14 急転直下
そのまま私はアレゼル様の思惑通り、しばらく王宮で「保護」されることになった。やっぱりなんだかんだ言っても王宮が一番安全だということで。
そうと決まるとアレゼル様は、「婚約者なんだから俺の部屋の隣を使うのが当たり前だろう!」と当然のように言い張った。でもアレゼル様以外の全員がその提案を速攻で却下した。さもありなん、と言ったところである。
私は賓客用の豪華な一室を与えられ、専属の侍女も数名付けてもらってとにかく恐縮しまくりの生活を送ることになった。ただ困ったことに、部屋にいても全然気持ちが休まらない。あちこちぶつけて壊してしまわないかとか、汚しちゃったらどうしようとか、考えてしまってなんだか疲労感が半端ない。仕方ない。しがない伯爵家の出ですもの。
王宮に身を寄せるにあたり、陛下からは直々に「同じ王宮で暮らすとはいえ、いや、だからこそお互いに、くれぐれも自重するように」とのお言葉を賜った。そのときの陛下、控えめに言ってもアレゼル様の方しか見ていなかった。余程信用がないらしい。あとで王妃様が、「陛下にはアレゼルの魂胆がわかりすぎるほどわかってしまうのよねえ」と含み笑いでおっしゃっていた。ちょっと懐かしそうなお顔をされていたから、昔何かしらあったんだろうということは想像に難くない。でも詳細は怖くて聞けない。
とはいえ、アレゼル様と一緒に過ごす時間が増えることは確実で、それは私にとってもうれしいことだった。朝は同じ馬車で学園へ向かい、授業が終わるとまた同じ馬車で王宮に帰ってくる。私は王太子妃教育、アレゼル様は王太子としての執務に励み、終わったら今日一日の出来事を話しながらゆっくり過ごすこともできる。慌ただしく家に帰らなくてもいいし、アレゼル様と長く一緒にいられるし、王宮での生活も慣れればいいものかもしれない。あくまでも、慣れればだけど。
「王宮での生活はどうだ?」
「まだ二日目ですし、まったく慣れません」
バルズ様が姿を消した翌日、二人きりのお茶の時間(といっても侍女の方々が大勢壁付近に控えている)。
アレゼル様は、私の隣に座っている。座っているだけでなく、有り体に言うと抱き寄せられている。お茶が飲みにくいことこの上ないけど、あれこれ反論したところでどうにもならないことはとうにわかっている。
お互いの誤解が解けたあの日、アレゼル様は「もう、遠慮なんかしないからな」と言い切った。
「ラエルも俺のことを好きでいてくれるなら、もう我慢も遠慮もする必要なんかないよな?」
「え」
「嫌か?」
「い、嫌ではないですが……。人前では多少慎んでいただけると……」
「じゃあ、人がいないときは好きにしていいってことだな」
過大解釈が過ぎる。
そして「慎む」の意味においては、私の認識とアレゼル様の認識に若干の齟齬があった。いや、限りなく大きな齟齬があった。
これまでもわりと頻繁に、頬に触れるとか髪の毛をいじるとか手を握るとかいう行為はあった。それも、恐る恐るとか、そうっと、とか控えめな感じで。
でもあれ以降、アレゼル様はとにかく私を引き寄せて離さないし、なんなら常に腰に手を回しているし、隙あらばおでことかこめかみとかにキスするし、なんでもない話でもわざと耳元に顔を近づけてこそこそ話してくる。「今日のランチは何にするんだ?」的な日常会話でも、だ。
一応私としては、それらの行動はすべて人前で慎むべきものだという認識なのですが……?
と言ったところで、「嫌なのか?」と聞かれ、「嫌ではないです」と答えると「じゃあいいだろ」で終わり。
「嫌ではないですけど、恥ずかしいんです」
「じゃあ、慣れるしかないな」
以上。
あとはもう、無駄な抵抗だと諦めるしかない。甘んじて受け入れるしかない。まわりからどう見られているんだろうということは怖くて考えたくない。エリカもハラルド様もやばいものでも見るかのような形容し難い目をしているけど何も言わないから、きっとみんな同じような思いでいるのだろう。居たたまれない。
ちなみに、『我慢』や『遠慮』といった概念が完全に脳内から排除されてしまったのか、アレゼル様の王太子モードはもはや風前の灯火である。冷静で自制的で、何があっても動じない品行方正な王太子像はどこへやら。私のこととなると常に大騒ぎして右往左往するし、執着心をむき出しにして言葉遣いも荒ぶるし、アレゼル様のナチュラルモードを熟知していたハラルド様はともかく、エリカは「なんか騙された気分なんだけど」と呆気に取られていた。
「ラエルと出会ってからの殿下の方が『素』だったとはね」
まあ、王太子も人間だから、ってことで大目に見てもらいたい。
◇◆◇◆◇
そうして、王宮生活三日目の朝。
目が覚めるとやけにバタバタと騒がしい気配がした。廊下を足早に行き来する複数の足音。何を話しているのかわからないながらも、気忙しくやり取りする人の声。
起き上がってベッドから出たところで、ノックの音と共に私の専属侍女を務めてくれているアンナの声がした。
「ラエル様。これからアレゼル殿下がいらっしゃるそうですので、急いでご準備を」
「え? 今からですか?」
「はい」
アンナは専属侍女の中でも一番気が利いてあれこれと世話してくれる侍女だけど、気のせいか妙に強張った表情をしている。身支度を整えるとまもなくアレゼル様が訪れた。やっぱり明らかに、険しい顔をしている。
「ラエル。悪いが今日は学園を休んで、王宮にいてくれないか?」
「何かあったのですか?」
「今朝早く、王宮に知らせが届いた。ギルノール辺境伯領が素性のわからない敵軍の襲撃を受けているらしい」
「えっ!?」
予想外の、本当に想定外の事態だった。いや、まじで想定外過ぎた。
「ギルノール辺境伯領って、確かオルギリオンに接しているのでは……?」
「そうだ。ただオルギリオンとはずいぶん昔に不戦条約が結ばれてるのは知ってるだろ? 両国間に問題を抱えていたわけじゃないし、オルギリオン軍なわけはないと思うんだが」
「じゃあ、どこの軍が?」
「わからない。突然の奇襲を受けてギルノールも応戦しているようだが、王国騎士団に援軍派遣の要請があった」
「ギルノール辺境伯といえば、みなさんの旧知のロンド様がいらっしゃるのではないですか?」
「あー、まあ、そうだな」
アレゼル様の厳しい顔つきが、ふっと和む。和むというか、何か思い出してニヤニヤしているというか。
「あいつがいる限り、ギルノールが敵軍の手に落ちるなんてことはないだろうけどな」
「そこまで強い方なのですか?」
「いや、強いというより……」
「いうより?」
「馬鹿なんだあいつは」
「馬鹿」
馬鹿だったら、逆にまずいのでは、と思うんだけど。
「とにかく、これから陛下が枢密院を招集する。話し合いの流れにもよるが、恐らく王国騎士団を援軍として派遣することになるだろうな。俺も枢密院に出席しなきゃならないし、そのあとも対応に追われるだろうから学園には行けない。ラエルを一人で行かせるわけにいかないから、休んでくれないか」
「学園くらい、アレゼル様がいなくても大丈夫ですよ」
「いや、何が起こるかわからないだろ? これまでだって学園で何度も襲われてるんだし、俺がいない隙を狙ってまた接触してきたらどうすんだよ」
「それはそうですけど……」
「それに多分、今日はハラルドも行かないと思う。ハラルドがいなきゃ、ラエルを護衛できるやつがいないしな」
「ハラルド様もお休みされるのですか?」
「王国騎士団を派遣するとなったら、総隊長はハラルドになるだろうからな」
「え」
その言葉で、部屋の空気が一気に重量を増した気がした。アレゼル様の表情にも、あまり見たことがないような緊張感が走る。
「敵軍の正体も狙いもわからない以上、騎士団団長のデリング侯爵が陛下のいる王都を離れるわけにはいかないだろ? そうなるとハラルドが行くしかない」
「でも、そしたらエリカは」
「あいつだってわかってるさ。騎士の妻になるというのは、そういうことだ」
まるで自身にも言い聞かせるように、強い口調で話すアレゼル様。ハラルド様のこともエリカのことも心配でたまらないからこそ、王太子としての平常心を保とうと必死なようにも見える。
私は手を伸ばして、アレゼル様の左手をそっと握った。
「アレゼル様は、大丈夫ですか?」
「俺? 俺は大丈夫だよ。何が起こってるのか、これからどうなるのか見当もつかないけどな。でも俺がちゃんとしてないとみんなが不安になるだろ」
「それ、強がりですよね?」
「強がるのも王族の務めなんだよ。それにな」
不意に、抱き寄せられる。鼻先まで近づいたアレゼル様の顔が、ほころぶ。
「ラエルが無事なら、俺は大丈夫だから」
「え?」
「俺にとってはラエルの無事が何より大事だから。ラエルが何事もなく、健やかでいてくれさえしたら俺が倒れることはない。ラエルの命は、俺の命だ」
甘い熱のこもったアメジストの目に捕えられて、身動きができない。目を逸らせず数秒見つめ合い、このままキスされるのかと思ったら。アレゼル様は何故か眉根を寄せ、顔中の筋肉を総動員させて怖いくらい力んだ表情を見せる。
「キスしたいけど、したら止まらなくなるから今はしない」
「そんな死にそうな顔で言わなくても」
それきり、アレゼル様はその日一日姿を見せなかった。
◇◆◇◆◇
夕方。
「ギルノール辺境伯領への王国騎士団の派遣が決まりました」
ハラルド様の訪問を受ける。
いつもわりと無表情のハラルド様だけど、今日は一段と感情が見えない。その顔は、仮面のように硬く動かない。
「ハラルド様も出征されるのですね?」
「はい。騎士団長代理として、俺が行くことになりました」
「いつ出発されるのですか?」
「明日の朝には」
「……エリカにはお会いになったのですか?」
見上げると、ハラルド様の表情が少しだけ動いた気がした。切なく歪んだ気がした。
「いえ。今日は王宮での枢密院に出席し、そのあとすぐ出征準備に追われていたので」
「ではこれから?」
「……会わずに、行こうかと」
「それはダメですよ」
間髪を容れず、あっさりと言い切った私にハラルド様は珍しく目を丸くした。まさか私がそんなこと言うなんて、思ってなかったらしい。
「ラエル様には、オレがいない間エリカのことをお願いしたいと思って来たのですが」
「それはもちろん引き受けますけど、会わないで出征するのはよくないと思います」
「でも別に、これが今生の別れというわけではありませんし」
「そう思ってるなら、なおさらです。ハラルド様のその気持ちをしっかりはっきりエリカに言ってから出征してください。待つ方の身にもなってくださいよ」
「……でも会ったら、行きたくないと思ってしまいそうで……」
伏し目がちになったハラルド様の、押し殺した声。あのハラルド様がこんな姿を見せるなんて、意外だった。
「そういう気持ちも全部引っくるめて、エリカに話してから行かれた方がいいと思うんです。戦場で生き残るために最も大切なのは、絶対に帰るんだという強い気持ちだと教わりました。エリカの不安を軽くするためにも、ハラルド様自身が絶対に帰ってくるんだという決意を新たにするためにも、会ってから出発された方がいいのではと思います」
「……どこで教わったのですか? そんな、戦場の極意なんて」
「王太子妃教育ですよ。世界各国の戦争の歴史について学ぶ時間があったのです。他国の常勝将軍と謳われた方が残した言葉みたいですよ」
「あなたって人は……」
ハラルド様は一瞬神妙な顔つきになって、それから見慣れた無表情を取り戻す。
「わかりました。エリカに会ってから行きます」
「そうしてください。私もご武運をお祈りしております」
「ラエル様も、この先は何が起こるかわかりませんから。くれぐれも留意して過ごされますよう」
騎士らしい綺麗な所作で一礼をしたハラルド様の背中を、私は黙って見送った。
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