてね」
「そうなのですか? しかし私も直接ご紹介したい場所がありましてね、ラエル妃殿下に」
そう言うと、レオファ様はいきなり目の前に立ち、大仰に片膝をついて私の手の甲に軽く口づけた。
「星の女神よりも美しいラエル妃殿下。どうか私に、案内役をお命じください」