推理と直感†
前日の夜。
「……ああ、なんだかモヤモヤするわ」
机にどっぷりと突っ伏して、琴音はただひたすらにダラダラグチグチとPC画面を指でなぞっていた。
昼間の出来事が頭を離れない。しかも、なぜそんなに気になるのかもわからないから始末が悪い。
ゆえに、本来の性分であるネクラが前面に押し出され、反芻するように何度も何度も同じ言葉を繰り返し呟くばかり。
「……大体、佐藤くんが先生のことを好きだろうが何だろうが、私には関係ないじゃない。確かに、あの和服姿の先生は確かにエッチ……じゃなくて妖艶だったけど、私だって結構……」
言いながら自分の胸元に目を落とす。
ダボダボのパジャマ越しに、ふくよかとは言い難い、慎ましいバストがそこにあった。
「……なにも、大きければいいってもんじゃないわよね。何事にも、"適量"ってものがあるんだから。それに、佐藤くんだって似合ってるって言ってくれたじゃない」
いったい何のために、誰に、何の勝負を挑んだのかは分からないが、琴音の中では何かの決着がついたらしい。
大口を開けて、内臓まで吐き出さんばかりの深い溜息を吐く。部屋に入って、通算45回目のため息だった。
すると──
「……お」
ひたすら指でなぞり続けていたPCモニタに"通知"の告知が表示されていた。
投稿サイトの、ブックマークしていた作品の新作公開である。
「……こんな時は、やっぱり小説を読んで、その世界観に浸りまくるしかないわよね」
どんな時でも、毎日更新される"ホリック"の『雪の残り香』。毎日のように魂をすり減らしながら人前に出ている琴音にとっての生命線である。
瞬きするのも忘れ、どっぷりと"ホリック"が生み出した文章の波に心と体を委ねる。
気が付けば、もやもやとした気分はすっかりとどこかに消えてしまっていた。
「……なんて繊細で、そして他者への思いやりにあふれた物語なんでしょう……。佐藤くんにも、この作者のように気づかいができれば、私がこんなに悩むことなんてなかったのに……!」
またも指先でモニターをグリグリとやりながら愚痴をこぼす。自分がどれだけ矛盾したことを言っているのか、本人にはまるで自覚はない。
やがてハッと気づいたように、キーボードに手を置く。
「……そうそう。感想を送るのを忘れないようにしなくちゃ。こんな素晴らしい文章を読ませてもらったんだから当然よね」
未だに"ホリック"が誰なのかは分からない。"くだんの日"から変わったことと言えば、"ホリック"がクラスの誰かだということと、そして琴音を好きだということ。
変わらないことは、"ホリック"は毎日『雪の残り香』を更新していて、琴音も毎日その感想を送っているということ。そして、感想を送っている"エドワード=ノイズ"が琴音だと"ホリック"には知られていない事。
あれから、何度も感想を送る際に「あなたは誰なんですか?」という、正体を探るような文章を付け加えようと考えたのだ。しかし、どうしてもできなかった。
万が一にでも"エド"が琴音だとばれてはまずいし、何故かやってはいけない事のような気もしたのだ。
だから、今まで小説の感想以外を送付することはなかった。
だが、ふと脳裏に閃くものがあった。
「……ちょっとまって。これならひょっとして……」
思いつき、キーボードを走らせる。
投稿サイトのルールでも、小説の感想以外を送ってはいけないというものはない。多少の"相談"ならば問題ないだろう。
琴音は、感想の末尾にこんなことを付け加えた。
『実は、最近気になっている人がいるんです。でも、相手のことがよく分からなくってちょっと悩んでまして。こんなことを相談していいとは思わないんですけど、他に相談できる人もいなくって。相手のことを知りたいと思ったら、どんなことに気を付ければいいんでしょうか?』
どのみち、この文章は琴音と"ホリック"以外に公開されることはない。DMに近い性質なのだ。
こうしてしまえば、"ホリック"のことを探る意図だとは分からないだろう。でも、何かのヒントが出てくるかもしれない。
『相手のことがよく分からなくて』と書いてはいるが、その『気になる相手が誰のことなのか』がよく分かっていないことに、琴音はまだ気づいていない。
やがて、感想に対するお礼が書かれた旨の通知が届く。
琴音がドキドキしてそのメッセージを開封すると、そこにはこんなメッセージ記されていた。
『エドさん。いつも感想ありがとうございます。ご指摘の通り、今回は本作の転換点となる重要な回でした。ヒロインの主人公に対する意識が変化するきっかけとなったあのシーンを、見事に読み解いてくれたのは流石としか言いようがありません。次回もご期待ください』
『それと、ご相談もいただけて光栄です。私なんかでよければ、精一杯お答えします。気になる人がいるんですね。そして、その人の気持ちが分からない、と。どうにももどかしいですよね。いっそのこと、相手に直接聞いてみたいけど、どうしてもできない。そんな時は、その人の"変化点"に注目してみてはどうでしょう?その人がいつもと違う行動をとることはありませんか?それは、その人のことを知るきっかけになるはずです。何故そんな行動をとったのか、それを考えればその人の人となりが浮かび上がってくるのではないでしょうか。大したアドバイスも出来ませんが、何かの役に立てれば嬉しいです。その人とうまくいくことを願っています』
「……なるほど。流石だわ。なんて適切なアドバイスなんでしょう。でもそのアドバイスが、まさか自分の正体を解き明かすきっかけになるとは思ってもいないでしょうね。……フッフッフ」
一人モニターの前で不気味に微笑む琴音。繰り返すが、本性の彼女はネクラなのだ。
ひとしきり笑った後、彼女は改めて戦略を立てることにした。
「……変化点ね。変化点……」
アドバイスに従い変化点を探り、やがてピタリと動きが止まる。
今までの"ホリック"に関する情報で、何か変化点となるものがあっただろうか?
彼は毎日かかさず『雪の残り香』を投稿し、同時に琴音に向けたラブレターも公開し続けている。
そんな、判を押したような"ホリック"の行動に、どんな変化点があるというのか?
「……でも、ちょっと待って。これは……確かに"変化点"だわ」
投稿サイトに並ぶ無数のラブレター。今やその数は3000に届こうとしていた。
バラエティに富んだシチュエーションに表現。どれ一つとって似通っておらず、どれも新鮮で斬新だ。そして、相変わらず琴音のどんなところが好きなのかが一切書いてない。
そんなラブレターだが、琴音が見つけた"変化点"は3つだった。
一つ目は──
「……実在するお店……ていうか、多部川商店街を舞台にしたラブレターを公開し始めたのって、丁度私達があのお菓子屋さんに通うようになってからよね」
このシリーズが公開されたことで、"ホリック"の人気はまた一段と飛躍した。同時に、香林堂を含む商店街にも凄まじい活気を呼び込んだ。商店街では、次は自分の店が舞台になってほしいと道を歩く琴音を呼び止める声が後を絶えないほどだった。
現実世界を舞台にしたラブレターを書くようになった。それが一つ目の"変化点"。
そして二つ目は──
「……直筆のラブレター。教室の黒板に記された、唯一の手書きのラブレター。丁度私達が夜の学校に取り残されたあの日、偶然にも初めて"ホリック"は現実の世界に姿を見せたのよね」
言葉を通して記憶と推理を紡いでいく。
琴音には、自分が確実に真実に近づいているという確信があった。
最後、三つ目の変化点。今まで何故見落としていたのか?これこそ、最大の変化点だ。それは──
「……"ホリック"が大量のラブレターを一挙公開したあの日。それまでずっと書き続けてきたラブレターを、どうしてあの日に公開することにしたの……?」
本人自ら言っていた。"変化点"を生み出した原因を探れば、その人間の人となりが浮かび上がってくる、と。
あの日、くだんの日。"ホリック"に強い影響を与えた"何か"があったのだ……
琴音の目は確信を捉えていた。
「……あの日は、私達が初めて多部ログパートナーになった日。私達……そう、私と佐藤くんの二人が……」
言葉と記憶が紡ぐ推理は、ついに終着点にたどり着いた。
ここまでくれば、もはや推理の必要などない。紙に書いてある答案を読むようなものだ。
琴音は、推理の結論をひとり呟く。
「……間違いないわ。"ホリック"は佐藤くん……に嫉妬しているんだわ。私達が二人きりになる姿をみて、いてもたってもいられずにラブレターを公開していったに違いない。ついに……ついに真実にたどり着いたわ!」
感無量と言わんばかりに震える琴音。
人となりを掴んでしまえばあとは簡単だ。"ホリック"が行動を起こさざるを得ない状況を、こちらからどんどん起こしてやればいいのだ。
そうと決まれば話は早い。琴音はパジャマの上からエプロンをひっかけ、明日の下ごしらえを始めることにした。
「……確か、佐藤くんって唐揚げが好きだとか言ってたわよね……。さあ、待ってなさいよ"ホリック"。あなたの尻尾を掴むため、明日からたっぷり佐藤くんに付きまとってあげるわ!」
繰り返すが、本性の琴音は疑り深くネクラで……ちょっぴり間抜けなのであった。
ちなみに、サイズは
琴音<金木さん<<<<香田先生
です。




