8 真実無妄①
誤字報告ありがとうございます!
(何度も読み返してるのになぜ気づかないのか自分……)
王都オデルにあるフレア神殿を訪れると、大神官のハンノン様がにこやかに現れた。大神官なんていうから威厳と貫禄のあるそれなりにご高齢な方かと思っていたのに、意外に若くていらっしゃる。
「これはこれは、ようこそいらっしゃいました」
応接室の窓の外からは、子どもたちの賑やかな声が時折聞こえてくる。隣接する孤児院かららしい。
その声に柔和な表情を浮かべた大神官は、そのままの顔で私たちに尋ねる。
「ミレイ様はお元気でいらっしゃいますか?」
邪念のない問いに、ルーグ殿下は「それがだな……」と一瞬言い淀む。そして言いにくそうに王宮でのミレイ様の様子を説明すると、大神官は明らかにその顔を曇らせた。
「やはり、そうでしたか……」
「やはり、とは?」
わずかに前のめりになったルーグ殿下に向かって、大神官ハンノン様は静かに話し出す。
「実は、王宮に移られる数日前からミレイ様の様子が一変しまして」
「一変?」
「はい。ミレイ様は降臨直後非常に混乱しておいでで、まともな会話も成立しないような状態でした。はじめのうちは私たちの言葉が理解できない部分もあったようで……。それでも孤児院の子どもたちと接するうちに少しずつ会話ができるようになり、次第に落ち着きを取り戻していったのです」
「孤児院の子どもたちとは普通に話をしていたのか?」
「はい。ミレイ様は子どもたちと接することには慣れていらっしゃるようでしたし、子どもたちのほうもすぐにミレイ様に懐きまして。よく一緒に遊んでおられました」
やっぱり。王宮で見せている姿とはまったく別の姿が、ここにはあったらしい。
「ところが、王宮に移られる数日前のことです。歴代の聖女に関する記録がこの神殿にも保管されているのですが、ミレイ様がそれを見たいとおっしゃって」
「歴代の聖女に関する記録?」
「はい。聖女認定の際に参考になるようにと歴代の神官たちが書き留めておいたものです。それから、数人の聖女様たちが自ら書き残した『聖女の日記』と呼ばれる記録もあります」
どこからかその記録の存在を聞きつけた聖女様は、ハンノン様にそれを見せてほしいと頼んだという。
「別に隠していたわけではありませんし、聖女様に必要な知識もおありだろうからとお見せしたのです。ところが、『聖女の日記』を読み終えたあとのミレイ様の表情が……」
「なんだ?」
「まるで死人のようだったのです。生気が抜け落ち、生きる気力を失ったようにも見えました」
アレゼル様の表情が凍りつく。
「その記録とか日記とかには、具体的に何が書かれてあるんだ?」
ルーグ殿下の声も、心なしか焦りを帯びている。
「歴代の神官たちが残した記録には、聖女様が降臨した日時や場所、降臨した際の状況や王宮に移られるまでの生活の詳細が記されております。しかし聖女様たちがお書きになった『聖女の日記』に関しては、未知の言語で記されているためその内容はまったくわからないのです」
申し訳なさそうな目をするハンノン様。
そして神殿に保管されていたそれらの記録を読んで以降、ミレイ様は明るい表情を見せることのないまま王宮へと移られたのだという。
「『聖女の日記』に何が書かれてあるのか、私たちにはわかりません。ただ、その日記を書き記したのは四番目と五番目、そして七番目の聖女だと言われておりまして」
妙な引っかかりを覚える。四番目の聖女って確か……。
「四番目の聖女って、王宮に移って間もなく急にいなくなって、そのあと遺体で発見された聖女だよな」
ルーグ殿下の顔にも、鋭い緊張が走る。
「あの、ハンノン様。その『聖女の日記』をお借りすることはできませんか?」
私の突然の申し出に、ハンノン様は微妙な仏頂面になった。なんか、すごく嫌そうなんだけど。ひとしきり逡巡したハンノン様は断る理由を見つけられなかったらしく、渋々答える。
「貴重な記録ですので、必ずお返しくださると約束していただけるのなら……」
そう言って、気乗りしなさそうにそろそろと立ち上がる。よほど貸したくないらしい。というか、もしかして信用されてない? やだ、ちゃんと返すのに。
ハンノン様が『聖女の日記』を取りに行くため退室すると、アレゼル様が顔を近づけて声を潜める。
「ラエル、聖女の言語が読めるのか?」
「まさか」
興味津々といった様子でこちらに顔を向けたルーグ殿下も、私の答えにはっきりと落胆した。
「なんだよそれ」
「読めはしませんけど、ミレイ様の様子が変わったのは『聖女の日記』を読んだからということは明白です。何が書かれてあるのかわからないなら、読める人に聞くのが早いかなと」
恐らく、『聖女の日記』にはミレイ様にとって『良くないこと』が書かれてあったに違いない。生きる気力を失うくらいだもの。相当やばいことが書かれてあっても不思議じゃない。それに、五番目と七番目の聖女はともかく、いなくなったあと遺体で見つかった四番目の聖女が何を書いていたのかも気にかかる。まあ、楽しい内容でないことは確かだろうけど。聖女の歴史の闇深さを垣間見る気分だわ。
そうしてハンノン様から何とか『聖女の日記』を借りた私たちは、急いで王宮へ戻ることにした。
玄関に向かおうと応接室を出た瞬間、
「あの……」
廊下の隅に、幼い子どもが二人立っていた。男の子は10歳くらい、女の子は5歳くらいだろうか?
「ミレイ様は、お、お元気ですか?」
慣れない敬語と緊張からか、女の子がおどおどと震えている。女の子の後ろに立つ男の子の表情にも、見るからに切迫した空気が漂う。
「デオル、リーナ、こちらには来ないようにと言ったでしょう?」
ハンノン様が二人を咎めようと一歩踏み出したところで、私はそれを制止した。
それから子どもたちが怖がらないよう必殺の王太子妃スマイルで近づくと、さっとしゃがみ込んで怯える女の子と目線を合わせる。
「私はラエルって言うんだけど、二人のお名前は?」
「わたし、リーナ!」
「……ぼ、ぼくはデオルです」
「二人とも、ミレイ様を知っているの?」
「ミレイ様はリーナが見つけたんだよ! すぐお兄ちゃんに教えて、助けてあげたの! 傷だらけだったんだよ!」
「そうなの?」
「お、大きな怪我ではなかったんですけど……。あちこち擦りむいていて」
「大変だったのね。二人はミレイ様と仲良くしてたのかな?」
「仲良くしてた! リーナ、ミレイ様大好きだもん」
「ぼくたちの面倒を見てくれたし、よく遊んでくれました。孤児院の子どもたちはみんな、ミレイ様が大好きで」
「あのね、ミレイ様ね、豆のスープがあんまり好きじゃないの。だからおうきゅう? ではあんまり豆のスープを出さないであげてほしいの」
「まあ、そうなの?」
「うん。でも果物は好きみたい。リーナ、いい子にしてるからまたミレイ様に会えるよね?」
すっかり緊張の解けたリーナが、くるくるとよく動く鳶色の目をキラキラさせている。
「そうね。きっとミレイ様は、あなたたちに会いにまたここへ来てくれると思うわよ」
私がそう言うと、リーナは「やったー!」と言いながらぴょんぴょん跳ね回り、デオルはうれしさを隠しきれないといった顔をする。
二人に別れを告げてから馬車へ向かう途中、アレゼル様がまたこそこそと声を潜めた。
「いいのか? 子どもたちにあんなこと言って」
「何がですか?」
「聖女様が会いに来てくれるなんてさ。今の様子じゃ、難しいんじゃないか?」
「今すぐには難しいかもしれませんが、きっと大丈夫ですよ」
「なんで」
「あんなに純粋な好意を向けられて、無視できる人間なんていないと思いますよ」
純粋で真っすぐで、熱烈すぎる好意にどれほどの威力があるかということを、私はよく知っているのだもの。
◇◆◇◆◇
いよいよである。
神殿から戻ってきた私たちは、すぐさま聖女様の部屋へ向かった。
聖女様の部屋は、静まり返っていた。侍女たちも不必要に音を立てないよう神経を使っているらしい。
そして肝心の聖女様は、今日も文机に座っていた。
「はじめまして、聖女様。隣国フォルクレドから参りました、ラエル・フォルクレドと申します」
私の声に、聖女様はほんの少し目線を動かす。でもそれだけだった。
その様子を見て露骨にがっかりするルーグ殿下。何を期待してんだか。珍しく女性が来たからって、そんなほいほい話し始めたりしないでしょうよ。まったく。
でもアレゼル様に聞いていた通り、和やかな歓談はだいぶ難しそうだった。私は早々に、躊躇なく手札を切っていくことに決めた。
「聖女様。デオルとリーナを覚えていますか?」
「…………え?」
文机に視線を落としたまま、聖女様が声を発したことに男性陣が目を見開く。久しぶりの発声だったせいなのか、思っていたよりもか細くて低い声だった。
「聖女様のことを心配していましたよ。リーナは『ミレイ様は豆のスープがあんまり好きじゃないから出さないであげて』と」
「リーナ……」
「いい子でいるから、会いに来てほしいと言っていました」
「……会って、きたのですか……?」
「はい」
私が答えると、聖女様は顔を上げた。
初めて、目が合う。
ほとんど黒に近い焦茶色の瞳が、何かを探すようにゆらめいている。
「ほかの子たちは……?」
「私が会えたのはデオルとリーナだけでしたので。でも子どもたちの声が聞こえていましたから、みんな元気なんだと思いますよ」
「そう……」
「気になるのでしたら、ご自分の目で確かめられてはいかがですか? ずっとここにいるのも息が詰まるでしょう?」
その言葉に、何故か聖女様がふっと笑った気がした。え、笑った? 笑うとこなんてあった?
謎の反応にどぎまぎしていると、聖女様が徐に口を開く。
「あなた……、この国の人じゃないの?」
「はい。隣国フォルクレドの者です」
「この国の人たちは、私をずっと王宮に閉じ込めておこうとするのよ」
「それは疲れますね。私はしがない伯爵家の出ですから、初めて王宮に住むとなったときには気を遣いすぎて疲労感が半端なかったです」
あー、懐かしい。二年前を思い出してしまう。どう見ても高価そうな調度品を壊したり汚したりしないか心配で、全然気持ちが休まらなかったもの。なんて遠い日々を思い起こしていると、聖女様が寂しげに笑った。
「……もともと、豆はあんまり好きじゃなくて」
「は?」
「この世界の豆は味がしないから、余計に」
「え?」
「豆だけじゃない。いろんなものが、元いた世界と違いすぎて」
「元いた、世界……?」
「こんなこと言ってもどうせ信じてもらえないでしょうけど、私『テンイシャ』なんです」