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15 不義不徳

 翌日の朝。


 日の出と共に慌ただしく出征式が行われ、ギルノール辺境伯領のために編成された王国騎士団の援軍部隊が出発した。



 出征式でエリカの姿を見つけることはできなかった。



 結局、その後もアレゼル様が学園に登校することは難しく、必然的に私も欠席を余儀なくされた。ハラルド様の出征で不安なうえに、学園でも一人で過ごしているだろうエリカを思うと居ても立っても居られない思いに駆られるけれど、どうにもできない。



 せめて手紙だけでも、と(したた)めたその日。



 お昼近くになって、アレゼル様が数日ぶりに部屋を訪れた。見るからに疲れた様子ながらもこの前より数倍深刻な顔をしていて、ただならぬ雰囲気は否定できない。



 重々しい空気を背負ったアレゼル様は、尖った目つきで下唇を嚙む。



「イアバス家が謹慎処分になった」




 は?




 その言葉を、頭の中で反芻する。……意味が、わからない。




「アレゼル様、何を――」

「昨夜酒場で暴れていた男を騎士団の警邏隊が捕らえて調べたら、王宮内部の図面を隠し持っていることがわかったんだ。そいつはあろうことか、イアバス家に仕える使用人だった」

「王宮内部の図面、ですか?」

「ああ。その使用人はイアバス侯爵に命じられて図面を預かったうえ、他国に売り飛ばす計画だったとか言いやがったらしい」

「まさか! そんなことあるわけ――」

「俺だってそう思ってる!」



 思わずといった様子で声を荒げ、一瞬で我に返ると「悪い」とつぶやくアレゼル様。気まずそうに目を泳がせて、そのまま独り言のように話を続ける。



「使用人が捕らえられてすぐ、緊急の枢密院が招集されたんだ。当然イアバス侯爵もオリバーもそんな計画は知らないと否定した。王宮内部の図面なんて見たこともないってな。ただ、証拠がある以上その言葉を鵜呑みにすることはできない。これが事実なら他国と通じて国家転覆を目論んだことになるからな。事の真偽がはっきりするまで、イアバス家の謹慎を陛下が命じられた」



 アレゼル様の極度に感情を抑えた声が、状況の詳細を事務的に説明する。でもどうしても、理解が追いつかない。



「確認したら、王宮内部の図面は本物だった。あれは王宮内に張り巡らされたたくさんの隠し通路がすべて詳細に書かれてある、国防上最も重要な機密情報なんだ。そんなもの持ち出せるやつは、そう多くはない」

「そうでしょうけど……」

「使用人も、確かにイアバス家の者だった。雇ったのは最近らしいが、それでもきちんと身元確認をしたうえで雇ってるわけだからな。どこの誰だかわからないやつの妄言、では片づけられない」

「で、でも……」

「枢密院でも今回のギルノール辺境伯領の急襲はイアバス侯爵家が他国と通じ、裏で手を引いていたからではないか、って声が上がった。長く宰相の役割を担ってきた家門だ。不可能なことではないだろう、ってな」



 言葉が出ない。そんなことあるわけない。そう言おうとして、苦しそうに、悔しそうに影を纏うアレゼル様の目に胸がしめつけられる。アレゼル様だって同じ気持ちなのは、痛いほどわかる。



「詳しいことはまだ調査中だ。しばらくイアバス家とのやり取りはできないからな。そのつもりでいてくれ」



 切って捨てたような冷たい言い方の裏に、どれほどの苦悩や葛藤や憂いを隠しているのだろう。友人としての自分と王太子としての自分との間で、もがき苦しんでいるに違いないのに。



 私は文机に置かれたままの手紙に目を向けた。私だってそうだ。こんなときなのに、今一番心細い思いをしているだろう親友を助けることも勇気づけることもできない。王宮の奥で手厚く保護されて、何もできないなんて――――。




「まったく、一体何がどうなってんだよ」



 アレゼル様が突然頭を掻きむしり、脱力したように大きく息を吐く。



「クソ野郎がいなくなったと思ったら、今度はギルノールが襲撃されるしイアバスには国家反逆罪の疑いがかけられる。全部あいつの仕業だってのか?」

「私が言うのもアレですが、バルズ様にそのような能力も技量もないと思いますが」

「だよな。まさかあいつがな」

「むしろバルズ様の逃亡の手助けをした者が、すべての黒幕という可能性も……」

「まあな。そう考える方が妥当だな」

「そういえば、バルズ様逃亡の手助けをした騎士団員が誰なのかはわかったのですか?」

「それもまだ調査中だ。調べ始めるとほぼ同時にギルノールへの襲撃がわかって援軍派遣が決まったからな。騎士団員を半分以上援軍として送ったから、調査に回す人手が足りないらしい」



 「ったく、最悪のタイミングだよ」とつぶやきながら、ソファにもたれるアレゼル様。はあ、とまたしても大きく息を吐くと、ゆっくりと顔を上げる。なんだかやけに、熱っぽい視線で私を見つめているような。



「ラエル」



 言いながら伸びてきた腕に、いとも簡単に捕らえられる。



「癒してくれよ」

「あ、はい」



 私を抱き寄せたと思ったら、断りもなく首の辺りに顔を埋めている。ついさっきまでかつてないほどの非常事態の話をしていたはずなのに、なんとなく、そこはかとなく、いかがわしい雰囲気がしないでもない。大きく息を吸い込んで、「はあー、癒される」「甘い匂いがする」なんてつぶやいてるし。疲労回復以外の破廉恥な意図が垣間見えなくもない。いや、明確にうかがえる。大体、甘い匂いって何!?



 もぞもぞと体を動かして、抗議しようとアレゼル様の顔を見上げた。でも思いのほかくっきりと滲む疲労の色のせいで、非難しようとしていた勢いがどこかへ行ってしまう。



「……お疲れなのではないですか? きちんと休めているのですか?」

「正直に言うと、あんまり眠れてないんだよな。体は疲れてるけど気持ちが休まらないのか、なかなか寝つけなくて」

「アレゼル様……」

「でも同じベッドでラエルが添い寝してくれるなら、多分しっかり眠れると思うんだけどな」

「それは陛下がお許しにならないのでは?」

「今なら王宮中バタバタしてるから、どさくさに紛れて――」

「アレゼル様」



 そんなこと言ってられるくらいならやっぱ元気だわこの人。わざと少し睨むように見返すと、アレゼル様はふっと柔らかく笑った。つられて私も、ちょっと吹き出してしまう。



「あまり無理はしないでくださいね」

「わかってる。疲れたらまた来ていいか?」

「もちろんです。私に触れれば癒しの効果が発動して、少しはお役に立てるでしょうし」

「ああ。ラエルに触れられれば、少しくらい寝なくても何とかなる」

「いえ、そこはむしろ、ちゃんと寝る方向でお願いします」



 アレゼル様の温かい腕に包まれてひとしきり二人で笑い合う。それでも、今この瞬間も不安を募らせているだろう親友の無事を祈らずにはいられなかった。






◇◆◇◆◇






 翌日。



 朝の着替えが終わり、他の侍女たちが部屋を出て行ったタイミングで侍女のアンナがおずおずと近づいてくる。蒼ざめた顔色のわりに、目だけは不思議とギラギラしている。なんか怖い。



「ラエル様。お話があるのですが」



 ほかに人はいないというのにやけに小声で、窓の外なんかもちらちらとうかがっている。挙動不審すぎて怪しさしかない。



「な、何ですか?」

「実は……。オリバー様からこれをお預かりしているのです」



 どこから出したのか、手にしていたのは質素な布でできた小さめの巾着袋。



「え、何これ」

「これをアレゼル殿下にお渡しするようにと言われました。ラエル様にお願いして渡してもらうようにと」

「え」

「中を見れば、殿下はおわかりになるからと」



 切羽詰まったような真剣なまなざしが、真っすぐに私を捉えている。私はそれを、まじまじと見つめ返した。



「何故あなたが?」

「実は私、イアバス家とは遠縁の親戚筋にあるスワイン子爵家の出なのです」

「は?」

「王宮の侍女として採用される際、そのあたりのことは伏せたままにしておりました。縁故採用と思われるのが嫌でしたし、イアバス侯爵にも隠しておいた方がいいだろうと言われまして」

「そうなの?」

「はい。そうした縁もあって、王宮内の様子や使用人たちの内部事情についてそれとなく報告する役割を担っておりました。ラエル様が王宮で過ごされることになったので、ラエル様の安全を第一に考えて私が専属侍女になるよう言われたのです」



 私より少し背の高い落ち着いた印象のアンナが、私の知らなかった事実を怒涛の勢いで口にする。平たく言うと、イアバス家の親戚だということを隠してスパイ的なこともしてたってこと? 何それ。もう情報が大渋滞なんだけど。ここ数日、こんなのが続いていて本当に頭が追いつかない。ちょっと落ち着きたい。



 一旦深呼吸した私は、アンナが手にしたままの巾着袋に改めて目を向ける。



「それ、あなたは中身を知ってるのですか?」

「いいえ」

「中に何が入っているのかわからないものをアレゼル様にお渡しすることはできません。確認させてもらいますけどいいですか?」

「はい。オリバー様からもラエル様には見てもらって構わないと言われております」



 そう言って、アンナがすっと巾着袋を差し出す。受け取ると、中に何か硬いものが入っている感触がある。



 紐を引き、巾着袋の中に手を入れて慎重に中身を取り出すと。



 それは、ありふれた三角形の積み木だった。木でできた、素朴な印象の子どもの玩具。すべての面が正三角形で構成されている正四面体の積み木は、その一角だけが壊れたのか欠けてしまっている。



「これを、アレゼル様に……?」

「はい。反逆罪の嫌疑がかけられて謹慎処分が出るまでのわずかな時間に、オリバー様が密かにお持ちになりました」



 謹慎で身動きが取れなくなる前に、急いで何かを伝えようとしたのだろうか。だとしたらこれは、オリバー様からアレゼル様に当てた暗号……?



 私は積み木を手のひらのうえに乗せて、余すことなく隅々まで観察した。でもどう見ても、一角が壊れたただの積み木でしかない。あちこちいじったり振ってみたりもしたけど、中に何か入っているとか、何かの仕掛けが隠されているというわけでもない。本当に、ただの子どもの玩具。



 何故、一角だけ壊れてるんだろう。



 素朴な木の積み木といっても、ここだけ自然に壊れるなんて考えにくい。だとしたらわざと……?




 そこまで考えて、はたと気がつく。この形。欠けた一角。




 唐突に、頭の中で幾つものパズルピースが次々に埋まっていく。




 オルギリオンに接するギルノール辺境伯領が受けた急襲。王国騎士団への援軍要請と援軍の派遣。イアバス家にかけられた国家反逆罪の嫌疑。国を揺るがす数々の緊急事態がもたらすものと、その背後に潜む黒幕――――。




「ねえ、アンナ。あなたは今回のイアバス家の件、どう思っているのですか?」



 顔を上げて、少し上にあるアンナの空色の目を見据える。


 私の問いに臆する様子も見せず、アンナは一息に言い切った。



「イアバス侯爵家が国を、王家を裏切るようなことは絶対にありません。他国と通じて国家転覆を図ったなど事実無根。これは明らかに濡れ衣、ともすれば罠かと」



 落ち着き払った淀みのない口調。薄い空色の目に溢れる不動の信頼感。



「何故、そこまで言い切れるの……?」



 シンプルな疑問が口を衝いて出る。しばらく考え込んだアンナは、一つひとつ言葉を選びながら話し出す。



「先程も申しました通り、スワイン子爵家はイアバス侯爵家の遠縁にあたります。実は、イアバス侯爵家の別荘の一つがスワイン子爵家の領地内にありまして、幼い頃はよくご家族で遊びに来られていたのです。私には兄と弟がいるのですが、子ども同士みんな年が近かったこともあり、家族ぐるみで仲良くさせていただきました」

「そうなのね」

「中でもその、オリバー様にはとてもよくしていただきまして……」

「へえ」

「王宮での侍女の仕事も、オリバー様の近くにいられるかもしれないという下心があって……」

「え?」

「実は私、幼い頃からずっと、オリバー様をお慕いしておりまして……!」

「え!?」

「ですからどうしても、イアバス家の皆様をお助けしたいのです!」




 ……まじか。



 想像の斜め上の答えが返ってきた。そうか、そうなのか。いや、その言葉だけですべてを信じるのは単純すぎると思うけど、でもアンナの必死すぎる表情を見ると、ねえ。とても嘘や出鱈目とは思えない。



「ラエル様、お願いです。イアバス家の無実を証明するため、お力をお貸しください。そのためにできることなら何だっていたしますから!」



 透き通る空色の目は、混乱の最中にあっても自分の役割を全うしたいという揺るぎない決意を宿している。





 もしも。暗号の意味が、私の考える通りなら。



 もしかしたら、イアバス家にかけられた疑いを晴らすことができるかもしれない。私なら、それができるかもしれない。





 恥も外聞もかなぐり捨てて懇願するアンナの顔を見るまでもなく、私の覚悟はとっくに決まっていた。



















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