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22 可惜身命

「叔父上が亡くなった」



 アレゼル様の硬質な声に、耳を疑う。



「まだ枢密院での議論が続いていたはずでは……?」

「そうだ。ほとんどが処刑、しかも公開の処刑を求めていた。叔父上と親交のあったイアバス侯爵やデリング侯爵でさえも、処刑でなければ王室の面目が保たれないと主張してた」

「では何故……」

「死因は不明だ。朝になっても目を覚まさないことを不審に思った見張りの近衛兵が見つけたらしい」



 そう言うと、アレゼル様はわざとらしく大きなため息をつく。そして下を向いて口元を手で隠し、ぼそぼそと小声でつぶやく。



「ということになってる」

「は?」



 つい素っ頓狂な声が出てしまい、慌てて身をかがめる。アレゼル様の顔に自分の顔を近づけ、壁際に控える侍女たちには聞こえないようひそひそと尋ねる。



「ど、どういうことですか?」

「このことは、他言無用だ。いいな?」

「は、はい」



 覚悟を帯びた、鋭い目つきをするアレゼル様の体が一瞬強張った。



「父上が叔父上に聞いたんだ。どうしたいかと」

「父上? 陛下がですか?」

「ああ。父上はずっと、公開処刑以外はあり得ないというまわりの主張に反対していた。でもこの先どんなにがんばったとしても、もはや叔父上の極刑は免れない。だから死ぬ前にどうしたいかと直接聞いたんだ。母上に会いたいのなら、最後に会って話したいと思うなら、その願いも叶えてやりたいと」



 それはきっと、せめてもの情けだったのだろう。陛下にとって、王妃殿下は何者にも代え難く誰にも渡すことのできない『運命の乙女』。そしてそれは、ガストル殿下にとっても同じなのだから。



「でも叔父上は、母上に会うことを拒んだんだ」

「え……」

「そして公開処刑になって、母上に自分の最期を見届けられることも拒んだ。できるなら、父上の手でひっそりと死にたいと」

「それは……」

「罪人として堕ちた自分を母上に見られたくないって言ってな。母上の中にある自分の記憶を汚したくないとも言ってた。激情に駆られて大罪を犯した自分ではなく、自由気ままでお気楽な人生を歩んだ王弟としての自分だけを覚えていてほしいと」



 アレゼル様の表情が、少し歪んだ。



 何かをこらえるように歯を食いしばるアレゼル様は、それでも必死に言葉を続けようとする。



「父上も、相当悩んでたよ。『運命の乙女』が目の前にいるのに手に入れられない苦しさなんか、想像もできないからな。何も知らなかったとはいえ、どれほどの時間、どれほどの試練や苦難を強いてきたんだろうってさ」

「……はい」

「王位継承権を放棄して、この国から離れてまで本能に抗い続けた叔父上が、最後の最後でその本能に屈してしまったとしても誰がそれを責められるって言うんだよ。情け容赦なく断罪するなんてこと、俺たち王族ができるわけないだろ? でもそのことを枢密院で話すわけにもいかないしな。傍から見れば、叔父上はセヴァリー侯爵やグリムド辺境伯と結託して、この国を混乱に陥れ王位簒奪を目論んだことになるわけだから」

「……そうですね」

「それでも兄として、最後の望みくらいは叶えてやりたいと父上が言ったんだ。王としては不適切だとわかっていても、最後くらいは兄として在りたいと」



 感情の見えない声は、意を決したように更なる重大な秘密をささやく。



「王家には、実は公にされていない毒が存在するんだ」

「え?」



 初めて『運命の乙女』について話してくれたときと同じような口調で、でもあのときよりも幾分真剣な表情をするアレゼル様。



「最初に話したよな? 『運命の乙女』を強引に手に入れようとして罪を犯した王族は、粛清や処罰の対象になってきたって」

「あ、はい。覚えてます」



 私たちの婚約が決まった翌日、アレゼル様が馬車の中で話してくれたことを思い出す。見つかった『運命の乙女』がすでに婚約や結婚をしていた際、非人道的なやり方で強引に手に入れようとした者は王族に相応しくないとして排除されてきたという黒い歴史。



「『運命の乙女』のことが公になってない以上、そういう卑劣な手段を選んだ王族を処罰するのも簡単じゃないんだ。本人に気づかれることなく、秘密裏に葬り去る必要がある場合なんかは特にな」

「……王家の闇の歴史ですね」

「残念ながら、そういうことだ。だからそういう、万が一の場合のために多種多様の毒が保管してある」

「え、一つじゃないんですか?」

「まあな。短時間で死に至る即効性の毒はもちろん、徐々に神経に作用して命を奪う毒もあれば仮死状態にする毒もあるし、記憶をなくす毒とかな」



 アレゼル様が事もなげに説明する。



 しかしなんだその、無駄に多い品揃えは。一体誰がどこで調達してきたんだろう。長きに渡る歴史の中で少しずつ集められてきたにせよ、王家の闇が深すぎない?



「その中に、遅効性でほとんど痛みの生じない毒がある。まあ、言ってみれば自害用の毒だな。人道に外れたことを悔やむ者が、自らの命をもってその罪を償うための毒というか」

「そんな毒もあるのですか?」

「ああ。王宮の宝物庫の奥に厳重に保管されてるから、ラエルも王太子妃になったら実際に目にすることになると思う」



 さすがは王宮の宝物庫、だいぶやばいものばかりが保管されているらしい。網の目のように張り巡らされた無数の隠し通路が記された王宮内部の図面にしろ、多種多様の毒にしろ。ほかには何があるんだろう。知りたいような、知りたくないような。



「もちろん、叔父上もその毒の存在は知っていたからな。叔父上が亡くなる日の前日、父上がその毒を持っていったんだ。叔父上は『ありがとう』と言って笑っていたよ。それから、こんなことをさせてしまってすまない、とも言ってた。父上は最後に『すまない』とだけ言って……」

「……もしかして、立ち会ったのですか?」



 まるで見てきたような詳細な説明に不可解さを覚えて尋ねる。アレゼル様はしばらく私の目を見つめて、黙って頷いた。



「見届けるべきだと思った」



 それだけ言って、俯く。



 こんなとき、どんな言葉をかけたらいいのだろう。どんな言葉をかけても、アレゼル様の苦しみや痛みを和らげることなんかできそうにない。何か言えたとしても、その言葉は軽すぎて陳腐すぎて、むしろ害にしかならないように思える。アレゼル様の心の奥深くを雁字搦めに縛りつけることになった哀しい鎖を思うと、言葉が出ない。



「おつらかった、ですね……」



 それしか、言えなかった。それすら、言ってしまってから後悔した。



 でもアレゼル様は私を見返して、喪失感と自責感とが入り混じったような切ない笑顔を見せる。



 

 傷が癒えるには時間がかかる。この傷が癒える日が来るのだろうかとも思う。




 でも私は、そんなアレゼル様のそばを離れないと心に決めた。






◇◆◇◆◇






 それから数日後。



 セヴァリー侯爵とグリムド辺境伯をはじめこの件にかかわったすべての者の処遇が決まり、刑の執行を待たずにディアドラ殿下とリスト様、そしてロンド様が帰ることになった。



「お父様に早く帰ってきなさいと言われてしまって」



 セヴァリー侯爵とグリムド辺境伯をオルギリオンから強制連行してきた使者は、オルギリオン王からの密書も携えていたらしい。



「本当は、もう少しフォルクレド(ここ)でのんびりしたかったんだけど」



 ディアドラ殿下は名残惜しそうに苦笑する。『不治の病』に冒されて療養しているという独自設定とか、不法入国しているという衝撃の事実なんかは彼女の頭からすっかり消え去っている模様。自由すぎてぐうの音も出ない。



「次はアレゼルとラエル様の婚約を祝う夜会のときに来るつもりだから」

「お前、離宮で静養中ってことになってんだろ?」

「次があるとでも?」

「どうやって来るつもりなんですかね」

「何故当然のように出席できるとお思いなのですか」



 オリバー様も加えてパワーアップしたフォルクレドの男性陣が口々にツッコむ。エリカはツッコミはしないものの、噂に聞いていたディアドラ殿下の破天荒ぶりを目の当たりにして納得していた。なお、強面なリスト様の菩薩のような微笑みは変わらない。



「その辺は何とかなるんじゃないかしら? お父様もダメとは言わないはずよ」

「「「「何故!?」」」」



 オリバー様が加入しても、やっぱりオルギリオンの規格外王女に勝てることはないらしい。



「ロンドも帰るのか?」

「ああ。グリムド軍襲撃の被害がまったくなかったわけじゃないからな。捕らえたグリムド兵のこととか復興作業とか、やることはいろいろあるんだよ」

「大変なときに来てくれて、悪かったな」



 オリバー様が珍しく凪いだ目をしている。同い年の親友同士、思うところがあるのだろう。



「俺も殿下たちの婚約を祝う夜会には来るつもりだからな。お前、そのときまでには何とかしておけよ」

「何をだよ」

「何をって、あの侍女のことだよ」



 何でもないことのようにさらりと言ったロンド様の言葉に、オリバー様が面白いくらい狼狽える。



「は!? お、お前、何言って……!」

「違うのか? 違うなら俺がもらうぞ。あんなオールマイティのハイポテンシャル侍女、喉から手が出るほどほしい――」

「あー、わかったわかった! ダメだ、アンナはお前になぞやらん!」



 真っ赤になって叫ぶオリバー様と、それをニヤニヤした顔と生暖かい目で眺めるその他全員。



 ここにアンナがいないことが、本当に惜しい。聞かせてあげたかった。




 ディアドラ殿下にツッコまれたあの日以来、オリバー様とアンナは微妙にぎくしゃくした関係になっていた。



 『フォルクレドの頭脳』とも称されるオリバー様が、意外にも恋愛方面ではかなりポンコツだということはみんなに周知の事実となった。アンナの気持ちを直接聞いた私も何とかしてあげたかったけど、ガストル殿下のことで手一杯になってしまってなかなかうまくいかず。



 でも、ディアドラ殿下の指摘やバルズ様の言行相反な矛盾の数々を知ったことで、オリバー様も何やら考え直したらしい。少しずつ態度を改め、言動に気を遣い、私とアレゼル様の婚約を祝う夜会のときにはアンナをエスコートして出席することになるのだけれど、それはもう少し先の話。






 それからさらに数日後。



 罪人たちの刑が執行された。



 セヴァリー侯爵とグリムド辺境伯は衆人環視の中で処刑された。あっけない最期だった。



 マリエラ様は爵位剥奪のうえ国外追放処分となった。マリエラ様自身はギルノール領を急襲したのがグリムド辺境伯軍だったことや王宮内部の図面に関する騒動については何も知らされておらず、国家を揺るがす大事件には直接かかわっていなかったことがわかっている。それでも、王太子の婚約者を害そうと何人もの人間を巻き込み、利用し、繰り返し謀略を巡らした執拗性と悪質性が重く受け止められた結果となった。



 バルズ様は、私を拉致したときすでにカルソーン伯爵家との縁を切られていたらしい。貴族籍を失ったことで平民となり、拉致の実行犯二人と共に北の流刑地に送られることになった。最後に私に会いたいと話していたそうだけど、私がその話を聞いたときにはすでに北の流刑地に向けて出発したあとだった。



 「会わせるわけないだろ」と目をつり上げて荒ぶり倒すアレゼル様が、簡単に想像できてしまった。













明日で第一章完結予定です。

よろしくお願いします。

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