6 平身低頭
「あら、アレゼル。来るのが早すぎるのよ」
優雅にお茶を飲んでいたディア様が、澄ました顔でアレゼル様を見上げる。
「ラエル!!」
そんなディア様には目もくれず、アレゼル様は一目散に私のところに飛んできた(実際には飛んでないけど)。
「ごめん! ラエル! ほんとにいろいろごめん!! 悪かった!! あと体調は!? 大丈夫なのか!?」
ソファに座る私の前に跪き、私の左手を両手で握りしめ、精悍な顔は色を失っている。
「体調は大丈夫です」
「良くなったのか?」
「まあ、はい」
最初から体調は何ともないんだけれども。でも私の返事にアレゼル様は心から安心したらしく、大きなため息をついてなおも続ける。
「なら良かった。でもほんと悪かった。放ったらかしにするつもりはなかったんだ」
「口では何とでも言えるわよねえ?」
無視されたのが癪に触ったのか、意地悪く突き放すような口調になるディア様。
「ディアドラ。なんなんだお前」
「あら、何が?」
「なんの権限があってラエルを連れ出した? どういうつもりなんだ? 『もらう』と言われて、はいそうですかなんて言うわけないだろ」
「でも放置してたのは事実でしょ」
ド正論に、うぐっとうめくアレゼル様。ディア様はそんなアレゼル様を見ても、けろりとした顔で動じる様子もない。
「私の大事な友人を放ったらかしになんかするからよ。まあ、こんなに早く取り返しにくるとは思ってなかったけれども」
「せっかくラエルとゆっくり話せると思ったのに」なんて、ディア様は不満げながらもどこかほっとした表情を見せる。
「アレゼル。あなた、私に文句を言うより感謝した方がいいわよ。ラエルったらグレアムにちょっかい出されていたんだから」
「はあ!? またあいつか!!」
一瞬にして底知れぬ敵意を宿したアレゼル様の目が、ここにはいないはずのベレンシア公爵令息を睨みつける。これはちょっとやばいかもしれない(いや、ちょっとどころではないような)。
「しかもね、グレアムはあなたが昨日も一昨日も聖女に会いに行っていたなんて話していたそうよ」
「んなわけあるか! ルーグに呼ばれたんだよ! いろいろあって!」
「じゃあ、どうしてその『いろいろ』をラエルに話さなかったのよ?」
容赦のない鋭い言葉に、アレゼル様ははっとして「それは……」と答えに窮してしまう。
「ちゃんと話すよ。話すけど、でもここでは……」
「いいわよ。そういう大事なことは、あとで二人きりになったときにでもしっかり話してちょうだい。それより私たち、グレアムの話が途中だったのよね」
ルーグ殿下にそっくりな茶目っけたっぷりの含み笑いをして、ディア様が身を乗り出す。
「なんであいつの話なんか……」
「だってグレアムったらあなたがラエルを放ったらかしにしている間、毎日ラエルに会いに来ていたんですってよ。熱心なことね」
「はあ!? なんだそれ!?」
殺気立つアレゼル様に、ほとんど何も話してなかったことに気づく。そりゃそうだ。この二~三日、まともに話してなかったんだもの。
仕方なく、私は今日のことも含めた三日間の出来事をアレゼル様にも伝えた。話を聞きながら、アレゼル様は「あの野郎、油断も隙もねえな……」と憎々しげにつぶやく。ますます物騒な目つきになっている。まじでやばい。
「どうしてグレアムがちょっかいを出してくるのか、ラエルは知る権利があるでしょう?」
「まあ、それはそうだな」
「だから私、グレアムと私の関係とか、アレゼルが留学してきてからのことなんかをラエルに話していたのだけれど」
ディア様の話はこうだ。
ベレンシア公爵令息、長いからもうグレアム様と呼ぶけれども、彼は公爵家の次男でディア様と同い年ということもあり、幼い頃からお互い面識があったのだという。
初めて会ったとき、どうやらグレアム様はディア様に一目惚れしたらしい。まあ、人外レベルの美しさを誇るディア様だもの。それはそれで、さもありなんといったところではある。
でも、残念なことに二人の関係が進展することはなかった。
「だってグレアムって、好きなら好きとはっきり言えばいいのに確たることは一向に言わないのよ? まどろっこしくて問い質してもうまくはぐらかすし、そのくせみんなの前ではまるで私が自分のものだと言わんばかりの態度なんだもの。兄様たちにもよく揶揄われたし、ほんとに意味がわからなかったわ」
ちなみに、グレアム様が東方かぶれになったのもディア様の影響らしい。ディア様は幼少の頃から東方文化にことのほか興味関心を抱いていて、忍びの者とか細身の剣を使って戦う『サムライ』とか独特の風習なんかにめっぽう詳しい。グレアム様もそれにならって関心を持ち始め、今ではすっかり東方文化に魅了されて、もはや歩く広告塔のごとき様相を呈している。短期留学までしたというから、彼の東方文化愛は本物らしい。
「でもね、結局国同士の思惑もあってアレゼルと婚約することになったでしょう? グレアムはかなりショックを受けたらしいんだけど、アレゼルが留学してくることになって勝手に敵対心を抱くようになったのよね」
恋焦がれた王女が他国の王太子と婚約してしまったのだ。落胆はひとしおだったろう。想いが叶わず、取って代わろうと罪を犯す人だっているのだもの。
しかもその相手が留学してくるとあっては、内心穏やかではない。自分だって公爵家の人間、王女との婚約が不可能ではない立場のはずなのに。失望は鬱屈した怒りとなり、王女の婚約者へと向かう。他国の王太子でもあるため表立って歯向かうことはできない代わりに、陰湿でねちっこい攻撃を繰り返す。
「例えばどんな攻撃だったのですか?」
「はじめは親切なフリをして、嘘ばかり教えていたらしいわ」
「嘘?」
「留学してきたばかりだからまわりの貴族子女のことをほとんど知らないでしょう? だから名前とか爵位とかに関して嘘の情報を教えていたらしいの」
「え、地味にあくどい……」
「それから、学園の教室の場所なんかも出鱈目を教えて困らせていたみたい」
「それはせこい」
「ほかの令嬢との根も葉もない噂を流したり、あまり素行のよろしくない令息たちに嫌がらせをさせたりなんてこともあったわね」
「うわ、だんだん悪党っぽくなってきましたね」
「でも追及しても知らぬ存ぜぬの一点張りでね。まあ、あいつをうならせる証拠を見つけることができなかったからなんだけれど」
そうしてぎすぎすとした関係は続き、一触即発の状態で二年生も終わりに近づいたある日。
「剣術の授業で模擬試合があったのよ」
「模擬試合ですか?」
「そう。偶然なのか因縁なのか、アレゼルとグレアムが対戦することになってね」
そこまで言うと、ディア様は床に跪いたままのアレゼル様に視線を移して「あとはあなたが話してよ」と促す。
「え? 俺?」
「どうなったのですか?」
「そりゃ、勝ったよ」
当たり前だとでも言うように胸を張るアレゼル様。そこはかとなく自慢げである。
「それまで粘着質な嫌がらせを散々受けてきたからな。つい本気になって」
「本気?」
「一撃で倒してしまったのよ」
あらま。
確かにアレゼル様、剣術はお得意ですものね。今まであまり話題にならなかったけど。
「失神したんだよ、あいつ」
「仕方がないわ。自業自得でしょう?」
「いや、ちょっとやりすぎた」
それをきっかけにして、どういうわけだかグレアム様のみみっちい悪事がなんだかんだとバレてしまい、父親である公爵に叱り飛ばされたらしい。たくさんの学園生たちの面前で恋敵に一撃でぶちのめされ、父親には己の所業を糾弾され、プライドをずたずたにされたグレアム様。そのせいで、あからさまにアレゼル様を逆恨みするようになったんだとか。まあ、仕方のないことかもしれない。いや、そうかな? やっぱり自業自得という気がしないでもない。
「でも仕返ししようにも、アレゼルは三年生の途中で帰国しちゃったでしょう? そのまま長いこと恨みつらみを拗らせていたんでしょうね。今回『聖女降臨を祝う夜会』にアレゼルが出席すると知って、一泡吹かせてやろうと手ぐすねを引いて待っていたんだと思うわ」
「その網に私がまんまと引っかかったというわけですかね」
「まあ、そうね。一人で庭園を散策しているラエルを見つけて、これだ、と思ったのかもね。ラエルにあることないこと吹き込んで、あなたたち夫婦の仲を邪魔できたらこれほど爽快な意趣返しもないと思ったんでしょ。あいつの考えそうなことだわ」
「あの野郎、もう一度ぶっ飛ばしてやる」
立ち上がろうとしたアレゼル様は、私がその手をギュッと握り返したことに驚いた。何か問いたげなアメジストの目に向かって、ふふ、と微笑んでみせる。
「もう、いいですから」
「でもラエル」
「帰りましょう? アレゼル様。アンナも待ってると思いますし」
「……帰って、くれるのか?」
「私が帰る場所は、一つしかありませんよ」
◇◆◇◆◇
帰りの馬車の中でも、アレゼル様はひたすら謝り倒していた。どんな事情があったにせよ、私に詳しいことを説明せずに一人置き去りにしていたことは事実だと、どんな罰でも受け入れる覚悟があるからと思い詰めた顔をして。そこまで? とも思ったけど。でもルーグ殿下に口止めされていたのなら、言い出せなかったのも仕方がない。
王宮に戻ると待ち受けていたアンナが私の顔を見て安心したかのように微笑み、そのあとアレゼル様に向かってこれ見よがしにガンを飛ばしていた。事情を知らないアンナの怒りは当然収まってないらしい。あとでちゃんと、誤解を解いてあげないと。
そして二人きりになった途端、真顔のアレゼル様は有無を言わさず私を抱きしめた。「ほんとにごめん」と苦しげな声が耳元をかすめる。後悔と自責感がない交ぜになったような、低い声。
「グレアムの言ったことは全部出鱈目だから。一昨日はルーグに連れられて聖女に会ったけど、それだけだから」
「はい」
「昨日はずっと図書館にいて、聖女には会ってないし」
「図書館? ルーグ殿下と二人でですか?」
「ああ。聖女のことを調べてた」
でも、やっぱり『聖女』なのだ。今アレゼル様の心を占めるものは。私よりも優先してしまうほど、心を奪われているものは。
「何があったのですか……?」
どうしても不安に駆られてしまう。心なしか震える声に、我ながら臆してしまう。
顔を上げたアレゼル様の厳しい目つきに、一瞬身構える。
そして。
「あの聖女、オーラが『ない』んだ」