正論と本音
「はい、冷たいお水と布。とにかく、これで患部を冷やしてね」
「うん……ありがとう」
とにかく、殴られまくったお腹を冷やす。
本当に散々な一日だったが、九死に一生の所で助かった。
「助かったよ、金木さん」
「それにしても、アイツら。体育の授業でちょっと負けたくらいでこんなことするなんて。打撲に裂傷、とんでもない大怪我よ。先生に言いつけてやるわ」
「それは……やめておこう。これ以上騒ぎを大きくするのは嫌だし。一度マグレで勝っただけだから、これで彼らも気が済んだだろうし」
「徒競走でマグレ勝ちってあんまり聞いたことないんだけど……。でも、私やっぱり許せない」
至極真っ当なツッコミを入れて、それでも金木さんの怒りは収まらない様子だった。
へえ、金木さんって結構正義感が強いんだなあ。大して親しくもない俺がボコボコにされたくらいでこんなに腹を立てるんだから。
「いや、もう、本当に大丈夫だし。お願いだから、この辺で勘弁してやってくれ」
「それって普通、加害者側の台詞だと思うんだけど……。でも、佐藤君がそこまで言うんなら、仕方ないわ」
またも冷静なツッコミを入れて、それでもようやく怒りの矛を収めてくれた。
とにかく、これで当面の危機は去った。
だけど、はやく香田先生の件を片付けないとマズイことになる。
ああは言ってるが、あれは先生なりの警告でもあるんだろう。本気で取り組まなければ、こちらも本気でばらすぞ、と言う意図なのだ。
「ところで、本当に保健室に行かなくて大丈夫?私がついていこうか?」
「いや、大丈夫だよ。最近、新鮮なトラウマができて、保健室に行くのはちょっと……」
これでまた寝坊しようものなら、今度こそ香田先生に何を言いふらされるか分かったもんじゃない。
「でも、いくら頭部に外傷がないとは言っても、内臓に損傷があった場合はセカンドインパクトのリスクはゼロじゃないのよ。一人じゃ危ないわ」
ちなみに、金木さんが言ってる"セカンドインパクト"ってのは、短時間に連続で脳震盪を起こすことで脳が急に膨張するとても危険な現象のことね。
南極で起こった正体不明の大爆発のことじゃないから勘違いしないように。
そういえば、金木さんって看護科に進学するって言ってたっけ。ケガに関する知識が豊富なのも、ケガ人の俺が放っておけないのもそういうことか。
「やっぱり心配。私もついていく」
「大丈夫だって。そんなに大したケガじゃないし。それに──」
この後は、彼女との約束がある。
遅れるわけにはいかない。
「──青蓮院さんとの約束が、そんなに大事?」
「っ!?」
バレていた!?──ていうか、多部ログのパートナーになったのは周知の事実だから、当たり前か。
金木さんの目は真剣だった。本気で、俺のことを心配してくれているのが伝わってくる。
「さっき、去り際にアイツらが言ってた台詞を忘れたの?」
……聞こえてたんだ……
「多部ログだって、何も二人で同じ店に行く必要はないでしょ?分担して店を探しているペアだってたくさんいるわ。彼女はとても目立つの。そんな彼女と行動していたら、またアイツらの目に留まってしまうかもしれない……!」
金木さんの指摘は、徹頭徹尾、一貫して正しい。ぐうの音も出ない正論だった。
「金木さんって、こんなしっかりした人だったんだ。初めて知ったよ」
「今日ばかりは、いつもみたいに話をはぐらかされたりはしないわよ」
……それも、バレてたんだね……
場違いな感想も、見事に跳ね返されてしまった。
どうやら、本当の本当に止めるつもりらしい。
まったく、看護の精神もここまでくると大したものだよ。
「わかった。今日は行かないよ。まっすぐ帰る」
「嘘。目を見ればわかるのよ。佐藤くん、嘘つくときいつも目を逸らすから」
ずっと隣の席にいただけあって、すっかり癖を見抜かれてましたか……。
しかたない──
俺は、まっすぐに金木さんを見据えて、正直に本心を話すことにした。
とはいうものの、俺自身もどうしてそこまで彼女と行動を共にしたいのかが分かっていなかった。
好きなのは間違いない。超絶怒涛に好きだ。
「たしかに、金木さんの言うとおりだ。別に、そこまで躍起になる必要なんてない」
俺の戦略はあくまで"究極のラブレター"を完成させることにある。
それは、別に彼女と一緒にいなくてもできるはずだ。
彼女と過ごす時が、俺の文章をさらなる高みに連れて言ってくれている自覚はあるが、そうでなくてもいつかは届くと信じている。彼女自身に俺の正体がバレるリスクも含めれば、確かに金木さんの言うとおりにすべきなんだろう。
「でも──」
不意に目を閉じる。
瞼の裏に焼き付いて離れない、彼女の笑顔。その瞳。
うん、どうやらそうらしい。
ようやく、本心の一端を掴み取れた実感がある。
「でも、どうやら嫌いじゃないらしいんだ」
「……なにが?」
今度は目を逸らさずに済んだ。金木さんの目は、うっすらと涙に濡れている。
「彼女に見られることが」
「佐藤くん……何言ってるか、全然分かんない」
本心を喋っても、それがそのまま伝わるわけじゃないか……。
呆れたように絶句している金木さんを背に、俺は痛む体を引きずり、進むべき道に踏み出した。
行きすがら、どこかで聞いたことのある声がまたも耳に飛び込んでくる。金木さんとは別の方向だ。
「山根 徹。その名前、バッチリ覚えておくぜ」
毎晩壁の向こうから聞こえてくる、小生意気な声だった気もするが、聞き違いだったかな?
なにやら、『死地へ臨む』的な盛り上がりを見せてますが、単に商店街に寄り道するだけです。




