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9 真実無妄②

 何もかも諦めたようなやさぐれ感さえ漂う聖女様の言葉に、私たちはきょとんとしてしまう。




 ……ん? 『テンイシャ』? とはなんぞや?




「あの、聖女様」

「ミレイでいいわよ」

「ではミレイ様。『テンイシャ』とは何でしょう?」

「え?」



 私の言葉に、今度はミレイ様が動揺する。



「『テンイシャ』を知らないの?」

「はい。不勉強で申し訳ありません」



 一応、と思って脇にいた男性陣に目を向けると、二人ともすごい勢いで首を振っている。



「歴代の聖女たちもみんな『テンイシャ』だったのに?」



 首を傾げる私たちを見て、信じられないとでも言いたげに衝撃を受けるミレイ様。



 私とアレゼル様は、聖女とは縁のないフォルクレドの人間だからわからなくても仕方がないと思うのよ。でも聖女様が何人も降臨してきたオルギリオンの王族はさすがに『テンイシャ』を知っているんじゃない? と期待したのに、ルーグ殿下ときたらアレゼル様よりぽかんとしている。いや、なんだそれ。こっちががっかりするわ。



「『テンイシャ』というのは、こことは別の世界、つまり異世界からやってきた人間のことを言います」

「異世界、ですか?」



 ミレイ様がせっかく説明してくれても、相変わらずピンと来ない。脇の二人はもっとピンと来ないのか、二人で顔を見合わせている。



「そう。こことは全然別の、『ニホン』という国で普通の『ダイガクセイ』として生きていたのに、ある日『バイト』の帰りに突然『ドウロ』にできた穴に落ちてしまって」

「はあ」

「気づいたら、あの孤児院の前に倒れていたんです」




 どうしよう。ミレイ様の言ってることが、半分以上わからない。辛うじてわかるのは、普通に生きていたのに穴に落ちたら孤児院の前に倒れてたってことくらい? なんのこっちゃ。やっと話をしてくれるようになったのに、何を言ってるのかわからないなんて。そんなことある? しかもようやく話し出したと思ったら予想以上にしゃべるじゃんこの人。




「……もしかして、何を言ってるのかわからない?」

「申し訳ありません」



 素直に頭を下げると、ミレイ様は小さくため息をついた。



「だからね、こことはまったく別の世界で生きていたのに、突然この世界に落とされたんです。元いた世界に不満はなかったし、むしろやりたいことも夢もあったのに気づいたらこんなところにいるんだもの。私は元いた世界に帰りたいんです」

「はあ」

「だってそうでしょう? もう少しで『キョウイクジッシュウ』が始まるところだったのよ? 親だって妹だって心配してるだろうし、私だってみんなに会いたい、帰りたいの……!」



 話しながら、次第に語気を強めて感情的になるミレイ様の声。




 今にも泣き出しそうな張り詰めた顔を見ながら、私は必死にこの突拍子もない話を理解しようとした。俄かには信じがたい、奇想天外な話だけれど。




 つまり、ミレイ様の話によれば聖女とは『異世界』からの『テンイシャ』で、自分の意志とは関係なくこの世界に送られた人たちということになる。



 どういう理由で選ばれたのかはわからないけど、突如としてまったく見知らぬ世界に来てしまったのだ。そりゃ混乱もするだろう。わけがわからず元の世界が恋しくて、とにかく帰りたいと思うのも当然と言えば当然である。




「ミレイ様は元の世界への帰り方を知っているのですか?」



 涙の滲む儚げな顔をうかがうと、ミレイ様は悲しげに首を振る。



「調べようとしたけど何を調べればいいのかもわからなくて……。でも多分、帰れないんだと思うの」

「帰れない?」

「歴代の聖女が残した日記があるんです。そこに『帰る方法は見つからなかった』と書いてあって」



 言われて、はたと思い出す。私はハンノン様からお借りした『聖女の日記』を急いで取り出した。



「これですか?」

「……どうしてそれを?」

「大神官のハンノン様からお借りしました。これに何が書かれてあるのか、ミレイ様にお聞きしたくて」



 ここへ来てようやく男性陣は会話に参加できると判断したのだろう。居住まいを正し、興味深げな様子でミレイ様の答えに耳を傾ける。



「……その日記、四番目と五番目、それと七番目の聖女が書いたというのは聞いた?」

「はい」

「五番目と七番目の聖女はね、自分たちが『テンイ』したことをすんなり受け入れたようなの。二人とも、元の世界ではあんまりいい人生じゃなかったみたいで」

「なるほど」

「でも四番目の聖女は元の世界に婚約者がいて、どうしても帰りたかったのよ。だから帰る手段をいろいろ探したみたいなの。王宮に移ったあとも、図書館であれこれ調べていたらしくて」



 ミレイ様は手渡された『聖女の日記』をめくりながら、四番目の聖女が書いた部分を見せてくれる。もちろん何が書かれてあるのかはわからない。でもそのページは、どことなく悲嘆と失望に彩られている気がした。



「四番目の聖女は、自分がどんなに帰りたいと思っているのかを切々と書き綴っているの。でもそのうち王宮に連れて行かれて、当時の王太子と婚約させられるのよ。いくら調べても帰る方法は見つからず、もう諦めるしかない、と最後のほうに書かれてあって……。彼女は王宮から逃げ出したあと一度神殿に立ち寄って、この日記に書き足してから失踪したようなの」



 それは自分の知り得た事実を単に書き残すためだったのか、それともこの先現れる同胞たちに絶望を突きつけるためだったのか――――



「王宮から逃げ出した?」



 ルーグ殿下の声に非難の色が乗る。見返したミレイ様の目は、冷たかった。



「そりゃそうでしょう。王宮に閉じ込められたら最後、王太子と結婚させられるのよ? 元の世界に婚約者がいるのだから、逃げ出したくなるのは当たり前よ」

「でも結果として、その命を縮めたのだろう?」

「無理やり『聖女様』なんて崇められて、そのうえ望まぬ結婚を強いられて生きるよりマシだわ」


 

 長いこと虚ろだった視線が、前触れもなく光を宿す。その一瞬の光に捕らえられたルーグ殿下がわかりやすくたじろいだ。




 ……あ。そうか。




「もしかして」



 真っすぐに、まだ光が宿る焦げ茶色の瞳を見据える。



「ミレイ様もそうなのですか? 帰りたいのに帰れない、それなのに『聖女様』として崇められて望まぬ結婚を強いられて、そうして生きていくことを拒んでらっしゃった……?」



 人を拒み、話すことを拒み、生気を失ってただただ無為に過ごしていたミレイ様の、その真意に気づく。



 ミレイ様は観念したかのように、ゆっくりと頷いた。



「そうね。帰る方法がわからないだけでも絶望的なのに、勝手に『聖女』なんて大層な身分を押しつけられて、しかもこんなチャラい人と婚約しなきゃなんないなんて」

「ちゃら……?」

「ああ、わかんないわよね。軽薄? とでも言えばいいのかな。とにかく私にとっては苦手な人種なのよ」



 うわ。結構辛辣でいらっしゃる。



 一方の第三王子、「苦手な人種」と一刀両断されて相当なダメージを食らっている。そりゃそうか。誰とでも仲良くなれるムードメーカー的存在として君臨してきたのに、その存在価値を否定されたに等しいのだもの。ちょっとフォローのしようがないなこれ。



「その日記を読むまでは、帰る方法をなんとか探そうと思ってたの。王宮に行けばいろいろ調べられるんじゃないかって。でもそれを読んでショックを受けて、もう生きる気力がなくなってしまって。王宮に来たら来たで、『聖女』として生きることから逃げられないんだなって……。じゃあもうどうでもいいやって……」



 宿った光が少しずつ消えていく。



 それを食い止めたくて、私は思わず声を発した。



「じゃ、じゃあ、みんなで帰る方法を探しましょうよ」



 その軽はずみで無謀な提案に、いち早く反応したのはアレゼル様だった。



「探すって、どうやって」

「この世界に来られたのなら、帰る方法だってきっとあるはずです。大体、王族が『テンイシャ』について何も知らないのはおかしいと思いませんか? ルーグ殿下は本当にご存じないのですか?」

「聞いたことないよ」

「王族だけに伝わる記録とか伝承とか、何かありませんか?」

「うーん、聖女の降臨自体が久しぶりだし、過去に数回しかないからね。記録の類いも十分じゃないんだ」

「聖女を娶った過去の王族の方々は、聖女たちから何も聞いていなかったのでしょうか?」

「どうでしょうね。自分から言わなければわからないことだし、言っても信じてもらえないと思えばわざわざ明かす必要もないでしょ」



 おっと。走り出したと思ったらいきなりの八方塞がり。これはまずい。焦る私にはお構いなしで、やっぱり為す術などないのではという重苦しい空気が蓄積していく。



 それを一掃したのは、意外にもルーグ殿下の軽やかな声だった。



「わかった。探してみよう」

「え?」

「俺は陛下に話を聞いてみるよ。即位した王だけが受け継ぐものもあるから、何か知っているかもしれない」

「なるほど」

「それはそうかもな」

「王宮の図書館にある聖女に関する本だって、まだ全部調べたわけじゃないんだ。四番目の聖女は一人で調べてたんだろうけど、何事も一人でこなすには限界があるからな」



 さっき軽薄だのなんだのとあっさり蹴散らされたはずの王子が、急に良いことを言い出した。けなされたおかげで逆にやる気にでもなったのだろうか?



「でも、いいの……?」



 戸惑いながら、硬い表情を見せるミレイ様。



「あなた、私と婚約しないといけないんでしょ? 私が元の世界に帰ったら困るんじゃ……?」

「最初から聖女はいなかったと思えばいいだけの話だろ? それに、俺は女の子が悲しい顔してるのを見ると放っておけない性分なんだよ」



 得意満面でそう宣言するルーグ殿下だったけど、ミレイ様が小声で「そういうとこだよ」とつぶやいていたことは黙っておこうと思う。






◇◆◇◆◇






「聖女のことなんだが」



 明日から四人でいろいろ調べてみようということになり、ひとまず解散したその日の夜。



「彼女は『死にゆく者』ではないのかもしれないな」



 アレゼル様が、ソファの隣で神妙な顔をしている。



「確かに、今すぐ死にそうな雰囲気ではありませんでしたね」

「どちらかというと元気そうだったな」

「思ったよりしゃべってくれましたし」

「半分は理解不能だったが」



 軽い調子で笑うアレゼル様は、そこで一旦呼吸を整える。ミレイ様と話している間ずっと、オーラの謎についていろいろと考えていたに違いない。



「生きる気力を失くした、ということも関係はあるんだろうが、どちらかというと聖女はこの世界との結びつきを拒んでいるせいかと思ってな」

「あ、元の世界に帰りたいと強く願っているからですか?」

「ああ。オーラの色彩は生命力とその人の内面、つまり人となりに左右されるものだ。でもそれは、この世界で生きていくとなって初めて具現化されるものなんじゃないかな。聖女はこの世界で生きることを拒んでいるから、世界との結びつきが弱くてオーラも不完全なままなのかと」

「生まれたばかりの赤子でも『死にゆく者』でもないとはいえ、この世界とのつながりは誰よりも薄いと言えますからね」



 なるほどなあ、なんて感慨にふける間もなく、横からとてもつもなく不埒な視線を感じる。



「さすがはラエル。相変わらず理解が早いな」

「そ、それはどうも」

「明日も一日忙しくなりそうだし、今日はもう寝るか」

「そうですね。……ってアレゼル様、なんで私のベッドに……!」



 平然と、さも当然のように、昨日と同じく私のベッドに潜り込もうとするアレゼル様。なんだこの人。素知らぬ顔で。いけしゃあしゃあと。



「なんでって、寝るからだろ」

「いやいや、昨日『今日だけは』って言ってたじゃないですか」

「気が変わった」

「は!?」

「ラエルと一緒に寝たら、思いのほか安心してぐっすり眠れたんだよな。だからこれは俺の健康のためでもある」

「何ですかそれ!? 言ってること無茶苦茶ですよ!」

「そうか?」



 とか言いながら、とろけるような甘い目をして近づいてくるアレゼル様。



「真面目な話なんだが」

「は、はい」

「ラエルの存在は俺にとって癒しだが、同時に毒でもある」

「は?」

「一度服毒したら、二度と手放せない甘い毒だ」




 ああああ。





 私の方が死にそう。
























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