反撃と自爆
……青蓮院 琴音……
白状しよう。
俺は、君のことを侮ったことは一度もない。
女性としての魅力はもちろん、人間としても心から尊敬している。
さらに、多部ログの原稿とラブレターを記した俺の心理状態までも看破したその洞察力。
香林堂でみせた、清楚で凛としたその佇まい。
白状しよう。
俺は、ひょっとしたら君はすでに俺の正体に感づいているんじゃないか、とさえ思っている。知ったうえで、そのうえで俺を見極めようとしているのかも、と。
それほどに、君が俺に見せてきた姿は圧倒的だったんだ。
到底かなう相手ではない。見合う相手でも……ない。わかってはいたんだ。君はあらゆる意味で規格外だと。
でも、それは間違いだった。
今、改めて白状しよう。
たった今。この瞬間、それでも俺は君を侮っていたのだということを思い知らされた。
君は、まだまだその恐ろしさの片鱗すら見せていなかった。これほど恐ろしいことを考えているとは、想像すらしていなかったんだ。
「はい、正義くん。あーんして」
「……」
俺のすぐ隣にピッタリと椅子を揃え、ほとんどゼロ距離に体を密着させ、そこからお箸でおかずを掬い上げる。
おかずが零れないように下に添えた手のひらは、俺の顎をくすぐる程に距離が近い。
もちろん、俺に合わせるように口を半開きにしたそのご尊顔も、すぐ間近に。
「昨日夜遅くに下ごしらえしたんだから、食べてほしいなあ。はい、あーんして」
「……(あーん)」
観念して口を開くと、やさしく丁寧にから揚げを放り込んでくれた。
「……あーん……した!?」
絶望的な声を上げたのは、となりの席の金木さんだろうか?
そんなことすら把握しきれないまま、放り込まれた唐揚げをモシャモシャと咀嚼する。一口で食べやすいように、あらかじめ包丁でカットされていた。
肝心の味は……残念ながらほとんど分からなかった。
理由は言うまでもないだろう。周囲の視線が俺たちに集中しきっていたからだ。
「どう?美味しい?」
コクコク、と無言でうなずく。
すいません。味覚が麻痺していてほとんど味が分からないんですが、でも、それでも美味しいです。
「よかったあ」
にぱあッと、眩しい笑顔が花開く。これほどまでの至近距離で見る彼女の笑顔は、やはりとてつもなく美しかった。
「どれどれ、私も味見を」と言いつつ、同じ箸を使って唐揚げを食べる彼女。
「うん、我ながらよくできてるわ。ほら、正義くんもどんどん食べて」
第二波がやってきた。促されるるままに口を開き、再び唐揚げを咥えこむ。
「……間接……キッス……!?」
となりの席の金木さんが、今度は水溶き片栗粉を飲み干したような声を上げる。その言葉の意味するところを正確に把握するだけの判断力は、今の俺に残されてはいなかった。
……青蓮院 琴音……!
君は、なんと恐ろしい攻撃を思いつき、そして実行してくれたんだ!?
こんなことをされて、君に心が傾かない男子がいるだろうか?いや、いるわけがない!
こうすることで、鋼鉄の牢獄に抑え込んでいる君への好意を無理やりにでも解き放とうという魂胆なのだな?
本当におぞましいことを考えついたものだ。並の男子だったら、ものの数秒で1万回は君に告白してしまっているだろう。
そうしてしまえば、俺が"ホリック"であることが露見してしまう。君への好意が漏れ出た瞬間に、俺はそれ以上の隠し事をできる自信がまるでないのだから。
白状しよう。
本当に、君のことを侮っていたらしい。
君の考えたプランは完璧だ。隠した好意を引き出すと同時に、周囲の視線で俺の動きと思考すら完璧に封じて見せた。
周囲から感じる、うねる様な視線。
あらゆる感情が入り乱れた……いや、あらゆる感情は間違いだ。あらゆる嫉妬の視線が、俺に殺到しているのが分かる。
恐ろしいことに、その視線の主は男女を問いていない。
「嬉しい!全部食べてくれた!」
至福の拷問の時間は、ついに終焉を迎えた。
気が付けばお腹は満タン。周囲のヘイトも、俺のメンタルも限界に来ていた。
とにかく、どうにか堪え切れた。
いつものように感情を表に出さずにいられたのかまるで自信はないが、公衆の面前で告白するというような、血迷った行為だけは避けられた。
俺が安どのため息を漏らしていると、てきぱきと弁当箱を片付けながら、彼女はこんなことを提案してきた。
「明日は、ぜひ正義くんのお弁当を食べたいな。そして、今度は私にも"あーん"ってしてほしいな」
コクリ、と頷いたように見えたらそれは大きな誤解です。
ついには精魂尽きはて、首から机に崩れ落ちただけですから。
もう……勘弁してください……
その日の夜。
「……やってしまったわ……」
痛恨の表情で机に突っ伏す琴音。
自室の机で、その日一日の出来事を振り返るのは彼女の日課である。
"自動操縦モード"のせいで記憶ははっきりとはしていない。大抵は意にそぐわないド派手な振る舞いを後悔する日々だったが、今日のはその比ではなかった。
「……なにが、『はい、あーんして』よ?大勢の前でいきなりあんな大胆なする娘がいるわけないじゃない!」
恥ずかしさに悶えながら机をドンドンと叩く。
「……さらには、あんな堂々と間接キスまでして……!破廉恥とかそういうレベルじゃないわ。もはや痴女よ!痴女!」
感触を思い出すように指で淡い桜色の唇をなぞる。それだけでまたも顔からマグマが噴き出そうなほどだ。
過去、何度か彼にやられた意趣返しの意味もあったのかもしれない。無論、無意識の内に、だろうが。
周囲の視線を受けている"自動操縦モード"の最中に無理やり自分の意思を通そうとしたため、妙な方向に振り切れてしまったようだ。
ひょっとしたら、周囲がこうしてほしいという願望を無意識の内に読み取り、それを彼に向けて実演していたのかもしれない。
どのみち、明日もどんな顔をして彼に会えばいいのか分からない。
昼休みの自分の行動を思い返し、同時にその時の彼の表情も思い出す。
「……」
と、琴音の表情から不意に羞恥の感情が消える。
肩の力がストンと落ちて、唇は寂しげに歪んでいた。
昼休みの彼の表情を思い出したせいだ。彼の、澄ましたようなポーカーフェイスを。
「……あそこまでやったにも関わらず、あそこまで無感情でいられるのかしら?それほどに、私に興味がないってことよね……流石に」
その事実を思い返すと、またしても胸の奥がチクリと痛む。
先日、香林堂の前で楽しげに会話する彼と先生の姿を見た時に感じた痛みと、同じだった。
片肘を突き、顎を掌にのせる。
ぶーっと頬を膨らませ、何やら不満そうにこう呟く。
「……私って、そんなに魅力ないのかな……?」
琴音は気づいていませんが、この日の"ホリック"の更新はいつもよりも遅くなっています。本数も少ないです。
彼女の策は、功を奏したのです。
……大して意味はありませんが……




