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10 不倶戴天

「バルズ様? また?」



 と口にしたつもりだったけど、口元を塞がれているからやっぱりうーうー言ってるだけにしか聞こえない。



 そんな呻き声など気にも留めないバルズ様は、強い力で私を後ろから押さえつける。逃れようともがくけどびくともしない。羽交い絞めのような体勢のまま、バルズ様は自分の言いたいことだけを一方的にまくし立てる。



「ラエル、いい加減目を覚ませよ! どんな事情があるのか知らないが、いつまで殿下と婚約したふりなんかしてるんだ? そろそろ俺のところに戻って来いって! だいたい、お前なんか殿下に相応しくないってわかってるだろ? そんな地味な見た目で、大して可愛くもないくせに王太子妃なんか務まるわけないじゃないか。分不相応なんだよ。わかるだろ? 早く婚約を解消するなり、辞退を申し出るなりすべきなんだよ。そしたらまた俺との婚約を結び直そう。俺もようやくわかったんだ、俺がほんとに好きなのは――」



 私を説得しようと感情の赴くまま、気持ちの昂るままに話を続けるバルズ様の一瞬の隙を突いて、私はじたばたともがくのをやめて姿勢を正した。そして一気に力を抜いて、バルズ様に全体重をかけてもたれるようにしながらすとんと体を真下に落とす。同時にバルズ様の腕を真上に押し上げ、下からするりとすり抜ける。



「え? は?」



 がっしりと押さえ込んでいたはずの私がいとも簡単にその束縛から逃れたことに気づいても、バルズ様は何が起こったのか瞬時には理解できなかったらしい。



 それでも私を捕らえようと咄嗟に伸ばした手が届く前に、私は目の前のドアを勢いよく開けた。



「アレ――!」

「ラエル!!」



 私がいないことにいち早く気づき、探してくれていたであろうアレゼル様の蒼白な顔が目に入る。


 私が駆け寄るのとアレゼル様が近づいてきたのとではどちらが先だったのか。気づいたら、その温かな腕の中にいた。



「ラエル!? 大丈夫か!?」

「は、はい……」



 大丈夫は大丈夫だけど、とはいえ呼吸は乱れ、そのうえ突然の襲撃を受けて髪や制服も少し乱れている。それに気づいたアレゼル様が息を呑むのがわかった。


 その途端、俄かに殺気を纏うアレゼル様。最初にバルズ様のことを話したときにも相当な殺気を感じたけど、これは比較にならない別次元のやつだ。まじでやばい。



「……誰の仕業だ?」



 ぞっとするほど低い声。噛みつくような、突き刺すような、鋭く冷たい悪魔の声が奈落の底から這い上がるように響く。



「あ……」



 私は、指差した。放たれたままの資料室のドアの向こうに、蒼白を通り越して紙のように真っ白な顔をしたバルズ様がいる。



 アレゼル様はそれを見定めると、自分の背中の後ろに私を隠した。そして殺気を纏ったまま、ゆっくりと近づいていく。



「お前、確かラエルの元婚約者だな」

「え、いや、違います殿下! これは……!」

「どういう理由があってラエルに危害を加えようとしたのか、説明してもらおうか」



 表面的にはアレゼル様は至って冷静で、落ち着き払っている。まさに泰然自若とはこのことをいうのだろう。


 でもその悠然とした王族仕様の笑顔の裏で、烈火のごとき憎悪が燃え上がっている。すべてを焼き尽くさんと牙を剥いている。



 有無を言わさぬ威圧感に気圧され、バルズ様は取り繕うように早口で言い募る。



「き、危害を加えるだなんてそんな! 俺はただ、ラエルと話したかっただけで――」

「話をするためだけに無理やりこんなところに引きずり込んだというのか? もっと穏便なやり方があるだろう?」

「いや、だって、ラエルのそばにはいつも殿下がいらっしゃるので声をかけようにも」

「婚約者のそばにいて何が悪い? お前はそうではなかったようだが」



 焦ったバルズ様が墓穴を掘った。わりと盛大な墓穴である。


 しかもよくよく考えれば、「殿下がいるから声をかけられない」ということは「殿下に聞かれるとまずい話をしようとしていた」ことを自分で暴露するようなものだろう。その危うさに、当の本人はまったく気づいていない。



 案の定、アレゼル様はその死角を容赦なく突いた。王族仕様とは程遠い残忍な笑みさえ浮かべて。もはや殺意を隠す気もないらしく、「このクソ野郎」とつぶやく声が確実に聞こえた(多分私にだけ)。



「話があるなら、今ここで私が代わりに聞いてやろう。ラエルに何が言いたかったんだ?」

「え? いえあの……」

「いいから遠慮なく言ってみろ。それとも、俺には言えないような話なのか?」



 王太子の粛然とした物言いに、一介の伯爵令息が抗えるわけもなく。


 バルズ様は震える声で、ぼそぼそと話し出す。



「ラ、ラエルは殿下の婚約者に相応しくないと……。そんな地味な見た目で、大して可愛くもないくせに王太子妃なんて務まるわけがないと……」

「ほう」

「分不相応なのだから、婚約の解消を申し出るなり辞退するなりした方がいいと忠告を……」

「なるほど」

「で、殿下だって本当はそうお思いでしょう? ぱっとしない地味な見た目のラエルより、もっと外見の整った美しい令嬢の方が殿下にはお似合いです。こんなのが王太子妃では、殿下の株だって下がりかねません。それだけでなく、世界中の笑いものになりかねないかと……!」

「……笑いものか」



 ()()()()



 この人、今私のこと「こんなの」って言ったわよね。失礼な。



 どこまでも不躾なバルズ様の言葉を、アレゼル様が忌々しげに繰り返す。怒っている。これは猛烈に怒っている。背中越しでも、その怒りが手に取るようにわかる。


 逆に、自分の言葉がアレゼル様を煽り続けているとなぜあの馬鹿は気づかないのだろう。




 続々と登校してきた学園生たちが何事かと集まってきて、辺りにはちょっとした人だかりができ始める。ざっとまわりを見渡すと、エリカとハラルド様が人垣をかき分けて近づいてきていた。



「なるほど。お前にはラエルが地味でぱっとしない、大して可愛くもない令嬢に見えるのだな」

「はい! もちろん――」

「そうか。残念ながら、私はそれに同意できないのだが」

「え?」

「私には、ラエルはいつも光を纏ってまぶしく見える。まるで星の女神エレンのようにな。地味だとかぱっとしないだとか思ったことはないし、ラエルほど可愛らしい令嬢を私は知らないのだが」

「え」

「お前が重視する外見など、着飾って化粧をすればいくらでも取り繕うことができる。しかし王太子妃、ひいては王妃となる者に必要なのは、そんなものではない。お前は12年以上も婚約していて、ラエルの何を見ていたんだ?」



 アレゼル様の冷ややかな声が響き渡る。辺りが静寂と共に制圧されていく。うんうんと頷く者、感動したように立ち尽くす者、バルズ様と同じようなことを思っていたらしく気まずそうに目を逸らす者。みんながみんな、王太子の厳然たる佇まいに身動きできずにいる。



「そもそもだな」



 アレゼル様は振り返って、私の顔を真顔で見つめた。王太子然としたその表情からは、どんな感情が頭をかすめているのかわかるはずもない。


 それから、取り付く島もないほど平坦な声で言った。



「ラエルはすでに、お前の婚約者ではない。それなのにお前は何故ラエルの名を呼び捨てにしている?」

「え……」

「ラエルは王太子である私の婚約者だ。王太子の婚約者を呼び捨てにするなど、不敬だとは思わないか?」



 それは疑問形であって疑問形ではない。金縛りにあったように微動だにできないバルズ様を置き去りにして、アレゼル様はすぐ脇に到着したハラルド様とエリカに目を向けた。



「遅くなってすみません、殿下」

「いや。話は終わった。この者はラエルに危害を加えようとしたうえ、王太子妃に相応しくないなどと主張する不届き者だ。不敬極まりない。それ相応の対処をするように」

「承知しました」

「え、ちょっと、何すんだよ……!」



 アレゼル様が命じると、どこからともなく現れる王国騎士団近衛隊の人たち(本当に、どこにいたんだろう?)。


 そのまま、ハラルド様の指揮であれよあれよという間にバルズ様を拘束する。バルズ様は「殿下! ちょっと待ってください!」とか「俺は騙されたんだ!」とか「ラエル! 助けてくれ!」とか死に物狂いで叫び続けていたけど、抵抗虚しくどこかへ連れて行かれてしまった(アレゼル様がまた小声で「呼び捨てにするなっつっただろ、このクソ野郎が」とつぶやいていた)。




「ラエル、大丈夫?」



 近づいてきたエリカが、見たこともないほど硬い表情をしている。



「私はなんとも」

「何言ってるの? 震えてるじゃない」



 エリカが私の手を握る。言われて初めて、小刻みに震えている自分の体に気づく。



「あ……」

「怖かったでしょう? 無事でよかった……」



 私の手を握りながら、目を潤ませるエリカ。何か言わなければと思うのに、急に頭の中が真っ白になってうまい言葉が出てこない。



 そのとき不意に伸びてきた別の手が、エリカから私の手を奪った。



「ラエル。今日はもう帰るぞ」

「え?」



 問答無用とばかりに、アレゼル様の無機質な声が降ってくる。私の手を握ったまま、ぱらぱらと散り始めた人混みの中を外に向かって歩き始める。




 そのまま王家の馬車に乗せられ、連れて行かれたのは。







完全脱力して下に落ちると、相手は想像以上に重く感じるそうです。寝ている人を持ち上げるのは重くて大変ですもんね。

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