冤罪で悪女にされた令嬢は、真の悪役になって復讐の幕を開ける
暴力表現・流血表現があるので、苦手な方はブラウザバック推奨。
ドォォォン!と派手な音と瓦礫を撒き散らし、突如王城に現れた竜の巨体に、着飾った貴族たちは恐慌の渦に包まれた。
ある者は悲鳴を上げ、ある者は呆然とし、ある者は気を失い、そして我先にと出口へ殺到する高貴なる方々は、紳士も淑女もなく、ただ自分の保身のみを優先するただの人間だ。
少しでも先に逃げようと、前にいた令嬢を突飛ばし、或いは人混みを掻き分け「さっさと退けろ!」と唾と激昂を飛ばしているのは、この国の第二王子だ。
でもおあいにく様。
扉は開いても、まるで透明な壁があるかのように誰も外に出ることは叶わない。
混乱し、見えない何かを叩く者。
苛立ちも露に「どうなっているんだ!誰か早くなんとかしろ!」と周囲を責め立てる者(第二王子)。
どうしたら良いか解らず右往左往する者。
そんな愚かな人々を見下ろしながら、わたくしは竜の頭の上から挨拶を述べる。
「皆様ごきげんよう。人を生け贄に差し出しておきながら、舞踏会を開くなんて随分優雅なことですわね」
「な…!?ヴァネッサ!?まだ生きていたのか!?」
真っ先に逃げ出したこの国の第二王子ウィルフレッドが、驚愕の表情でこちらを見上げた。
「まあ、ご挨拶ですこと。貴方方が魔王に差し出した哀れな生け贄が生きて帰還したのですから、もう少し喜んで下さってもいいのではなくて?」
竜の頭上からぐるりと周囲を見回すと、わたくしを見上げていた面々は、目を逸らすか顔を俯けてわたくしの視線を避けた。
まあ避けられてませんけれど。
目が合わずとも、わたくしはしっかりその様子を見ているのだから。
勘の良い、或いはある程度頭の回転が早い者は、わたくしがここに来た意味を察しているのだろう。
わたくしは、この国の公爵令嬢だった。過去形である。
なぜなら、わたくしの家門は王家に断絶させられたから。
わたくしは、かつて第一王子ウォルト殿下の婚約者だった。
それも過去形なのは、彼がすでに故人だからだ。
亡くなられたのは半月程前。
彼は、わたくしの目の前で毒殺された。
王宮の庭の一画で、お茶会の最中の出来事だった。
その場に居合わせたのは、わたくしと第二王子ウィルフレッド、その婚約者のキャスリーン、第二王子の産みの母親である王妃ミランダの四人だった。
王妃が主催する個人的なお茶会に、わたくしとウォルト殿下が招かれた形で、嫌な予感はしていた。
けれど、まさかこんなあからさまなことを仕向けてくるとは思っていなかった。
第一王子と第二王子は母親が違う。
ウォルト殿下の母親は、わたくしの叔母にあたる女性で、ウォルト殿下をお産みになった時の産褥期に体調が戻らず、出産から数ヶ月後に儚くなった。
そしてその喪が開けると同時に、新たに王妃に迎え入れられたのが、第二王子ウィルフレッドの母親であるミランダである。
自己顕示欲の強い女性で、自分の生んだ王子こそが次期国王だと言って憚らず、王家は長く王太子を決められずにいた。
通常であれば、公爵令嬢であった母を持ち、長子であるウォルト殿下が王位を継ぐのが正統であるのだが、気の強い現行の妻に国王は押し負けて、後嗣についての明言はせず、先送りにされていた。
けれどウォルト殿下も年頃になり、婚約者がいない状態でいるわけにもいかず、打診されたのがわたくしだった。
従兄であり、幼い頃から交流のあったウォルト殿下と生涯を共にすることに、わたくしに否やはなかった。
わたくしたちの間に恋愛感情はなくとも、家族に近い親愛があり、誠実な彼となら信頼し合える夫婦になれると信じられたから、政略結婚とは言え幸せな気持ちで婚約を受け入れた。
なのに、待っていたのは残酷な結末だった。
公爵令嬢であるわたくしとの婚約により、王位継承の順当性を強くしたウォルト殿下に、王妃は焦ったのだろう。
ウォルト殿下と婚約し、二ヶ月ほど経ったある日のこと。
王妃に招かれたお茶会の席で、ウォルト殿下は紅茶を飲んで血を吐き、事切れた。医者を呼ぶ間もなかった。
わたくしはただ目の前のことが信じらず、混乱し、狼狽えることしか出来なかった。
ウォルト殿下を抱き締め、誰が、どうして、と無為な考えばかりが頭を回り、罠に嵌まったのだと気づいた時には遅かった。
「ヴァネッサ!貴様が兄上に毒を盛ったのか!」
「なっ…」
「わたくし見ましたわ!ヴァネッサ様がウォルト殿下の紅茶に何かを垂らしたのを」
「ええ、わたくしも見たわ。なんてことなの!第一王子を毒殺するなんて!」
下げられていた侍女や護衛騎士たちが騒ぎを聞いて駆けつけ、王妃らの主張に疑惑の目をわたくしに向けた。
「ちが、違います!わたくしではありません…!」
混乱に頭が働かないまま、それでもなんとか無実を訴えたが、王妃は声高に命じた。
「衛兵!この者を捕らえなさい!王子毒殺の現行犯です!」
そうしてわたしくが座っていた席から、毒薬の入った小瓶が見つかったと、牢屋で聞かされた。
それからあっという間の出来事だった。
第一王子を殺したという罪で、わたくしの一族は連座で処刑された。
公爵家当主であったわたくしの父が、まず真っ先に斬首されたのは、異議を唱え、この暗殺劇をひっくり返されることを恐れた王妃とウィルフレッド王子の専行だった。
国王は隣国の慶事に招かれ、国を空けていた。
留守を任されていたのは、王妃と宰相。
宰相は、キャスリーンの父親だ。
杜撰ではあるものの、計画的な犯行だったのだろう。
ごり押しでも通してしまえば、自分たちが優位に立てると浅はかにも考え実行した。
そんな暴挙が罷り通るわけがないと、わたくしは当初は考えていた。
けれど。
父が殺され、幼い弟も、公爵家に連なる者は悉く有りもしない罪で投獄され殺された。
わたくしたちを庇えば、王妃や第二王子に目をつけられる。それを恐れた貴族たちは、口をつぐみ、蛮行を黙認した。
国王が国に帰還した頃には、もうわたくししか残ってはいなかった。
なぜ、わたくしが生かされていたのか。
むしろ直接手を下した犯人(冤罪だけれど)として、一番先に断罪されるべき立場であるのは、わたくしだったはず。
理由は、王妃がわざわざ牢屋にやってきて教えてくれた。
ここまでくれば、最早国王といえど沈静化は不可能。
わたくしを第一王子弑逆の罪で断罪するしかない。それを、国王自ら言い渡す。
先代王妃に良く似たわたくしが、夫である国王の口から罪を下される様を見たかったのだと、醜悪に嗤いながら王妃は言った。
そうして唯一の世継ぎとなった我が子ウィルフレッドが王太子に立ち、自分は国母となるのだと。
下らない嫉妬から、わざわざお膳立てをしたのだ。
馬鹿らしい。
そんな、そんなことの為にわたくしは死ぬ。
王妃もウィルフレッド王子も、王族の責務など考えず、ただ権力を都合の良いように振り回すだけ。
玉座だって、たんに至高の座という煌びやかさに目が眩み、それに伴う責任も義務も背負う覚悟もないくせに…。
一番になりたいという虚栄心だけで望んだだけのくせに…!
憎しみで心が塗り潰された。
どんな手を使ってでも、この者たちを殺してやる。ウォルト殿下の、父の、弟の、一族の仇を取るのだと心に誓った。
全てを失い無気力のまま、ただ死罪を賜るのを待っていたわたくしの心を奮い立たせたのは、皮肉にも王妃だった。
どうにかして、牢屋から逃げて復讐の時を窺う。
国王に死刑宣告をされるのであれば、恐らくは謁見の間まで連れ出されるはず。
その移動時に、なんとかして逃げ出さなければ。
隙などないのはわかっている。けれど、なければなんとしてでも作るのだ。
そう意気込んでいたわたくしは、謁見の間に行くことはなかった。
――――なぜなら国王は、第一王子暗殺の事件に優るとも劣らない事案を抱えて帰還したからだ。
国王一行が隣国から帰国し、間もなく王都に着く。
そんな時に魔物の大群に取り囲まれ、護衛の大半を喰われ、国王自身も死を覚悟したと言う。
魔物は狂暴さと強靭さを持っているものの、知性はなく統制された動きは出来ないはずだった。
けれど、国王一行を襲った魔物たちはまるで軍隊のような動きを見せ、血の海と化した大地に悠々と舞い降りた竜を迎え入れた。
その竜は漆黒の鱗を持ち、自ら魔王を名乗った。
そして国王に「この国を守りたければ、この国で最も価値ある人間を我に捧げよ」と告げたのだった。
這う這うの体で王宮に逃げ帰った王は、直ぐ様議会を召集し、わたくしを魔王に差し出すことを満場一致で議決したそうだ。
罪人であるわたくしが、国の為に尽くして栄誉ある死を遂げられる機会を設けたと、偉そうに宰相が口上を述べていた。
「エストラータの宝石と社交界で謳われた貴女に相応しい結末ですな。実に華々しい」
よくもいけしゃあしゃあと。その口をもいでやりたい。
わたくしが『価値ある人間』であることを示すため、豪奢なドレスが用意され、体の隅から隅まで磨き上げられ、化粧を施し、公爵令嬢であった頃と違わぬ姿に仕上げられた。
牢屋に入れられていたのは半月程。体重は落ち、窶れてはいたけれど、胸を張り堂々と廊下を歩いた。
侍女や騎士たちと擦れ違ったが、誰も目礼一つせず、貴人に対する礼は見られなかった。
憐れみ、蔑み、嘲笑。そんな視線がまとわりつく。
わたくしが冤罪をかけられた上で、生け贄に選ばれたことを知っているだろうに。
わたくしの境遇に、義憤を感じている人もゼロではないと思っていたけれど、少なくとも今目に入る範囲には、そんな真っ当な人はいないようだった。
わたくしが逃げ出さないように、護送兵に周りを固められ、そのまま馬車へと乗り込んだ。
向かうは王都の外。国王が魔物に襲われた場所に連れていかれて。
そして、わたくしはそこで―――
「貴様!一体どういうつもりだ!」
つい過去を回想していたわたくしを、ウィルフレッド王子の声が現実に引き戻した。
「どういうつもりも何も、まさか社交をしに来たとでも思ってますの?こうして舞い戻ってきたことに心当たりはないと?だとしたら、とんだ愚鈍ですわね」
「なんだと!」
扇は持っていないので、あからさまに嘲笑を見せる形になったが、はしたないと眉をひそめられたところで最早どうでもいいことだ。
「安寧が約束されたと勘違いしているお馬鹿さんたちを、断罪しに来たに決まっているでしょう?」
「そんなことが許されると思っているのか!衛兵!何をしている!さっさとこいつを引き摺り降ろせ!」
いや無理でしょう。
わたくしがいるのは竜の頭の上だ。
王子がいきり立ち、糾弾する姿に思わず笑いが込み上げてきて、わたくしは我慢せず「ふふっ」と笑みを溢した。
「貴様!何を笑っている!」
「だっておかしなことをおっしゃるのだもの。貴方方の許しになんの意味が?そもそも正しい行いをしてきたわたくし達を、でっち上げで断罪したのはそちらでしょう?善行も悪行も、許しも罪も、決めるのは勝者。つまり今はわたくしなのよ」
ウィルフレッド王子は勇敢なわけではなく、単に自分たちの置かれた状況をわかっていないだけだろう。
ああ、大きすぎて竜の姿が目に入らないのかしらね?
それともわたくしが乗っているから、この竜は大人しく人の言うことをきく生き物だとでも勘違いしているのか。
まあ、どちらでもいい。
「それでは粛清を始めましょう」
わたくしは、この時を待っていた。
わたくしの大切な人たちは、復讐に燃える今のわたくしを見たら悲しむかしら。
でもわたくしを抑止する存在は、もういない。
お父様たちは、もう今のわたくしを見ることは叶わない。
こいつらに殺されたのだから。
「国王ウィルソン、王妃ミランダ、第二王子ウィルフレッド、宰相ローガン、その娘キャスリーン、前にお出なさい」
第二王子が扉の前にいるのはわかっているけれど、他の面子はどこかしらと辺りに視線を向ける。
王と王妃は王族席で震え、宰相もその傍らに見つけた。
キャスリーンは……どこかの令嬢の背に隠れようとしてるわね。
こそこそした動きが、かえって周りの目を引き、目立っていることに本人だけが気がついていない。
わたくしの呼び掛けに、彼らが素直に応じないのは予想通りだ。
「今言った者たちを、わたくしの前に跪かせた者は竜の餌食にするのは免除します。この場からの退場を許しましょう」
そう宣言すると、目の色を変えてそれぞれに殺到する貴族たち。
国王や王妃、王子の悲鳴がホールに響いた。
キャスリーンに至っては、悲鳴と言うよりも金切り声だ。とても妃教育を受けた人間とは思えない。
その父親も、引き摺る部下や知り合いに罵声を浴びさせているが、所詮多勢に無勢。
抵抗虚しくわたくし(竜)の前に押さえ込まれて、無理やり額を床に擦り付けられている。
「ふふっ、無様ですこと」
「ま、待て!待つのだ!ヴァネッサ嬢!話し合おう!」
「まあ、陛下。陛下までおかしなことをおっしゃいますのね?貴方はわたくしの話に耳を傾けるつもりがおありですの?なら、なぜわたくしが牢にいる間に話し合いの場がもたれなかったのでしょう?」
わたくしが国王に向かって小首を傾げてみせると、国王は「そ、それは……」と視線をさ迷わせ、弁明すら出てこない様子だった。
これで一国の主だと言うのだから笑わせる。
「ああ、そうそう。貴方方ご苦労様。下がってよくてよ」
国王たちを跪かせた者たちを、わたくしは約束通り退場させることにした。
わたくしが腕を振ると同時に、国王たちを押さえつけていた者たちは忽然と姿を消した。
周囲から驚愕の声が上がる。
今のわたくしには、魔王の魔力が仮初めで与えられている。
彼らは今頃、人里離れたどこかにいることだろう。
そう条件付けして飛ばしたから。
それが山中なのか、荒野なのか、それとも砂漠か。わたくしには預かり知らぬ話だ。
もしかしたら海中か、遥か上空かもしれない。
そう考えると、大地の上に転移出来た者たちは、まだ幸運だろう。全員バラバラな所にと念じたので、誰がどこに行ったかすら謎だけれど。
わたくしは、竜の餌食になるのを免れるとは言ったが、命を助けるとは一言も言っていない。
供もなく、野宿の経験のない貴族が、何日も野山で生き延びられるとは思えないから、すぐのたれ死ぬだろう。
貴族なら、わたくしの言葉の裏もきちんと読んで行動するべきでしょうに。
いくら愚かな主君でも、我が身かわいさに売る臣下は要らないもの。
「さあ、改めて始めましょう」
わたくしが手を振ると、今度は国王たちの足元に剣が現れた。
特に装飾もなく、女性でも振るえるような小ぶりのものだ。形としてはナイフに近い。
「その剣で、それぞれ刺し合いなさい」
「は!?」
「なんだと!?」
わたくしの指示に、彼らは顔色を変え怯えを滲ませた。
王妃とキャスリーンは卒倒しそうな様子で、声もなく震えている。
「安心なさい。それは刺しても怪我はしなくてよ。ただし、相手に悪意や敵意を抱いていれば、感情の大きさに見合った痛みを感じる仕組みになっておりますの。逆に好意や愛情があれば傷を癒してくれますわ。特に悪意も好意もなければ無痛で何も起こりません」
わたくしは丁寧に説明してあげた。
人によっては、それは単なるおもちゃ以下の代物だ。
けれど、人によってはこの世のものとは思えない苦痛を与える武器になる。
「そして最終的にここにいる人間全てが、そこの五人を刺したら解放して差し上げますわ」
そう告げると、彼らは絶望をその顔に浮かべた。
あらあら。自分たちが敬愛されていない自覚がおありだったのね。
臣下として忠誠を誓い、誠実な貴族でも。いや、誠実だからこそ、王家に不満や嫌悪を抱いている人間も多いだろう。
今回の魔王騒動だって、戦わず生け贄を差し出すことを主張したのは国王だと聞いた。不甲斐ない対応に、失望した貴族もいるはずだ。
悪意や敵意だけでなく、そう言った負の感情も、痛みの刃となって彼らを襲うのだ。
今回の件がなくても、貴族の中には上層部に怨み辛みを募らせている者もいるだろう。格好の報復の場だと喜んでいる者もいそうだ。
王族も宰相も、他人から妬まれ恨みを買う身分でもある。
ましてや高慢で権力をかさに着る人間を、敬い慕う者がどれだけいるだろう?
表面上は敬意を払った態度でも、内心は面白く感じていない者が多いのではないだろうか。
特に今の国王も、王妃も王子もろくでもない。
宰相も、その娘も同様だ。
ウィルフレッド王子は、その容姿の良さと身分故に令嬢からの人気は高かったが、所詮鍍金だ。
人に冤罪をかける卑劣さと、真っ先にこの場から逃げ出そうとした情けない姿に、令嬢たちも幻滅しただろう。
そんな彼らに癒しを与えてくれる人物は、一体何人いるだろうか?
単なる怪我では生ぬるい。
うっかり死なれては、彼らが殺した人数分の恨みに足りない。
生かさず殺さず。延々と続く痛みに、死ぬことも出来ずに苛まれるといい。
「さあ、始めなさい」
促すも、誰も剣にすら触れようとはしない。これももちろん想定内だ。
「愚かなだけでなく鈍いですわね。木偶の棒のように突っ立っていれば、わたくしが根負けして許すとでも?今の事態を引き起こしたのは貴方方でしてよ。わたくしにウォルト殿下暗殺の冤罪をかけ、父も弟も、一族郎党皆殺しにした貴方方がいなければ、わたくしは復讐などそもそもしなかったのを理解してまして?」
「私は関わっておらぬ!」
陛下が食い気味に否定したが、わたくし鼻で笑ってみせた。
「まあ陛下。わたくしを魔王様の下へと遣わされたのはどなた?わたくしは陛下が提案されたと聞きましたが違いますの?」
「わ、私はっ皆の意見をまとめただけであって、なあ宰相、そうであろう?」
陛下は助けを求めるように宰相を見たが、宰相は口元を引き結び目を合わせようともしていない。
無論、そんな言い訳でわたくしが納得するわけもない。
「この復讐劇は、全て貴方方が招いたこと。その責を負うがいいわ」
冷たく言い放ち、ついと指先で魔力を操作する。
するとわたくしの意のままに、剣は彼らの目の高さまで浮き上がった。
「一番に刺した者は、命を取らずにいてあげてよ?」
わたくしのその言葉に、目の色を変えたのは一人ではなかった。
王侯貴族と言えど、命は惜しいのだろう。
真っ先に動いたのは第二王子ウィルフレッドだった。
若く筋力もあったため、一番機敏に動けたのだろう。
ギラギラした眼で剣を掴むと、彼は一瞬だけ躊躇ったものの宰相を突き刺した。
「ぎゃああああっ」
「いやぁ!お父様!」
ホールに響き渡る悲鳴に、その場は騒然となった。
「まあ、第二王子殿下は義父になる相手を敬ってなかったなんて、存じ上げませんでしたわ。大変ねキャスリーン、殿下は宰相を軽蔑していたようよ?」
周りの喧騒に紛れ、わたくしの嘲笑は彼女には聞こえなかったかもしれない。
わたくしが先程説明した通り、宰相は刺されても血が流れることはなかった。
なので当然傷口もない。刺された瞬間痛みを感じたに過ぎない。
宰相は憤怒に燃えた眼でウィルフレッドを射抜くと、自分の前にあった剣を引っ付かみ、この国の王族へと躍りかかった。
「うわあっ、やめろ宰相!」
真っ先に刺した貴方が言えた義理ではないでしょうに。
宰相職は、当然文官だ。貴族の嗜みとして剣術は多少かじっているのだろうが所詮素人。
ただ闇雲に剣を振り回すのと変わらない動きだった。
でもウィルフレッドもそれは同じだ。
全てをかわし切れず、切っ先がウィルフレッドの肩を掠めた。
「ぐああっ!」
この剣は、別に深く刺そうが浅く刺そうが関係はない。痛みの度合いは、剣を握る人間の感情に左右される。
痛みを与えてきた相手に、どれだけ寛容になれるかは、その人間の辛抱強さに懸かっている。
ウィルフレッドたちに、そんな辛抱強さが備わっているわけがない。
「このっ…!無礼者め!」
ウィルフレッドは、もう一度宰相に向かって剣を振りかざす。
こちらは別に、複数回刺せとは一言も言っていないのだけれど。
最早頭に血が上り、怒りを晴らすことしか考えていないようだ。
「殿下!お止めください…!」
キャスリーンがウィルフレッドにすがり付く。
「うるさい!邪魔だ!」
そう言ってウィルフレッドは、剣で自分の婚約者を薙ぎ払う。
「ぎゃああっ」
邪魔された苛立ちが表れたのか、それとも政略の相手だったためか、剣は彼女にも痛みを与えたようだ。
キャスリーンは、信じられない者を見る目でウィルフレッドを見た。
その口元が戦慄いている。
「ひ、ひどいわ!殿下はわたくしを愛してるとおっしゃったのに!どうして」
「うるさい!貴様がでしゃばるからだ!もう一度刺されたいのか!」
「ひっ」
婚約者の剣幕に、ただの令嬢に過ぎないキャスリーンは震え上がった。
いくら怪我にはならないとはいえ、痛みに対する耐性などあるわけではない。
貴族男性と違って、剣術を嗜んできたわけでもない令嬢が剣を向けられれば、恐ろしく思うのはごく当たり前のこと。
そして剣を向ける覚悟もないことも。
だからと言って、免除するつもりはわたくしにはない。
わたくしはウィルフレッドと宰相の攻防から視線を外し、舞踏会の招待客に紛れ、或いは壁際からこちらへ忍び寄ろうとしている者たちへと語りかける。
「騎士として職務を全うしたい気持ちはわかりますけれど、こちらに危害を加えようとしたら、魔王様に頭からぱっくり頂いてもらうので、無駄な足掻きはやめた方が無難ですわよ?」
こちらの隙をついて、どうにか鎮圧しようと窺っていた騎士や衛兵に、わたくしが気づいていないとでも思ったのか。
わたくしがそう言うと、魔王がそのあぎとを開いて鋭い牙を見せつけた。……意外とノリがいいわね。
生け贄として差し出されたわたくしの話を聞いてくれて、復讐をしたいのだと、そのための猶予をくれと訴えたのはこちらだが、まさか魔王が承諾してくれるとは思っていなかった。
「面白そうだ」
そう言って、わたくしに魔力まで分け与えてくれた。
ただの暇潰しでも構わない。
最後にこの身が喰われても、復讐が果たせるのであれば悔いはない。
この後、我が国は荒れるだろう。
けれど、もう貴族ではないわたくしには関係のない話。
この国で自ら生け贄に名乗り出なかった者たちは、すでに等しくわたくしを犠牲にするのを良しとしたのだ。
上層部が決めたこと。そこに自分たちの意思や選択がなかったとを主張したいところだろうが、わたくしが知ったことではない。
わたくしを生け贄に差し出すことに反対しなかった時点で、平和を享受出来ると考えた時点で同罪だ。
そうわたくしが感じているのだから、それがわたくしにとっては全てである。
「貴方方も、いつまでも傍観者ではいられなくってよ?」
恐怖からか動こうとしない王妃や、こっそり逃げ出そうとしている国王。
泣きわめくだけのキャスリーン。
自分たちに火の粉が降り掛かるのを恐れて、息を潜めてなんの行動も起こさない貴族たち。
わたくしは言ってよ?
最終的にここにいる全員が、そこの五人を刺したら解放して差し上げますわ、と。
つまり見てるだけでは、ここから立ち去ることは許されない。
でも自ら動くには、決定打が足りないようだ。
なら、わたくしが後押しをしてあげよう。
いつまでも膠着状態を見ていても、仕方がないということもある。
わたくしが腕を振ると、真っ黒な霧が国王たちだけでなく、等しくこの場にいる貴族も兵士も包み込んだ。
そこここで悲鳴が上がる。
闇の霧自体は、別に人体に害を与えるものではないのだけれどね。
ただ全員の指先が黒く染まっただけである。
「時間が経つ程、その黒い痣は全身に広がってよ。その五人を刺せば侵食は止まるけれど、あくまで止まるだけ。つまり早く刺さないと醜い痣が広範囲に残るということよ」
それを聞いて、また悲鳴が至るところで上がる。
このホールを襲撃した時のように、パニックを起こす者、卒倒する者、わたくしに罵声を飛ばす者。阿鼻叫喚だ。
「さあ、あまり時間はなくってよ。わたくしに構ってる暇があるのなら、さっさと動いた方がいいのではなくて?剣は五本しかないのだから」
そう告げると、我先にと剣へと手を伸ばす貴族たち。
押し合いへし合い、中には剣を持った高位貴族の当主を殴ってもぎ取った者までいる。
罵詈雑言が飛び交い、国王たちだけを刺せばいいのに、別の者に振るっている者の姿もあった。
響き渡る絶叫は、国王や王妃たちだけのものではない。
剣を奪い合い、乱闘が起こる中、国王以下四人に群がり、拳や蹴りを食らわせている者もいる。
彼らは気づいているのかしら?
痣の範囲が小さい程、早い段階で仕える相手に剣を突き立てた証拠だということを。
わたくしがここにいる全員、もとより殺すつもりがないことを。
そこで痛みにのたうち回っている国王たちも、それぞれを刺さないと、全員がこの場から解放されないことを。
「ひいいっ、もう、やめ、やめてええっ」
綺麗に調えられていた髪は乱れ、ドレスも着崩れ、涙と涎で化粧を崩した王妃が懇願していたが、目に見えるタイムリミットを突きつけられた貴族たちは入れ替わり立ち替わり剣を突き刺した。
中には勿論躊躇っている人もいたが、それは単なる隙となって、剣を他の者に奪われ、焦って剣を奪い返し王族たちへと突き立てていた。
「あら?もしかして王妃サマ、お漏らしをされているのではありませんこと?侍女が着替えを持ってきてくれるといいですわね」
パニエで膨らませたドレスならわからなかったかもしれないが、マーメイドラインの体に添ったドレスな為、股関辺りの変色はすぐにわかった。
「いやぁぁっ見ないで、見ないでぇっ」
指摘すると、王妃は羞恥で顔を覆いすすり泣く。
キャスリーンも同じ状況かしらと目を移せば、彼女は痛みと恐怖で気を失っているようだった。
しかし剣で刺された痛みで意識を取り戻すということを繰り返している。
国王やウィルフレッド、そして宰相は、暴れたためか幾人もの男たちに押さえ付けられ、最早抵抗する気力もない様子なのに拘束が緩む気配はない。
剣を突き立てられ、叫ぶ声も弱々しくなってきている。
「あらあら、誰一人癒しを与えられた者はいないようですわね。愛情や尊敬があれば、相手を回復する優れものですのに。これだけの人数がいて、誰にも好意を向けられていない王家に存在意義などあるのかしら?」
最早わたくしの声も聞こえていないかもしれないが、構わず侮蔑の言葉を投げ掛ける。
「ヴァネッサ様!どうかもうお止めください!」
その時、少女の高い声が響いた。
顔見知りの令嬢だ。ミューラー伯爵の長女で、夜会やお茶会でも良く顔を合わせていたわたくしの取り巻きの一人だった。
「このようなことをしても、お優しいヴァネッサ様ご自身の良心を痛めるだけでございます!もう陛下方も十分罰を受けましたわ!どうかお慈悲を!」
「お優しいヴァネッサとやらは、この者どもにすでに殺されたのですわ。今のわたくしは、真の悪役と言ったところかしら?もう、貴族の義務も淑女の礼儀も、わたくしは気にするつもりはないの。それに良心云々を説くのなら、それはもっと早くに陛下たちに進言すべきことだったわね。良心に従っていれば、自分たちがこんな目に合うこともなかったでしょうに」
まるで物語の聖女のように、悪しき道に堕ちた魂を悔い改め、諭そうとする彼女だけれど。
剣で刺すよう命じたのは確かにわたくしだ。
でも苦痛を与えているのは、王家を敬う気のない貴族たちであって、敬われないのは国王たちの性根やこれまでの行いのせいだろう。
「無駄話に時間を費やすより、貴女も早く参戦した方がいいのではなくて?もう肘まで黒くなってきていてよ」
「わ、私は…そんな、王家の方々を刺すなんて出来ません…!自分のために他人を犠牲にして、傷つけるなど恐ろしいことを…」
自分が助かる為に、人を傷つけることなど出来ない?何を言ってるのかしら?
だってこの人たちは、すでに自身の保身のために他人を蹴落とした後だと言うのに。
「貴女を含め、ここにいる全員が、わたくしにとってはすでに加害者であることの自覚がないのかしら。せっかく人を生け贄にして助かった命ですもの。自分の命は粗末にしたくなかったのでしょう?だったら、そこの愚物を刺すことくらい出来るのではなくって?」
自分は汚れていないとでも思っているのかしら?いえ思っているから、そんな傲慢な台詞が言えるのね。
「そもそもそこにいるのは、貴方方が仕えている王家の方々と、この国を支えている宰相とその娘でしてよ?敬愛しているのなら、苦痛を与える心配なんてする必要もないでしょうに。むしろ癒してさしあげればいいわ。それとも貴女は苦痛を与える確信があるのかしら?だから刺すことが出来ないのね。優しく心清らかなイメージが壊れてしまいますもの」
そう言うと、彼女の淑女の仮面は一瞬で剥がれた。睨み付ける視線の強さは、か弱い令嬢とはかけ離れている。
わたくしにとっては、今さら小娘の睨みなど怖くもなんともない。
公爵令嬢であった頃は、同じ派閥の人間でも、機嫌を損ねず、かといってこちらが下出に出ずに上手く渡っていかないとならなかった。
でも今は違う。等しくわたくしの敵であり、みなにとってはわたくしは悪役なのだから、なんの遠慮がいるだろう。
「全身真っ黒になっても同じことが言えるのなら大したものね。でも貴女も刺さないと、この場にいる全員が解放されなくてよ?食事は一食ならそこにあるのを分け合えばいいかもしれないけれど、催したらどうするのかしら?そこの王妃のように、みなの前で垂れ流したいというのなら好きにするといいわ」
指摘すると彼女は青ざめた。そこまで思い至らなかったらしい。
悪に立ち向かうヒロインが、お漏らしをしては絵にならない。むしろ社会的に死ぬ。
わたくしの言で、怯えて震えていた令嬢たちも動く決意をしたようだ。
夜会で男性に群がるよりも激しく、剣を求めて殺到する。
甲高い悲鳴と罵り声、亡者のように手を伸ばす様は、まるで餌に群がる虫だ。
その中に、ミューラー伯爵家令嬢の姿が紛れているのを見て、笑いよりも呆れが勝った。
「随分変わり身の早いこと。いえ、むしろ指摘されるまで状況判断が出来なかったのだから、鈍いと言えるのかしら?」
独り言のように呟いて、ミューラー伯爵令嬢が王妃に剣を突き刺すのを眺めやる。
王妃は痛みに悶絶し、泡を吹いている。
「そういえば王妃サマ、牢屋にわざわざお越し下さっておっしゃってましたわね?叔母に似たわたくしが、陛下に断罪される様が見たかったのだと。ご覧にいれられなくてごめんあそばせ?」
苦痛に苛まれる王族たちを、そろそろ憐れに感じて同情する輩も出てくる頃かと、わたくしは追撃を与えることにした。
「ウィルフレッド王子は、先の戦争締結時にご高説を述べていらっしゃいましたわね。騎士も兵士も使えないと。なぜ勝利を我が国にもたらせない愚物に録を与えねばならぬのかと嘆いておりましたわね。今も国王も王子も守れぬ騎士たちに憤ってらっしゃるのかしら?」
反論を言おうにも、次々与えられる痛みに彼らは悲鳴以外を上げられない。
そもそも、もうわたくしの言葉を判別出来る状態でもないだろう。
これはあくまで、まだ手を掛けていない貴族や騎士、兵士たちへ聞かせるためのものだから、なんらわたくしは構わない。
「そうそう。陛下と宰相は、仲良く国費を横領してらっしゃいましたわね。この国のトップの方々は、余程困窮されているのでわね。妻や娘に浪費癖があると大変ですこと。そういえば、先日魔物に食い殺された護衛たちの葬儀や補償はもう済みましたの?まさか、それより先に舞踏会を開いたのではありませんわよね?」
この舞踏会は、夏の社交の始まりとして例年開かれているものだけれど、普通なら自粛するべきことだろう。
魔王の脅威は去ったと知らしめようとしたのかもしれないが、とんだ愚か者である。
魔王は、わたくしという生け贄を得てこの国を見逃してくれたわけではなく、単に落ち着いた場所でわたくしの話を聞いて下さる為に王都から一度離れたに過ぎない。
王都の前で待ち構えていた魔王は、わたくしを見て「お前がこの国で最も価値ある者か?」と問い掛けてきた。
だからわたくしは胸を張って、こう答えた。
「ある意味ではその通りですわ。わたくしにとって、この国で価値ある人間は、最早自分しかおりません」
「ほう?」
魔王は竜の姿でも、どこか面白がるように口角を上げたように見えた。
「わたくしの一族は、冤罪をかけられてみな王家に殺されました。公爵家の名も、公爵令嬢の身分もすでにありません。ですが貴方にとっては人間社会の貴族籍など、なんの価値もないのでしょう?」
「確かにその通りだ。しかし俺はこの国で一番価値のある人間をと指名したのだ」
「であれば、貴方が望んだのはこの国の国王その人と言うことですわね」
魔王はニヤリと笑ったようだった。
「あの場でてっきり、その身を差し出すかと思ったのだがな。どうやら国王は、自分が国一番の価値はないと謙遜したらしい。殊勝なことよ」
魔王も嫌味を言うらしい。
姿形は恐ろしいが、わたくしはどうせ死ぬ身。こうして会話が成り立つのなら、やはり途中で隙を見て逃げ出すより(最も周りをがっちり兵士に固められていて無理だったが)、魔王に話を持ち掛けた方がわたくしの目的は果たせる気がした。
「魔王様、この国の国王に価値はございません。ですが、民や臣下にこの国で最も価値ある人物は誰かと問えば、やはり国王その人だと答えることでしょう。であれば、魔王様は国王を召し上げに向かわれるのでしょうか?それともこの国を滅ぼされますの?」
「どちらかに是と答えたらどうするのだ?」
「国王の元に向かわれるのなら、わたくしも同行させてくださいませ。わたくしが彼の命を魔王様に献上させて頂きます。国王の命だけでなく、王妃も王子も、魔王様の望むままに」
「ふむ」
うっそりと目を細める竜の巨体を見上げながら、わたくしは訴えた。
「ヴァネッサ嬢!?」
「なんてことをおっしゃるのか!」
わたくしを魔王の元に送り届けたのだから、さっさと帰ればいいものを。
わたくしが魔王に喰われる瞬間に立ち会うよう命じられているのか、護送兵はまだこの場に残っていた。
それでもやはり魔王が恐ろしいのだろう。けして近づこうとはしない。
それでもこちらの会話は聞いてはいたらしく、護送兵たちはわたくしの言にいきり立った。
「外野が煩いな。俺がこの娘と話していると言うのに。ああ、人間たちの間では不敬罪というものがあったな」
「ええ。最も重い刑罰は極刑ですわ」
「そうか」
そう言って魔王が兵士たちを一瞥すると、彼らの首がごろりと体から落ちた。
まるで人形のようだった。数度痙攣をして、首のない体が地面に倒れ、遅れて血の匂いが辺りに広がる。
さすがに目の前の光景に恐怖がわいたけれど、彼らが死んだことに対する悲哀はなかった。
だってこの者たちは、わたくしを殺すためにここに連れてきたのだもの。
そんな者に掛けてやる情けは、生憎持ち合わせていない。
わたくしの中にあった良心は、憎悪で燃え尽くされたのか、それとも凍りついてしまったのか。今のわたくしには復讐を遂げるという意思しかなかった。
「魔王様、どうぞわたくしに復讐の機会を下さいませ。それを叶えてくださるなら、この身がどうなっても構いません」
「この状況で悲鳴一つ上げぬとはな。気概のある女は好きだ。復讐も面白そうだしな」
どうやら第一関門は突破したらしい。
良識のある者だったなら、わたくしの言動は唾棄すべき悪徳だと糾弾しただろう。
けれど実際はどうだ。良識のあるはずの人間は、冤罪を着せられたわたくしの話に耳すら貸さずに断罪した。
そして人類の敵とも言うべき魔王は、わたくしの話を聞いてくれるという。なんて皮肉なことだろう。
「ここでは落ち着いて話が出来ぬ。どれ、場所を変えよう」
瞬きの間に、わたくしたちはどこかの宮廷の謁見の間に似た空間に移動していた。
きっと皆勘違いするだろう。魔王がわたくしという生け贄を受け取ったことで、エストラータから去ったのだと。
復讐のために、わたくしが魔王を伴って舞い戻ってくるとは露とも思わずに。
魔王に連れていかれた場所は、もしかしたらこの世とは異なる空間だったのかもしれない。
体感的には数時間程度、魔王と話をしていたつもりだったが、エストラータに戻ったら数日経っていたようだった。
宵の空を煌々と照らす王宮の灯り。そのエントランスに吸い込まれていく着飾った紳士淑女の群。
談笑しながら奥へと進む姿に、怯えや悲哀はない。まるでいつも通りに見えた。
その日常が誰によってもたらされたかは、もうこの者たちの中にはないのだろう。
そして、それが覆される可能性を考えることも。
思い知らせてやろう。
誰を犠牲にして、成り立っていたのかを。
二度と取り戻せぬ現実として。
「――――そろそろ全員が刺し終えたかしら?」
気を失って倒れていた令嬢も、周りに叩き起こされて剣を握らされていたから、残りがいたとしても精々数人と言ったところだろう。
刺していない人間は、痣が広がっていくから一目でわかる。
わたくしが腕を上げると、五本の剣は件の五人の頭上へと移動した。
散々刺されて息も絶え絶えな様子だが、うめき声がするので意識はある状態だ。
「さあ―――わたくしの憎悪と、わたくしたち一族、そしてウォルト殿下の怨みをその身で受けるがいいわ」
まざまざと思い返すのは、ウォルト殿下の事切れる瞬間。
父が斬首されたと聞かされた時の絶望。
弟は毒杯を与えられたと聞いた。
けれど、それがなんの救いだと?幼いあの子に何の罪があったと言うの。
いいえ、弟どころかわたくしを含めて、わたくしの一族には何の咎もなかった。
それを引き起こしたのは、目の前にいる五人だ。
国王は、唯一この者たちを諌めることが出来る立場だったのに、その責任を果たさなかった。
もしもこの身に宿る憎しみが炎なら、この五人を骨も残らず焼き尽くしていただろう。
この剣では刺し殺すことは出来ない。それは承知の上で、わたくしは殺意を以て腕を振り下ろした。
五本の剣が、彼ら彼女らの頭に或いは顔へと深々と突き立った。
体を仰け反らして、声もなく悶絶する国王。
夫とは逆に、この世のものとは思えない絶叫を上げる王妃。
ウィルフレッド第二王子は、顔を覆って喚きながら床をのたうち回り、母親同様失禁したようでトラウザーズと床に染みを作っていた。
宰相は頭を抱え、痛みに痙攣して舌を噛んだのか、口から血の泡を吹いて苦悶の表情を浮かべている。
その娘キャスリーンは、ひたすら甲高い叫びを上げて、少しでも苦痛を散らそうとしてか、髪を掻きむしり頭皮に爪を立てて、まるで悪鬼のような形相になっている。
これまでは剣を人の手で掴んで刺し、その後は別の人間が交替していた。
けれど、今回は剣は突き刺さったまま。つまり痛みは継続中だ。
深く刺さっているとはいえ、ナイフ程度の長さしかないのだから自分でも抜くことは可能だが、痛みで判断できないんだろう。
「ア゛ァ、アアア゛ァァ、だズケ、タスけ……」
痛みで暴れるせいで近づけないのか、誰も剣を抜こうとはしない。
国王なんかは痛みで気を失ったのか、大人しいものだけど、剣は刺さったままだ。
彼らの黒い痣は、もう首もとまで広がってきている。
服で隠れて見えないが、下の方も胸くらいまでいってるだろう。
全身が黒くなるのが先か、痛みで廃人になるのが先か。
これまでこの五人に煮え湯を飲まされ、憎しみを抱いてきた者たちも中にはいただろう。
でもたぶん今いる中で、わたくしが一番憎悪を募らせている自信がある。
仇に最大の苦痛を与え、死ぬことすら出来ない状況に、ようやくわたくしの復讐心は和らいだ。
「魔王様、行きましょう。もうここに用はないわ。それとも国王の命は召し上げましょうか?」
「価値がないと言ったのはお前だ。無価値な有象無象の命に興味はない。お前が満足したのなら、俺も用はない」
魔王とは短い付き合いだけれど、なんとなくそう言う気はしていた。
「では参りましょう、魔王様。皆様のご清栄をお祈り申し上げておりますわ。それではごきげんよう」
もちろん嫌味である。
わたくしを引き留める豪の者は、さすがにいなかった。
彼らの心情からしたら、さっさと魔王共々消えてほしいところだろう。
その願いを叶えたわけではないが、わたくしはまた魔王の力であの空間へと転移した。
こうして、わたくしの復讐劇の幕は降り―――てはいない。
魔王が破壊した壁の穴も、廊下へと続く扉も。不可視の結界が張っているので脱出は不可能になっている。
結界の解除条件は、すでに伝えた通りである。
まだ国王たちは、それぞれを刺していない。
幕が降りるのは、もう少し先になりそうだ。
慌てふためく貴族たちの顔を思い浮かべて、わたくしは笑みを深めた。
「ありがとうございました魔王様」
復讐を終えても、心からの喜びはない。
失ったものは還ってこないのだから。
それでも悔しさを晴らし、未練なくこの世を去れることが出来るのは、わたくしには僥倖だった。
だからわたくしは笑顔を浮かべることが出来た。
「どうぞ魔王様、お約束通りこの身この命を捧げますわ」
感謝の意を込めて、わたくしは魔王に最上礼のカーテシーをしてみせた。
これでわたくしの人生の幕を閉じる。
牢屋にいた時は、こんな穏やかな気持ちで最期を迎えられるとは思ってもみなかった。
「潔いな」
「魔王様がわたくしの復讐に力を貸して下さったからですわ。でなければ、わたくしはもっと未練たらしく足掻いていたことでしょう」
「そうか。気が晴れたのなら何よりだ。あの国は長くはもたないだろうな。俺が滅ぼさずとも、あれだけ虚飾に満ちた関係性だったことを露呈されたのだ。今後の人間関係が見物だな」
くつくつと喉を鳴らし、魔王は愉快そうに言った。
「そうですわね。恐らく、国王たちはもう人前にすら立てなくなっているでしょうし、貴族たちも仮面の下の醜い本性が剥き出しでしたから」
国王たちも、あれだけ周囲の人間に痛め付けられては、今後人を信じることが出来るとは思えない。
あの王族たちの信、と言っても真っ当な信頼や信用を向けるという意味では勿論ないが、自分たちが害されることはないという、絶対の自信はあっただろう。
それを大多数の臣下が牙を剥き、暴力をふるってきたことで、根底から覆されたのだ。
「引きこもるか、不敬罪で処罰するか……処罰したら貴族は軒並みいなくなりますわね」
言い逃れしようのない状況に、黒い痣が証拠となる。
最も五人対大多数の貴族では、どちらが優勢になるかなんて考えるまでもない。
罰を強行しようとすれば、国王夫妻も王子も宰相も、その地位から引き摺り下ろされるだけだろう。
「中々見事な采配だった。てっきり仇を切り刻んで城門に吊るすか、八つ裂きにするのかと思っていたが」
「それでは数分で死んでしまいますもの。楽な死に方より、自ら死にたくなるような生を与えられた方が辛いでしょう?それに遠くない未来で、彼らは死ぬことになると思いますわ」
「成る程、確かに」
恐らく国王は退位する道を選ぶだろうし、ウィルフレッドも王位を継ぐことはないだろう。
かと言って、自分たちに暴行を加えた貴族に王位を譲る決断が出来るのかも疑問だ。
そんな上層部のゴタゴタを、他国が指を咥えて見ているはずがない。
侵略されても、人間関係が瓦解した貴族たちが一枚岩で事態に当たれるとは思えないし、トップが定まらなければ軍を動かすことも儘ならない。
あっという間に侵攻を許し城を落とされ、王族や宰相は晒し首にされるだろう未来が簡単に想像がついた。
そしてわたくしが与えた痣が小さい貴族は、新しい為政者に重用されることはない。
早々に主君に剣を突き立てた佞臣である証拠だ。
殺さなかったことで、わたくしは多くの復讐を果たしてやった。
この先この国が、どういう顛末を迎えるのか気にはなるが、ここで終わるわたくしには見届けることは叶わない。
「わたくしの代わりに、エストラータの行く末を見届けてはいただけませんか」
わたくしの復讐がどんな結果をもたらすのか。なんとなく魔王なら、こんな願いも聞き届けてくれるのではないかと思ったのだけれど。
魔王は予想外の回答をくれた。
「俺に頼まずとも、自分で見届けると良い」
「それは…」
まだ、生きていても良いと?
けれど、わたくしは生け贄で…この身と引き換えに復讐の機会をもらったのに。
「どうやら俺にとって、お前が最も価値のある人間であるようだ。そもそも差し出せとは言ったが、誰も食べるとも殺すとも言ってないが?」
「……わたくしは、仕えるべき相手に仇なした存在ですのよ」
「魔王の伴侶にはちょうど良いのではないか?むしろ日和らずに、復讐を貫き通す気概が俺には好ましい。復讐に燃えるお前は美しかったぞ」
まさかそんな賛美がもらえるとは思わず、頬が熱くなるのを感じた。そしてなんだか聞き捨てならない単語があった気がする。
「……伴侶?」
「その身を差し出すのだろう?」
思わずわたくしは狼狽えてしまう。
「そ、そういう意味では」
「違う意味だったとしても、俺はそう受け取ったから諦めろ」
予想外の展開に、思考も心もついていかない。
とりあえず「種族が違いますわ…」と足掻いてみるも。
「問題ない。番と定めた者と同じ姿形になれるからな。繁殖も可能だ」
「はん…」
絶句し、自分の頬が赤くなるのを止められない。
いえ、伴侶になれば子を作るのは当たり前なことなのだろうけど、わたくしが魔王と?
目の前の竜の巨体を見上げるが、全く彼との結婚生活が思い描けない。
「想像がつきませんわ…」と思わず本音が漏れてしまう。
「ふむ。ならこれでどうだ?」
言い終わると同時に、竜の姿は消え失せ、代わりにそこには長身の男性が佇んでいた。
竜であった頃の名残は金色の双眸だけ。
漆黒の鱗の代わりに、黒い艶やかな髪に白皙の肌を持つ、目が眩むような美貌の人間の姿になった魔王は、その麗しい顏に笑みを浮かべわたくしの腰を抱き寄せた。
「もうお前は俺のものだ。自ら言ったことを翻しはしないな?」
ついと顎を指で持ち上げられ、至近距離で顔を覗き込まれる。
唇に息が触れる感触がして、ぞくりと肌が粟立った。
恐怖や嫌悪感からではない。ドクドクと心臓が忙しなく動き、顔が火照って仕方がない。
こんなの反則でしょう!
好み過ぎるその容姿に、わたくしは不覚にも胸のときめきを抑えられなかった。
魔王と目を合わせているのが堪らなく恥ずかしくて、でも逸らすことも出来ず、目が潤んでくる。
わたくしの反応に、魔王は満足そうに笑う。
「どうやらこの形はお前の好みに合っていたようだな―――ヴァネッサ」
恐ろしいほどの色気を含んだ声音で、耳元で名を囁かれ、危うく腰が砕けそうになった。
魔王にはしっかりバレていたようで、愉しげに喉を鳴らしている。
そして膝裏に手を差し込まれ、ふわりと体が浮いて魔王に抱き上げられた。
そのままわたくしは、この空間に唯一ある絢爛な椅子まで運ばれ、魔王はそこに腰かける。
当然のように、わたくしを膝の上に座らせた状態だ。なぜ!?
「ま、魔王様!?」
「イルドシュトラールだ」
「え?」
「俺の名だ。お前にだけ名を呼ぶことを許す」
「…イルドシュトラール、ん」
さすがに呼び捨ては憚られて、様を付けようとしたら唇を柔らかなもので塞がれた。
睫毛が数えられそうなくらい魔王の顔が近い。否。数えようにも焦点が合わないくらい近すぎる。
口付けをされている。その事実に気づくのに数瞬必要だった。
「っ!?!!?」
思わず魔王の膝の上で暴れるも、腕の囲いはびくともしない。
ふっと笑う気配がしてぬくもりが遠ざかる。
ようやく焦点の合った瞳には、確かな熱が宿り、魔王は満面の笑顔を浮かべていて、あまりの神々しさに見惚れてしまう。
「愛いな」
するりと頬を撫でられて、びくりと肩が揺れてしまった。
婚約者であったウォルト殿下とも、こんな甘やかな雰囲気になったことはない。
正直、唇への口付けすら初めてだったのだ。どういう対応をすればいいのかわからない。
「まお、」
「イルドシュトラールだ」
「…イルドシュトラール…さ」
やはり「様」は言わせてもらえなかった。
二度目の唇が降ってきて、唇を割って舌が口内へと侵入してきた。
舌と舌が触れ合う初めての感覚に翻弄され、舌を奥に逃がしてもすぐに絡めとられてしまう。
顔を離そうとしても、魔王の片手がわたくしの後頭部に当てられており、痛くはないががっしりと固定されていて、口付けは深まるばかりだ。
「ふ、んぅ…」
自分の声とは思えない甘さの含んだ喘ぎが漏れて、羞恥で居たたまれない。
上手く息継ぎも出来なくて、ようやく唇が離れた頃にはわたくしは息も絶え絶えになっていた。
「俺の魔力と寿命を半分譲渡した。これでお前は俺の番だ」
「え……」
いつの間に!?
まったく無自覚な内に、わたくしは魔王の伴侶となったようだ。
人の婚姻のように書面にサインが必要とは思ってないけれど、何かしら儀式のようなものはあるのかと漠然と考えていたが違ったらしい。
自分の身体を見下ろしてみても、特に変化はなく、異常は感じられない。
「あの、本当に…?」
「無論だ」
「……ちなみにどのくらいの寿命ですの?」
「国の興亡を二つ三つ余裕で見届けることが出来るくらいだな」
スパンが!長すぎる!
わたくしは明らかに人外の存在になってしまったようだ。
……でも。
わたくしにはもう家族はいないし、人の世界に未練はない。
なにより魔王―――イルドシュトラールと一緒に生きるのならいいかという気持ちが湧いてきて、喜びを抱いているのも確かで。
こうしてわたくしは魔王の妻となったのだった。
ちなみに祖国エストラータは案の定、上層部がゴタゴタしている隙を突かれて隣国が攻め込んできて、防衛もままならずに陥落。
国王を筆頭に、王家に連なる者たちや宰相は首を落とされ王城前に晒された。
宰相の娘キャスリーンは、持てるだけの宝石やドレス、お金を馬車に積み込んで国を脱出しようとしたけれど、敵国側に捕まり、敵兵たちに凌辱された上に奴隷に落とされ、数年後に性病で死ぬこととなる。
エストラータという国名が地図から消えたのは、わたくしが魔王の伴侶となって七ヶ月後のことだった。
魔王の魔力を宿すわたくしなら、隣国からエストラータを守ることは可能だっただろう。
けれどわたくしは、出来るのにそれをしなかった。
なぜかって?
だってわたくしは、真の悪役ですから。
お読み下さりありがとうございましたm(__)m
本文中に、夜会会場にいた人数について書いてなかったので補足です↓
招待客だけでなく給仕や警護等の人間も含めると百人くらいにはなってたと思われます。
なので王様たちは、百回近くひたすら刺されてました。御愁傷様。
広告下の★やいいねボタンを押してくださると、作者のやる気スイッチと連動します。