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1  婚約解消

見つけていただきありがとうございます!

「というわけで、君との婚約は解消させてもらうよ」



 目の前のソファに尊大な態度で座る婚約者は、そう言ってわざとらしく足を組み直した。


 突然の出来事に二の句が継げない私を見かねてか、隣に座るお父様が慌てたように口を開く。



「しかしバルズ殿。このことはお父上であるカルソーン伯爵はご存じなのかね?」

「父にはまだ話しておりません。ですが、俺の言うことに反対はしないでしょう。何せ、跡継ぎが生まれるのですからね。むしろ喜ばしいことだと歓迎すると思いますよ」



 得意げな顔で答えてから、完全に人を小馬鹿にしたような目をして私を一瞥する婚約者。


 その言葉にお父様はどんどん表情を強張らせ、眉根を寄せてしばらく考え込んでしまう。



「ラエルとの婚約は、祖父同士が旧知の仲というだけで結ばれたものです。しかもお互い、まだ幼少の頃のことだ。本人同士の意志がまったく介在しない婚約など荒唐無稽だとは思いませんか?」

「しかし……」

「確かに、うちとそちらとは災害時の資金援助や事業提携なんかでの結びつきもありますけどね。まあ、その辺のことは後ほど父とじっくり話し合ってください。とにかく俺としては、ラエルとの婚約を少しでも早く解消させてもらいたいんですよ」



 婚約者は自分勝手な言い分を次々と並べ立てる。そしてこれ以上の話し合いは無意味とばかりに、傲慢な笑みを浮かべることも忘れない。



 私は視線を下に向け、こっそりと小さなため息をついた。



「わかりました」

「ラエル……」

「バルズ様のお話しされる通りかもしれません。何より、ドロシー様がバルズ様のお子を身ごもったのであれば、私がとやかく口を出すことなどできませんし」

「わかってるじゃないか」

「いいのか? ラエル」

「はい。婚約解消の手続きを進めてもらって構いません」



 私が言い終わるより早く、バルズ様は待ちきれないとばかりに立ち上がった。すぐさま浮かれた様子で帰る準備をし始める。



「じゃあ、あとのことはよろしくお願いします。俺はドロシーのところに行かなきゃならないんで」



 おざなりにお父様に一礼して、そそくさと退出していく。




 その背中を見送って、ぱたりとドアが閉まると私は遠慮なく二度目のため息をついた。これ以上ないというほど、盛大に。気持ちとしては大量の塩でも撒き散らかしたい気分である。



「ラエル。本当によかったのか?」



 気遣わしげな目で私の顔を覗き込むお父様に、私は一気に緊張が緩んでやれやれといった表情をしてみせた。



「まあ、いいんじゃない?」

「しかしだな、婚約を解消したとなったら、お前は疵物だなんだと要らぬ誹りを受けるやもしれないんだぞ」

「それはまあ、そうかもしれないけど」



 言いながら、私はテーブルに置かれたままのティーカップに手を伸ばす。紅茶はまだ、冷め切っていない。






 バルズ様の言う通り、私たちの婚約は祖父同士の親交が深かったことに由来する。どういう経緯があったのかは知らないけど、祖父同士が半ば強引に婚約を決めてしまったのは私が三歳、バルズ様が五歳のとき。



 婚約が決まってまもなく、我がプレスタ伯爵家の領地は不運にも大規模な水害に見舞われた。でも被災してすぐに、バルズ様の実家であるカルソーン伯爵家から莫大な資金援助の申し出があった。おかげでプレスタ伯爵領はなんとか復興を果たしたけれど、それ以降カルソーン家には頭が上がらない。


 その後も婚約という結びつきを足掛かりに新たな事業提携を展開するなど、両家は比較的良好な関係を築いてきたものの。



 一方で、肝心の私たちの関係は最初からだいぶ冷め切っていた。



 物心ついたときにはすでに婚約者だったバルズ様だけど、私の記憶では初対面のその瞬間から彼の態度は常に不遜で、横柄で、高飛車だった。


 バルズ様にとって、私の地味な見た目はどうにも不満だったらしい。確かにくすんだ薄い茶色の髪にぱっとしない濃い茶色の目はありふれていて、「平民の色味」と揶揄されることも多かった。



 バルズ様は貴族に多い美しい金髪に明るいエメラルドの目をした美丈夫で、学園に入学してからはいろんな令嬢に声をかけられると聞いてもないのに自慢していた。お茶会やパーティーに行けば、美しく着飾った令嬢たちに無駄に取り囲まれているのをよく見かけた。


 公の場だろうが学園内だろうが、バルズ様が私に対して婚約者としての敬意を払った接し方をしてくれたことなど一度もない。私はいつでもどこでもぞんざいな扱いをされていた。



 そんなバルズ様のお気に入りは、一つ年上の幼馴染でもあるドロシー・クレイトン子爵令嬢。



 お互いの領地が隣同士で幼い頃から仲が良く、おまけにドロシー様は豊かなストロベリーブロンドの髪に鮮やかなシトリンの目をした美少女。バルズ様より一つ年上だというのに(つまり私より三歳ほど年上)、あどけない見た目と仕草は庇護欲をかき立てるらしい。しかも噂によると、胸の辺りが非常に発達してらっしゃるらしい(うらやましい)。



 だから、バルズ様は私と会っていても絶えずドロシー様を引き合いに出し、私たちを比較し、ドロシー様を褒めちぎった。ドロシー様を理由に約束をすっぽかされることなんて日常茶飯事。パーティーのエスコートをドタキャンされたことなんて何度もあるし、婚約者としての定期的なお茶会を「ドロシーに会うことになった」と一蹴されたことも数えきれない。




 でも、私が蔑ろにされ続けていることを家族は長いこと知らなかった。というか、知られないように私自身が細心の注意を払ってきたのだ。



 被災したプレスタ領への資金援助やその後の業務提携を考えると、バルズ様の傍若無人ぶりを非難したところでこちらの立場が悪くなるのは目に見えていた。恩知らずと罵られるだけならまだしも、業務提携を解消されてやっと上向いてきた我が家と我が領の経済状況が再び悪化することになりかねない。そう思って、この理不尽で不条理な日々を耐え続けてきた。



 ところが今年、弟のアロドが学園に入学したことで、バルズ様の所業は少しずつ家族にも知られることになる。バルズ様は学園の最終学年、私は三年生だけど、学園で私たちが一緒に過ごすことなどまったくないし、それどころかバルズ様は私への不満や悪口を言いふらしているくらいだから。




 弟から学園での話を聞いて心配した家族の中で、この婚約は考え直した方がいいのではという話が出るようになった矢先。



 バルズ様が突然我が家に押しかけてきたと思ったら、婚約解消の話を切り出したのだ。



 おまけに、バルズ様は婚約解消の理由として「ドロシーが妊娠したから」なんて恥ずかしげもなく堂々と言い放った。



 婚約者がいる身でありながら、他の令嬢と関係を持つなんて考えられない。はっきり言ってあり得ない。その不誠実さを批判され、誹謗中傷の的になってもおかしくない醜聞だというのに、当の本人は長年想い合っていたドロシー様と結ばれたことで有頂天になっている。


 しかも子どもまで授かったもんだから、これ幸いと勝ち誇った気持ちでいるに違いない。ほんと、品性の欠片もない。



 ただ、このままだと自分の有責として婚約破棄されたうえ、慰謝料だ違約金だとあれこれ請求される可能性がある。だから先手を打って、穏便な「解消」を申し出たんだろう。残念ながら、そういう悪知恵が働く小賢しい男ではある。





「ラエル」



 侍女に淹れ直してもらった紅茶を口元に運びながら、お父様がためらいがちに私の顔色を窺っている。



「大丈夫か?」

「何がですか?」

「お前がずっと我慢してきたことは知っているが、さすがにバルズ殿の仕打ちはひどすぎる。浮気相手を妊娠させるなど……」

「逆によかったくらいですよ。これでやっと、あの厚顔無恥男から解放されますし」

「それならむしろ、婚約破棄にした方がお前の名誉を守ることができたのではないか?」

「そうかもしれませんけど、『解消』にした方がカルソーン家との話し合いを有利に進められると思ったんです。婚約破棄になっても当然なくらいゲスい話ですもの。そうしない代わりに、援助された資金の返済や今後の業務提携についてはこちらに都合のいい条件が提示できるでしょ?」

「ゲスい話って……」



 お父様はちょっと眉尻を下げて、ぎこちなく笑う。



「すまないな。長い間つらい思いをさせてきたのに、それにも気づいてやれず」

「いいんですよ、それは。でも死ぬまで続くと思っていたあの理不尽な状況がいきなり終わるなんて、ちょっと信じられなくて」

「もうお前につらい思いなどさせないからな。カルソーン家との話し合いに関しても、お前の新しい婚約に関しても、何も心配しなくていい」






 それから数日後。

 


 お父様が宣言してくれた通り、カルソーン家との話し合いは大きな問題が生じることもなく、すんなりと終わったらしい。カルソーン伯爵は息子の非礼を詫びてくれたようだけど、12年以上に渡る婚約はあっさり解消に至った。


 もともと、援助された資金返済の目途は立っていたとお父様も話していたし、今後の業務提携に関しても段階的に終了していくことになったそうだ。



「本当は、ラエルに嫌な思いをさせたカルソーン家とは一刻も早く縁を切りたいんだが、そうもいかなくてな」



 なんて、お父様は申し訳なさそうな顔をしていたけど。



 ちなみに私たちの婚約が解消されてすぐ、バルズ様とドロシー様の婚約が改めて決まったらしい。



 それを聞いたところで、何かを感じることもなく。あえて言葉にするなら、「あ、そうなの?」という感じ? まったく興味がないし、勝手にしてくれ、と思う。




 でも、夏休み明けの学園では私たちのことがどんなふうに噂されるんだろうと思うと、ちょっと憂鬱ではあった。



 以前からバルズ様は私のことを悪しざまに言って憚らなかったし、今回のことも自分の浮気を正当化すべく、声高に私のことをこき下ろすんだろうな、とか。あー、なんかやだやだ。




 そんな限りなく後ろ向きな気持ちを抱えて登校した夏休み明けのその日、まさかあんなことが起こるなんて思いもしなかったのだ。






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