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イワシと雷光

今回は、珍しく学校での琴音視点です。


(……おかしい……!)


 昨日から、どうにも彼の様子が変だ。

 琴音自身も、彼と会話をするようになってまだわずかしかたっていないのだが、それでもこの一日の彼の様子は明らかに不自然だ。


(どこが、と言われるとはっきりしないんだけど……。なんというか、"(いびつ)"なのよ。今日の佐藤くん)


 初めて会話した時の第一印象は、とにかく"希薄"だった。存在感がまるでないのだ。

 捉えどころがなく、いるのかいないのかはっきりしないような生徒だった。


(まあ、そのおかげもあってか、二人きりの時は私もついつい素の自分が出せていたんだけど)


 他人の視線にさらされると無意識の内に相手の理想通りの自分を演じる様になっていた琴音にとって、家以外の場所で本当の自分を(さら)け出すことがあるなど思ってもいなかった。

 そんな、流れる空気のような彼が、今はどこか歪で淀んだ気配を発している、


 今もそうだ。

 何かを気にするような視線をどこかに送っている。ソワソワとして、落ち着きがない。


「それじゃあ、男子は並べ。徒競走を始めるぞー!」


 体育教師が声を張り上げる。

 指示を受けた男子生徒たちは、心底嫌そうな顔でスタートラインにつく。


 それもそのはず。

 多部川学院の体育は、その生徒数のせいで狂気のイベントと化すことが多い。

 今回もそうだ。徒競走とは言うが、2000人の男子生徒が細長いコースを団子状になって走るのだ。


 一昔前のパチンコ屋の開店直後。あるいは年初めの"福男"を決める競争を思い出してもらえばわかりやすいだろう。

 走力もそうだが、人の流れの中でも溺れないようにする位置取りとバランス感覚も重要になるのだ。


「がんばれー!佐藤くーん!」


 ここ最近の琴音は、体育の時間となると(もっぱ)ら彼の応援ばかりを繰り返していた。

 特定の人物と関わらず、万人に等しく付き合ってきた彼女にとっては珍しいことである。


(佐藤くん、絶対()()()()()()()()んだ。彼がその気になったら、もっともっと凄いに違いないわ。それを、みんなにも知ってほしい……!)


 本人が聞けば卒倒しそうな理由で、琴音は今日も精一杯声援を送る。

 ただし、肝心の彼は人の多い中段グループに紛れ込んでいる。ここからでは姿を見ることすらできない。


(もう!どうしてあんなに目立たないようなところにいるのかしら!?もっと堂々としてればいいのに)


 自分のことは棚に上げ……というよりも、もっと別の()()()()()で応援しているのだが、その声は本人の心には届いていないらしい。


 全員が位置についた。


 気が付けば、先頭に立つ陸上部、山根(やまね) (とおる)がこちらを向いている。


「青蓮院さん。僕のことも見ていてくれよな?今日のコンディションは絶好調なんだ。きっと、ぶっちぎりで一位を勝ち取ってみせっからよ!」

「あはは、山根君もがんばってね!」


 "自動操縦モード"に入った琴音は、瞬間的に山根の声に反応する。

 周囲の男子たちが、嫉妬の目線を山根に送るが本人はどこ吹く風。


 そもそも、この徒競走は周囲との摩擦が少ない先頭が最も有利。山根は周囲の生徒を強引にかき分け、先頭のポジションを無理やり奪い取ったのだ。


「山根のやつ。陸上部だからって調子に乗りやがって……」

「ここぞとばかりに青蓮院さんにアピールしてやがる」


 ブツブツと文句を言うが、本人には聞こえない程の小声だ。

 気性も荒く、高圧的な彼のことを疎ましく思う者も多いが、それ以上に彼に対する恐怖がその不満をねじ伏せていた。


 自由(カオス)ほどではないが、山根も校内で有名な不良である。

 運動部に在籍しているが、素行の悪さの隠れ蓑としているだけに過ぎない。

 だが、もって生まれた体格と運動神経のおかげで、陸上部では貴重な戦力としてもてはやされているからタチが悪い。


「それじゃ、位置について。ヨーイ……」


 体育教師が空砲を鳴らす。

 直線で約500メートル。短距離走と呼ぶには若干ふさわしくない、絶妙な距離だ。


 イワシの群れのように、一つの方向に向かって男子生徒が走っていく。

 当然、先頭は山根だ。実際に彼の足は速いらしく、みるみると後続との距離を離していった。


 このまま、彼の独壇場で終わるかと思われた、その時だった。


「あらぁ、いけない。先生ったら、うっかり()()()()()()を落っことしちゃったぁ」


 いったい、どこからやってきたのか。ゴール付近に担任の香田先生が立っていた。

 ワザとらしい仕草で、一枚の紙きれをゴールのすぐそばに落として見せる。


「確か、苗字は佐藤だったかしらぁ?このままじゃ、一位の子に拾われちゃうわぁ。どうしましょう……」


 もったいぶった仕草でゴールの前で崩れ落ちる。

 その場にいた全員が、「いや、今すぐ拾えよ」と思ったが、本人にはそのつもりはないらしい。


 チラリと男子生徒の群れの中を覗き込み、続けざまにこんなことを叫んだ。


「佐藤くーん。がんばってねー!」


 優れた琴音の動体視力は、その時の様子を鮮明に捉えていた。

 香田先生は、間違いなく群集の中にいた彼に声援を送ったのだ。


 そして、その声援を受け取った次の瞬間──



 イワシの群れの中に、突如として雷光が走った。



 何者かが、生徒の群れを縫うようにして瞬く間に順位を上げていく。

 琴音の目にははっきりと見えていた。あれだけのスピードで走っているというのに、驚くべきことにどの生徒にも一切ぶつかっていない。


 下手すれば、誰も自分が抜かれたと気づいてすらいないのかもしれない。

 生徒の死角を、しかも僅かな空隙を滑るように移動している。


 やがて、生徒の二位集団からトビウオのような勢いで誰かが抜け出す。

 その勢いは衰えることなく、むしろ障害が消えたことでさらに加速していく。


 先頭を走る山根とは大差がついている。しかし、琴音には分かっていた。

 本気を出した彼にとって、この程度の差は意味をなさない。


 彼我の距離、そして速度差。結果は、やがて誰が見ても明らかとなった。

 

「……佐藤くん……っ!」


 ゴールの少し手前で山根を抜き去ると、佐藤正義は転がるように地面に落ちた紙きれに向かってダイブする。

 誰に見られぬように懐に隠し、そっとその紙きれを覗き込む。


 すると──


「……あいつ()の住民票じゃねえかああああああ!」


 訳の分からない叫び声をあげて、その場でひっくり返った。

 不必要に注目を浴びたのと、気が抜けたことも併せて気絶したようだ。


「ふふふ。先生、やればできる子って好きよぉ」


 地面に倒れた彼の頭を優しくなでる香田先生。

 その姿を見ていると、琴音の胸は何故かちくりと痛むのだった。


(私じゃなくて、先生の声援ならあんなに本気出すんだ……)


 甚だ勘違いもいい所なのだが、琴音には彼の切迫した事情を知る由もないのだった。


佐藤くん、香田先生のことを相当見誤っていたようですね。

かなりの悪女です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 確かに弟君も『佐藤』だもんなwww よくある古典的な方法やが、 慌ててる時には特に結構引っかかる奴www
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