琴音、襲来
それから数日後──
平穏な日常はものの数時間で過ぎ去り、嵐のような一瞬の連続が絶え間なく俺を襲ってきた。
お弁当の次は手を繋いで下校する、だとか色々あって、一時たりとも気が休まることはなかった。
やれ「どっちのお弁当がおいしかった?」だとか、些細なことで揉め事が始まるのでたまったものではない。
騒ぎが大きくなるに比例して、当然周囲の視線も俺たちに向けられるのだから。
今も、俺たち三人は仲良く(?)並んで商店街を歩いている。
「って、どうして金木さんもついてくるのよ?」
「多部ログの情報収集に決まってるでしょ?私たちのペアは別々に行動していいお店を探し合うって決めたんだから」
「それって、別に俺たちについてくる理由になってなくない?」
「ライバルの動向を探るのも立派な戦術よ?なにしろ、現時点での多部ログのシングルランカーなんですからね」
金木さんの言うことは正しい。
第一稿こそ伸び悩んだものの、半ば反則気味に繰り出した第二稿がバズったせいで、俺は多部ログでも上位に食い込むことになった。
まあ、先生の話を聞いたせいで、それ以上上を目指す気力はないんだけどさ……。
そんなこんなで、ここ数日で俺たちの様子もすっかり変わってしまったわけである。
「ねえねえ、まさか、正義くんまで私を邪険に扱ったりはしないわよね?」
「金木さん。その良い方だと、まるで私が金木さんに冷たい態度をとってるみたいじゃない?」
「きゃあ、怖い!正義くん助けて!」
そう言って、グイグイと自分の胸を押し付けてくる金木さん。
なんでも、アンチ・ストレスホルモンと呼ばれるセロトニンは人とのスキンシップによっても盛んに分泌されるのだとか。
そう説明してからというもの、手をつないだり、今みたいに抱きついてきたりとやりたい放題なのだが。
金木さん、青蓮院さんに見せつけるようにワザとやってるように見えるのは気のせいでしょうか?
実際、青蓮院さんも「むきーっ!」って怒ってるし。ていうか、最近の貴女、性格が少し歪んできてるように見えるのは気のせいでしょうか?
俺が二人に聞こえないようにこっそりとため息をついていると、
「おい、今"マサヨシ"って言わなかったか?」
「へ?」
不意に背後から物騒な声で呼び止められる。
……またか……
「なんですか、あなた達?」
「そんなことよりよお、姉ちゃんさ、今そいつのことマサヨシって呼ばなかった?」
「呼んだけど、それがどうしたのよ?」
声をかけてきたのは朱久の制服。臆することなく金木さんは強気で言い返す。
二人組のオールドスタイル・ヤンキーは、そんな金木さんにも目もくれず、俺に向かってガンを飛ばしてくる。
「テメエ、ちっと名前を教えてくんねえかなあ?」
やはりか……。不良にも聞こえないようにこっそりため息をつくと、俺は素早く懐から一枚のカードを取り出した。
それを見せながら、自己紹介する。
「鈴木 マサヨシですけど……」
手に持った学生証をジロジロとにらむ不良たち。やがて──
「けっ、紛らわしい名前してんじゃねえよ!」
唾を吐き捨てながらその場を去っていく。
「それにしても、可愛い子二人も侍らしてうらやましいじゃねえか。一人くらい俺にもよこせや、コラ」
「よせって!遊んでたら佐々木さんに何されっか分かんねえぞ!」
引きずられるように去っていくもう一人の不良。
しかし、ここ数日、似たようなことが多発している。商店街を歩く朱久の生徒も明らかに増えていた。
どうやら、俺を探しているらしいのだが……。
「名前しか知らない相手を探してるみたいね。いったい何の用なのかしら。ていうか、人を探すのに名前だけしか知らないって馬鹿じゃないの?」
金木さんの言う通りだ。
先生に頼んで、こうやって学生証を偽造さえしてしまえば簡単に躱すことができるのだから。
幸いにも、クラスメイトにすら俺のフルネーム(偽名)を知っているやつはほとんどいない。
つまり、"ホリック"という名前だけを頼りに俺のことを探し当てようとしているようなものだ。
何やら薄気味悪いが、どうにかなるだろう。彼らは大抵二人か三人でしか行動していない。その程度の視線であれば、臆することなく刈り取ることができるからな。
そうこうしているうちに、目的地にたどり着いた。
今日は、いつもの喫茶店で第三稿をかき上げる手筈になっていたのだ。
だが──
「あれ、店休日だって」
「本当だ。この店がお休みなんて、滅多にないんだけどなあ」
他に人がいなくて、原稿を書き上げるのには理想的な環境だったのに、残念だ。
「どうしよっか。今日は止めて明日にする?」
「うーん、でも明日はちょっと家の用事があるから、今日中に仕上げたいんだよね」
そうだ!と名案を閃いたように彼女。
「せっかくだから、今日は正義くんの家でやろうよ!」
「「!?」」
突然の提案に、思わず硬直する俺と金木さん。
チョット、何言いだすんですか。
「そんなの、別に他の店でもいいじゃない」
「でも、私も正義くんも、人がいない場所の方が集中できるのよ。香田先生の実家も、最近はとんでもない人気店になっちゃったから、この喫茶店が最後の砦だったのに……」
少し悲しそうに眉根を下げる彼女。
……ん?まてよ?香林堂が先生の実家だって、説明したことあったっけ?
困惑している俺を他所に、二人の間で議論が加速していく。
「そ、それなら私も行くわ!」
「金木さんのスパイは、お店までにしてほしいわ。私達のレビュー記事まで盗まれちゃたまんないもん」
青蓮院さん。貴女、金木さんにはやたらとアタリが厳しくないですか?
正論ではあるのですが、やたらと棘が立ってますよ?
「むーっ!」
「はい、勝負ありね!行こう、正義くん!」
あの、最も肝心な"本人の承諾"がまだだと思うんですけど……。
そんな俺の意見はどこへやら、彼女は俺をグイグイと引っ張って行くのであった。
そして、家についてみると、俺はとんでもない二つの事実に気づくのであった。
一つ目──
「……あら、ご家族はまだ帰宅されてないの」
両親の帰りが遅いのはいつものことだが、今日は特に遅い日なのだ。
つまり、当分の間俺と彼女は二人っきりで家で過ごすことになる。
まだ、これはいい。
今までも喫茶店で二人きりで過ごすことは多々あった。
俺が正気を保っていられれば、何の問題もないはずだ。
しかし、問題は二つ目──
「今日は、何時になってもいいから必ず原稿を仕上げようね!」
青蓮院さん。かなりやる気でいらっしゃる。
だが、そのやる気は今の俺にとってとてもまずい状況を作り出していた。
何故かって?
あまり遅くなると、支障が出るからさ。
つまり……"ホリック"としての執筆稼働に……だ。
彼女と二人っきりの室内で、彼女に向けたラブレターを書くなんてどう考えても狂気の沙汰だ。
ただでさえ、紙の原稿用紙にレビューを書いている最中なんだ。パソコンやスマホに文章を打ち込んでいたら「何書いてるの?」と覗き込まれて一発アウトである。
しかし、そのまま時間が過ぎて行けばどうなるか?
"ホリック"の投稿時間は、毎日ほぼ同じ。それが、今日だけ崩れることがあればどうなると思う?
絶対にバレる。俺が"ホリック"だと。
……青蓮院 琴音……
君は、なんて恐ろしい計画を思いつくんだ。
喫茶店が閉まっているのを見た瞬間、君はこの作戦を咄嗟に思い付いたに違いない。なんと俊敏で狡猾、そしておぞましい計画だろうか。
俺が"ホリック"として執筆している現場をおさえられればそれでよし。
尻尾を見せなくても、その日に限って更新が止まればそれもまた十分な根拠になりえる。
あの投稿サイトには、予約機能というものが存在しない。時間を指定してあらかじめ文章をアップロードしておくという手が使えないのだ。
くそっ!今も落ち着かずにソワソワしたそぶりで部屋の中を見回しているのだって、"ホリック"の痕跡を探しているに違いない。
だが、これは千載一隅のチャンスだ。
目の前で君が監視している状態で、もしも"ホリック"の小説がアップロードされたらどうだ?
君は、もう二度と俺のことを疑うことはできない。俺の嫌疑は完璧に晴れることになる。
いいだろう、やってやろうじゃないか。
君の目をかいくぐり、君に向けたラブレターを書いてみせよう。
俺の機転と君の観察眼、どっちが勝つか……勝負だ!
ポテチと携帯テレビは出てきません。




