10 一致団結
翌日。
この大陸でもトップクラスの蔵書を誇るとされる、王宮に隣接した立派な王立図書館に集合する。
聖女に関する書籍が多く所蔵された一角に陣取ると、ルーグ殿下が早速持ってきていたある文書をテーブルの上に置いた。
「結論から言うと、やっぱり陛下は知っていたよ」
手際よく文書を広げながら、説明を始める。
「歴代の聖女たちがみんな『テンイシャ』だということは、即位した王と聖女と婚約した王族には明かされるものらしい」
「じゃあ、ルーグがミレイ様と早々に婚約していたら、やっぱり知ることになってたのか」
「そうかもな。ただ、王族の間では『テンイシャ』という名称じゃなくて『異世界人』と呼ばれているそうだが」
ルーグ殿下が指差した箇所には、確かに『異世界人』という単語が載っている。
「異世界からやってきているから、聖女はこの世界のことをよく知らないわけだよ。この文書は、聖女と婚約した王族がその辺りのことをしっかりと理解して良好な関係を築くために、代々書き残されてきたいわばマニュアル本だな」
「へえーー」
「ちなみにどんなことが書かれてあるの?」
ミレイ様が興味津々で文書を覗き込む。これって要するに、『聖女攻略本』なわけよね。いわゆるトリセツ的な。
「まずは身分制のことかな。聖女がもともといた世界は王政ではなく、爵位の概念もないらしいから」
「ないわよ。『王様』はわかるけど、『公爵』と『侯爵』はどっちが上なの?って思ってたし。『男爵』が一番低いって知ってびっくりしたもの」
「そうそう。だからそういう、俺たちにとっては基本的なことも懇切丁寧に教える必要があるとかさ」
「聖女に対する気遣いがすごいな。オルギリオンにとって、聖女とはそれだけ崇拝と献身に値する神聖な存在ということか」
「まあ、それもあるんだが」
唐突にルーグ殿下がバツの悪そうな顔をする。そして、申し訳なさそうな上目遣いでミレイ様を見上げる。
「この文書、発端は四番目の聖女の失踪らしいんだ」
「え?」
「四番目の聖女がいなくなったとき、すぐに騎士団が捜索に当たったらしいんだよ。で、見つけたんだ」
「聖女を?」
「ああ。でも郊外の山の方へ逃げた聖女を追いかけるうちに、聖女が足を滑らせてしまって……」
「……じゃあ、聖女の死は事故だったってこと?」
「そうらしい」
思いがけず、四番目の聖女が亡くなった理由を知ることになるとは。そして、オルギリオンの王家はその事実をとうに把握していたとは。
「聖女は精霊フレアの祝福を受けた、信仰の対象ともなる神聖な存在だからな。そんな聖女を死なせてしまったことを王家は重く受け止めたんだよ。こんなことは二度とあってはならないという戒めの意味も込めて、四番目の聖女が生前語っていたことを書き残した。次の五番目の聖女が降臨したときには、それを踏まえて丁重にもてなし真摯に向き合ったんだ。そこで『異世界人』ということが判明して、このマニュアル本の作成に至ったというわけさ」
「そのおかげで、五番目以降の聖女は誰も逃げ出したり帰りたがったりしなかったわけね」
「だろうね」
「肝心の元の世界への帰り方については何か書かれてないのか?」
幾つかの文書を丹念に見比べながら、アレゼル様が尋ねる。
「残念ながら、それに関する記述はまったくないね。まあ、王家としては聖女を絶対に帰したくないわけだから、もし知っていたとしても書き残すことはしないだろうし」
そりゃそうだろう。でもルーグ殿下、あなたも王族のはずですが。王家が代々至上命題としてきた聖女の『所有』を放棄しようとしていることに、気づいてるんだろうか?
そのあと私たちは、図書館にある聖女関連の本を片っ端から広げた。でもどこをどう探しても、聖女が『異世界人』であるということはもちろん元の世界への帰り方なんか書かれていない。
結局その日は、散々探しても何の収穫もなかったという徒労感に打ちのめされて終わってしまった。
翌日。
「アレゼル殿下、ラエル様」
朝食の途中、アンナが何とも言えない微妙な表情で一通の手紙を差し出す。
「滞在の延長について、オリバー様からお返事が届きました」
アレゼル様がすぐに手紙を広げ、そしてどんどんアンナと同じような微妙な表情になっていく。
「どうしたんですか?」
「……見ればわかる」
手渡された手紙は想像以上に分厚く、広げるとそこには呪詛のような文言がびっしりと書き込まれていた。曰く、当初の十日間の滞在だって調整に苦労したのに延長したいとは何事かとか、外遊は遊びではないのですよとか、オルギリオン側の負担も考えてくださいとか、挙句の果てには王太子・王太子妃としての自覚が足りなさすぎますとかなんとか。読み進めるうちに気力を奪われげんなりしてしまったけど、最後の最後に『滞在は伸ばせたとしても二日間が限界です』『やり残したことがあるのなら二日でケリをつけるように』なんて叱咤激励してくるあたり、やっぱり根はいい人なのよねあの小言おじさん(おじさんというほど年上でもないけど)。
本来なら、明日が帰国予定のはずだった。滞在が二日延びたから、残るはあと三日。
「一度初心に帰って、神殿にある神官たちの記録を確認したいと思ってさ」
昨日の図書館に全員集まると、早速ルーグ殿下がせっかちに言い出した。
「神官たちが聖女降臨に関する詳細を書き残してるって言ってただろ?」
「ああ、大神官が言ってたな」
「聖女が降臨した瞬間っていうのは、要するに聖女が元の世界からこの世界に落ちてきた瞬間ってことだ。その状況をもっとよく調べれば、何かしら共通点があったり元の世界へ帰るヒントが見つかったりするんじゃないかと思ってさ」
「……思ったより有能なのね」
驚いた様子でつぶやくミレイ様を、憮然とした顔で見返すルーグ殿下。ミレイ様の中のルーグ殿下に対する評価って、つくづく地に落ちているんだなと再確認してしまった。
神殿に着くと、今日は大神官のハンノン様が入口で出迎えてくれる。
「何度もすまないな」
「とんでもございません」
到着してすぐに借りていた『聖女の日記』をお返しすると、ハンノン様は心底ほっとしたような表情を見せた。え、ほんとに返してくれないんじゃないかって疑われてたの? もしかして早く返してほしくて入り口で待ってたとか? いや、貴重な資料なんだからわかるけど、私たちだってフォルクレドの王族よ? いくらなんでもそんな無責任なことしないわよ。なんだか複雑な心境になるわ。
そして私たちが神官の残した記録を見ている間、ミレイ様は孤児院の方へ顔を出すことになった。
「子どもたちが会いたがってるんだし、行ってきたらどうだ?」
ルーグ殿下が人の好さそうな笑みを見せて、ミレイ様を促す。
「いいんですか?」
「たまには息抜きしておいでよ」
その言葉に、ミレイ様は控えめな喜びを頬に浮かべる。ずっと王宮の自室に閉じこもっていたミレイ様。久々の外出で孤児院の子どもたちに会えたら、そりゃうれしいに違いない。
ルーグ殿下がミレイ様を連れて部屋を出ていったあと、私とアレゼル様は二人でハンノン様が持ってきてくれた神官の記録に目を通す。しばらくすると、一際高い歓声が上がった。
「子どもたち、大喜びでしょうね」
「そうだな。ラエルの言った通りになったわけだ」
「俺の奥さんは未来予知もできんのか」とか言いながら、相好を崩すアレゼル様は書類を紐解いていく。
聖女の降臨は時間も季節もまちまちだった。ざっと読んだ限りでは、はっきりとした法則性も共通点も見つけられない。強いて言うなら場所は王都内に限られるということくらい? まあ、ミレイ様のように孤児院の前に突然現れた場合もあれば、森の中を数日彷徨っていたところをたまたま騎士団に保護されたり、橋の上で見つかって神殿に連れてこられたり、みんな様々である。
「……これといった手がかりはなさそうだな」
ひと通り目を通して、アレゼル様がため息まじりに吐き出した。
「ルーグ殿下に提案されたときはなるほど、と思ったのですが」
「俺ももしかしてと思ったけど、こうもバラバラとはな」
一切共通点のない、聖女の降臨。過去七回の降臨は何のヒントも与えてくれない。この二日間の作業がほぼすべて空振りに終わりそうな気配がして、空気が一気にどよんとする。疲労感がどっと押し寄せる。
「ミレイ様、がっかりするでしょうね」
「期待してただろうからな。これでまた振り出しか」
「あとは何を調べたらいいのでしょう」
「うーん、その辺はルーグに聞くしかないが……」
「それにしてもあいつ遅いな」とつぶやいたアレゼル様が孤児院のある方向に目を向けると、タイミングよくバタバタと足音がする。
「ごめん、遅くなって」
走ってきたのか、少し顔を赤らめながら応接室に入ってくるルーグ殿下。
「どうだったんだ? 孤児院の方は」
「いや、子どもたちほんと大喜びでさ。すぐみんなで鬼ごっこし始めて」
「鬼ごっこ? ミレイ様もか?」
「あの人、真っ先に鬼になってたよ。一番楽しんでたんじゃないか?」
言いながら、ルーグ殿下は何故かふっと優しげな表情になった。
「あの人、あんなふうに笑うんだな」
◇◆◇◆◇
結局、何の手がかりも見つけられなかった私たちは王宮に戻ってきた。
みんな一様に表情は暗い。漂うどんよりとした空気は否定できない。特にミレイ様の表情に浮かぶ絶望感は、どんどんその存在感を増している。
「ミレイ様」
私は殊更明るい声で振り返った。
「オルギリオンの王宮庭園は他国に比べても素晴らしいと評判なんだそうですけど、ご覧になりました?」
突然何を言い出すんだと言わんばかりの顔をしながら、ミレイ様が淡々と答える。
「ここへ来てから一歩も外に出てなかったから、見てないけど」
「広い庭園が幾つかのエリアに分かれているんです。それぞれに違った魅力があって楽しめますよ」
「……そうなの?」
「一見の価値ありです。ご覧になってみませんか?」
「……あなたがそう言うなら」
その反応に、ルーグ殿下もアレゼル様もちょっと唖然としていた。まあね。数日前まで誰にも心を開かなかった聖女が、私に対しては少しだけ警戒を緩めてくれているのが垣間見えて胸を撫で下ろす。
「私のおススメは『東方庭園』と呼ばれる区画なんですけども」
「東方庭園?」
「はい。東方の国々の造園様式を模したものなんだそうですよ。わざわざ東国から何人もの職人を呼び寄せて造った本場仕込みらしいです。異国情緒に溢れていて、でもなんだか神聖な雰囲気もあって神秘的といいますか」
「確かに『東方庭園』は王宮庭園の中でも一、二位を争う人気のエリアだよ」と援護射撃をしてくれるルーグ殿下。一方で隣に立つアレゼル様は「なんでそんなに詳しいんだ?」なんて耳打ちする。
あなたに放置されてる間、どこぞの公爵令息に勝手にプレゼンされたんですよ。とは言わなかった。
「じゃあ、そこに行ってみようかな」
子どもたちと久しぶりに会えたのは楽しかったみたいだけど、肝心の元の世界へ帰るための手がかりがまったく見つからなかったことでずっと沈んだ表情をしていたミレイ様。
その鬱々とした気分を、少しでも変えたかっただけだった。
東方庭園に近づくと、あの朱塗りの大きな門が姿を現す。
「ミレイ様、あそこ――」
「ちょっと待って。なんで『トリイ』があるの!?」
言うが早いかミレイ様は走り出す。朱塗りの門に近づいてその全体像を確かめ、庭園の様子を目にして呆然と立ち尽くす。
「ここ、『二ホン』じゃない……!」