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ステマとダイレクトマーケティング


 その週の土曜日──


「おい、アニキ。こりゃあ、いったいどういうこった?」

「せっかくだ弟よ、おまえもこの店の饅頭を食っていけ」


 商店街のはずれに位置する香林堂の前には、大勢の人だかりができていた。

 我が弟が目を疑うの無理はないだろう。


「まさか、やけくそになってラブレターを公開しちまったのか?」

()()()()()()()()だ。この店に客を呼んだのは、俺の文章じゃない」


 「見てみろ」と視線を促すと、その先には──


「いらっしゃいませ。香林堂のお饅頭、いかがですか?」

「……琴音ちゃん!?」


 我が弟が目を剥きだしにして驚いている。

 今日一日限定で、彼女はこの店でアルバイトをすることになっていた。売り子として、またお茶を点てる亭主として、店の前面に出ているのだ。


「しかも……和服!」


 ギラリと目を輝かせる弟。即座に脇腹を鋭く突いて、野生の本能を寝静まらせる。


「ゲホッゲホッ……。心配すんなって、ちょっと驚いただけだよ」

「まあ、無理もないか」


 今回ばかりは同意する。

 実際、俺にとってもこの事態は想定外だった。


 俺が先日彼女に提案したのは、二つ。

 一つ目がアルバイトとして店頭に立つこと。


 その時点では、レジ打ちや売り子など、簡単なものでも構わないと思っていた。

 しかし、彼女が逆にこのスタイルを提案してきたのだ。「お茶を点てるくらいなら、経験がある」と。


「なんていうか、スゲエ様になってるじゃねえの」


 お茶を点てる()()()とは言うが、実際にはそんなレベルではない。

 店内の畳に座る彼女の所作(しょさ)は、普段からは想像もつかないほどに凛として、淑やかなものだった。

 糸で釣ったようにシャンと伸びた背筋。涼しげに伏せた瞼から、揺らめく光が優しく揺蕩(たゆた)っている。


 店に入ってきた人たちは、その神聖ともいえる彼女の気配にすっかり飲み込まれ、芯の通った不思議な心地よさに包み込まれている。


「なあ、アニキ……。琴音ちゃんって、こんな娘だったのか。なんつうか、ちょっと近づき難い……」


 弟が息を呑む音が聞こえる。我が弟が、女性に対してこんな慎重なリアクションを取るのは初めてのことだった。

 それほどに、今日の彼女は特別な気配を纏っていたのだ。


「し、しかし。どうやってこんなに客を呼んだんだ?いくら琴音ちゃんの色気……っていうか、人気でも、知らなきゃ人は集まらねえ。ラブレターも使わずに、どうやったんだよ」

「別に、大したことはしていない。提出しただけだよ。学校から出されていた()()を」


 手にしていた一枚の紙きれを手渡してやる。

 それは、俺が彼女に提案した二つ目のアイデアだった。


「──多部ログの第二稿か。しかし、これ……。レビュー記事じゃなくてただの宣伝じゃねえか」


 弟の言う通り。

 俺達が提出した第二稿には、今日の日付と、彼女が店員としてお出迎えするといった内容が記してある。

 校内に掲載されれば、彼女目当ての生徒たちが押し寄せるのは目に見えていた。


「先生には怒られたけどな。しかたないさ。彼女たっての願いだし、幸田先生にとっても悪い話じゃない」


 これだけ大勢の生徒が集まれば、この後”ホリック”としてラブレターを書いても何の問題もない。

 やはり、木を隠すには森の中が一番。


 もちろん、大勢の生徒をここに呼ぶために、俺も全力で文章をかき上げた。

 インパクトのある見出しは当然。最初の数行で読み手の心を惹きつけるよう、"引き"にも重点を置いた。

 しかし、やり方としては反則に近い。店の魅力を伝えるのがレビュー記事の役割なのだが、店の宣伝自体を手伝ってしまっているのだから。


「それにしても、あれは素人の見様見真似ってレベルじゃねえだろ」


 我が弟の目にもそう映ったか。

 運動部でハツラツとした彼女にこんなお淑やかな特技があったとは、意外だった。


「それはね、家庭の事情ってやつなの」

「え……?」


 予期せぬ答えが、すぐ背後から聞こえてきた。


「また会ったわね、佐藤君。そちらは──弟さんね。初めまして、琴音の母です」


 初めて会った時と同様、判で押したように正確で丁寧なお辞儀をする琴音ママ──綾音さん。

 この女性、やっぱりただものじゃない。初見で自由(カオス)が俺の弟だと見抜いた。外見や姿勢など、ぱっと見で分からないように振舞っていたのに、だ。


「あ、どうも。アニキがお世話になってます。ところで、家庭の事情って?」


 そんな綾音さんの恐ろしさに気づいているのかいないのか、弟は平然と話を進める。

 弟の問いに、綾音さんの目が一瞬きらりと輝いたような気がしたが……気のせいか?


「私の家では、いろんな人にお茶の作法を教えることで生計を立てているの。なので、小さい頃から琴音にもお作法を仕込んできたのよ」


 随分と回りくどい言い方だが、早い話がお茶の先生ってことだろう。

 幼い頃からお母さんに仕込まれて、自然と身についた所作ってことか……。


「まさか、琴音が人前で作法を披露することがあるなんて思わなかったわ。よっぽどの事情があったんでしょうね」


 その"事情"とやらに興味があったらしい。綾音さんは、すっ──と俺顔負けのステルスっぷりで人の波の中に消えていった。

 やっぱり、この人タダモノではない。





 綾音さんに負けないよう、俺も気配を消して店内に入る。

 店員さんの女将さんも大忙しだ。これだけ人が来るとは思っていなかったのだろう。大慌てでお饅頭の準備を進めていた。

 だが、それでも手つきには一切に乱れがない。長年の経験とたゆまぬ研鑽は、まるで呼吸するようにお菓子を作る術を身体に叩き込んでいるらしい。


「うっわ、この饅頭ヤバくない?」

「ウンウン。地味だけど、超美味しい!」


 彼女に釣られてきた生徒たちだったが、お店の味にもすっかり魅了されてしまったらしい。

 そんな彼らの素直なリアクションが、女将さんの新たな原動力になっているのが分かる。そろそろ店をたたもうか、と諦めた様な表情はどこかに吹き飛んでしまっていた。


「あ、佐藤くん」

 

 気配を消していたつもりだったが、一瞬で見つかってしまった。やはり、彼女は綾音さんの娘だ。

 いつものように大きな声ではなかったせいで、周囲の注目が俺に向くことはなかったようだ。


 少し恥ずかしそうに、こちらを見つめ。


「……似合ってる、かな?」


 伏し目からの上目遣いでそんなことを言われれば、誰が「NO」などと言えるだろうか?いや、ない。

 

 事実、俺の周囲にいた男子生徒……いや、女子生徒も目をハートにして卒倒している始末だ。

 鍛えに鍛えぬいた強靭な自制心でその場に踏みとどまる。どうにか、静かに頷くだけで精いっぱいだった。


 いやいや、本当にとんでもない人を好きになってしまったようだ。

次回、山根君が登場します(不穏なフラグ)

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