声と声
レビュー記事も、ラブレターも、いよいよ佳境を迎えようとしていたその時だった。
ガチャリ
扉の開く音が聞こえた。
俺の部屋じゃない。隣の部屋だ。
壁が薄いせいで、扉が開く音くらい簡単に聞き取れてしまうのだ。
その時、俺たちは最後のスパートに入っており、互いに無言だった。
そのせいで、隣から聞こえてくる音をもろに聞き取る羽目になった……。
それは──
「……ああ、自由くぅん……」
やたらと艶めかしい女性の声。
それを聞いた瞬間、俺の全身を悪寒が駆け抜けていった。
そうか、忘れていた!今日は金曜日。
我が弟が、女子を連れ込む日だった!
気づいた時にはすでに遅かった。
我が弟の手の速さはこれまで何度も隣で聞いてきた。
俺が何かアクションを起こすよりも早く、たちどころに行くところまで行ってしまった。
「好き!好きぃ!滅茶苦茶にしてぇ!」
「おお、こんなもんで終わると思うな。本番はこっからだぜ!」
壁が薄かろうと何だろうと、おそらく筒抜けになっていたであろう程の大声で叫ぶ二人。
こうなってしまっては、俺たちはただ息を殺して行為が終わるのを待つしかない。
ていうか、この声。図書委員の冴島さんじゃないか。
おとなしそうな顔して、こんな積極的な娘だったとは驚きだ……。
「……」
って、俺が変なところに感心していると、右手に何かが当たる感触がした。
視線を落とすと、彼女が俺の手を握っていた。
顔を真っ赤にして、なにかを堪えるように目を閉じている。
そりゃあそうだよな。こんな衝撃的なシーンに遭遇するなんて思ってもいなかっただろう。
『ゴメン、弟の話題が出た時に気づくべきだった。俺の部屋、壁が薄くて、よくこんなふうになるんだ』
ノートにメモ書きして、彼女に謝罪する。
『レビュー記事もほとんど書き終わったから、帰ってもいいよ?多分、こっそりドアを開ければバレないだろうし』
兄としても、これ以上弟の恥部を彼女に披露するのも申し訳ない。(我が弟はまったく気にしないどころか、見られると興奮するタイプだから質が悪いのだが……)
俺がやんわりと帰宅を促す。すると──
『佐藤くん、よく家でこんな目に遭ってるの?』
彼女が筆談で返事をしてきた。
俺は無言で頷く。眉を下げて、心底困ったような表情を添えて。
それを確認すると、彼女は続けてこんなことを書いてきた。
『こういうの聞いてたら、我慢するの大変でしょ』
「……っ!?」
あまりに刺激的な文章に俺が驚いていると、いつの間にか彼女の顔をがすぐそばに近づいていた。
先ほどから変わらず頬が赤らみ、瞳は怪しく揺れている。
ちょっと、青蓮院さん。気は確かですか?
慌てて目を逸らした俺の耳元で、小声でこんなことを囁いてくる。
「佐藤くん、私のこと……どう思ってるの?」
「……」
同じような問いを何度か受けてきたが、今回のはこれまでで最も破壊力のある攻撃だ。あまりの衝撃で頭がぐらっと揺れるのがわかった。
恐ろしい攻撃だ。俺の理性を吹き飛ばし、全てを白状させるつもりなのだ。
頭に血が上って、まともに思考ができなくなっている。"フリーズモード"でもないのに、呼吸が危うい。
このままじゃ、本心を曝け出してしまう!
だが、間一髪間に合った。
俺は、左手のポケットに手を突っ込み、書き上げたラブレターを送信した。
すると──
ピロン
「っ!?」
突如としてなった通知音に、我に返る青蓮院さん。どうやら、間一髪で危機を回避できたようだ。
今までのやり取りの中で、彼女が投稿サイトの更新通知をONにしていることは分かっている。俺がアップロードすれば、彼女はそれに目を通すだろうことも。
『見なくていいの?』
とだけ書き添え、少し体を引く。
何かに感づいたように、彼女の赤らんだ顔がさっと青ざめるのが分かった。
何かに縋るように、手にしたスマホに目を落とす。
……勝った!
どうだ。俺の勝利だ!
君の恐ろしい尋問に耐え、そして君の目の前でラブレターを書ききったぞ!
これで、俺の疑いは完全に払しょくされたに違いない!
「……(ボッ)」
俺のラブレターを読み終えた彼女の顔色が、再び赤く染まる。
はて?そこまで恥ずかしい文章を書いた記憶はないが……。ひょっとして、彼女の好みはこの手の表現だったのだろうか?
今後の参考のために、覚えておこう。
さあ、ここまで証拠が揃えば、これ以上俺を尋問する必要もあるまい。
俺はこっそりとドアを開け、彼女を玄関まで送っていった。
幸い、俺の家はバス停の前にある。彼女の家もバス停の近くだと言ってたから、送る必要はないだろう。
二階から未だに響く嬌声に軽く耳を塞ぎながら、俺たちは苦笑いで別れを告げたのだった。
自室に戻って一息つく。
全く、ギリギリにもほどがある。まさかここまで追いつめられるとは思ってもいなかった。
しかし、最後の最後に大逆転だ。彼女は、まさか自分の目の前でラブレターを書かれていたとは微塵も考えていないはずだ。
なに、どうやって書いたのか知りたいって?
答えは簡単。スマホの"音声入力"を使ったのさ。
適当なタイミングで音声入力をONにして、必要な言葉を喋ってOFFにする。自分の発言を所々切り取って、一つの文章を仕立てたって訳さ。
頭の中にあらかじめ文章を作り上げ、その一部分を会話の中に自然と滑り込ませる。なかなかにタフな作業だったよ。
最近のスマホの音声識別は優秀だ。あらかじめ入力した俺の声だけに反応し、他の声を拾わないことだってできる。この機能がなければ、ノイズが入る恐れが縫いきれず、ノールックで投稿なんて英断はできなかったに違いない。
さて、念のために俺も文章を確認して……
「ぶっ!?」
先ほどアップした短い文章を読み上げて、俺はたまらず噴き出してしまった。
文章の最後に、聞き覚えのない破廉恥な文章が紛れ込んでいた。
っていうか、間違いない。これ……弟の声だ!
さすがのスマホも、兄弟の声を聞き分けるところまではいかなかったらしい。俺たちの声、よく似てるって言われるしな。
幸い、奇跡的に文章はつながっているし、弟の台詞もあまりにぶっ飛んだ内容ではないからそこから即座にバレる可能性は低いだろうが……。
こんな恥ずかしいラブレターを彼女に読まれてしまった……!
ああ、どうしよう?今更削除したら、それこそ怪しまれる。このままいくしかない。
オノレ、我が弟よ……。後で覚えていろ……!
節操のない弟に天誅を与える決意を秘め、隣の部屋の秘め事が終わるのをじっと待つのであった。
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