19 半信半疑
「さて、オリバー。セヴァリー侯爵家が怪しいと気づいた理由を教えてくれ」
応接室に集まった面々がそれぞれソファに座ったのを確かめると、久しぶりの王太子モードでアレゼル様が尋ねる。
オリバー様はトレードマークのモノクルをこれ見よがしにかけ直し、アレゼル様を静かに見返すと事もなげに言い放った。
「それは、バルズ・カルソーン逃亡に加担した騎士団員が誰か判明したからですよ」
「えっ!?」
ハラルド様が珍しく声を上げる。そうだ、そうだった。騎士団員がそんなことするはずないってハラルド様は言ってたんだもの。
「正確に言うと、正式な騎士団員とは言い難い人物でしたが」
「どういうことですか?」
「なに、簡単なことだ。入団したての、見習いの騎士団員だったんだよ」
「そんなやつに貴族牢の見張りをさせたりするのか?」
ロンド様があからさまに顔をしかめる。確かに。入団したての見習いに、そんな重要な仕事を任せるものだろうか?
「いや、もともとはベテランの騎士団員が担当だったんだ。ところがあの日の夕方から、その騎士団員は体調不良で牢の見張りどころではなくなってしまった」
「体調不良?」
「腹を下したらしくてな」
「あー……」
「え、それって」
「恐らく下剤か何かを盛られたんだろうな。で、そのベテラン騎士団員は近くにいた見習いの騎士団員を呼んで、見張りを代わってくれそうなやつを誰か探してくれと頼んだ」
「じゃあ、その見習いが?」
「そうだ。ほかの騎士団員には頼まずに、自分が見張りをしたんだ。腹を下したベテランの騎士団員から牢の鍵も預かっていたからな。そしてそいつが、セヴァリー侯爵領出身だった」
みんなが一斉に、オリバー様の顔を凝視する。ふふんと鼻を鳴らすオリバー様に対して、怪訝な表情を見せるアレゼル様。
「お前、なんでそこまでわかっててそれを知らせなかったんだよ?」
「わかったのが謹慎を言い渡される直前だったからですよ。当初牢の見張りをするはずだったベテランの騎士団員は、そのあとも体調不良が続いて何日か休んでいたんです。それで調査が進まなかったのですよ。ようやく騎士団の業務に復帰して、牢のことや見習いの騎士団員がいなくなっていることに気づいたときにはギルノールへの援軍の話で騎士団内もバタバタしていましたからね。私のところまで話が上がってくるのに時間がかかってしまったのです」
「見習いの騎士団員はいなくなってたのか?」
「そうらしいですね。まあ、調べられたら自分が怪しまれるのはわかっていたでしょうから。そういうわけで、時間も余裕もなかった私は苦肉の策であの積み木をアレゼル殿下への暗号として侍女のアンナに託したわけですが」
そう言ったオリバー様が、不意に私の顔を見つめる。なんだかちょっと、呆れているというか困っているというか、そんな表情で。
「まさかあれを見て、ラエル様がセヴァリー侯爵家に乗り込むとは思いもしませんでした」
「あ……はは……」
苦笑いでは誤魔化しきれない。ははは。
「私は単に、セヴァリー侯爵家が怪しいから調べてほしいという意味であの積み木を託したのです。アレゼル殿下ならしっかりと調べたうえで、私たちの無実を証明する糸口を探してくれるだろうと」
言いながら、オリバー様は壁近くに控えるアンナに一瞬だけ視線を向ける。その目はなんだか、微かに怒っているようにも見える。
「それをアンナと二人で無謀な計画を立て、自ら敵陣に乗り込むなど」
「そんな、いいじゃない。ラエルのおかげで私たちイアバス家は助かったのよ? ラエルがあえて危険を冒してくれたからこそじゃない」
「そんなのはわかっている」
エリカの援護射撃虚しく、オリバー様の冷たい怒りは収まらない。私の顔とアンナの方を交互に見ながら一気にまくし立てる。
「今回はたまたまうまくいったからよかったものの、もし万が一ラエル様の身に何かあったらどうされるおつもりだったのです? わざと拉致されたりそれを変装して尾行したり、危険極まりないとは思わなかったのですか? そんなことをしてほしくて、私はあの積み木を渡したわけではないのですよ」
「……はあ……」
「もしものためにとせっかく王宮で安全に過ごせるよう手配したというのに、何故わざわざ危険に飛び込むようなことをするのです? 最悪の場合、取り返しのつかないことになっていたかもしれないのですよ?」
オリバー様のいきなりの圧に、空気がぴしりと凍りつく。突然詰め寄られて適当にやり過ごそうとする私とは対照的に、アンナはほとんど泣きそうなくらい意気消沈してしまっている。あらま。オリバー様のためにとがんばったのに、怒られてしまうなんて。
「やあねえ、あなた」
しかしさすがは破天荒王女。宰相補佐ごときに怯むわけもなく、涼しい顔で言葉を返す。
「うまくいったのだからいいでしょう? 今更あれこれうるさいのよ」
「ディアドラ殿下。口を挟まないでいただきたいですね。うまくいったからいいというわけにはいかないのですよ」
「あら、何故?」
「何故って、ラエル様はいずれ王太子妃、ゆくゆくは王妃となる身なのです。軽率な行動は控え、自重して――」
「あー、やだやだ。ほんと、頭の固いポンコツ貴族ってどこにでもいるのね、鬱陶しい」
「は!?」
オリバー様が思わず腰を浮かせた拍子に、モノクルがカチャリとズレた。
『フォルクレドの頭脳』とも称されるオリバー様をポンコツ呼ばわりとは。規格外王女、想像以上に規格外である。
「あなた、ラエル様の非凡さを理解していないのではないかしら? それと、そこの侍女のポテンシャルもよ。そりゃあ多少無謀な計画だったかもしれないけれど、それを十分可能にできる才気と知性、それに資質がおありだということがわからないの?」
「は? 何を言って――」
「わたくしはね、ラエル様の優れた洞察力と傑出した才能を直に拝見して感銘を受けているのです。これほどまでに素晴らしい方は、探したってそうそう見つかりませんわよ」
「そ、それはそうかもしれませんが」
「あら、わかっているならいいじゃない、そんなに目くじら立てなくても。そもそもあなた、何をそんなに怒っているのかしら?」
「は?」
「何をそんなに心配しているの? ラエル様? それともそこの侍女?」
ディアドラ殿下の冷静な問いに、みんなが一斉にきょとんとする。
……ん?
「は? な、何を言っているのです? 私は当然ラエル様を心配して――」
「じゃあ、侍女のことは別にどうでもいいのね」
「そんなことは言っておりません!」
うっすらと頬を紅潮させ、多少取り乱し気味に答えるオリバー様を見てディアドラ殿下がくすりと笑う。さっきまでしょんぼりと項垂れていたアンナは平静を装っているけど、頬がみるみる紅潮していくのを否定できない。
え、ちょっと。これは何? どういうこと? もしかしてオリバー様は私に苦言を呈したかったというよりも、アンナが心配すぎて怒ってたってこと?
「あなた、もう少し素直になった方がよろしくてよ? わかりにくいのよ」
余裕の笑みを浮かべるディアドラ殿下には、誰も勝てない。
◇◆◇◆◇
夕方。
イアバス家の面々とハラルド様は帰宅し、ロンド様はしばらく王宮に滞在することになって客室に案内された。問題は不法入国しているオルギリオンの二人だったけど、「オルギリオン留学時代のアレゼル様のご学友が王宮を訪ねてきた」ということにしてやっぱり王宮に滞在してもらうことになった。
ちなみに、正体については陛下と王妃殿下にだけこっそり伝えてある。お二人とも、頭を抱えておられたらしい。当たり前である(ディアドラ殿下曰く、「グリムド辺境伯のことと私がフォルクレドに行くことはお父様にちゃんと伝えてあるわよ」とのこと。いいのか、それで)。
さっきまでみんながいた応接室に残った私とアレゼル様は、改めてゆっくりとお茶を飲んでいた。このところずっと、次々に襲いかかる緊張感の中で落ち着かない日々を過ごしていたからこんな時間は本当に久しぶりである。
ただ。
私には、今回の一連の騒動で少し気になっていることがあった。それはほんの些細な、取るに足らない引っかかりのようなものだった。だからみんなの前では言い出せずにいたのだけど、アレゼル様になら話しても大丈夫だと思うしむしろ話しておきたい。そんな思いがあった。
「あの」
「ラエル」
ほぼ同時に声が重なって、お互いに顔を見合わせる。
「なんだ?」
「いえ、アレゼル様からどうぞ」
「いいよ。ラエルが先で」
柔らかな笑みに抗えず、私は頷く。
「少し、気になることがあって。アレゼル様にお話ししたいと言いますか、ご意見をうかがいたくて」
「うん。なんだ?」
「ギルノール領への襲撃のことです。今回の一件、セヴァリー侯爵がイアバス侯爵家を陥れて宰相の座を奪い、さらに私を排除して娘のマリエラ様をアレゼル様の婚約者にしようと画策してのことだと思うのですが」
「だろうな」
「だとしたら、ギルノール領を襲ったのは何故なんでしょう?」
「この国を混乱に陥れるためじゃないのか? 混乱に乗じて、イアバス家に反逆罪の濡れ衣を着せるためというか。騎士団の一部が援軍として出征することになれば、人員不足で正確な調査や捜査が難しくなるだろうし。ラエルを害するという目的も達成しやすくなると考えたんじゃないのか」
「では、もしもこの策略が成功していたら、グリムド辺境伯への見返りは何だったと思いますか?」
「見返り?」
アレゼル様が一瞬不思議そうな顔をする。
「はい。わざわざ兵を出すのです。それ相応の見返りがあって然るべきでは」
「血縁関係にあるから、協力したんじゃないのか?」
「血縁関係にあるとしても、ここまで危ない橋を簡単に渡るものでしょうか? もしこの悪事が明るみに出てしまったら、グリムド辺境伯家だって相当の罰を受けることになります。というか、不戦条約を破ることになるのですから絶対にバレてはいけないはずです。我が国からもオルギリオンからも非難され、責任を追及されることになるのですから。となると、これは絶対にバレてはいけない、逆に言うとバレない自信があったのではと」
「絶対にバレない自信? なんだそれ」
「わかりません。でも、グリムド辺境伯の行動はリスクが大きすぎると思うのです」
「まあ、確かにそうだな」
アレゼル様があごに手を当てて何やら考え込む。それから数秒間目を伏せると、静かに顔を上げる。
「実は俺も気になってることがあるんだ。聞いてくれるか?」
「もちろんです」
張り切ってそう答えたのに、アレゼル様はなかなか言葉を発しない。どこか心許なげで、まるで迷子のような顔をしている。言おうか言うまいか、どこへ向かったらいいのか、わからなくて不安そうな目をしている。
「王宮内部の図面のことだ」
絞り出したような声だった。
「使用人が隠し持っていたという図面のことですか?」
「ああ。あの図面の存在は、実は王族と宰相しか知らないんだ。『運命の乙女』に関することと同じようにな」
「はい」
「ただ、宰相であるイアバス侯爵も図面の存在を知ってはいるが目にしたことはないと思う。あれは普段、王宮の宝物庫の奥に厳重に保管されてるから」
「そうなんですね。……え、じゃあ」
「そうだ。確認したら本物だったと言ったよな? じゃあ、誰があそこから持ち出したんだ?」
アレゼル様のアメジストの目が、見たこともない重い闇に沈む。
宝物庫の奥から図面を持ち出せる人物。年端も行かない二人の妹殿下ではないだろう。もちろんアレゼル様でもない。イアバス侯爵でもない。まさか陛下や王妃殿下だというのだろうか? でもそんなことをして何になる? 陛下や王妃殿下はイアバス侯爵やオリバー様に全幅の信頼を寄せているし、セヴァリー侯爵がそれに取って代わろうと画策しても協力するとは考えにくい。じゃあ、誰?
……あ。
考えついて、息を呑む。
アレゼル様の憂いの理由に気づいてしまう。
王族は、もう一人いる。若くして王位継承権を放棄し、世界各国を飛び回る「自由人」で、アレゼル様が心から慕う叔父。
「やっぱり、そうなるよな」
「でも、まさか。だってそれこそ何のためにですか?」
「わからない。でも陛下や王妃殿下ではないならその可能性は高い」
どんどん険しさを増すアレゼル様の表情。息を潜めて黙り込むその心の中に、どんな想いを押し込めているのだろう。
「アレゼル様は、どうしたいですか?」
見ていられなくて、思わず手を伸ばす。精悍な頬は、冷たかった。
「どうって……。見過ごすわけにはいかないだろ」
「ですよね。では、私も微力ながらお手伝いします」
「お手伝い?」
「もしも私たちが考える通りなら、これはセヴァリー侯爵が権力ほしさに企てた策略ではないのかもしれません。裏に何か、別の要素が絡んでいるのならそれを解明しないと」
「……ラエル」
そうつぶやいたアレゼル様は、真顔のまま私を抱き寄せた。珍しく何も言わないアレゼル様の背中を、あやすように軽く撫でてみる。
たどり着く先に何が待っているのか、このときの私たちには知る由もなかった。