後日談4 めぐみと哲也
「……どうせ、また喧嘩したんでしょ」
呆れ半分、蔑み半分といった表情で、金木めぐみは絆創膏を貼りつける。
着ていたスウェットを捲り上げて、すこしだけ強引に治療を終える。終了の合図と言わんばかりに、患部をペチンと叩きつけ、立ち上がる。
普通なら悲鳴を上げるところだが、目の前の患者は眉一つ動かさない。よほど普段から痛みに慣れているのだろう。
ただし、その表情は悲痛そのものと言った様子でめぐみに何か訴えようとしていた。
「違うんすよ姐さん!自由のやつが──」
「男は言い訳なんてしない。前にそういったのは誰だったかしら?」
ピシャリとそう言い切られると、患者──黒原哲也は苦虫を飲み込んだような表情で黙り込む。
哲也はいつものえんじ色の学ランではなく、簡素な白い服──白衣のようなものだが、厳密には違う──を着ていた。
「まったく、患者を治療する側が治療を受けてちゃ、仕方ないわね」
「……」
今度は黙ったまま、めぐみの言葉を受け入れる。
油でガチガチに固められていたリーゼントは、今は清潔感のある短髪にまとめられていた。
元々の凶悪さを取り除いてやると、哲也の顔立ちは随分と見れたものであったが、それでも眉間にここまで皴が寄っていては男前も台無しである。
「でも、あんた達が喧嘩するなんて珍しいんじゃないの?いつもは、二人で仲良く商店街で暴れてたんじゃなかったかしら?」
「……俺は、もう喧嘩は辞めたんスよ。ここに弟子入りすると決めてから、一度だって喧嘩はしてねえ」
ここは、商店街の隅にひっそりと建つ古い病院。
めぐみの実習先の一つでもあった、ここ獅童医院の門戸を哲也が叩いたのは完全な偶然だった。
いったいどういう風の吹きまわしか、哲也は不良をすっぱりと止めて、医療の道を志すと決めたらしい。
猪突猛進を地で行く男だ。そうと決めたら、まずは弟子入り。方々訪ねまわって、唯一彼をうけいれてくれたのが、この寂れきった小さな病院という訳である。
「知ってるのよ。弟君と結託して、私に声をかけてくる男子を体育館裏に連れ込んでたの」
「あ、あれは……。いわゆる"入団試験"ってやつです。それに、今はもうやってませんし……」
哲也の言葉に偽りはない。この病院に哲也が世話になるようになってから、めぐみのもとにラブレターやら告白が殺到し始めたのだ。
少なくとも、多部川の生徒に暴力を振るわなくなったのは本当だろう。
「じゃあ、どうして私は度々アンタの怪我をこうして治療してるわけ?」
「俺が喧嘩を止めたって聞いて、その……」
そこまで言いかけ、哲也はグッと言葉を飲み込む。
その様子だけで、件とは無縁の世界で生きてきためぐみでもおおよその察しがついた。
意趣返しと言う奴だろう。特に、哲也はこの辺りでは大層有名な不良だった。恨みも買うことが多かったに違いない。
「自業自得よ」という言葉が脳裏にすら浮かばないのは、めぐみが生まれ持った優しさの表れだろう。
もっとも、哲也を気遣うような言葉をかけることもないのだが。
なにしろ、めぐみはこれまで哲也が通っていた朱久高校に散々な目に遭わされてきたのだ。今はその座を降りたとはいえ、哲也はその高校の番長。良い印象を持っているはずがない。
労わりの言葉の代わりに、こんな疑問を投げかけることにした。
「弟君と、何かあったの?」
「……自由のやつ──」
言いかけた刹那、院内に怒号がこだまする。
「オイ、哲也!手え貸せ!」
その声は、雷に打たれたように哲也の全身を突き動かす。
声のしたほうに、一目散にかけていく。
「急げ!こいつは結構な大仕事になる」
施術室(手術室ではないらしい)を覗き込むと、そこでは3人の男が修羅の形相で取っ組み合っていた。
患者らしい男性は、部屋の中央に位置する簡素な机に縛り付けられ、苦悶の表情を浮かべている。
全身に入れ墨やら傷跡やらで彩られた、随分と派手ないでたちである。どうみても堅気ではない。
もはやどこを怪我しているのか、めぐみには判断できなかったが、それでも二人には分かるらしい。必死に右上腕部を押さえつけ、消毒や縫合を試みていた。
「クッソ……俺としたことがこんなヘマを打つたあ……!鬼頭組のやつら、覚えておけよ……ぐっ!」
呪詛のような言葉をつぶやきながら、脂汗をびっしりと浮かべ、患者は痛みに必死に耐えている。
尋常ではない汗の量だが、それも無理はない。
施術室に並んでいる薬品を覗き見て、めぐみにもその理由がすぐに分かった。
──この手術、麻酔を使っていないのだ──
いわゆる極道の世界では、そういう風習があるらしい。痛みから逃げることを潔しとしない、なんとも奇妙な美学を背負った人種がいるのだ。
そして、その見た目も相まって、そう言った人種を受け入れてくれる病院はさらに希少である。
その希少な病院の院長は、丸太のような腕で患者を押さえつけながら、もう片方の腕で器用に傷口を縫い合わせていく。
「縫合終わり!哲也、傷口を消毒して仕舞いだ!」
「分かりました!」
返り血を浴びながらも、哲也は目線を傷口からそらさない。
普通の女子なら卒倒しかねない凄惨な光景だが、めぐみも哲也も見慣れたものだ。
しかし──
(あの手捌き、大したもんだわ、実際……)
哲也の動きを見ながら、めぐみは内心舌を巻いていた。
痛みにのたうち回る患部を的確にとらえ、臆することなく最短時間で処置を終えている。正確で繊細な指先と、相当な胆力を兼ね備えていなければできない芸当だ。
天下の鷹峰医院でも、あれだけの手腕を見たことがなかった。
もっとも、まっとうな病院であれば手術時は麻酔をしており、患者もおとなしいわけだが……。
「……オメエ、朱久の黒原じゃねえか!?どうしてこんなとこに……。そうだ、オメエも来年は卒業だろ。うちの組に来ねえか?……って、イテエ!」
「うちの丁稚に妙な勧誘はやめてもらおうか。さもねえと、せっかく塞いだ傷口が台無しになっちまうぞ?」
到底医者とは思えないドスの効いた声に、患者もすくみ上ってそれ以上妙なことを口走ることはなかった。
「それじゃあ、術後はこれを飲んでください」
哲也が錠剤の入った紙袋を手渡す。
刹那、院長の目がギラリと光る。
雷光一閃
居合のような鋭さで繰り出された丸太のような拳に、哲也の巨体が宙を舞った。
「このボケ!何度言ったら分かんだよ!患者に渡す薬を間違えんじゃねえ!そんな劇薬飲ませたら、いくらスカスカのこいつらの脳みそでも一瞬でぶっ飛んじまうぞ!」
(どうして、そんな危険な薬が、こんな小さな病院に置いてあるのかしら……)
めぐみの疑問をよそに、殴り飛ばされた哲也がのゆっくりと起き上がる。
「すん……ません」
「まったく、手先は器用なくせに物覚えはてんでダメときたもんだ。もういいから、オメエは薬には触んな」
「……ハイ」
意気消沈した様子の哲也を見て、めぐみは何となく、哲也が自由と仲違いした理由を察していた。
おそらく、きっかけは些細なことだったに違いない。
しかし、それはやがて、互いに譲れない信念のようなものに行きついた。もしくは、どうしても触れられたくない傷口に触れたのかもしれない。
いずれにしても、喧嘩というのは大抵はそんなものである。
小さな火種が原因で、大爆発が起こるのだ。
しかし、めぐみは最近思うことがある。
(まあ、雪崩と一緒なのかもしれないけどね。溜め込んでおいたとしても、ロクなことにもならないんだわ)
分かりやすく肩を落として戻ってきた哲也。
そろそろ、めぐみの帰宅時間が迫っている。手痛い教訓から、病院まで両親が迎えに来るはずだった。
少しだけ黙考した後。さして感慨を込めることもなく、めぐみはたった一言こう声をかけることにした。
「……お疲れ様。まあ、気にするだけ無駄よ。できないものはできないんだから」




