23 憐香惜玉
その後のお話。
怒涛の緊急事態が一応の収束を迎えて、すでに数ヵ月が経った。
私とアレゼル様の婚約を祝う夜会は、少し延期になった。あれだけのことがあったのだ。元凶の一角だったセヴァリー侯爵家は取り潰しになり、まだまだ政治的な混乱は続いている。外交を担う家門でもあったため、それなりに我が国におけるダメージも大きかった。そんな中。
「プレスタ伯爵を侯爵に陞爵する話が出てるぞ」
そうなのだ。
王太子の婚約者の生家だからという理由もさることながら、一番の理由はお父様のずば抜けた商才によるものだった。
カルソーン家との事業提携を展開していく中で、お父様は自国ではなく他国に目を向けた。新たな販売ルートを開拓するために世界各国の有力貴族とつながり、そのつながりが別の要人とのつながりを生み、着々と人脈を広げていく。フットワークが軽く、人当たりも良いと評される我が父は、自国ばかりを重視してなかなか腰を上げないカルソーン伯爵の代わりに世界各国を飛び回っていたらしい。完全に初耳である。確かに、家を空けることが多い人だったけれども。カルソーン家への返済があるから飛び回ってるんだろう、くらしいにしか思ってなかった。
「現状、セヴァリー侯爵の代わりを務められるのはプレスタ伯爵しかいないだろうという話になってる」
「いいんですか? ただのしがない伯爵ですよ?」
「しがなくないだろ? 知らぬ間にあれだけ人脈を広げてたんだ。そのうえ卓越した商才もあるとなったら国として逃す手はない」
どうやら王家に捕まったのは、私だけではないらしい。光栄というべきか、受難と捉えるべきなのか。
「ところで、ラエル」
いつもの応接室、ではなくアレゼル様の私室。
何故か頻繁にこの部屋に出入りするようになった私を抱き寄せたまま、アレゼル様が不安げに瞬きをする。
「俺に隠してることがあるだろ?」
「はい?」
「何か悩み事があるんじゃないのか?」
「え、なんでそれを」
「オーラがくすんでる」
言われて、ハッとする。
いろんなことがあり過ぎて、すっかり忘れてた。アレゼル様はオーラの色味で私の気持ちを見抜いてしまうということを。
私って、この人に隠れて一人で悩むこともできないのか……。今更だけど。
「言っただろ? 『運命の乙女』のオーラはわかりやすいんだって」
「そうでした」
「俺に隠し事はできないからな」
「……肝に銘じます」
「それで? どうしたんだ?」
抱き寄せたまま私の頬に指の背を当てて、すりすりと撫でるアレゼル様。甘やかされてる。すごく甘やかされている。
私を気遣うアメジストの目を、じっと見返してみる。
「怒りませんか?」
「怒るわけないだろ」
いや、絶対怒るから。それがわかってるから言えずにいたんだもの。
逡巡する私を見かねて、もう一度怒らないからと微笑むアレゼル様。その麗しくも優しい表情に急かされて、私は仕方なく口を開く。
「……実は、騎士団に入らないかとスカウトされてるんです」
「は!?」
突然斜め上の話をされたアレゼル様は、怒るより先に完全に固まった。
「私の身体能力について話を聞いたデリング侯爵から、直々にお誘いを受けまして」
「は!?」
「ハラルド様も、是非にと」
「なんで!?」
「これまで、これくらいのこと普通だろうと思ってたんですよね。でもそうではないと散々説得されまして。だったら自分の力を世の中のために生かすのもアリかなと」
「いやいや、ダメだから! 王太子の婚約者が騎士団員って何だそれ、聞いたことねえだろ」
「そうですよね、聞いたことないですよね。でもほら、ディアドラ殿下のような方もいらっしゃいますし、『史上初』みたいなのもいいかなって」
「騎士団なんて圧倒的に男が多いんだから、そんなとこにラエルを行かせるわけないだろ? ていうか、ディアドラを手本にすんのは間違いだから!」
「いやー、ああいう破天荒さ、これからの時代は大事だと思いますよ」
「感化されすぎなんだよ! 感覚バグってるから!」
ぜえぜえと息を荒げるアレゼル様。まあ、反対されるのはわかってたんだけど。
ガストル殿下が亡くなってすでに数ヵ月。アレゼル様は表面的には落ち着きを取り戻している。あれほど慕っていた叔父があろうことか王位簒奪を企て、しかも原因不明の死を迎えてしまった(ことになっている)のだ。アレゼル様の失望と葛藤は計り知れないと同情する声も多かった。それでもアレゼル様は、懸命に気丈さを貫いた。
でも本当は、アレゼル様が抱える痛みと傷つきを正しく理解できる人などいない。
アレゼル様の中に巣食うのは、『運命の乙女』を手に入れてしまったことで結果的にガストル殿下を失ってしまったという拭いきれない罪悪感と喪失感。そして陛下も王妃殿下も、ガストル殿下を追い詰めたのは自分たちだと自責の念に囚われている。王家にはいまだ、深い哀しみが横たわっている。
そして今、アレゼル様の罪悪感と喪失感の代償は、なんとも意外な形で現れている。
「騎士団なんて論外だからな。俺のラエルにそんなことはさせない」
「でもデリング侯爵が」
「うるさいな。そんなに言うなら騎士団ごとぶっ潰すぞ」
「え」
「騎士団がなくなれば問題ないだろ? デリング侯爵を始末してもいい」
「何言って――」
「いいか? ラエルは俺のものだ。俺だけのものだ。ほかのやつにラエルの時間を渡したくない」
「……えー」
アレゼル様の私への執着が、度を越して過剰になっている現在。永遠に晴れることのない憂いを抱えてしまったことが、行き過ぎた執着に走らせているのだろうか? 『運命の乙女』がもたらすとされる心の平安を一心不乱に求めているという側面もあるのかもしれない。とにかく、これまでだって十分不穏で物騒だったというのにますます他人に危害を加えかねないくらい危ういレベルになっている。
ちなみに、私がプレスタ家に帰らずまだ王宮に留まっているのもその影響である。しかも最初に与えられた賓客用の豪華な客室から、アレゼル様の私室の隣の隣、つまり王太子妃の私室に移動までしている。王太子の私室と王太子妃の私室って、間に夫婦の寝室を挟んで自由に行き来できる造りになってるんですよ。まあ、まだその寝室は使っていませんけれども(さすがに鍵がかけられている)。
実は今回の件を経て息子の情緒をいたく心配した陛下と王妃殿下から、直接お願いされてしまったのだ。このまましばらく王宮に留まってほしいと。そしてよければ、一番近くで支えてやってほしいと。そんなわけで、私はまだ王太子妃になっていないのに王太子妃の私室を使っているし、王太子の私室にも頻繁に出入りするようになっている。いいんだか悪いんだか。
「騎士団に入って強くなれたら、私が直接アレゼル様をお守りできると思ったんですけどね……」
目を伏せてつぶやくと、執着心をむき出しにして吠えまくっていた端正な顔が静止した。
「は? 俺のためなのか?」
「もちろんです。私だってあなたを守りたいし、あなたの役に立ちたいんです」
そう。
私はあれから、ずっと考えている。
すべての引き金は、紛れもなく私たちの出会いだった。私たちが出会わなければ、ガストル殿下が激情に駆られることも大罪を犯すこともなかったはずだった。アレゼル様がそのことに罪悪感を抱き続けているのなら、その責めは私だって半分負うべきなのだ。
初めてお会いしたあの日、アレゼル様の抱える弱さや迷いを受け止めてほしいと言ったガストル殿下。もしかしたらあのときすでに、こうなることを予想していたのだろうか。だとしたら、私はガストル殿下に託されたのだと思う。アレゼル様の中の後悔や懺悔、苦悩や痛みを受け止めることを。アレゼル様が背負うものを半分引き受けることを。
「……俺はラエルに守られなきゃならないほど弱い人間じゃない」
「それはわかってるつもりです。でも前にも言いましたよね? あなたが背負っているものは、私も半分背負うって。どうしたらそれができるかを、ずっと考えてるんです」
「だったら、騎士団に入って強くなるよりいつもそばにいてくれた方がいいに決まってるだろ」
逃がすまいとしてか、私を腕の中に閉じ込めるアレゼル様。憮然とした表情を見せつつも、その目はとろりと甘い。
あー、もう。そろそろ私も、だいぶやばいかもしれないと思う。
正直、アレゼル様の危うくて過剰な執着も、最近ではあまり気にならなくなったというか。それでアレゼル様の気持ちが少しでも軽くなるなら、とか思ってしまう。慣れって怖い。それこそ感覚がバグってるんだろう。そんな自分に諦めの境地ではある。
「そばにいるだけでいいんですか?」
「最初に言っただろ? それだけで充分なんだって」
言いながら、蕩けるような甘い瞳で私のこめかみにキスを落とす。柔らかく微笑まれたら、もう何も言えるわけがない。
「……じゃあ、ひとまず騎士団のお話はお断りします」
上目遣いでそろそろと見上げると、アレゼル様が一瞬虚を衝かれたような顔をして。
「……あー、やばい」
「何がですか?」
「まじでラエルが可愛すぎる」
「は?」
「ほんと無理。もう手放せない。離れたくない。今すぐ結婚したいし早く俺だけのものにしたい」
「え」
焦がれるような視線にさらされて、なんだかとても嫌な予感がする。いやむしろ、嫌な予感しかしない。
「あの、さすがに、今すぐ結婚はどうかと……」
「なんでだよ」
「まだ学生の身ですし……」
「学生のうちに結婚したら、それこそ『史上初』になるんじゃないのか?」
「は?」
「そういう破天荒さ、これからの時代には大事だって言ったよな?」
とてつもなく魅惑的で、かつ確信犯的な笑みを浮かべるアレゼル様。いやいや、そういう意味で言ったわけじゃないんですけど。慌てて弁解しようとする私のことなんかお構いなしで、アレゼル様のアメジストの目がキラキラと輝き出す。そしていつもにも増して、その思考が暴走し始める。
「いずれ結婚するんだし、少しくらい早まっても別に問題ないと思わないか?」
「でも私たちの婚約を祝う夜会すらまだなんですよ?」
「婚約を祝う夜会が結婚を祝う夜会になったところで大して変わらないだろ」
「だいぶ違うと思いますけど」
「学生は結婚できないなんて法令もないしな」
「で、でもー」
「なんだよ。俺と結婚するのは嫌なのか?」
……それ言われたら、否定できないの知ってるくせに。
「嫌では、ないですけど」
「じゃあ、いいよな?」
言質は取ったとばかりにほくそ笑むアレゼル様を見て、してやられた感しかない。
かくして。
翌年、私たちは本当に結婚することになった。
学園在学中に王太子が結婚するなんてそれこそ前代未聞、『史上初』の出来事だったのは言うまでもない。
……結婚後も、アレゼル様の度を越した執着が収まることはなかったけれども。
無事第一章完結です。
ここまでおつきあいいただき、ありがとうございました!