地味な彼女とド派手な俺
分かっていたこととはいえ、想像を絶するプレッシャーだ。
今この瞬間。全校生徒の視線が、俺に集中している。
それだけじゃない。カメラの向こうには、さらに多くの人が。
多部川の体育館は最新の設備がいくつか備わっている。
登壇した人を後列からも見やすいよう、少しずつ地面の高さを調整することができる。
おまけに、壇上の周囲を特殊な硬質ガラスで覆い、それが望遠レンズのような役割をしている。おかげで、最後尾の生徒の視線までも、ビシビシと感じることができる。
……足が馬鹿みたいに震えている。
首筋からは滝のように汗が流れ、指先だって電気ショックを喰らったみたいにビクビクと痙攣していた。
どこを見ればいいのか分からない。どこを見ても、誰かと目が合う。まるで、周囲を無数の機関銃に囲まれたような気分だ。
『……それでは、準備はよろしいでしょうか』
そんな俺を気遣ってか、語り掛ける様な香田先生の声。
その言葉に、少しだけ正気に戻る。
俺が何をするためにここに立っているのか、思い出すことができた。
こんなに手が震えては、原稿を持っても文字を読むことなんてできやしない。
でも、文章は全て暗記してきた。後は、俺が途中で気絶しなければすむ話だった。
視線を真正面に向けたまま、俺は黙って頷く。
それを察してくれたようで、先生がマイクに語り掛ける。
『では、代表者に多部ログのレビュー記事を発表していただきましょう』
先生の声に合わせるように、パチパチと拍手が起こる。
心臓がブチ切れそうだ。俺、今ちゃんと呼吸できてるだろうか?
震えは止まらない。
でも、だからこそやる。間抜けで鈍感な俺は、こうでもしなければケジメがつけられない。そして、これ以外に自分の言葉が偽りでないと証明する方法が思い浮かばなかった。
操り人形のようにがくがくと震える唇を動かして、俺は文章を読み上げた。
──拝啓、青蓮院 琴音様──
今、俺はあなたに向けてこの手紙を読んでいます。
きっと、どこかであなたが見てくれている。そう信じて、俺はこれから手紙を読みます。
どうか、最後まで俺の話を聞いてください。
これは、俺の告白です。
最初の数行を読み上げると、とたんに周囲がざわつき始める。
特に、すぐ脇に控えていた教師たちの反応は顕著だった。
当然だろう。今、俺が読み上げているのは魔窟喫茶店の紹介記事でもなんでもない。
ただ一人の女性に宛てた、一通の手紙だったのだから。
彼女に連絡がつかない以上、俺が彼女に確実に思いを伝えるにはこれしかない。
それは、どこかで彼女が見てくれていると信じて、可能な限りド派手に目立つことだった。
告白は続く。
俺は、俺のことが嫌いでした。
人前に立つと、頭が真っ白になり、手足も動かず、滝のように汗をかく。
きっと、この手紙を読んでいる今も、みっともなくガクガクと震えていることでしょう。
他人の視線に怯えて、ひっそりて生きていかなくてはいけない。
そう思っていました。
校庭の片隅で、自由と哲也は発表の様子を聞いていた。
ポツリ、と。自由が語りだす。
「昔は、アニキはあんなんじゃなかった。強くて、優しくて、人前でもキラキラ輝いてた、俺の自慢のアニキだった」
椅子に腰かけ、天を見上げる。
「いっつもアニキに負けっぱなしってのが悔しくてな。何度も挑戦したが駄目だった。そんな時、オヤジの田舎で大規模なイベントがあったんだ。子供も参加できる、作品発表型のコンテスト。手先の器用だった俺は、アニキに内緒でコンテストに申し込んだ。見返してやろうって思ってたんだろうな。でも、当日になって大きな勘違いをしてたことに気づいたんだ」
哲也は黙って話を聞いていた。単なる子供の頃の思い出話をしているわけではない。
本気の言葉を吐くとき、人は言葉が固くなる。奔放な自由の意外な一面を見た気がして、哲也は内心ほくそ笑んでいた。
「そのイベントには年齢制限があった。っていうか、大人向けのガチの大会だったのさ。子供の遊び半分の作品が通用する場所じゃないって、すぐに気づいたぜ。どうしようもなくって途方に暮れていた時、アニキが来てこういったんだ。『いいから、俺に代われ』ってな。出場をブッチすることも出来たはずだが、まじめなアニキはそれを選ばなかった。結果──」
背中を預けたままの自由が、肩をすぼめるのが分かった。
軽いジョークを飛ばすような仕草だが、背中の筋肉が尋常じゃないほど固まっているのが分かる。
「田舎ってのは、よそ者と子供には結構容赦のねえ場所でな。結果、アニキは参加者や観客から一斉に笑いものにされた。それから、道を歩いてるだけで、すれ違う奴ら全員がアニキのことを小馬鹿にするように話しかけてきやがったんだ。そのせいで、アニキはすっかり人の目が怖くなって、今みてえな地味なやつになっちまったのさ」
「……ヒデエ連中だな」
「ま、数年後には俺様が一人残さず全員ボコボコにしてやったがな。おかげで、オヤジの田舎には二度と顔を出せなくなっちまった。でも、それでもアニキの症状が改善することはなかった……」
「そのアニキが、今、アレを喋ってんのか」
スピーカーを指さす。
所々声が途切れ、小刻みに震えているのが分かる。
でも、哲也には分かった。あれは、本気の言葉だ。魂の奥底から絞る様な、男の本気の言葉だった。
「トラウマの原因になった俺様には、何もしてやれることがなかった。せいぜいアニキに目線がいかねえように、近くで目立ってやることと、邪魔になりそうなやつをこっそり処分することくらいだけさ」
「がんばってんじゃねえか、アニキ」
「ああ、全ては惚れた女のため。やっぱ、愛の力ってのはスゲエな。負けんなよ、アニキ!」
スピーカーに向けて、自由は拳を振り上げた。
彼にできるのは、いつだって地味な兄をこっそり応援するくらいのことだけだったから。
そんな俺が、あなたを知ったのは高校一年の時でした。
人目を気にせず、堂々と振舞う貴女の姿に衝撃を覚えました。
美しく、誰にでも平等に接するあなたは、俺の憧れになりました。
それ以来、3年間、ずっとあなたを見つめていました。
「ちょっと、これは流石に止めるべきでしょ」
「そうですね。本来の原稿と、まるで違う。それにこんな一個人に向けた内容を、対外的に発表するのは──」
脇に控えていた教員が、意を決したようにこちらに近づいてくる。
どうやら、俺の告白を止めに入るつもりらしい。
止められるものなら止めてみろ。どんなにみっともなくても、邪魔はさせない。
最後まで、足掻いてやる。
俺の決意は揺らがない。
しかし──
「だれだ!?壇上にロックをかけたのは!?」
壇上の入り口で、何故か教員たちが立ち往生している。
壇上を覆っている硬質ガラスの入り口を、誰かがロックしたらしい。
『……登壇者は、発表を続けてください』
視線を上げると、制御室にいる香田先生がこちらに向けて軽くウィンクを飛ばしている。
こんな事したら、後で校長に叱られますよ?
でも──ありがとうございます。
今、俺にできることは、この告白を最後まで読み上げることだけだ。
俺は他人の目線が怖く、
そして、あなたはそれをものともしない。
でも違ったんです。それは両方とも大きな勘違いでした。
俺は、いつの間にか他人の視線に言い訳をしていただけだったんです。自分のことを曝け出すのが、ただ怖かっただけでした。
そして、あなたもそうだったということに遅まきながらも気づいたんです。
俺たちは、よく似ていたんです。
それに気づいた時、俺は初めてあなたへの好意を自覚しました。
究極のラブレターとは何か。先生にそう問われて、俺は考えた。
読んだ相手が絶対に好きになる手紙か?確かに違った。そんなものが存在するはずがない。
手紙の本来の役割は、思いを伝えることだ。
自分の想いを、包み隠さず統べて曝け出す。
どれだけ恥ずかしくても、たとえ拒絶されたってかまわない。
それ以外に、どんな方法がある?
だって、普通に話してたって相手のことを何もわからないのに。
そんな他人に自分のことをわからせなくちゃいけない。なりふり構ってる場合じゃない。
できることを、全部やるんだ。
俺は、俺を好きになりたかった。
だから、俺に似ているあなたを好きになった。
改めて、言います。
青蓮院琴音さん 俺は あなたのことが 好きです。
その少し栗毛がかった髪が、朝の光に透ける瞬間も
花弁のように麗しい肌が、昼の微睡に淡く染まる時も
放課後の教室で、夕暮れ色に輝く切れ長の瞳も
深煎りしたコーヒーを飲んで、華奢な肩をすぼめる仕草も
豪快にホームランをかっ飛ばす元気なところも
うっかり寝過ごした寝起きの表情も
和服の似合う、清楚な佇まいも
お弁当を食べさせようとして、無意識の内に開く小さな唇も
恥ずかしがって、真っ赤に頬を染めた横顔も
そんな自分が嫌いだという、寂しげな表情ですらも
あなたを見つめているとき、俺は俺であることを忘れて、ただ無心にあなたのことだけを考えていた。
そして、あなたに見つめられているとき、俺は本当の俺でいられる。
そうだ……。
俺は、気付いていたんだ。
彼女と一緒にいる時、大勢の視線が常に俺たちに注がれていた。
でも、不思議と俺の"フリーズモード"は和らいでいた。
彼女が、俺を見つめてくれていたからだ。
今だってそうだ。
人数すら把握できないほどの視線に晒されているにもかかわらず、俺はこうして君に語り掛けている。
他でもない。君が俺のことを見つめてくれていると、信じているからだ。
ここにこうして立っていられることが、なによりの証明なんだ。
そうだ……。
青蓮院琴音。
俺を探し出すっていうかくれんぼ勝負は、俺の完敗だ。
君が見つけ出したんだ。この俺を……。君と……君たちが……。
エドさん、青蓮院さん、金木さん。
これが、俺の答えだ。俺を探し出してくれた君たちへの。
徹底的に考え抜いて、出た結論。
どこまでも傲慢で、我儘で身勝手。さらにはみっともなくて情けない。
どうしようもなく惨めで間抜けな存在。
全てを曝け出して、そこから始める。
そして、あなたにとっても俺がそうであると信じています。
俺という存在は、あなたの前でしか成立しない。
だからどうか、あなたは俺の目の前にだけいてほしい。
俺は あなたのことが 好きです
佐藤 正義
全てを読み上げた。
会場は、驚くほど静まり返っていた。
4万の視線が、余すことなく俺に注がれているのが分かった。
でも、不思議と恐怖は感じない。
全てを曝け出して、俺の中身が空っぽになったからだろうか?他人からの視線が、空っぽになった俺の中にすっと入り込んできた。
きっと、彼女にも届いたに違いない。
伝えるべきことは伝えた。後は、彼女からの返事を待つだけだ。
どれだけかかってもいい。卒業しても、大人になっても、いつまでも待っている。
きっと、それまでにたくさんの好奇の視線が俺に向けられるだろう。でも、構わない。
どんな答えでもいい、いつか君が俺の前にきて、俺を見つめて寄越してくれるなら……。
深々と礼をして、壇上を降りようとしたその時だった。
ピロン
ポケットの携帯から通知音が鳴る。
この通知音は、聞き覚えがある。
毎日のように聞き慣れた音。一日一回。必ず聞いてきた。
俺を励まし、支えてくれた音だ。
画面には、予想通りの通知──"感想が書かれました"──
いつものように自然な動作で、その感想を開く、
すると、そこにはたった一行。こんなメッセージが記されていた。
こちらこそ、よろしくお願いしめす
青蓮院 琴音
ハハハ……
俺は思わず笑うしかなかった。
よほど焦っていたのだろう。誤字ってますよ?
そんなところも好きだ。
でも、青蓮院さん……。君はやっぱり規格外だ。
いつでも俺の創造の遥か上を行ってくれる……!
「俺の、完敗だよ……」
胸の奥に溜め込んだ全ての情熱を一瞬で打ち抜かれた気がして、
俺はその場で崩れ落ちるしかなかった。
書くべきところは書ききりました……。とりあえず本編は完結です、
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
しばらくしたら、後日談とかを書くかもしれません。
でも、超完全版とか言って長期連載として復活はしないと思います。




