君の名は
一方、同時刻。
当事者である『佐藤』もまた、窮地に立たされていた。
「いっけー!ぶっ飛ばせー!佐藤くーん!」
景気の良い、威勢のいい、ついでに言えばめちゃくちゃ可愛い声が校庭にこだまする。
ていうか、お願い。みんなの前で目一杯応援するの、やめてくれませんか?青蓮院さん。
「そこだー!ああ、危ないっ!」
ご丁寧に実況まで始めましたよ。
まあ、彼女は俺が目立つのを嫌ってるってしらないんだから、純粋に好意で応援してくれてるんだろうけどさ……。
今は午後の体育の時間。
多部川学院名物の、多人数スポーツが執り行われているのだ。
9人制の野球なんかよりも目立つリスクが少ないので普段なら歓迎するところなのだが、彼女のおかげで状況は一変している。
今は女子が見学で、男子だけで競技が行われている。その名も『1000人ドッヂボール』だ。
聞いて頭に浮かんだ通り、1000対1000でドッヂボールをやるという、何の捻りもないシンプルな競技だ。
だが、そんな大人数でやっていたらいつまでたっても人数が減らない。
そこで、多部川オリジナルのルールが一つだけ存在している。
それは、ボールも1000個ある、ということだ。
すなわち、2000人が1000個のボールを投げ合うという、とんでもないカオスなスポーツへと変貌を遂げたのだ。
いつもなら適当なタイミングでボールに当たって外野に逃げるのだが、彼女の声援がそれを阻む。
「後ろから来てるぞ!気を付けて!」
「あ、ボール落ちてるよ!逃げてばかりじゃなくて攻撃もがんばって!」
悪気がないのは重々分かってるけど、本当に困った。
こんな状況でボールに当たろうものなら、周囲の注目を一身に浴びることになる。
彼女があれだけ声を張り上げているのに俺が"フリーズモード"に入らないのは、単純に人数が多いせいで俺がどこにいるかみんなが気付いてないせいだ。
(くそっ!佐藤って野郎はどこだ!?青蓮院さんの声援を独り占めしやがって!)
(絶対に当ててやる。ていうか、殺す!)
(俺だって頑張ってるんだ!俺にも貴女の素敵な声援をプリーズ!)
周囲の男子たちの眼が、どこにいるかもわからない俺への殺気で赤く血走っているのが分かる。
気づいてないようですが、アンタたちの味方チームだよ、俺。
しかし、このままではマズイ。非常にマズイ。
このまま人数が減っていけば、いくらなんでも隠れ通すのは不可能だ。
そうなってしまえば、大勢の目線に晒されて硬直した俺に、怒り狂った男子たちの狂気の魔弾二号が殺到するに違いない。
周囲を飛び交う無数のボールを紙一重で交わしながら、俺は次にとるべき一手を決めきれずにいた。
「くそっ、せめて今ぶつけられる方がまだマシか……!」
俺が悲壮な覚悟を決めた、その時だった。
「オラオラオラァ、アブねえぞ!避けろお!」
彼女とは違う、豪快な大声で何者かがグラウンドに乱入してきた。ものすごい勢いだ。
どうやら特大のホームランボールを追いかけてきているらしい。
矢のようなスピードで、ぐんぐんこちらに近づいてくる。
って、このコースって。
「そこの先輩!ちょっと顔貸してね!」
俺の嫌な予感は見事に的中した。
乱入者は、上空のボールに手を届かせるために、踏み台を利用して大きく空に跳ね上がる。
とんでもない跳躍力で見事にホームランボールをキャッチし、そのまま羽が生えているように軽く着地を決めた。
観客の女生徒から黄色い悲鳴が沸く。
無理もない。彼女をこの学院の"女王"とするならば、今先程俺の顔面を蹴り飛ばした2年生は、間違いなくこの学院の"王"だからだ。
成績も運動も学年トップ。ルックスも良く、性格も明るい。
彼女との唯一の違いは、奴の興味は女性にだけ向けられていて、男子には滅法嫌われているという点だろうか。
しかし、喧嘩も異常に強いために誰も文句が言えない。まさしく、王の名にふさわしい。
そして──
蹴り飛ばした俺に向かって、こっそりと話しかける。
「ワリイ、アニキ。手加減したつもりだったけど大丈夫か?」
「この野郎。わざわざ顔を踏む必要はなかっただろうが」
「アニキなら咄嗟に急所外せるだろうし、派手にやんなきゃ、意味がねえだろ?」
……確かに。我が弟が乱入してくれたおかげで、場の注目が全て弟に吸い寄せられた。その大半には、激しい嫉妬が込められているわけだが。
まあ、おかげで俺は目立たずに退場できるってもんだ。
応援していた女生徒から、再び黄色い声援が飛ぶ。
「キャーッ!こっち向いて、自由くーん!」
「やっほー、お姉さんたち。よかったら野球の応援にも来てよ!」
爽やかに笑顔を浮かべ(恐ろしいことに、歯が光っている)女生徒にそう応じる我が弟。
全く、我が弟ながらうらやましい性格をしている。
佐藤 自由
それが、我が弟の名前だ。
どうだ、格好いいだろ?俺と違って、こんなに堂々としてるんだからな。
正直言って、コイツのこういう性格のおかげで俺は何度も助けられてきた。まるで避雷針のように、周囲の注目を吸い寄せてくれるおかげだ。
「ふう、とにかくこれで窮地は脱した……」
おれが外野に向かおうとしたその時、
「あわわ、佐藤くん!大丈夫!?鼻血が出てるじゃない!」
「しょ……青蓮院さん」
我が弟の避雷針効果を受けつけなかった女子が一人だけいたようだ。
心配そうに俺の顔をハンカチで拭おうとしてくれている。
「ほら、保健室に行こう!私がついていくから」
「ちょ、ちょっと待って。そんな大声出したら……!」
口を塞ごうとしたがすでに遅かった。
我が弟への嫉妬よりも、彼女の影響力の方が勝ったらしい。
クラス中の視線が俺に集中しているのが分かった。
もちろん、俺への負荷は、注目度に比例して青天井で強くなる。
即座に発動する"フリーズモード"
「もう……駄目……」
「キャーっ!?佐藤くん、しっかりしてー!」
足がふらつくどころではない。意識が奇麗に吹き飛び、俺はその場で昏倒したのだった。
意識が飛ぶ瞬間、彼女の柔らかい胸の感覚と、腹を抱えて大笑いする弟の声が聞こえたのだった。
凄く細かい話ですが、「カオス」か「ケイオス」のどっちにするか迷いました。
別作品の邪神と名前かぶりを防ぐために前者を採用しましたが、ケイオスの方が格好いいと思っています。