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後日談5 正義と自由††

「ほい、こんなもんだろ」

「……すまねえ」


 治療を終え、正義は弟の肩をポン、と叩きながら立ち上がる。

 一方の自由(カオス)は、バツが悪そうにそっぽを向いたまま座っていた。


 怪我自体は大したものではない。以前、喧嘩ばかりしていたころに比べれば可愛いものである。

 しかし、その時に比べて、弟の表情はどうにもすぐれない。


 兄である正義には、その理由がおおよそわかっていた。

 これまで、喧嘩では無敗を誇っていた弟だ。どんなに大勢を相手取り、どれほどのケガを負ったとしても、弟はその()()()()()()()()()

 だから、こうやってケガを治療してやっている時も、弟の表情は晴れやかで、堂々としたものだった。


「やれやれ、今日もまた、随分と深く抉られたもんだ」

「……フン」


 ケガの様子を見れば、相手の強さも推測できる。今治療したそれは、見覚えのある、鋭く深い拳によるものだ。

 無敗を誇っていた弟の戦歴に、はじめて「引き分け」の概念を持ち込んだ相手である。


「どうした。最近、彼とは仲良くやってたんじゃないのか?」

「ウルセエな。あんな奴、最初からダチでもなんでもねえっての」


 中学生かと思わせる、絵にかいたようなふくれっ面だ。

 これほど頑なな態度をとる弟を見るのは久しぶりで、正義は何故かそれが嬉しかった。

 


 ──やっぱり、随分と気を使わせていたな──


 

 今までの弟の言動を振り返り、改めてそう実感する。自分があんな性格になったことに、少なからず引け目を感じていたのだろう。

 でも、それももう終わりつつある。弟の態度からも、それを感じることができた。


 ひっそりと心に浮かぶ笑みをごまかすように、正義は別のものを指さしながら苦笑する。


「しっかし、何だ?このぐしゃぐしゃになった絆創膏は。幼稚園児でももっとうまくやれるぞ?」

「うっせえってんだよ!」


 床に散らばった、自由(カオス)が自分でやった治療跡──あまりにも酷いので正義がすべてはがしたのだ──から目を逸らすように、さらに声を張り上げる。

 どうやら、喧嘩の原因もそれらしい。


「昔っから、怪我なんてほっときゃ治るっていって、自分で手当てすることなんてなかったのに、急にどういう風の吹きまわしだよ?」

「……分かってるくせに、そんな質問すんじゃねえよ……」


 溜め込んだ鬱憤(うっぷん)が、膨れた餅をつついたように力なく漏れ出て行く。

 喧嘩の後にしては元気がないのはこのせいだ。傷ついたのは、身体の方ではないのだ。


(これだけ落ち込んでいる弟を見るのも久しぶりだ。最後に見たのはいつだっただろうか?)


 胸中で記憶を探る。

 すぐに答えが出てきた。


 その時のことなら、何よりも鮮明に思い出せる。

 笑いながら、挑発するように弟に声をかけた。


「お前、他のことは何やらせても人一倍うまかったのに、昔っから手先だけは不器用だったもんな。オヤジの実家でのコンテストの作品……。あれは極め付けだった!」

「あんな昔のことをほじくり返すんじゃねえ!」


 (しぼ)んだ餅が、また膨れ上がった。正義はさらに火をくべる。


「あんなもんを人前で披露しようって精神力は、本当大したもんだ。見習いたいもんだ」

「……それを言うなら、2か月前のアニキの"告白"はどうだってんだよ?」


「フフフ、我が弟よ。それを言われると、俺には返す言葉がない。そもそも、人間の黒歴史を比較するもんではないぞ」

「あの"告白"を黒歴史扱いすんのか?琴音ちゃんに言いつけちまうぞ?」


「どうか、それだけは勘弁して下さい。言葉のアヤです。本心じゃありません。」


 土下座して懇願する正義。


 意趣返しをして満足したように留飲を下げる弟。

 その表情も、ふっと穏やかなものになっていた。それも、ここ数年で見たこともない程に、だ。


 比喩ではない。実家でのあの一件は、兄弟の心の奥に突き刺さったままの棘だった。

 正義にとっては文字通りトラウマであり、自由(カオス)にとってはこの上ない引け目となった。


 二人の間で話題に出すこともはばかられる、まさに黒歴史であった。


 正義はそれを、今、軽く笑い飛ばして見せた。

 乗り越え、ねじ伏せた証である。


 自由(カオス)にも、それがはっきりと伝わった。正真正銘、肩の荷が下りたのだろう。

 だからこそ、弟もついに自分の道を進むことができる。


 正義は、改めて変わり果てた弟の部屋を見回した。


「しかし、ものの見事に女っ気が消えたな……」

「まあ、な……」


 ここ最近、弟は女性との交際を一切断った。

 遊んでいた女性たちの"マーキング"で埋め尽くされていた部屋には、今は大量の医学書が並んでいた。


「本当に、医者になるつもりなんだな」

「もちろん。そして、なるからにはテッペンを目指す。いくら俺様が頭が良いとはいえ、知識だけは勉強しねえと手に入らねえからな」


 恐ろしいことに、部屋を埋め尽くさんばかりの医学書の約半分は読み終えていた。

 そして、弟は一度覚えたことは忘れない。よく見てみると、教科書だけはなく最新の医学論文まで並んでいた。

 医学部に入る。医者になる。弟の目標はその、はるか先を見据えていた。そのために必要なことを、着実にこなしているのだ。


 しかし──


「こんな不器用なやつが、世界一の医者になれんのか?」

「……」


 容赦のない正義の指摘に、弟は反論の余地がなかった。


 完璧かと思われた弟にもいくつか弱点がある。


 一つ目は、人目に晒されていなければ本気を出せない事。えてして、医者というのは日の目を浴びない地味な仕事である。

 二つ目は、致命的なまでに不器用なこと。まさに、これは医者を志す者にとっては致命傷かもしれなかった。


 おそらく、それこそが今回の仲たがいの原因であろう。


「まったく、仕方ないやつだな」


 頭を掻きながら、正義は床に散らばった不器用な治療跡を片付け始める。


「……俺様は、やると決めたらやる。大抵のことはそれでやってきた。だが……」

「だが、誰にでも苦手なものはある。俺が人目を気にしたり、人の気持ちを汲むのが苦手だったりするように、な」


 苦難に立ち向かおうとする健気な弟の頭をワシャワシャとかき回しながら、正義はこうアドバイスすることにした。


「いいか、弟よ。俺が思うに、自分の弱点と向き合うコツはいくつかある」


 正義は一本指を立てて、こう続ける。


「一つ目は"逃げる"。これは、今まで俺がとってきた戦法だ。そうすることで、少なくとも弱点に悩まされることはなくなる。特典として、逃げ足が鍛えられるってボーナスもつく」

「確かに、アニキの逃げ足の速さは、俺様でも絶対に勝てねえ。だが、俺様は逃げるのは嫌いだ」


 そう言うだろうと踏んでいた正義は、二本目の指を立てる。


「二つ目は"克服する"。これは、今俺が挑戦してる戦法だ。根本的な解決策だが、一つだけ欠点がある。それは、世の中には生まれつきどうしようもない弱点ってのも存在するってことだ」

「人間には羽もなければエラもない。自力じゃどう足掻いても空も飛べねえし、水中で生活することも出来ねえ。……俺様の、このくそったれな手先も、生まれつきだってのかよ?」


「それは、試してみなけりゃわからんな。気づくのに何年かかるかは、それこそやって見なけりゃわからん」

「……そういえば、琴音ちゃんと喧嘩してるらしいじゃねえか。それはどうやって克服する気なんだよ」


 得意げに説教をしていた正義も、痛いところを突かれたようでしかめっ面になる。

 久しぶりに追い詰められたような表情で、弟に切り返す。


「俺も、逃げるつもりはない。障害には立ち向かい、克服する。そのための秘策も今朝授かったところだ」

「……フウン」


 小馬鹿にするような弟の目線に、気付かないふりをする。

 勘の良い弟のことだ。ひょっとしたら()()()()()()()()のかすら、見抜かれているかもしれない。


 逸れた話題を強引に手繰り寄せるように、三本目の指を立てる。


「三つ目の戦法は……どうだろうな。今のお前にできるかな?」

「……どういう意味だよ?」


「三つ目の戦法は、意外と強力だが、条件がある。その条件を、今のお前に整えられるか、それが問題だよな」

「いいから、さっさと教えてくれよ」


 焦れるような弟の声。どうやら、無事に話題は逸らせたようだ。

 今、最も大事なことは、今まで自分を押し殺して自分を影ながら支えてくれた弟に報いることだ。


 ……あの奔放な振る舞いを見て、"自分を押し殺す"という表現が妥当かは疑問ではあるが……


 とにかく、正義は最後の策を弟に告げた。


「三つ目の戦法、それは──」

「……」


 そのアドバイスを聞いた自由(カオス)の顔は、文字通り苦虫を噛み潰したような、不満そのものと言った表情だった。


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