正義と自由†
──琴音視点です。
(ヤバい。ヤバいヤバいヤバい、どうしよう!)
小さなテーブルの前にちょこんと座ったまま、琴音の頭の中はすっかりパニックになっていた。
(金木さんと張り合っていたと思ったら、いつの間にか佐藤くんの部屋に来ちゃって。しかも、家にはだれもいないですって?)
彼の言葉を信じるならば、両親ともに帰宅は遅いらしい。
今までの琴音からすれば考えられない行動である。誰かと進んで二人きりになるなど、ありえなかったのだ。
不意に先日の香林堂での一幕が脳裏をよぎる。
二人きりになるのは極力止めるように、母に釘を刺されたばかりだった。
(でも、佐藤くんに限ってそんなことは……。でも、彼だって男の子。本当の二人きりになったらどうなっちゃうか……。やだ、私ったら何考えてるの!?)
顔を真っ赤にして首を振る。幸い、隣に座る彼には気づかれていないようだ。
気分を落ち着けるために深呼吸をする。
冷静に考えれば、これはいい機会かもしれない。そう考えることにした。
(よく考えたら、私って佐藤くんのことを何も知らない。彼が何が好きで、なにが嫌いなのかも。そして、私のことをどう思っているかも……)
ここは彼の部屋だ。
おそらく、世界中で最も彼に関する情報が揃っている場所でもある。
(この際だから、佐藤くんのことに少しだけ詳しくなってみよう)
そうすれば、この前から感じている胸の痛みの正体にも気づけるかもしれない。
最近は、特に金木さんと彼が近づくたびに胸が痛い。これは、一体何なのか。その答えが見つかるかもしれない。
(そうと決まったら、行動あるのみ。多部ログの記事も大事だけど。こっちもがんばらなくちゃ)
本来の琴音はネクラで引っ込み思案である。
彼と二人きりになるとどうしてもその本性が顔を出してしまうのだが、今日ばかりはそれを無理やり押しのけよう。そう決意すると、早速琴音は行動を開始するのだった。
──佐藤くんの視点に戻ります
「ねえ、佐藤くんの子供頃のアルバムとかないの?」
──来た!
お決まりのやつだ。個人情報を探り出すための王道パターン。
しかし、その手は通じない。本棚の目立たない場所に隠しているから、見つけることは不可能だ。
後は、「どこにやったっけな?」とかいって探すふりをすればいい。
青蓮院さん、悪いが君の手は全て封じさせてもらうよ。
「あ、見っけ!」
──なん、だと?
何よりも自分を隠すのがうまいこの俺が隠した本を、こうも簡単に見つけるとは……。
似たような背表紙の本の中に巧妙に紛れ込ませたつもりだったのに。やはり、彼女の観察眼は図抜けている。
第一ラウンドは、どうやら俺の敗北のようだ。
「うわあ、幼稚園の頃の写真じゃない。佐藤くんってどこにいるの?」
「……ここかな」
ここまでくれば隠すことはできない。正直に居場所を教える。
すると、彼女は目をキラキラと輝かせ──
「か、可愛い!!まるで女の子みたい!佐藤くんって整った顔立ちなのねー」
この頃は髪も短かったし、写真も平気だったからな。
今とは全然違うから、そりゃあ同一人物か?と疑いたくもなるよ。
「あれ?そっくりな子が隣にいるけど……。双子?」
「ああ、そいつは弟だよ。今まで言ってなかったっけ」
幼稚園のアルバムを見られた時点でこうなることは覚悟していた。
我が弟の存在は、どうしても目を引くからな。
「へえ、弟がいたんだ。ひょっとして、同じ高校に通ってるの?」
「一個下にいるよ。まあ、けっこう有名かも……」
アルバムをめくると、俺と弟の写真が出てきた。この前床に落ちていた、笑顔と泣き顔のツーショットだ。
「へえ、やっぱり二人並んでると見分けが──」
そこで、彼女の声がピタリと止む。
うん、そうなるだろうと思ったよ。彼女の視線は、二人の体操服に縫われたゼッケンに注がれている。
「正義と自由……。もしかして、佐藤くんの弟って……」
「やっぱり気づいた?君に負けず劣らずの有名人だからね。兄としては、ちょっと恥ずかしいから黙ってたけど」
「自由くんのお兄さんだったのね」
でも、彼女が本当に驚いたのはそこではなかったらしい。
「この写真の佐藤くん、今と別人みたい。もちろん、自由くんの方も」
そう、彼女が指摘しているのは"笑顔でピースしているのが俺で、悔し涙を流しているのが弟"だという点だ。
「この頃は、弟も可愛げがあったんだけどね。最近ではめっきり立場が逆転しちゃったよ。青蓮院さんも覚えてるだろ?ホームランボールをキャッチするために、俺を踏み台にしたんだよ?」
「アハハ、じゃあきっとワザとやったんだね。仲のいい兄弟なんだ」
卑下したギャグのつもりで言ったのだが、彼女はそう受け取らなかった。そして、その感想は正しい。
互いに性格はこんなにも歪んでしまったが、俺たちは基本的に仲がいい。
「佐藤くんにもこんな元気な時代があったんだね~」
何かに感心するようにページをめくっていく。
……マズイ!これ以上ページをめくられては大変なことになる!
「さあ、昔話はこれくらいにして、多部ログのレビュー記事を書こう。このままじゃ、いつまでたっても終わらない。それとも、このまま一泊していくつもりかい?」
「お、お泊り……!?(ボッ)」
急に顔を赤らめる彼女から、強引にアルバムを奪い取る。
ふう、危ない所だった。
なんしろ、巻末には園児の名前一覧が掲載されているのだ。当時の俺は、まだ本名で過ごしていたから、ここを見られるのは致命傷となる。
仕切りなおすため、改めて彼女の隣に座る。こうすれば、いやがおうにも記事をかき上げるモードに入るだろう。
「まずは店を選ぶところからだね。いくつか候補を上げてみようか」
「……ウン」
何故か急にしおらしくなってしまったが、これはこれで好都合だ。
これ以上俺の個人情報を探られないように、そしてこの状況下でラブレターをかき上げるためにも、俺はゆっくりと座って彼女と会話を続けなければならないのだから。
それからしばらくの間、二人での執筆が淡々と続いた。
レビュー記事を書き上げる時、俺たち二人の分担はいつもきまっていた。
彼女が店の特徴や一押しポイントをピックアップし、それを俺が文章に起こす。
何度も繰り返すが、彼女の観察眼は本当に素晴らしい。常人では目が届かないような細かい所から、外観を含む店全体の雰囲気まで、さらにはどんな客層がどんなニーズで訪れているか。実に幅広く捉えている。
香田先生の言ったとおりだ。彼女が捉えた店の姿を、俺が文章として新たに構築する。自分で言うのもなんだが、非常に息の合った連携がとれていた。
適宜、意見交換を続け、レビュー記事は次第に形を成していった。
そして、俺のラブレターもほとんど完成に近づいていった。
正直言って、こんな状況でラブレターをかき上げるのは至難の業だ。いつものように何本もアップするのは流石に不可能だ。
でも、一本くらいなら、やれないことはない。
俺は、彼女の前でPC画面はおろかスマホ画面にすらほとんど目線を向けていない。
スマホにはキーボードがついていないせいで、ブラインドタッチで文字を入力することはできない。フリックだってさすがに無理だ。
だが、この状況下でもラブレターを書くことはできる。
見ているがいい、青蓮院琴音。君の目の前で、見事にラブレターをかき上げて、そして疑いを晴らしてやる……!
レビュー記事も、ラブレターも、いよいよ佳境を迎えようとしていたその時だった。
ガチャリ
扉の開く音が聞こえた。
それは──
次回は、いつもより早めにアップします。




