会心の一撃
──翌日
『それでは、多部川商店街活性化プロジェクト、最優秀賞の発表です』
軍隊の訓練場に使えそうなほどに馬鹿でかい体育館の中には、多部川学院の全生徒、約4万人が一堂に会していた。
これだけの生徒が集まるのは、学園祭、体育祭、そしてこの多部ログの発表会くらいのものだろう。
さらには、講堂の前には複数のカメラ。
突如かスポンサーとして名乗り出た出版社が用意したもので、今回の表彰式はネットで中継しているらしい。
表彰式の直後になんらかの告知を行うつもりらしいが、正直言って俺にはどうでもいいことだった。
壇上の横に立ち、静かにその時が来るのを待つ。
スピーカーを通して、香田先生が受賞者の名前を読み上げる。
『第94回、最優秀賞は──青蓮院琴音、佐藤正義ペアです。今回は、代表者自らレビュー記事を発表していただきます』
司会席に立つ香田先生と目が合う。
いつものように優しい瞳に、俺は真っ向から向き合った。
壇上に足を踏み出す。
「……誰だ、あれ?」
俺の姿を認めると、生徒たちからざわめきが聞こえてきた。
きっと、彼女が発表すると思っていたのだろう。見知らぬ男子が登壇したので、困惑しているに違いない。
「やだ、ちょっと見て……」
「なんか、めっちゃ格好良くない?」
今日の俺は眼鏡も外しているし、髪型もオールバックにしている。
物珍しいらしく、女子たちから妙な歓声が沸いていた。
些細なことだ。これから、まさに俺は大舞台に立つ。
不甲斐ない自分にケリをつけるために……
──数刻前。
『それでは、ただいまより多部川商店街活性化プロジェクトの表彰式を執り行います』
スピーカーを通して、学院の外にも幸の声が届いていた。
多部川学院は、小高い丘の上に位置している。
必然、通学のためには緩やかで長い坂道を登らなければならない。それが、唯一の道だからだ。
その通学路の途中で、佐藤 自由と黒原 哲也は真っ向から対峙していた。
「とうとう始まったみてえだな。そんじゃあ、こっちもとっとと始めるとするか」
制服を脱ぎ捨て、低く構える。
対する黒原は、不動の構え。仁王立ちのまま、自由を見下ろす。
「オイ、どういうつもりだ?」
「んだよ?」
早速襲いかかろうとしていた矢先の問いに、出ばなをくじかれる。
不機嫌そうに睨みつけ、黒原の言葉を待つ。
「なぜ、こんな場所にした?ここでは、本気が出せんだろ!?」
何度も戦ううちに、自由の弱点に気づいていた。
人目がなければ、本気を出せないのだ。にもかかわらず、最後の決闘の場所に、この男は誰の視線も用意してこなかった。
全力の相手を叩きのめしてこその勝利。黒原は、プライドを踏みにじられたのだ。
そんな黒原を挑発するかのように、
「テメエがしつこすぎるのがワリイんだよ!何度も同じやり取りを見続けるほど、観客は暇じゃねえんだ。それにな──」
自由は視線を切って、学院の方に向ける。
大勝負を挑んでいるのは、彼だけではない。
「それにな……。なんと、極めて珍しいことに、今日は俺様よりも観客の視線を必要としてる奴がいるんだ。そいつのために、俺様もたまには我慢しなきゃな……!」
「……訳の分からんことを言いやがる。いいだろう、人目がなければ邪魔も入らんということ。今度こそ完膚なきまでに叩きのめしてやるぁ!」
開戦の火ぶたを切ったのは黒原だった。
ズンズンと、岩のような体を揺らして悠然と自由に迫りくる。
対する自由も、深く腰を落として渾身の踏み込みを繰り出そうとしていた。
その時──
「佐藤……マ・サ・ヨ・シ・くーん。あ・そ・び・ましょー!」
坂道の下から、人を小馬鹿にしたような声が響いてきた。
黒原が振り向くと、そこには散々見慣れた長身の男が立っていた。先代の番長──佐々木郷太である。
「ようやく見つけたぜェ。散々隠れまわってたと思ったら、まさかこんな堂々と名前を晒して人前に出てくるとはなァ。いい度胸してんじゃねえかァ!」
よく見れば、佐々木の後ろには無数の不良たちが並んでいる。
自由はいぶかしむ。前回の倉庫で全員を再起不能にしたはずだった。
だが、黒原には分かった。あれは佐々木の同級。つまり、3年生の集団だ。
「つかえねえ後輩共はまとめて処分した。卒業を控えて退屈してる奴らを誘ったら、こんなに集まってくれたぜェ。やっぱ、番長ってのは人徳がなきゃなァ」
佐々木に限らない。3年生はとりわけ気性が荒く、暴れられればどこでもいいという連中の集まりだった。
もちろん、喧嘩の場数も、強さも2年生の比ではない。
それがこれだけ大挙してくるとは……。
「くっそ。相変わらず場の空気の読めねえ奴らだぜ」
毒づく自由だったが、その顔色は悪い。
一見して、佐々木たちの強さを見抜いたに違いない。
珍しく彼の表情に迷いの色が浮かぶ。自由が何かの決断を迷うことは、ほとんどと言っていいほどない。
だが、それもすぐに消える。何をすべきか、一瞬で判断したのだ。
後は実行に移すだけ、自由は再び黒原に向き直る。
先ほどよりも、より深く腰を下げた。
そして──
「なんの……冗談だ?」
今、目の前で起こっている光景は現実か?
黒原は我が目を疑った。
何度もやり合ってきたからこそわかる。佐藤 自由という男は、プライドの塊でできている。
自信過剰で、誰にも屈しない。どれだけ窮地に追いやっても、膝をつくことすら決してしなかった。
誇りのためなら、全てを投げうつ。そんな男だと思っていた。
だからこそ、自分も全てを投げうって彼に勝負を挑んだのだ。
しかし──
「頼む、この場は引いてくれ」
膝をつくのをあれだけ嫌っていた男が、地面に膝をついていた。
それだけではない、手のひらも……そして額ですら。
土下座をして、自由は黒原に懇願していた。
「なんの、冗談だと言っている?」
「俺は本気だ。悔しいが、俺様一人でテメエとあのロクデナシどもをまとめて相手することはできねえ。俺が持ちこたえとしても、一人も漏らさずにここに釘付けにするのは……不可能だ。そして、今の俺様には、あのクソどもを一人も通しちゃならねえ理由がある」
地面に顔をこすりつけたまま、微動だにせずに答える。
その姿を見て、黒原は息を飲んだ。屈辱にまみれた姿にも拘らず、その全身からは鬼気迫るほどの圧力が滲み出ている。
何度も戦ってきたからこそわかった。今の自由は、本気ではない。必死なのだ。
自分のプライドを曲げさせるほどの何かがあるのだ。黒原は、静かに問う。
「一つだけ、答えろ。あそこには……なにがある?貴様ほどの男に膝をつかせる理由が、あんなどデカいだけの平凡な学校にあるってのか?」
地面に付したまま、自由は答える。
「昔、俺が置き去りした半分がいる。俺のせいで折れまがったモンが、今、自力で元に戻ろうとしてんだ。それを邪魔することだけは、例え死んでも許せねえ。なんとしてでも、守り抜く……!」
アスファルトに爪を立て、屈辱に必死に耐えて震えている。
違った。屈辱よりも耐え難いものに、今この男は抗おうとしているのだ。
「3年は強いぞ。テメエ一人で堪えきれるわけがねえ」
「知ったことか。俺は、アニキとの約束は死んでも守る。それだけだ」
やれやれ……。黒原は天を仰いだ。
どうやら、自分は振られたらしい。
だが、だからと言ってこのまま引き下がるのも癪に障る。不屈の土下座を見下ろしながら、黒原は告げる。
「実はよ、あの佐々木って野郎……。俺達2年の中でも人気のねえ先輩でよ。後輩から金を巻き上げるわ、女をかっさらうわ。本当にロクでもねえ野郎でな。昔っから気に入らなかったんだ」
何度理不尽な暴力を振るわれたか覚えてもいない。
何度殴り返してやろうとも思ったが、黒原は周囲への示しを付けるためにもひたすら耐えてきた。
だが、それももう終わりだ。自分はもはや番長ではない。一人の男として、ここに決闘を挑みに来たのだ。
「しかし、テメエとの勝負をいまさらここで投げ出すわけにもいかねえ。俺だって、今日、この日に全てを賭けてきたんだ。おいそれと引き下がるつもりはねえ」
言うや、地面に伏す自由の胸ぐらをつかみ上げ、その目を睨みつける。
黒原は歓喜した。自由の目は、未だかつてない程に凶悪で、闘志に満ちた目をしていたのだ。心が折れるどころの話ではない。コイツは本気でやるつもりなのだ。
それを確認すると、不敵に笑んでこんな言葉を添える。
「だから……どっちが多くのクソ野郎どもを倒したか、そういう勝負にするってのはどうだ?」
「……」
一瞬、呆気にとられたように表情を浮かべたが、すぐに黒原のように狂暴な笑みを纏う。
強く地面を踏みしめると、黒原の背中に回った。
「いいぜ、だが……後悔しても知らねえぞ?こんだけ大勢のファンに囲まれたんじゃ、俺様。本気中の本気の"最強モード"になっちまうからな」
背中を預けて、周囲を取り囲む不良に対峙する。
恐ろしい気分だった。これだけ大勢に囲まれているのに、背後を気にせず戦えることがこれほど心強いとは。
((負ける気がしねえ……!))
二匹の獣は、本能の赴くままに狩りを始めた。
「な……そんな、馬鹿な!?」
今、目の前で起こっている光景は現実か?
佐々木は我が目を疑った。
あれだけ大勢いた仲間が、たった二人の二年生に見る間に駆逐されてしまったのだ。
さらに恐ろしい話。戦っている間、二人は終始楽しそうに笑っていた。
殴られても、蹴られても、心の底から喧嘩を楽しんでいるようだった。
「そんな馬鹿な話が……あるか!?」
「つまんねえ台詞しか吐けねえ野郎だな。おい、哲也。最後の一人はテメエにプレゼントしてやる。とっとと黙らせな」
「いいのかよ自由?今のところ36対36で引き分けなんだぜ?」
顔を腫らしてはいるが、二人が満面の笑みで佐々木の前に立っているのは分かる。
どっちが最後のデザートを食べるか、そんな相談をしているようであった。
やがて決断が下ったらしい
指を鳴らし、黒原が佐々木の前に立つ。
「なあ、佐々木先輩。アンタには、ずっと言いたかったことがあんだよ」
「て、てめえ黒原ァ!俺を誰だと思ってんだァ!朱久の番長、佐々木郷太だ!テメエごときがおいそれと触れられらるような相手じゃ──」
プレッシャーに耐え切れず、殴りかかってきた佐々木の拳をあっさりと打ち払う。
「あ……」
呆気にとられた顔で、振り払われた拳を見上げる。
対照的に、黒原は岩をも握りつぶさん勢いで拳を固める。
全身の筋肉を動員し、最も長いストロークで拳を加速する。狙いは、ただ一点。
黒原には、この世で嫌いなものが実は三つあった。
自分より強いやつと、女にもてるやつ。そして──
「男の癖に、チャラい鼻ピアスなんぞ空けてんじゃねえよ、ゴラァ!!!!」
鋼鉄の拳が超電磁砲のような勢いで佐々木の鼻っ柱を打ち抜く。
悲鳴を上げることすらできず、佐々木の意識が根こそぎ刈り取られる。
「ホームラーン!」
自由が歓声を上げる。
抜けるような青空に、豪快な拳が高々と佐々木の巨体を天に打ち上げる。
「とまあ、ここで終わったらただの不良漫画だ。ところがどっこい、佐々木さんよ。アンタの現実はもうちょっとだけ続くんじゃ」
気絶した佐々木を捕まえて、自由は過去最高に楽しそうな、邪悪な笑みを浮かべるのだった。
次回、最高のざまぁ(?)です。佐々木ファンは見逃すな!




