君の名は†
「あ、おはよう。正義くん。……って、どうしたの?またいつにも増して影が薄いわよ」
「……おはよう金木さん。影が薄いって?それはよかったよ、あははは」
カラっカラに乾いた笑顔を返し、俺は力なく席に着いた。
結局、あれから彼女とは会っていない。ていうか、"あんなこと"の後では怖くって連絡が取れなかったのだ。
「なんか元気ないけど……。ひょっとしてあの後、家で何かあったの?」
「ギクッ!?」
さすがは金木さん、鋭い。
ジロリとこっちを勘繰るように見つめてくる。俺はまともに見返すことができず、目を逸らすしかなかった。
その行為が、さらに金木さんの疑いを加速させることも分かっていたのに……。
「えっ、何?そのよそよそしいリアクションは……!?まさか、本当に何かあったの?」
「……ゴメン、いろんな人の名誉を著しく損なうので、ノーコメントです」
「(ガーン!?)」
甚くショックを受けたようで、金木さんが真っ白になってフリーズしていた。
金木さんの頭の上で、様々な妄想が浮かんでは消えていく様が見えるようだ。
──何を想像しているかは分からないけど。金曜日の我が家にいた四人の痴態を、とてもじゃないが話すわけにはいかない。
俺が一人で悶々としていると、誰かが金木さんの横を通り過ぎていった。
「──おはようございます、金木さん」
「あ、おはよう!冴島さん。今日も図書室に寄ってから来たの?」
「──うん。静かなところに一人でいるの、落ち着くの……」
「ブブッ!?」
俺はたまらず噴き出した。
冴島さん……。俺は、必死の思いで金曜日の彼女の声を頭の中から追い出そうとしていた。あの控えめでおっとりとした冴島さんが、あんなに激しく色艶のある叫び声をあげるなんて……!
駄目だ、恥ずかしくて顔も見れないです……。まあ、もともと向こうはこっちに気づきもしないだろうけど。
「本当にどうしたの?顔が赤いよ?」
「……大丈夫」
本当は全然大丈夫ではないが、そう答える以外の選択はない。
目を閉じて、鍛えに鍛えぬいた自制心で強引に金曜日の記憶を消し去っていると──
「あ……お、おはよう、佐藤くん」
「!?」
金曜日以来に聞いた彼女の声が、俺の背筋をゾクッと震わせる。
目を開けると、半ば目を他所にそらしながら、頬をポリポリと掻いて彼女が傍に立っていた。
気まずさ全開と言った感じだ。そして、たぶん俺も同じような表情を浮かべていたに違いない。
「お、おはよう……青蓮院さん」
俺が声をかけると、何故か彼女は冷や水を浴びせられたみたいにその場から飛びのいた。
「キャッ……。ご、ごめん」
「いや、なんかこっちこそゴメン。驚かすつもりはなかったんだけど……」
「……(じーっ)」
互いに腫れ物に触る様な会話をしていると、間に挟まれた金木さんが殺気の混じった目で俺達を観察していた。
何かは分からないが、全身から『怪しい……怪しい……』という疑いのオーラが迸っている。いったい、何を疑われているのだろうか?
「そ、そうだ。第三稿はあれから仕上げておいたから、俺から提出しておくよ」
「あ……そういえば、そうだったね。あんなことがあったから途中で有耶無耶になってたっけ」
「……あんなこと……?」
金木さんの発するオーラが、また一段階どす黒くなったような気がするが、気のせいか?
「今週で、いよいよ多部ログも終わりだ。今週末に最終稿を提出するんだから、頑張ろうね」
「う、うん……」
「それじゃあ、今日こそいつもの喫茶店に」
「あ。そ……それが、今日はちょっと用事が出来ちゃって。どうしても会ってお話しておかなきゃいけない人なの」
そう言うと、彼女は何故かチラリと金木さんの方を見つめる。
ん?どうして金木さんを見たんだ?約束の相手って、金木さん?
でも、金木さんから迸るどす黒いオーラを見るに、とてもそんな約束をしているようには見えない。
いったい、どんな用事なんだろう?
「それじゃあ、また今度ね」
錆びついたブリキ人形のようにギコチナイ挨拶を交わし、彼女は自分の席に戻っていった。
「……ふう」
どうしてだろう。どっと疲れてしまった。
しかし、今日の彼女のぎこちなさ。いくらあんなことがあったとはいえ、ちょっと尋常じゃなかったような気がするな。
よほどショックだった、ということだろうか。
「ねえ、正義くん。今日の放課後は予定ないんだよね?」
「まあね」
「じゃあ、良かったら私とお店のリサーチに行かない?学校以外の環境の方が、きっといいリハビリになると思うの」
まったく、金木さんの奉仕精神には頭が下がる。
こんな俺の治療に、ここまで熱心になってくれるのだから。
断る理由はない。俺がそう返事すると、さっきまでの漆黒から一転して、桜色の満面の笑みが浮かぶのだった。
──放課後
治療、とは言うが、場所を変えてもその内容は変わらなかった。
むしろ、彼女がいなくなったことで歯止めがかからなくなっているようでもある。
「はい、あーんして」
「……(あーん)」
無言でパフェを噛み締め、ゆっくりと咀嚼する。
「ねえ、今度は私も」
「……ハイ、アーンシテ」
至福の表情でパフェを頬張る金木さん。なんだか、治療をしているような表情に見えないんですけど……。
喫茶店に入ると、金木さんは率先して俺の隣の席に座り、肩が触れる距離に密着してパフェを注文した。
そしてすぐさま「あーんして」のキャッチボールの始まりである。
「くっそ、なんであんな地味な野郎があんな可愛い娘と……!」
すぐ背後から、男子学生の嫉妬の視線が突き刺さる。
ていうか、あなたも今デート中ですよね。隣の彼女が不満そうに、今度はあなたの方を睨んでますよ。
金木さんがチョイスした店は、俺たちが普段行くような小型のひっそりとしたタイプではなく、大型のメジャーどころのお店だった。
周囲はいちゃつくカップルばかりで、しかも滅茶苦茶人が多い。店内がピンク色に染まっているように感じられた。
「私、こう言う店に二人で来るのが夢だったんだあ」
「ねえ金木さん。治療が目的だったんじゃあ……?」
俺の指摘に、ハッと我に返ったように金木さん。慌ててフォローを入れる。
「も、もちろん忘れてないわよ。聞いたところ、いつも青蓮院さんと行くような店では人の目が足りてないの。他人の目に慣れるためには、こう言うお店がうってつけなのよ!そうに決まったわ!」
力強く主張する金木さん。
「それに、周りもみんな似たようなカップルだから、私達のことなんかそれほど気にしてないって」とおっしゃってますけど、金木さんは気づいてらっしゃらないようで。
俺達、メチャンコに周囲から見られてますよ?
自覚がないのかもしれませんが、あなたの容姿はかなり人目を惹いてます。
奇麗に切りそろえられたボブカットに、透けるような白い肌に大きな瞳。
周囲の男子たちの視線を見事に吸い寄せておいでです。ついでに、そのおこぼれがガンガン俺にも突き刺さってます。
いつもと違って、かなり強力な"フリーズモード"に、全身がほとんどいうことを聞かない。
逆に、彼女といる時はなぜそれほど強烈な動作異常を起こさないのだろうか?
素朴な疑問が湧いてきた。
金木さんの言うように、確かに人目の少ない店で過ごすことが多い。
それでも、商店街の通りを歩いているときは人の目を引くのだし。金木さんには悪いけど、青蓮院さんの吸引力たるや今の比ではない。
俺が応えのない疑問にふけっていると、
「ああ美味しかった。ねえ、正義くん。今度は映画館に行こう?」
「あんなに人目のない所で、一体どんな治療効果が望めるんですか?金木さん……」
半ば引きずられるように店を出る俺。"フリーズモード"のせいで抗うことはできなかった。
そして、半ば夢遊病のようにぼんやりとした耳に、どこかで聞いたような声が飛び込んできた。
「ようやく見つけたぜ。あの女……。そうか、金木って名前だったのか」
どこかで聞いたことのある声だったが、その時の俺には思い出すことができなかった。
そして、そのことを後で死ぬほど後悔することになるのだった……。
ひょっとして、佐藤くんがどんどん皆に嫌われてないか、不安になってきました。




