痛恨の一撃†
「実は、ちょっと行き詰ってまして……」
翌日、生徒指導室で香田先生に愚痴のような、相談のような戯言を吐き出していた。
理由はさっき言ったとおり、行き詰まりを感じていたからだ。
「最近、ラブレターの調子がうまくいかないんです。ランキングも下降の一途。まあ、そっちは別にいいんですけど、自分で納得いくものが書けなくなっているんです。まあ、一度として納得いかなかったから全部没にしてるんですけど……」
話しながら話がどんどん明後日の方にズレていくのが分かる。それくらい混乱しているのかもしれない。
なにしろ、今週に入ってからまだ3通しかラブレターを書けていない。これは、この3年間で類を見ない現象。ぶっちぎりの最低記録だった。
何か深刻な疾患でも患ったのでは?と思うほどの異常事態。しかも、原因にもまるで心当たりがないのだ。
そんな俺の話を、先生は黙って聞いてくれる。弟を除けば、"ホリック"としての悩みを打ち明けられるのは先生だけ。
恥を承知で、悩みを打ち明けることにした。
「なるほどねぇ。今までも納得いっていない、それは今も一緒。じゃあ、両者の違いって何なのか分かる?」
「……そうですね。多分、俺の中に有った創作意欲が消えたのかもしれません。書きたいって気持ちが、湧いてこないんです」
「創作意欲が消えた?それって青蓮院さんへの想いが消えたってこと?」
「そうじゃありません。そんなわけないじゃないですか」
見つめ返す俺の視線を、柔らかく受け止めてくれた。
わかっている。先生は本気でそう疑っているわけじゃない。俺の中にある悩みの核がどこにあるのか、一緒になって探ってくれているのだ。
「原動力たる想いは変わらない。文章をしたためるという手段を奪われたわけでもない。となると、他に何があるかしらぁ……?」
「……」
指を口元にあてて、困ったように首を傾げる。あらぬ方向をみつめ、しばらくそのままじっとしている。
その仕草を見て、俺はつくづく幸せ者なのだなと実感した。本当に、俺は良い先生に巡り合えたのだ、と。
先生は俺を信じてくれている。だから、自分からは答えを言わない。
俺が自力でそこにたどり着けるように、周囲を明るく照らしてくれていたのだ。
「……表現の問題……。何を介して彼女に思いを伝えればいいのか、分からなくなってきたんです」
そうだ、問題はそこにあったんだ。
今まで様々なシチュエーション、文脈でラブレターを書き続けてきた。でも、ついにそれが枯渇したのだ。
つまり、俺はついにぶつかったのだ。自分の才能の限界に。
「唯一の取り柄だと思ってたんですけどね。こうやって、一人で途方もない文章を書き続けられることが。でも、終わらない旅が無いように、いつかは終着するってことでしょう」
「本当に、そう思ってるの?」
そう問いかける先生の視線は、先ほどに比べてどこまでも厳しい。そして、優しかった。
「先生の意見は違う。限界が来たんじゃない。変化、いいえ進化すべき時が来たのよ。青蓮院さん本人と触れ合って、彼女のことをより知るようになって。無意識の内に察しているの。今のままじゃ足りないって、ね」
「先生……」
「ねえ、佐藤くん。君の言う"究極のラブレター"って、どんなものなの?」
手にした紅茶のカップを机に置き、小柄な先生は俺の背後にすたすたと歩く。
「読んだ人が絶対に相手を好きになってしまう手紙?そんなの、媚薬と一緒よ。卑怯だわ。そして、そんなものが存在するとは思えない。それに──」
続く言葉に合わせて、俺の視界が急に闇に閉ざされた。
背後から、俺の目を両手でふさいだのだ。
「それに、君は自分を隠すのがとても上手。枯れ落ちた葉っぱに擬態することもいとわないし、必要であれば森をでっちあげることだってできる。こんなにかくれんぼの上手な生徒を、見たことがないもの」
「それは……どうも……」
俺だってなりたくてこうなったわけじゃないんだけどな。それと先生、あなたの手が短いせいで、フワッフワのお胸が俺の後頭部に当たってます。
妙なところに意識が逸れかけていたが、先生の最後の言葉が俺を一気に現実に引き戻す。
「でもね、隠すのが上手すぎるせいで、いつの間にか自分の本心ですら隠してしまってない?自分にすら自分のことを隠してる。そんな気がするの」
「俺が……自分のことを?」
「根拠はないわ。女の勘よ」と、先生らしからぬ言葉で会話をしめると、俺は指導室を後にした。
最後に、こんな言葉をかけてくれた。
「先生は君のことを信じてる。やればできる子だってね。でも、どうしても答えが見つからなかったらまたここに来なさい。そして君は、もっと他に頼ることを学ぶべきよ。先生以外にも、いるんじゃない?相談できる人……」
その晩、自室に戻ってPCの前に座る。
……やっぱり、ダメだ。何を書けばいいのか全然浮かんでこない。完全なスランプだ。
くそっ!俺が何を隠してきたって言うんだ?確かに隠し事は多い。でも、俺が彼女に向けた思いにだけは、なんの蓋もしていたつもりはない。
でも、それに無意識に気づいているからこうなっているのか?俺が、俺に気づけないように巧妙に隠したから……?
もしもそうなら、自力でそこにたどり着けるわけがない。だって、無意識の自分が犯人の推理小説なんてありえないだろ?
誰か、第三者の視線が……。
「……そうだ」
先ほどの最後のアドバイスを思い出す。他に助言を乞え、と。
そんなもの他にいるはずがないと思っていた。俺が"ホリック"だと知っているのは先生を除けば弟だけ。残念だが、アイツにこんな繊細な質問が通じるとは思えない。
でも、そうではなかった。
確かに俺には、"ホリック"にはいた。世界中でたった一人、俺の文章に初めから向き合ってくれた最大の理解者が……。
「……エドさん。あなたなら俺にどんな言葉をくれるかい?」
縋るようにキーボードを操作し、エドさんに向けてDMを打つ。
その時になって初めて意識したことがある。俺のラブレターは、果たしてエドさんにはどのように映っていたのだろう?
見知らぬ誰かに宛てたラブレターを、どんな気持ちで読んでいるのだろう?もしくは、読んですらいない?
急に質問するのが怖くなった。でも、今は他に頼れる人がいない。意を決して、俺はエドさんへのDMを送信したのだった。
数分後、エドさんからの返信が届く。
思った以上に速いレスポンス。俺の心の準備はほとんどできていなかった。でも、ほとんど無意識の内にそのメールを開封し、目を通してしまっていた。
そこに書かれていたたった一行の文章を読み上げ、俺は今度こそ完全に途方に暮れることになった。
先生の言うとおりだった。俺は、俺のことを何もわかっちゃいなかった。エドさんの問いに、全く答えることができないのだ。
エドさんのDMには、こう書いてあったのだ。
──青蓮院さんのどんなところが好きなのか、書いてみてはどうでしょうか?──
モニタを暫くの間見つめ、やがて力なくうなだれるしかなかった。
俺は、彼女のどこに惹かれているんだ?
そんな簡単なこともわかっていなかったのだ、俺は。
先生……やっぱり俺はダメな男です。肝心なことがすっぽり抜け落ちている、ただの間抜けでしたよ……。
作者も、ヘタレ佐藤くんのことが嫌いになってきそうです。




