それはまた、別のお話
「いや、しかし佐藤くん。我々としても、出版するならばすでに実績のあるコンテンツで、と思っているんだよ」
「そうですか……」
発表会の翌日、俺は再び生徒指導室に呼び出されていた。
となりには香田先生。向かいの席には出版社の人。さっきから喋っている人は……ええと、名前はなんだっけ?とにかく編集員さんだ。
その横には、なんと、金木さんのお姉さんが座っている。
直接の面識はなかったが、なんとなく気まずくて目線が向けられない。結果的に、俺はひたすら編集員さんの話を聞くことしかできないでいた。
「もちろん、その……なんだっけ。『名残雪の香り』も名作だってのは分かってる。我々も、作家の意思は尊重するつもりだ。でも、君はまだ実績もない駆け出しの作家なんだ。少しは我々の意見を取り入れてくれてもいいと思うよ?」
「……はあ」
編集員さんの言葉に、俺は生返事を返すことしかできない。
さっきから同じこの繰り返しだ。全然話が前に進まない。
「先輩、『雪の残り香』です。間違えるのは失礼ですよ」
「ああ、そうそう。『残雪火』だったね。君の処女作で、一番長く書き続けている大事な作品だってことは理解しているつもりだ。でも……」
「結論は、とっくに出ていますよねぇ」
言葉を遮り、先生がにこやかに微笑む。
分厚い髪の束をドンっと机の上に置く。
うーん。我ながら凄いボリュームだ。だてに、三年間毎日書き続けた訳じゃないな……。
「佐藤くんは、こっちなら出版しても良いと言ってます。そして、ラブレターの方は絶対に嫌だとも。それを覆す理由が、ありますか?」
「先生……。あなたも、もう少し協力的になってくれてもいいじゃありませんかね?大事な生徒の未来と、あなたの学校での立場がかかってるんですよ?」
そう言うと、編集員は懐から何やら意味ありげな書類をちらつかせる。
「生徒の将来を思えばこそ、申し上げているのです。それに、その脅しはもう通用しません。先ほど、校長に退職届を出してきましたから」
「せ、先生!?」
先生は優しい笑みを崩さないまま、こちらに向き直る。
「もともと、一年でここは辞めるつもりでした。大学の時に提案していた多人数教育のアルゴリズムの実践の場として、非常に有益なデータが得られましたし」
「そ、それじゃあ、以前はどうして?」
編集員さんの問いに、先生の視線がすっと細まる。
「決まってるじゃありませんかぁ。大事な生徒の晴れ舞台を、最高の形で見届けたかったんですよぉ。担当者を降りた後、後任がイベントを台無しにしたら元も子もないじゃないですか」
「そ……そんな……」
魂が抜けたようにソファに座りなおす編集員さん。
それと入れ替わるように──
「それじゃ、決まりですね。この原稿は私がもらっていきます。先輩、どうします?」
「……好きにしろ……」
「約束しますよ。新しい作品を思いついたら、まずあなたに連絡します」
「ええ、期待してますよ」
力なく渡された名刺を見つめる。
多分、新作を書くことは金輪際ないだろう。あの日以来、俺の中にマグマの様に沸いていた創作意欲が、ぷっつりと途絶えてしまったのだから。
ラブレターを書き上げたことと、長年溜まっていた自分の中の鬱積したものを吐き出してしまった弊害だと思っている。
コンコン
タイミングを見計らったかのように、ドアを叩く音。
お、もう約束の時間か。
「それじゃあ、俺はこれで」
「佐藤くん。最後に、もう一度だけ聞かせてくれ。どうして、あのラブレターを出版することを断ったのか……」
扉に向かいかけていたところを呼び止められる。
もう何度目になる質問だったか。
振り返りながら、笑って答えた。
「恥ずかしいでしょ、そんなの。彼女だってそう言ってる」
扉を開けて、そこに待っていた彼女の顔を見る。
「お待たせ。行こうか」
「……ウン」
恥ずかしそうに微笑む彼女。今日は一緒に帰る約束をしていたのだ。
今日も、そして明日も……。
それから数か月後、金木さんのお姉さんが手掛けた書籍『雪の残り香』が、史上最年少での直紀賞を受賞したのだが……。
それはまた、別のお話。
「お、おい。覚悟はいいだろうな。負けても、ほえ面かくんじゃねえぞ、コラ」
「プッ……。なんだよ、そのツラ。男前が台無しじゃねえか」
多部川商店街のメインストリート。
長身の男が二人。因縁の勝負に決着をつけるべく、今最後の舞台に降り立つ。
とはいっても、その勝負の内容はこの上なく軟派なものではあるのだが。
「制限時間は1時間。1時間後、より多くの女性をここに連れてきた方の勝ち。それでいいな?」
「オ……おおよ……!」
自信満々と言った様子の自由に対し、哲也の表情はいつにも増して厳めしい。
そんな哲也を見て、自由は噴き出さずにはいられない。
「おい哲也。そんなツラしてたら、女どころか、クマだって逃げ出しちまうぜ」
「う、ウルセエな!俺ァ、こう言うの初めてなんだよ!」
正直な哲也の発言に、自由は好ましげに相貌を崩す。
漢と書いてオトコと読む、を地で行くような男なのだ。受けた勝負は、一歩も引かない。
(まあ、なんにでも初めてはあるわな。とはいえ、コイツにはこういうの……向かねえんじゃねえかな)
最初は冗談半分だったのだが、まさか相手が乗ってくるとは思わなかったのだ。
(俺様がこの勝負に負ける理由は一つもねえ。どんな勝負でも手を抜かねえのが、俺様の良いところだしな!)
「それじゃあ、はじめっとすっか!」
「雄雄!かかってこいや!」
とてもナンパを始めるとは思えない、裂ぱくの気合を炸裂させ、哲也はストリートに全力でかけていく。
あまりの迫力に、さすがの自由も思わず止めに入らねば、と危惧したほどだった。
「ちょ、ちょっと待て哲也!ガールハントとか昔は言ったらしいが、本当に狩るわけじゃねえんだぞ!?」
「んなことは分かってるぁ!だがなあ、大抵のモンは気合で何とかなんだよ!」
駄目だ、この脳筋、早く何とかしないと……。
自由が呆気に取られていると、哲也は一人目の獲物を見つけたらしい。
「おい、ちょっと待て。そこの女ァ!」
親の仇でも見つけたかのような剣幕だ。多部川の制服を着た後ろ姿に、一気に距離を詰める。
本来ならば血相を変えて逃げ出すところだろうが、その女性はそうはならなかった。
「……何か用?」
小柄な体格に、ボブカットの整った髪がふわりとなびく。
大きな瞳は、今は不機嫌そうに半開きになって哲也を射抜いている。
百戦錬磨の哲也ですら、その迫力に一瞬ひるむほどだった。
何故かは知らないが、この女生徒はこう言う荒事に巻き込まれるのにとても慣れているらしかった。
「お、おい哲也!この人は──」
「い……い、今から、こ、こ、こ、珈琲でも飲みに行かねえか?」
さっきまでの迫力はどこへやら。しどろもどろになってどうにかナンパらしい台詞を読み上げるので精いっぱい。
哲也だけではない。となりにいた自由も、その女性の雰囲気にすっかり飲み込まれてしまっていた。
「嫌。私、珈琲は嫌いなの」
有無を言わさぬ迫力に、哲也も二の句が継げずにいた。
すると、その女生徒は何かに気づいたように視線を哲也の目から外す。少し横側、こめかみの方を見ているらしかった。
「なに、怪我してるの?」
「あ、ああ……。ちょっとあってな。だが、もう平気だ」
発表会の激戦で大けがを負った二人だが、今では絆創膏を貼る程度にまで回復していた。
そこで、晴れてナンパ勝負に打って出た訳だが、その女生徒はその絆創膏がいたく気に入らないらしかった。
「ちょっと見せてみなさい」
「な、何すんだ!?」
小柄な女性が長身の徹夜の顔面に近づこうとしたため、かなり無理な姿勢になってしまう。
ぎゅうぎゅうと体を密着させ、強引に哲也の顔を腰の高さまで引っ張り下ろして見せた。
「やっぱり、化膿しかかってるじゃない。なにが『もう平気だ』よ。素人の生兵法が一番危険なんだからね」
「そのままでいなさい」と、厳命を下す。地面に正座するような形になってしまった哲也のとなりに移動すると、もっていたポーチから消毒薬と清潔なガーゼを取り出し、瞬く間に治療を終えてしまった。
「これでいいでしょ。さ、弟君も来なさい」
「へ……?」
呆気に取られていた自由にも、手際よく治療を施す。
「まったく……。私、怪我を甘く見積もる人も嫌いよ。良いこと?お風呂に入る時は患部を強くこすらないように。それと、二日に一回は新鮮なガーゼに交換すること。分かった?」
歴戦の強者が発する迫力。もっとも、この場合は修羅場をくぐってきた医者のそれに近い。
異常な迫力と説得力に、二人は黙って頷くばかり。
「それじゃ、もう話しかけてこないでね。だって、私──」
去り際に、女性は少し涙ぐんでいるようにも見えた。
泣き顔を見られないようにか、急いで振り向きながら、
「だって、私。佐藤って苗字の人も、朱久の生徒にも、当分関わりたくないの」
「……」
二人の男は、しばらく呆然とその女生徒の後姿を見つめていた。
まさしく、魂が抜けたような表情で──
やがて、哲也が振り向く。
こめかみの治療跡を、大事にそうに撫でながら
「オイ、自由。もう一度、勝負内容の変更を提案する」
「……へえ?」
片眉を上げ、自由は不敵に微笑む。
かつてのライバルにして盟友、黒原哲也の本気の表情が、そこに舞い戻っていたのだ。
「人数なんかくだらねえ。大事なのは量より質だ。……あの姐さんとお付き合いした方が勝ち。それでどうだ?」
「いい趣味してるぜ。じゃあまず、めぐみんを影から応援する会に入会してもらわねえとな。琴音ちゃんが陥落した今、ライバルは多いぞ。相棒!」
それより先……。
一人の白衣の天使を巡り、二人の"王"が熾烈な争奪戦をくり広げる一大スペクタクルが開幕するのだが……。
それはまた、別のお話。
「ねえ、青蓮院さん。ちょっと歩きづらいんだけど……」
「……うん、ゴメン」
声はすぐ背後から聞こえてくる。
商店街に寄って帰ろうと約束したのだが、いざ歩き出すと、彼女は俺の背中に隠れるようにピッタリとくっついていた。
チマっと、俺の服の裾を握りながらついてくる。
まるで背後霊だ。
こんなに可愛いやつなら、いっそ、とり殺されたってかまわないが。
「いつもの君らしくないぞ……。って、これもいつもの君か」
あの告白以来、青蓮院さんはすっかりネクラの陰キャになってしまった。眼鏡もつけて、視線もうつむきがちだ。
とはいっても、それは俺と一緒にいる時だけだ。他の人といる時は、いわゆる"歩くミラーボール"、みんなの青蓮院琴音。
だもんで、学校にいる時なんかほとんど二重人格だ。
みんなもかなり驚いていたが、たぶんそのうちに慣れてくるだろう。
「……佐藤君ばっかりズルい。君が平気になったしわ寄せが、私に来たに違いないわ」
「いや、俺だって君ほど顕著に変わったわけじゃないんだけどね」
あれから、俺の視線恐怖症は随分と回復した。
でも、やっぱり彼女と一緒でなければすぐにヘロヘロのガクガクになってしまうのだが。
少なくとも、彼女といれば俺は百人力。不良共が束になって彼女を狙ってきても、軽く蹴散らすことだってできる。
「それにしても、本性のキミは思った以上に暗いなあ。なんか、思ってたのと随分違うんだよなあ。放課後のカップルって、こんな一列縦隊で歩かないと思うんだよ。付き合う前の方が、よっぽどカップルっぽくない?」
「(ガーン!)」
俺の言葉にショックを受けたらしい。背後からさらに陰々滅滅としたオーラが膨れ上がっている。
「……どうせ、本性の私なんて色気も可愛げもないネクラな女よ……。どうせ、私なんて……ブツブツ……」
まったく、君は本当にあらゆるところが規格外だ。どうしようもなく面倒で、そしてそこが最高に愛おしい。
背後の彼女に気づかれないように、俺がひとりでニヤケていると、
「……私ね。多分混乱してたんだと思うの」
「ん?」
振り向こうとした俺の顔を、強引に両手で押し戻す。どうしたんだ、急に?
彼女の言葉は続く。
「……私ね、"ホリック"のことも、佐藤君のことも同時に好きなってた。それが分かった時、こんなに浮気性な女だったのかって、自分のことがますます嫌いになったの」
「……」
きっと、これは彼女なりの告白なんだろう。
俺が彼女に向けてきた思いに対する、きちんとした"批評文"なのだ。
「……一人は"どっちの私"が好きか全く分からない。もう一人は私に全く関心がない。さらにたちが悪いことに、私の心の奥底は二人から同じ感性を感じ取っていたの。……っていうか、こんな状況になったら私じゃなくても混乱するわよね!?」
「うん……その……ゴメン」
告白は、次第に俺に対する恨みへと変貌していった。
服の裾をつまんでいた指が、いつの間にか背中を直接つねりあげている。
「……しかも、そんな二人が同一人物で、さらにはあんな大勢の前でいきなり告白してくるなんて……。驚きと、恥ずかしさと、嬉しさで、本当にどうにかなっちゃうかと思ったんだからね!?」
コツン、と俺の背中に頭を預けてくる。
制服越しでもわかる。彼女がどれだけ顔を赤くしているのかが。
「……まあ、中でも嬉しさが一番大きかったんだけど……。"佐藤くん"が青蓮院琴音を好きでいてくれた。どっちのあなたも、どっちの私も受け入れてくれる……」
ぴたりと背中に顔をうずめる彼女。妙な体制になったせいで、歩みを止めざるを得なくなってしまった。
……さすがに周囲の視線がきつくなってきた。
後ろにいるせいで、彼女の視線の効果も薄くなるし、周囲の視線は俺にだけ集中している。
事態を打開しようと、俺が口を開こうとした時。
「……でも、こうなるなら最初から全部白状してくれても良かったと思うわ。そうすれば、こんなに大事にならなくて済んだ。そう思わない?」
うん。やっぱり本性の彼女はネクラでいつまでも昔のことを引きずるタイプだ。
そう、俺と同じなのだ。
「それは、お互い様。そうでしょ?エドさん?」
「……」
俺の反撃に、たまらず彼女が沈黙する。
うーん……。このままじゃ周囲の視線も痛いし、雰囲気も暗いままだ。どうにかしないと。
もうすぐデート場所だ。初めてのデートはここだと、絶対に決めていたんだ。
しかし、こんな感じで入店するのも、なんだかイマイチだな。
俺だって、彼女の視線を背後から受け続けるのもなんだかもどかしいし。
「……そうだ!」
名案を閃いた。
「……へ、どうしたの佐藤ク──キャッ!?」
背後を振り向き、俺は彼女の華奢な体をさっと抱きかかえた。
いわゆる、お姫様抱っこと言う奴である。
「懐かしいね。深夜の教室で、香田先生から逃げる時にこうしたっけ。あの時も、今みたいに顔を真っ赤にしてたかな?」
「……(ボッ!)」
顔を真っ赤に染めて、彼女はさらに小さく縮こまって俺の手の中に納まっていた。
「……滅茶苦茶、恥ずかしいんだけど……」
「でも、こうすれば俺は君の視線を独り占めできる」
「……バカ!」
茹蛸のように顔を赤らめる彼女を抱きかかえ、俺は長蛇の列をなす喫茶店に向かって歩き出した。
商店街の外れにひっそりと位置する、魔窟喫茶。
入口には数百人近く並んでいるだろう。
しかし──
「今日は貸し切りだ。またにしてくれ」
マスターの冷たい一言で、全員を追い返してしまった。
やれやれ、本当に経営は大丈夫なんですか?俺たちの楽園、しっかり守ってくださいよ?
「さ、行こう。いつもの珈琲が待ってる。他人の目を気にせずに、思いっきり堪能しよう」
「……ウン!」
俺の肩をぎゅっと握り、彼女は、俺の大好きな満面の笑みを浮かべてくれた。
これ以降、ちょっと地味、時々ド派手な俺たち二人の恋物語は続いていくのだが……
それはまた、別のお話。
おしまい
下手したら燃え尽き症候群になってしまいそうだったので、慌てて最後まで書ききりました。
これで、本当におしまいです。
金木さんにふさわしい男となるべく、二人の男の成長の物語は続きます。(多分書かないけど)
正義クン、琴音ちゃんを頼んだよ!それと、マジで爆発しろ!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
良い作品、読者様に巡り合えて、幸せな一か月でした。




