11 怪力乱神
「ここ、『二ホン』じゃない……!」
口元を手で覆いながらその場に立ち尽くすミレイ様に近づくと、小さく震えている。
「ミレイ様、『二ホン』って確か……」
「私が元いた世界の、元いた国の名前よ。この『トリイ』もあの池に掛かる赤い橋も、全部『二ホン』の文化を象徴するものよ」
「え……?」
どういうこと? 東方の国々は『二ホン』ってこと? そんなわけないか。でも何かつながりがあるってこと?
「どうしてここにこれがあるのよ……?」
言いながら、ミレイ様は『トリイ』と呼んだ門をくぐると速足で歩き出した。そして庭園のあちこちを眺め、近づき、また眺めて「なんで……」とか「どういうこと?」とかつぶやいている。
「ねえ!」
いつの間にか橋の上に立つミレイ様が、怖いくらいの厳しい表情をして叫んだ。
「ここ、東方の国々の造園様式を模したって言ってたわよね?」
「は、はい」
「その東方の国々ってとこに行きたいんだけど」
「え」
思わずルーグ殿下に目を向ける。明らかに困惑している。
「ミレイ様、残念ですがそれは無理かと」
「なんで」
「あなたは聖女だ。この国から出すことはできないんです」
その言葉に、ミレイ様は無表情で踵を返すとずんずんとルーグ殿下に近寄った。有無を言わさず距離を詰める。
「あなた、この国の王子なんでしょ? 私を東方の国々に連れて行ってよ。それくらいできるでしょ?」
「いやいや、だから無理なんだって」
「どうしてよ? この庭園見ればわかるでしょ? こんなに『二ホン』そっくりなのよ? これは絶対に偶然じゃないし、だったら直接確かめてみるしか――」
「それはそうかもしれないけど、王家にとって聖女とはどうしても手放せない神聖な存在だって言ったでしょう? その恩恵を独占するために、これまで王家が聖女を他国に行かせたことなんてないんだから」
「は? 何よそれ。どんだけ横暴な国なのよ。私だって好きで来たわけじゃないのに」
「そんなこと言ったって……」
「あの」
つい口を挟んだら、二人の視線が怖かった。
「ひとまず、東方の国々に詳しい人に話を聞いてみるというのはどうでしょう?」
◇◆◇◆◇
予想外の展開になった。
わりといつも予想外の展開だけれども。
何故か今、私たちは王宮のベレンシア公爵の執務室にいる。ただ、公爵は公務があって席を外している。私たちの真向いに座っているのは、あのグレアム・ベレンシア公爵令息である。
一応言っておくけど、ここまで来るのはちょっと大変だった。主にアレゼル様が。
ミレイ様とルーグ殿下の言い合いを収めて、ひとまず東方文化に詳しいグレアム様に話を聞いてみようと提案したのはいいのだけれど。
「なんでグレアムなんだよ」
大変に、拗ねていらっしゃる。うちの夫。
「ですから言ったでしょう? あの方は性格にだいぶ難がおありのようですが、東方文化や東方の国々に関しての知識は本物です。ひとまず話を聞いてみるのが手っ取り早いかと」
「いくら手っ取り早くてもあいつはダメだ。ほかに詳しいやつだっているだろ?」
「そうかもしれませんけどあの方は東国に留学経験もおありだそうですし、ディア様も『鬱陶しいけど東方の国々に関しては今あいつの右に出る者はいないのよ』と」
「だからってあいつを頼るなんて俺は嫌だ」
「アレゼル様。一国の王太子が好き嫌いで物事を判断してはなりません」
「うるさいな。あいつは俺たちの仲をひっかき回そうとしたんだぞ」
うーん、まあ、それはそうなんだけど。でも必要なことを話さずに誤解を招くような怪しい行動をしていたあなたにも責任の一端はあると思いますがね。私のためを思ってしたことでもあるから、もうごちゃごちゃうるさいことは言わないけどさ。
「あいつのせこい嘘にどんだけ振り回されてきたと思ってんだよ。しかもラエルにちょっかい出すなんて、もう一回ぶっ飛ばしても全然足りない」
「ちょっかいと言っても、別に私のことをどうこうしようと思っていたわけではないですし」
「そんなのわかんないだろ。あわよくば、と思ってもおかしくない」
「だってあの方、ディア様がお好きなんでしょ? それはないですよ」
「あのなあ、ラエルがどんだけ可愛いと思ってんだ? もともと可愛かったのにますます、尋常じゃなく、恐ろしいほど可愛くなってんだぞ。いい加減自覚してくれ」
「は?」
「お前のその、穏やかなのに凛とした見た目とか知性と品性に溢れる雰囲気とか、機転の利く話しぶりとかこの前の夜会でどんだけ注目の的になってたと思ってんだ」
「は?」
初耳である。初耳すぎて二の句が継げない。
「だから声高に『妻』を強調して歩いてたってのに」
「いやいや、アレゼル様、また過大評価しすぎですって。そう見えてるのはあなただけだってだいぶ以前にもお話ししましたよね?」
「いや、腹立たしいが事実だ。現にあの夜会のとき、隙を見てラエルに近づこうとしたやつが何人いたと思ってんだ。全員俺が踏みつぶしてやったがな」
勝ち誇ったように悪い顔をする夫の独占欲がすさまじい(知ってはいたけど)。多分過剰に反応してるだけだと思うけど、こうなるとこの人一歩も引かないからなあ。現に今だって、「気のせいとか過剰反応とかじゃないからな、事実だから」なんて言い切っている。
「仮にそうだとしても、グレアム様だろうがほかの誰だろうが相手にならないとあなただって知っているでしょう?」
「え?」
「私が心から愛するのはあなただけだって、とっくにご存じのはずです」
少し媚びるような視線でアレゼル様を見上げると、「ラ、ラエル……」とか言いながらこの世の幸福をすべて集めたかようなきらきらした笑顔を見せるアレゼル様。
婚約から二年、結婚してすでに一年以上。私だってさすがに扱い方にも慣れてきている。ちょっとちょろい。
◇◆◇◆◇
「それで、ど、どういったご用件でしょうか?」
目の前のグレアム様はかなりびくびくしていた。そりゃそうだろう。いきなり自国の第三王子と聖女、それに隣国の王太子夫妻が自分目がけて乗り込んでくるんだもの。しかも私とアレゼル様が一緒にいるということは、自分のやったことや魂胆がすでにバレていることをも示唆している。決まりが悪いのかこっちを見ようとしないもんね。内心ヒヤヒヤしているに違いない。
「グレアムは東方の国々に詳しいだろう?」
そんなことは意に介さず、ルーグ殿下が単刀直入に切り出す。
「ええ、まあ」
「聖女様が東方文化にいたく興味を示されてね。いろいろと教えてあげてほしいんだよ」
ルーグ殿下の言葉に、グレアム様ははっきりと安堵した。「なんだ、そんなことか」とか思っているのがわかりやすく顔に出ている。
「聖女様が東国にご興味を?」
「ああ。だからまずは、基本的なことから教えてくれないか?」
「わかりました」と鷹揚に答えたグレアム様は、すっと立ち上がると近くにあった本棚から一冊の本を取り出した。『東方諸国連合図説』と書かれたその本の表紙を開くと、地図が載っている。
「一般的には『東方の国々』とか『東国』などと呼ばれますが、正式名称は『東方諸国連合』と言います。それぞれが独立した国家である幾つかの島々で構成されているのですが、中でも国土面積や経済力、軍事力など総合的な国力の高い三つの国を『東方三国』と呼びます」
グレアム様が、地図を指差す。
「最も国土が大きく中央に位置するのが『アカツキ』、その左に位置するのが『シノノメ』、右が『アケボノ』です」
「え?」
ミレイ様が唐突に大声を上げる。
「何か?」
「『二ホン』語でしょ、それ」
「は?」
「ミレイ様、一旦落ち着いて」
「あ……」
「グレアムは続けて」
「は、はい」
ルーグ殿下に宥められ、珍しくミレイ様も大人しく従う。
「東方の国々は、今から千五百年以上前に『ヒミコ』という『神子』がアカツキという国を興したのが始まりとされています。現在もアカツキが最も国力が高く、『東方諸国連合』の代表もアカツキの代表が務めています」
「そういえば国際会議なんかには『東方諸国連合』として出席してるよな」
「そうです。東方三国以外は比較的小さい国が多いですし、それぞれが独立して国際社会に参加するよりも一つの連合国家として対峙した方が有利に働く場合も多いので」
「さまざまな国をまとめながらリーダーシップを発揮して代表を務めるなんて、余程政治力の高い代表なんだろうな」
「そうですね。東方諸国の島々はそれぞれが独立国家ではありますが、基本的な政治体制や社会の仕組みといったものは共通しています。興味深いのは王政ではないという点と、明確な身分制度が存在せず爵位等の概念もない点にあるのですが」
グレアム様の言葉に、全員がはっとする。
「爵位がない?」
「はい。東方諸国には国王がおらず、それぞれの国の代表は『執政官』と呼ばれます。『執政官』は『選挙』と呼ばれる全国民の投票で選ばれます」
「政治体制がだいぶ異なるというわけか」
「はい。もちろん『執政官』はその都度投票で選ばれ、世襲制ではありません」
「……ちょっと想像がつかないな」
「そうですね。それと東方諸国は意外にも軍事力が高いことで有名でして」
「軍事力?」
「東方の海域には船舶や沿岸地域を襲撃し、略奪や暴行を繰り返す賊の集団がいるのです。『エーギル海賊』と呼ばれているのですが」
「ほう」
「彼らに対抗すべく、軍事力を高めてきたという背景があります」
淀みなく、そして得意げに説明を続けるグレアム様はいいとして、横から感じる不穏な空気。面白くなさそうな顔をしているアレゼル様である。
「今の説明に嘘はないだろうな?」
と思ったら、いきなり牙を剥いた。ここへ来て喧嘩を吹っかけに行くとは。やっぱり怒りは収まってなかったらしい。
「は? ありませんよ。どういう言いがかりですか」
「お前の言うことが信用できるかよ。ラエルに嘘ばかり吹き込みやがって」
「あ」
まずい、と思ったのだろう。グレアム様が途端に怯む。でも意外に素早く態勢を立て直す。
「私はただ、お一人で寂しそうにされていた妃殿下が見ていられなかっただけですよ」
開き直ったのか、平然と言ってのけるグレアム様。そして何故か、私に向かってにこやかに微笑む。
「私にとっては非常に有意義な時間でしたし」
「はあ? 悪意しかない嘘なんかついて、どこが有意義なんだよ。相変わらず毎回毎回やることがせこいよな。何年経っても成長しないやつだよ」
「せこいってなんですかせこいって。人が協力してあげているのに、何ですかその言い草は。あなたこそ王太子のくせにその横暴さは変わりませんね。まったく驚きですよ」
「は? 人妻にちょっかい出したくせに、偉そうにすんな。ラエルに色目使いやがって」
「妃殿下は東方文化に理解を示し、賢明で思慮深いお方です。本当にあなたにはもったいない」
「はっ! お前に言われる筋合いじゃねえし絶対に渡さないからな」
「ふん! 身の程知らずで図々しいところも変わりませんね」
「まあまあ」
どんどんヒートアップする二人を見かねて、ルーグ殿下が面倒くさそうに間に入る。
「お前たち、久々に会ったのにほんと相変わらずだな」
まさに犬猿の仲。その見本ともいうべき二人の言い争いだけど、なんかちょっと、不毛な気がしないでもない。
でもそんな騒々しさの中にありながら、放心したような目をして黙り込むミレイ様に誰も気づくことはなかった。