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1 聖女降臨

続編スタートです!

「聖女、ですか?」



 王太子の執務室。



 目の前に座る宰相補佐のオリバー様は、私の問いに感情の読めない表情で頷いた。



「ええ。隣国オルギリオンの精霊フレア信仰についてはもちろんご存じですよね?」

「はい」



 王太子妃教育での世界史と宗教の授業をぼんやりと思い出す。王太子妃教育なんて、すでにちょっと懐かしい気がしないでもない。




 『精霊フレア』とは。



 隣国オルギリオンで信仰されている、豊穣と再生を司る精霊のことである。人々に恵みと祝福をもたらすとされていて、オルギリオンの各地には精霊フレアを祀る神殿が数多く存在しているという。




「精霊フレアの祝福を受けた女性を、オルギリオンでは『聖女』と呼ぶこともご存じだとは思うのですが」

「……まさか降臨したのですか?」

「らしいです」



 いつものようにモノクルに触れながら、ドヤ顔を決めるオリバー様。



「最後の聖女降臨は百年以上前だったはずだが」



 この部屋の主、王太子のアレゼル様が私の隣で身を乗り出す。そのついでに、私の腰に手を回してぐぐっと引き寄せることも忘れない。



「143年前ですよ、殿下」

「俺がオルギリオンに留学してた頃は、そんなのみんな伝説とか歴史上の偉人みたいな感覚で捉えてたけどな。まさかこの時代に降臨するとは」



 真面目な顔で言いながらも、密着度が半端ない。オリバー様が瞬間的に片眉を上げたところで気に留める様子もない。



「オルギリオンの聖女降臨は常に突然ですからね。しかも不定期で、いつ現れるかもわからない。それでも伝承通りの女性が現れたので、神殿も即座に『聖女』と認定したらしいです」




 オリバー様の淡白な声を聞きながら、オルギリオンの聖女伝承を思い返してみる。




 聖女は、ある日突然現れるという。現存する記録によれば、これまでに七人の聖女が降臨しているらしい。出現の頻度は不定期で、何十年、何百年と現れないこともあれば、当代の聖女が亡くなって間もなく出現したこともあったようだ。



 聖女には治癒や浄化の力があると言われていて、不治の病を治してみせたとか、植物の育たない荒涼とした土地を一瞬にして緑の大地にしてみせたとかの言い伝えも残されている。



 中でも特徴的なのは、聖女たちの外見上の共通点である。降臨する聖女はみんな、特有の風貌を有していたと言われている。曰く、『黒目黒髪』『未知の言語を操る』『面妖な装束を纏う』らしい。




「今回の聖女は、ある日オルギリオン王都のフレア神殿が運営する孤児院の前で倒れていたのを発見されたそうです。そのおかげで聖女認定も迅速に行われたようですね」

「ほう」

「認定後はオルギリオンの王宮で保護されているそうで」

「フレア神殿ではないのですか?」

「それが慣例のようです。まあ、別の思惑もあるのでしょうけどね。とにかくオルギリオンでは『聖女降臨を祝う夜会』を開くことにしたらしく、その招待状が我が国にも届いたわけですよ」



 オリバー様の言葉に、アレゼル様がわざとらしく眉を顰める。



「俺に行けってことか?」

「その通りです。陛下と王妃殿下は近々東方の国々に外遊される予定ですし、オルギリオンはアレゼル殿下にとって馴染みのある国でもありますし」

「それはそうだが」

「それにですね、そろそろご夫婦そろっての公務として他国を訪問される経験も必要なのではないかと思いましてね。最初に訪れるなら、やはりオルギリオンが適しているのではないかと」



 ニヤリと不敵な笑みを見せるオリバー様に、アレゼル様がこらえきれず前のめりになった。



「夫婦そろってって、ラエルと一緒にってことか?」

「もちろんです。ほかに妃殿下がおられますか?」

「いるわけないだろ」

「お二人がご結婚されて、すでに一年以上経つのです。学園生活も残り半年余り、卒業されれば王太子・王太子妃として本格的な公務に就くことになります。その前に少しでも経験値を積んでおかれてはいかがかと」



 オリバー様が言い終わるや否や、私の方に向き直ったアレゼル様が破顔する。今にも踊り出しそうな、いや飛んでいきそうな勢いで。



「ラエル、行くよな?」

「え? ええ、まあ。お断りする理由もありませんし」

「ラエルと二人で行けるなんて、ちょっとした旅行だな。ラエルを連れて行きたい場所がいろいろ――」

「遊びではないのですよ、殿下」



 はしゃぐアレゼル様をぴしゃりと遮るオリバー様の圧がすごい。この人、仕事に関してはほんと容赦がない。『フォルクレドの頭脳』と称されるほどの切れ者はやっぱり侮れない。でもそんな冷徹で辣腕な宰相補佐が、恋愛方面では意外過ぎるほどポンコツなのも周知の事実である。



 アレゼル様が不貞腐れたような顔をしながら「わかってるよ」と答えると、オリバー様は何食わぬ顔で説明を続ける。



「今回、お二人に出席をお願いしたい理由が実はもう一つありまして」

「なんだよ」

「公に発表されたわけではないのですが、恐らく聖女は王族のどなたかと婚約することになると思われます」

「婚約ですか?」

「はい。これまでの聖女もほぼ全員王族と婚姻関係にありますので、それも慣例の一つなのでしょう。といっても、王太子のバロール殿下はすでにご結婚されていますし第二王子のキアン殿下も近隣国の王女との婚約が決まったばかりです。となると」

「ルーグか?」

「恐らくは」



 アレゼル様のアメジストの目が、ぱっと輝き出した。そして「そうかそうか、とうとうあいつがな」なんて、こぼれるような笑顔を見せる。





 隣国オルギリオンには、三人の王子と一人の王女がいる。



 王太子のバロール殿下、第二王子のキアン殿下、そして第三王子のルーグ殿下と第一王女の『破天荒王女』ことディアドラ殿下。



 もともと、同い年のアレゼル様とディアドラ殿下は婚約していたのだけれど、ディアドラ殿下が護衛騎士と恋に落ちてしまったことであっさりと婚約は解消になった。ただ、その事実を公表することはできないため『ディアドラ殿下が不治の病を患い、婚約解消に至った』ことになっている。その状況は二年経った今もほぼ変わっていない。



 二年前のあの騒動のとき、初めてお会いした人外レベルの美しさを誇るディアドラ殿下。護衛騎士で恋人のリスト・アングラス様と不法入国(!)してまで我が国の危機を知らせに来てくれて、何だかんだあって、実はその後も私たちは手紙のやり取りをしている。今ではお互いに「ディア様」「ラエル」と呼び合う仲である(生粋の王族を呼び捨てにできない小心者)。



 ちなみに、ディア様は私たちの婚約を祝う夜会にも結婚式にも出席してくれた。不治の病を患ったという設定になっている以上、そのままの出で立ちでフラフラできないから男性に変装しての出席だったけど。でもあの人、この二年でだいぶ変装のレベルが上がってるのよね。今ではパッと見だと本当に優男の騎士にしか見えない。しかも、どこから調達したのか王国騎士団の隊服まで持っていて、リスト様と並ぶと何も知らないご令嬢たちにきゃーきゃー言われるもんだからちょっとご満悦なんである。話すときも声のトーンをわざと落として、『ディアン・エルガラド』なんて名乗るくらいには調子に乗っている(エルガラドはオルギリオンの古い呼び名だと得意げに話していた)。




 そして、第三王子のルーグ殿下である。



 ディア様のすぐ上の兄で私たちの二つ年上。アレゼル様がオルギリオンに留学していたとき、年が近いこともあってかなり親しくしていたとのこと。『聖女降臨を祝う夜会』でルーグ殿下との婚約が発表された場合のことを考えて、親交のあったアレゼル様が出席した方がいいのではというのがお偉方の判断らしい。




 王太子のバロール殿下は真面目で実直、第二王子のキアン殿下は能力が高く何でもそつなくこなすオールラウンダー、そしてルーグ殿下はというと。



「あいつは一言で言うと、軽い」

「軽い?」

「愛想はいいし、社交的だし、場を盛り上げるムードメーカーと言えば聞こえはいいが、いろんな令嬢に粉をかけまくる軽薄なお調子者だな」



 平然と友人をけなすアレゼル様もどうかと思うけど、その話をしていたときそばにいたハラルド様も無表情で頷いていたからその通りなのだろう。でもそれ、実質女子の敵なのでは?



「もちろん王族だからな、実際に手を出すとかまではさすがにしてないが」

「でもルーグ殿下に声をかけられて勘違いする令嬢は続出でしたよ」

「だめじゃんそれ」




 そんなルーグ殿下が、いよいよ婚約とは(あくまでも可能性だけど)。しかもお相手は聖女様。聖女といえば、清純無垢の権化のような存在である(あくまでもイメージだけど)。大丈夫なんだろうか? いや、まずい予感しかしないんだけど。






◇◆◇◆◇






 王立学園の三年生のときに出会った私とアレゼル様はすぐに婚約し、その直後に国家を揺るがす大事件に巻き込まれた。すべての騒動が収まって、延期になっていた婚約を祝う夜会の準備の最中にアレゼル様は陛下と王妃殿下にとんでもないことを願い出た。



「今すぐラエルと結婚させてください」

「「は!?」」



 陛下も王妃殿下も、いよいよ息子は頭がおかしくなったのかと思ったらしい。無理もない。婚約を祝う夜会すらまだというときに、全部すっ飛ばして結婚なんぞどういう了見なのか。溺愛も執着も、度が過ぎればただの狂気である。アレゼル様の隣にいた私に向ける、お二人の困惑の視線が痛かった。



 でもお二人は冷静でもあった。そしてアレゼル様の執着が暴走しがちな理由を知っているからこそ、有無を言わさずその願いを撥ねつけるという選択はしなかった。特に陛下は『運命の乙女』への執着を身をもって体験している。そして私の存在が、アレゼル様の心を縛りつける哀しい鎖に対する唯一の救いになるだろうということも知っていた。



 だから、できるだけ早い結婚を認める代わりに条件を出した。婚約を祝う夜会は予定通り行うこと。現実的に考えれば、諸々の情勢を鑑みても結婚式は来年の夏以降にならざるを得ないこと。そして。



「結婚は許すが、夫婦関係を持ってはならない」

「は!?」



 これには、アレゼル様がすぐさま噛みついた。あれこれもっともらしいことを言い連ねていたけど、言えば言うほど()()だけが目的のように思えてきて居たたまれない。微妙な心境になる。いや、気持ちはわからないでもないんだけど。アレゼル様だって、健全な男子ですし。



 興奮して抵抗を続けるアレゼル様とは対照的に、陛下は落ち着き払って反論する。



「夫婦関係を持った結果として、ラエル嬢が妊娠した場合どうするのだ?」

「どうって……」

「妊娠・出産は女性の心身に大きな負担を強いるものだ。当然、学園生活も中断せざるを得なくなる。出産したあとは子育てもあり、すぐに復学するのは難しいだろう。お前はラエル嬢の学びの機会を奪うつもりなのか? 夫として、未来の王として、それでいいのか?」

「それは……」

「アレゼル。お前の気持ちは私とてわかる。しかし今こそ、本能と衝動に抗い続ける姿勢が必要だとは思わないか? 私たち王族は理性を保ち、己を律し、欲望に屈しない。その姿を、学園在学中の時間を通して私たちに示してはくれないか」



 凛とした陛下の声はどこまでも澄んでいた。畏敬の念すら覚えるほど。



 しかし正直、これはアレゼル様にとって茨の道である。我慢と苦難の道である。目の前にいるのに手は出せないんだもの。それを命じるって、陛下も案外鬼畜では? という気がしないでもない。



 それでもアレゼル様は、陛下の言葉に王太子としての矜持を取り戻したのだろう。最後には納得したようだった(諦めたという説もあるが)。




 そうして、私たちは四年生の夏に結婚した。







 でも、まさかの『白い結婚』になるとはね。


















「オルギリオン編」は12話の予定です。

よろしくお願いいたします。

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