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初恋と失恋


「……またまた、やってしまったわ……」


 帰り道のバスの中で、琴音は三度頭を抱えていた。

 ついさきほどの醜態を思い出し、火を噴くを通り越して、すっかり青ざめてしまっていた。


「……なんなのよ、私ったら……!なにが『我慢するの大変でしょ』よ!?痴女どころの話じゃないわ」


 深夜のバスなので周囲にほとんど人はいない。

 "自動操縦モード"が解けた琴音は、ブツブツと恨みがましい独り言をつぶやき続ける。


「……まさか、隣でいきなり"あんなこと"が始まるなんて思わないじゃない。熱気にあてられて、私までおかしくなっちゃったのよ」


 言い訳がましいが、事実その通りであった。

 周囲の人間の空気を読んでしまう琴音は、すぐ隣で行われていた情事の熱をモロに浴びてしまったのだ。

 そして、その空気を無意識の内に自分の行動へと変換していたのだ。


「……まったく、途中で投稿サイトの通知がなかったら、本当にどうなっていたのか分からなかったわね」


 窮地を救ってくれたはずの通知音だが、スマホを見つめる琴音の視線はかなり剣呑なものだった。


「……我に返ったと思ったら、今度はラブレターにまであんな破廉恥な表現が混じるなんて……。今日は一体なんなのよ。佐藤くんも"ホリック"も、二人して私のことをからかっているのかしら……」


 "二人して"というのは大きな間違いだが、琴音には知る由もない。

 

 気が付けば最寄りの停留所が近づいていた。

 バスを降りて、家までの短い距離をゆっくりと歩く。


「……」


 季節の変わり目に吹く、柔らかく穏やかな風が琴音のそばを駆け抜けていく。

 栗毛色の髪の毛が琴音を通り越し、バタバタと自分勝手に揺れていた。


 いつの間にか雨が降っていたらしい。雨に巻き上げられ、少し湿った土埃の香りが琴音の鼻腔をくすぐる。

 空を見上げれば、朧月がそっと見守るように彼女を照らしてくれていた。


「……ふう」


 夜気に当てられ、のぼせきった頭がふっと軽くなる。冷静になった思考で、今日一日を改めて思い直していた。

 自分がとった行動。その理由。そして、彼のリアクション。


 全てを総合して、琴音は一つの結論を下した。


 今まであやふやだった輪郭が、目の焦点が合ってはっきりと浮かび上がった感覚に近い。これまでにない、確かな手ごたえがあった。


 そして、その結論はとても残酷な事実を琴音に突き付けてもいた。


「……!」


 急に涙が込み上げた。

 どうして今まで気づかなかったのだろう。何で馬鹿なのだ、私は。


 涙をそっと拭う。

 どうして今頃になって気づいたのだろう。なんと愚かなのだ、私は。


 彼女が下した結論。

 それは──



──佐藤くんは、私のことを何とも思っていない。そして、だからこそ私はそんな佐藤くんを好きになった──


 

 つい数刻前のあの状況に陥ってなお、彼は琴音のことを拒んで見せた。

 琴音の本能が感じていたことは間違っていなかったのだ。彼は、琴音に何の好意も寄せていない。


 だから彼の隣に居る時、琴音はいつもの自分でいることができた。

 それは彼女にとっては奇跡のような時間であったし、そんな琴音を受け入れてくれている彼に強く惹かれたのだ。 

 

「……自分に無関心な人を好きになるなんてね。私って、結構Mッ気があるのかな。それにしても、恋を自覚した瞬間に失恋が確定するなんて、こんな間抜けな話ってないわよね」

 

 まるで他人事のような感想が口から漏れ出る。

 "自動操縦モード"中のように、もう一人の自分が俯瞰して見下ろしているような感覚。まるで、自分のことではないような気がしていた。


「……どうしよう」


 最後に出てきたのは、とてつもなくシンプルで切迫した悩みである。

 自覚してしまった以上、最早後戻りはできない。愚者として、それでも前に進まなければならなかった。


 でも、どうすればいいのか……。途方に暮れるしかない。

 

 と──

 家の近くまでフラフラと歩いてきた琴音の視界に、人影が写り込んだ。


 家の前で待っていたのか、こちらに気づくと真っすぐに歩み寄ってくる。緊張した面持ちで、しかし断固とした足取りで。


(……金木さん?)


 見覚えのある顔立ちは、恋敵であるクラスメイトによく似ていた。

 だが、意志の強さこそ似ているが、年齢や鋭すぎる知性の光は彼女とは似ても似つかないものだ。


 琴音の前で止まると一礼し、


「初めまして、青蓮院琴音さん。私は金木かおる。貴女のクラスメイトの金木めぐみの姉です。夜分の訪問でごめんなさいね。でも、私も夕方からずっと待っていたのだから、そこは考慮していただきたいわ」


 差し出された名刺には、大手出版会社の社印が押されている。

 訳が分からず困惑している琴音に、かおるは続けざまにこんなことを口走った。


「今回、あなたに火急の用があって訪問しました。といっても、正確に言えば青蓮院さんにではないのだけど」

「え……?」


 あまりの展開に頭がついていかない。しかし、鋭すぎる琴音の直感は、とてつもないアラートを脳内で撒き散らしていた。

 混乱する琴音を見て取ったかおるは、申し訳なさそうに詫びる。


「ごめんなさい。混乱させるつもりはなかったの。ただ、私もこういう形で誰かを訪ねるのは初めてなもので、なんといっていいか分からなかったの」


 嘘ではない。かおるが本心を打ち明けていることは分かる。だが、その事実が余計に琴音を不安にさせていた。

 散々迷った挙句、かおるは最終的にこう切り出すことにした。


「私が用があるのは、もう一人の貴女なの。青蓮院琴音……いいえ、エドワード=ノイズさん」


 失恋に痛む胸が、今度は強く揺さぶれた。


 初秋に吹きすさぶ生暖かい風が、琴音をあざ笑うかのように背中を強くノックして通り過ぎていった。



前回からのこの落差。ちょっと温度差きつかったでしょうかね。

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