裏番長と編集長
「黒原ァ!黒原はいるかァ!」
「はい……佐々木先輩」
朱久高校の2年の教室は、度重なる裏番長の"教育的指導"のせいですっかり荒廃しきっていた。
もともと荒れ果てた教室だったが、裏番長──佐々木の襲来の度にあらゆる備品が破損していくのだ。
「てめえ、まだこんなところにいやがんのかァ!さっさと表に出て敵を探して来いやァ!」
「……それが、見つかってはいるんです……」
「んだとォ?見つけておきながら、どうして締め上げたって報告が上がってねえんだよ!?」
いつものように胸ぐらをつかみ上げ、二~三発頭突きをかましながら話を続ける。
黙ってやられる黒原も、相当の忍耐力である。
「あの野郎。なかなか骨のあるやつでして。何度やっても勝負がつきません」
よく見れば、黒原の顔には佐々木につけられた以外の傷がいくつもついていた。
どれも、佐々木からのものよりも深く、鋭い。
「何寝ぼけたこと言ってんだコラ!テメエがそんなんだから、朱久が舐められんだよ。多部川のボンクラごときにてこずってるなんて、恥の上塗りもいい所だろうがァ!」
「で、でも佐々木さん!あの野郎、マジで強いんすよ!俺ァ初めて見ましたよ。黒原さんとタイマンであそこまでやり合う男──ぐへえっ!」
黒原の子分の言葉は、最後まで続けさせてもらえなかった。
黒原を締め上げた体制のまま、容赦のない蹴りをわき腹に叩き込み吹っ飛ばす。
「……佐々木さん、不甲斐ないのは自分です。アイツらを巻き込むのは勘弁してください」
「だったら、後輩の口のきき方くらいはテメエが仕込んどけやコラ!そもそも、テメエがとっと佐藤の野郎を締め上げねえからこんな目に遭ったんだろうがァ!」
「佐々木さん、その首……。誰かにやられたんすか?」
「うるせえ!」
強引に突き飛ばし、距離を開ける。首の痣を隠すように制服の襟を直すと、佐々木は最後通告と言わんばかりに指を突き付ける。
「もういい。テメエはもうこの件からは降りろ。後は俺がやる。テメエの兵隊、俺が使ってやるよ」
「な……!」
黒原が初めて目を剥く。
引退した裏番長が再び表舞台に出るなど、聞いたことがない。それは、番長を引き継いだ者に対する最悪の侮辱でもあった。
「佐々木さん!俺に、俺にやらせてください!」
「テメエのその言葉は聞き飽きたっつってんだろうがァ!」
恐ろしい腕力である。巨漢の黒原を掴むと、そのまま教室の外に投げ飛ばしたのだ。
咄嗟に受け身をとるが、黒原は怒りのあまりその場を動けずにいた。
「いいかお前らァ!弱虫で間抜けな黒原に代わって、今日から再び俺が朱久を仕切る!テメエらは、俺の言う通りに動け。分かったな!」
「……」
佐々木の声に反応する者はいなかった。
黒原は粗暴で野蛮だが、仲間に対する忠を尽くす姿勢は広く認められていた。そして、それは先代に最も欠けていたものでもあった。
そのことを思い知ったのか、佐々木の顔は怒りでどす黒く染まっていった。
手当たり次第に生徒たちを殴りつける。暴力の強さに敵う者がないからこその、番長の称号である。
力づくで生徒を服従させると、血走った目でこう命令を下した。
「いいか、俺たち朱久の名前に泥を塗った野郎を、俺の前に突き出してこい!しくじった奴は、学校にこれねえ身体にしてやるからな!」
あちこちにひびの入った黒板を叩きつけ、叫ぶ。
「あの野郎を……佐藤……佐藤 正義を探し出せ!」
ここは、小説投稿サイトの親会社──出版事業部。
小説雑誌の編集長は、苛立たしげに部下の報告を聞いていた。
「それで、まだわからんのか?」
「はい。webセキュリティ部の意見は一向に変わりません。自社のブランドを強固に守り抜いてきた、機密意識の高さを損なうことはあり得ないと」
「くそっ!そんなものは時と場合によるだろうが!優先順位が付けられん石頭どもめ!」
力任せにデスクを叩く。
ここ数日の間、激務のあまりロクに寝ておらず、ストレスも相まってついつい昔の癖が出てしまっていた。
「しかし編集長。今回は私もセキュリティ部の意見に賛同します。たかが一人の素人作家の情報に、それだけの価値があるのでしょうか?」
率直な部下の意見に、頭に上り切った血が逆に引いていくのを感じていた。
冷め切ったコーヒーを飲み干して、部下にこう尋ねる。
「なあ、おまえって入社して何年たつ?」
「もうすぐ10年になります」
「10年もやってて、分からんのか?」
「なにが、でしょう?」
デスクにあるモニタを回転させ、部下の前に突き付ける。
「磨かなくてもすでに十分輝いてる巨大な原石があるんだよ!しかも、それが自社で運営しているサイトだけに投稿し続けてくれているんだ。これをまかり間違って他の出版社に出し抜かれでもしてみろ!1年後、いや2か月後には俺たち全員の首が飛ぶからな!」
「そ、そこまでの逸材ですか?」
タバコに火を付けようとして、すんでのところで思いとどまる。それこそフロアが禁煙になって10年経とうとしていたのだ。
だが、編集長が今感じている焦燥、あるいは期待はこの10年で最大のものでもあった。
「お前、たかが一人の女にあてたラブレターだけであれだけのPVを稼げる作家がどれだけいると思う?多彩な表現力、加えて常人には思いもつかない発想力。好きな女との関係をフロンガスとオゾン層に例えるなんて聞いたことないだろ」
「ああ、『地球崩壊編』の序章ですね。あれは確かに感動しました。普通は笑えるはずなのに、読んでて涙まで出ちゃいましたよ」
「最近の新作の影響力は見ただろ?ラブレターひとつで商店街に客の洪水を起こせる作家がどこにいる」
「……確かに。私も行ってみましたが、凄い人の多さでした。しかも、最後に立ち寄った和菓子屋の売り子さんがエロいのなんのって……」
どうやら、部下も納得してくれたらしい。10年に一度の逸材かもしれないのだ。逃す手はない。
「しかし、あれだけの文章力を持ちながら、どうして一切の連絡をシャットアウトしてるんだ?」
「元々はオープンにしてたらしいんですけど、あのラブレター公開直後に完全自閉モードに入っちゃったらしいんですよね」
投稿サイトの運営規約上、投稿者は指定したユーザー以外からの連絡を全てシャットアウトする"自閉モード"を設けていた。
そうなってしまうと、たとえ運営会社でも身元を特定するどころか、連絡を取ることすら叶わなくなるのだ。
匿名性こそが全て、とネット小説時代に切り込んでいった先見の明は認めるが、こうなってしまうと足かせ以外の何ものでもない。
「仕方ない……」
何かを諦めたように、編集長は短く嘆息する。
しかし、その目は部下が見てゾッとするほどにギラギラとした野心に燃えていた。
「"編集長権限"を行使する。奴を見つけ出した者には特例で昇進とボーナス10か月分を与える!」
フロア全体に緊張感が走る。同時に、不思議な高揚感も。
編集長だけではなかった。すぐ足元に金の卵が眠っているこの状況を、誰もがもどかしく思っていたのだ。
「どんな手を使っても構わん。見つけ出し、出版の契約を結んでこい!他の会社に出し抜かれるよりも早く、だ!いいか──」
フロアに響く大号令。
編集長は会社員生命をかけてこう叫ぶ。
「あの作家を……"ホリック"を探し出せ!」
さあ、盛り上がってまいりました!
え、こう言うのは序盤で展開しろって?
返す言葉もありません。




