後日談2 めぐみとかおる
「……喧嘩したあ?」
呆れ半分、驚き半分といった表情で、金木めぐみはふわふわの抱き枕から顔を上げた。
自室のベッドの上で膝を曲げたままの姿勢で、伸びやかな脛を傾ける。ホットパンツから覗く、艶めかしい太ももの魔力に、同性、かつ姉でもある金木かおるも自制心を働かせざるを得なかった。
この数か月で、またも女性としての魅力を上げていく妹の姿に、感動と共に畏怖、そして懸念が芽生える。
(悪い虫が寄り付かなければいいんだけど……)
編集部の愚痴を聞いてもらいながら、同時に妹の将来を心配するという器用な真似をやっている姉の心境を知ってか知らずか。
めぐみはキョトンとした表情で姉を見つめていた。
「お姉ちゃん。佐藤君を見つけたからって、編集長から褒められたんじゃなかったの?その編集長と、どうして喧嘩なんか……」
「問題は、その後なのよお……。出版契約も交わして、ようやくこれからだって言う時なのに!」
昼間の正義とは違い、今日の相談者の表情には困惑ではなく明確な闘争の意志が宿っていた。
どうやら、きっかけはその正義の小説であるらしかった。
当初、編集長が期待していたのは、彼の書いたラブレターの方であった。
かおるが所属していたのはライトノベルなどの若年層向けのレーベルだったため、正義のラブレターはまさにうってつけだったのだ。
しかし、実際にかおるが手にしたのはラブレターではなく、長編小説『雪の残り香』。
投稿サイトでも全く読者がついていなかった、超ド底辺作品である。
PVも一日一回しかつかない──つまり、琴音以外に読者がいなかったことになる──小説を出版するなど、正気の沙汰ではない。事実、彼女の先輩もその事実を知っていたがゆえに小説を
かおるに押し付けたのだ。
かおるも、初めはそう思っていた。
……冒頭の1ページ目を読むまでは。
『編集長、この作品は必ず売れます!読んでください!』
会議で忙しい編集長にしつこく付きまとい、何度も小説を読む様に推し進めていた。
いつもクールで打算的なかおるがここまで食い下がる様子に編集長も違和感を覚えてはいたが、それよりも狙っていたラブレターを逃したショックの方が大きかったらしい。
ラブレターを出版するために空けておいたスケジュールを埋めるため奔走し、一向に取り合おうとしない編集長に業を煮やしたかおる。
ついに部署内で小説の朗読を始めようとした姿に底知れぬ情熱を感じたのか、あるいは単純に怖くなったのか、ついに編集長が小説に目を通すことになった。
「今、この場で読んでください」と、隣に張り付かれた状態ではさぞ読みにくかったに違いないが、それも数分のことだった。
その後の会議を全て無断欠席するほどに読書に没頭する編集長の姿に、隣に立ちながら内心でガッツポーズを繰り出していた。
「そして、その後の編集長。なんていったと思う!?」
若干芝居がかった様子だが、かおるの癖のようなものである。
とりたてて気にすることもなく、めぐみは素直にその後の展開を予想してみた。
もちろん、今目の前で激高しているかおるの表情も予想の材料に加えることは忘れない。人の表情を読むのは、めぐみの得意技なのだ。
「……お姉ちゃん、担当から外されたんでしょ」
「そう!酷いと思わない!?苦労して見つけ出した金の卵を、横からかっさらおうって言うの!」
『雪の残り香』を読み終えた編集長は、こう告げたのである。
『この作品はうちのレーベルには合わん。隣の文芸部に回せ』
「確かに名作だ。お前の目に狂いはない。無視して済まなかった」と詫びる編集長の言葉は、その時のかおるには全く届かなかった。
「分かってないわ。あの作品はただの純文学で終わらせるにはあまりにも惜しい。さっき言ったでしょ?あれは金の卵なの!磨けば光る原石なの!大衆向け、特に若年層に昇華させてこそ真価を発揮する作品なの!私にはそれがはっきり見える」
ここまで熱心なかおるの姿を、めぐみは初めて見た。
妹のこととなるとデレデレとしてだらしないが、それ以外では極めて知的で、取り乱すことがない、隙のない女性だと思っていたのだ。
(きっと、恋してるんだわ。佐藤君の作品に……)
編集者として火がついたに違いない。惚れ込んだのだ、『雪の残り香』に。
通り過ぎた祭りの灯を眺めるような気持で、めぐみは姉の話を聞いていた。
まさか、姉妹揃って一人の男性にここまで惚れ込むことがあるのかと、めぐみは内心で感心していた。
もっとも、姉が入れ込んでいるのは彼の書いた作品であるし、めぐみ自身も、今は心残りもない。
なにしろ、あれだけ豪快に振られてしまったのだ。
ラブレターを全校生徒の前で読み上げる正義の姿を見て、めぐみはその理由を理解した。
(私はあの時彼にこう言った。そのままのあなたが好き、と。でも、彼はそうじゃなかった。自分を受け入れて、そこから前に進みたかった。きっと、変わりたかったに違いないわ)
めぐみの前でだけ、彼は本音を語ってくれた。それが何よりもうれしかった。
でも、彼はみんなに本音が語れるようになりたかったのだ。だから、同じような傷を持つ琴音に惹かれた。
そこから先は理屈じゃないのだろう。何故かは知らないが、彼は琴音のためならば変われるという確信があったに違いない。
いずれにしても、彼は約束を果たしてくれた。この上ない形で、自分を振ってくれたのだから。
「ってことなんだけど、アンタはどう思う?めぐみ~」
一通り愚痴をぶちまけてすっきりしたらしいが、最後には妹にすがるような目で抱き着いてこられた。
やれやれ、今日の相談相手はただ話を聞くだけでは満足しない人が多いらしい。
しばし考えて、めぐみはこう切り返した。
「そんなに好きなら、まずはお姉ちゃんが変わらないとね?」




