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暗闇と本音


「さて、これで大丈夫……」


 保健室に戻り、彼女と合流する。

 ご丁寧に、俺が寝ていたベッドを奇麗に片付けてくれている。

 意外とこういうところもマメにやるんだ……。


「もうすぐ21時。先生がやってくるタイミングだね」

「そう、そしてそれが一番大事なんだ。どの先生が来るか、勝負はほとんどそこで決まる」


 唯一の出入り口から侵入してくる先生の隙をかいくぐって、外に脱出しなくてはいけない。

 見回りの先生がどれだけ注意深いか、それが脱出のカギだ。


 うまくいけば、死角を渡り歩いてあっさりやり過ごすことだってできる。


「ここから入り口まで結構距離があるけど、大丈夫?」

「これでも結構夜目が効くんだ。手にしている懐中電灯の高さでおおよその身長が分かるし、足音のリズムも大体把握してる」


 暗闇は、俺の独壇場だ。何よりも目立たない、理想的な環境だしな。

 あんまり入り口に近づきすぎたら、その場で見つかってしまうリスクもある。この場所で監視するのがベストなのだ。


「なんだか、佐藤君ってスパイみたい……」


 妙な関心をしているが、今そこにフォローを入れている余裕はない。

 全神経を総動員して、出入り口に視線を送る。


「……きた」


 電子ロックが開錠される音。

 軋むドアがゆっくりと開き、その奥から姿を現したのは──


「さーて。今日も元気に夜の見回り見回り……っと」


 その声を聴いた瞬間、全身に虚脱感が押し寄せた。

 イチイチ夜目を効かせる必要もない。ちょっと活舌の悪い、甘ったるいこの声を聴き間違えるはずもない。


 暗闇の中で、俺は思わず天を仰いだ。


「あ、この声って、香田先生──ムグっ」

「(ゴメン、静かにしてて)」


 不用意に声を発した彼女の唇を、慌てて手でふさぐ。

 なんてことだ。よりにもよって香田先生だとは……!考えうる限り最悪の相手だ!


 俺たちのクラスの担任。香田(こうだ) (さち)先生。

 前にも言ったが、若干24歳でこの学院の担任を任された才女。


 4000人の生徒の状況を常に把握しながら授業ができる超人。

 教室の端っこで居眠りしている生徒の頭に、にこやかに微笑みながら狙いたがわずチョークをぶつけたこともある。

 脳の中にレーダーでもついてるんじゃないかと疑ったほどだ。

 

「(まずい……ていうか、ほぼ詰んだ)」

 

 彼女が静まったのを確認し、口元に手を当てて黙考する。

 何やら顔を赤らめて俺の手を揺さぶってくるが、気にしている余裕はない。


 ──あの先生の隙をつくなんて、絶対に無理だ。


 なんてことだ、いきなり追い詰められた。


「(とにかく、ここを離れよう。奥の教室にまで後退だ)」

「(……なんだか分かんないけど、わかった)」


 そろりそろりと立ち上がる。

 後は、時間の問題だ。このままここにいたら、先生の接近を許して見つかるリスクが増えるだけだ。

 足音ひとつ立てず、どうにか教室まで後退しなくちゃいけない。


「(ついてきて)」

「(コクリ)」


 保健室のドアに向かって歩き出す。しかし──


「(……青蓮院さん、もっと静かに歩けない?)」

「(ムリムリ。ていうか佐藤くん、本当にスパイなんじゃない?全然音が聞こえないんだけど……)」


 予想以上に彼女の足音が騒々しい。

 普通なら問題ないんだけど、あの先生に対しては懸念が残る。このまま廊下に出てしまうと、察知される可能性がある。


「(仕方ない……。青蓮院さん、ゴメン。しばらく我慢して。もちろん、声を出すのも)」

「(ヒャッ!?)」


 足音を立てるリスクを最小化するため、俺は足音の出所を半減させた。

 つまり、彼女を抱きかかえたってことだ。


「(……)」


 思った以上に軽い。これなら余裕だ。

 足音ひとつ立てず、廊下を進んでいく。


 目的の教室、一番端っこに逃げ込んだ。これで、時間を稼げる。


「(ねえ、どうしてここまでやるの?)」

「(二人っきりでいるところなんて見つかったら色々まずいだろ?君だって恥ずかしいんじゃない?)」


「(……お姫様抱っことかされるのだって恥ずかしいんですけど……。何気に初めてだったし……)」


 ブツブツと独り言をつぶやいているが、気にしていられない。

 教室の隅に座り、一息つく。


「(でも、ここまで逃げたとしても、見つかっちゃうんじゃない?)」


 時間がなかったから仕方ないけど、最後の手がある。

 これだけは使いたくなかったが、このままバレるよりマシだ。


「(……とにかく、ここで待とう)」


 最後の手を彼女に明かすわけにはいかない。このままここで、その時が来るのを待つだけだ。

 本当の本当に、この手だけは使いたくなかった……。


「(……)」

「(……)」


 暗闇の教室で、二人静かに天井を見上げる。

 香田先生の足音が廊下に響く。少しずつ、こっちに近づいているのが分かる。

 時折、懐中電灯が教室の隙間から光が差し込み、二人の横顔を照らしていった。


「(……)」

「(……)」


 マズイ。間が持たない……。

 いつかの喫茶店のように、無意味な沈黙に空気が重くなっていくのを感じる。


 事情が事情だが、このままだと分厚い沈黙に押しつぶされてしまう。


「(そういえば、"ホリック"の正体を突き止めるって言ってたでしょ)」

「(え、うん。……そうよ)」


 場を繋ぐためもあったが、気になったことがあったのでこの場で聞いてみる。


「(もし見つけたら、何を言うつもりなの?)」

「(……秘密)」


「(ヒントだけでも?)」

「(ゴメン、こればかりは佐藤くんでも言えない)」


 彼女の横顔を盗み見る。


 暗闇に見開いた瞳が、力強く一点を見つめていた。なにか、硬い決意を感じさせる視線だ。

 聞き出すのは諦めた方がよさそうだ。


「(じゃあ、私からも質問していい?)」


 無言でうなずく。


「(佐藤くんは、私のこと……どう思ってるの?)」

「(……!?)」


 これまた、ド直球の質問だ。

 暗闇じゃなければ、動揺で強張った表情がバレるところだった。


 沈黙は、それだけで罪だ。あらゆる感情を全て押し殺し、言葉を返す。


「(まだ、このまえの喫茶店の質問を引きずってるの?青蓮院さんも結構ねばりづ──)」

「(お願い。大事な質問なの)」


 真摯で真剣な問いが、俺の言葉を覆い隠す。



 ──マズイ。彼女は俺を疑っているのか?──



 冷汗が頬を伝う。この前の彼女の推理を、俺はもちろん覚えていた。

 ラブレターと多部ログのレビューの相似点から、"ホリック"の正体が俺ではないかと面と向かって指摘したのだ。

 その場ではどうにか誤魔化したつもりだったが、まさかこの土壇場で再び問い詰められるとは思っていなかった。


 ここまで直球で来られると、流石の俺も戸惑ってしまう。



 ──大切なパートナーだよ。多部ログの、共著者としてね──



 そんな言葉を、飲み込んでしまう。


 確かに、"ホリック"の正体が俺だということがバレるのはマズイ。俺にとっては死活問題だ。

 でも、()()()()()()()()()()。そんな彼女に嘘をつきとおすのは、それと同じくらい辛い。


 一瞬のうちに100万回ほどの葛藤を繰り返す。

 答えが出ないまま、とにかく場を繋ぐために口を開こうとしたその時──


「あらぁ?誰か教室に残ってるの?」

「「(!?)」」


 香田先生の声がすぐそばで響いた。


 馬鹿な!早すぎる!?

 それとも、それほど俺は彼女の質問に意識を集中していたのか?


 答えを出す間もない。先生はすぐ隣の教室にライトを当てている。


「ひょっとして、また学校で行けないことをしてるんじゃないでしょうねぇ。先生、そういうのは許さないわよ。今日は一体どんなプレイを……じゃなくって、今度こそ絶対に逃がさないんだからね」


 先生の気配が膨らむのが分かった。レーダーの感度が最大になり、どんな小さな気配もこぼさないという気迫が伝わってくる。

 下手すれば、今の俺たちの心臓の音ですら聞き取りかねない。


 マズイ……マズイマズイ……!


 絶体絶命のピンチだ。

 この状況で見つかってしまえば、学校で不順異性交遊を働いていたドエロ学生として晒されるに違いない。

 

 頼む!間に合ってくれ!

 俺から一切のクジ運を奪い去ってしまった神様に、最後の慈悲を乞う。


 先生の足音が、すぐ耳元までやってきた。


 そして──


クソ鈍感主人公め、爆発しろ!

目立つかもしれないという恐怖に駆られているせいで、いつもの冷静さがすっかり鳴りを潜めてしまっているようです。

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