推理と直感
数日後。
「ねえねえ、読んだ?今日の新作」
「凄かったよね~。『狂った手品師編』。どうやったらあんな奇抜な設定のラブレターを思いつくのかしら」
いつも通りの時間に教室に入ると、昨日にも増して"ホリック"の話題で持ちきりのようだった。
俺の作品を、こんなに多くの人が読んでくれている。その事実を改めて噛み締める。
今朝も、ちょっとしたネットニュースになって騒がれていた。
常軌を逸した恋文にすっかり虜になった読者たちを、世間では"ホリック=中毒"などと呼んでいるらしい。
しかし、世の中一体何がウケるのか分からないものだ。
あれだけ名前が売れた後でも、『雪の残り香』の方はさっぱり伸びていない。
俺としては、同じくらい愛情を注いでいるつもりなのだが……。
「おはよう、佐藤くん」
「やあ、金木さん」
席に着くと、いつものように金木さんが話しかけてくれる。軽く笑いかけ、それに応じる。
隣の席のよしみとはいえ、こんな俺に毎日のように声をかけてくれる、とても奇特な人なのだ。
「ラブレターの新作読んだ?私も、ついつい読みすぎちゃって、もう寝不足で……」
「あれ、全部読んだの?すごいね……」
寝不足はこっちも同じだ。なにしろ、昨日は筆が乗ってつい20作品ほど投稿してしまったのだから。
やはり、彼女と過ごした週末、そして先日の宣戦布告は俺に多大な刺激を与えてくれた。次々と、まさに湯水のように言葉が湧き出てきたのだ。
……まあ、結局全部没にしたんだけど……
「私も、あんな素敵な告白をされてみたい、って思っちゃった」
「へえ、金木さんって、結構ロマンチストなんだね」
軽く茶化すように相槌を打って、鞄の中身を整理し始める。
「ラブレターもいいけど、今日は"第一稿"の締め切りだよ?大丈夫?」
「う……佐藤くんって、結構リアリストなのね」
夢見る瞳から急に現実に戻されたようで、ジロリとこちらを睨んでくる。
素知らぬ顔で受け流し、鞄の中から"第一稿"を取り出して見せる。
「うわ、流石佐藤くん。きっちり書いてきてる……」
俺の手元にあるのは、多部ログの第一報だ。
この一か月の期間中、多部ログの参加者たちは定期的にレビュー記事の提出を求められる。
期間中に漫然と遊び歩いたりしないように、と監視の意味も込めているが、実際は第一稿から採点の対象になるのだ。
レビュー記事はすぐさま張り出され、他の生徒の記事の出来栄えや、次に行く店の下調べに利用したりと、結構ありがたいシステムになっている。
「そいえば佐藤くん、青蓮院さんとペアなんだもんね。彼女、結構張り切ってたから大変でしょ」
「確かに、ね。すごいバイタリティだよ。ついていくだけでやっとさ」
適当に言葉を濁しておく。
まさか土日も二人きりで行動した、などとは口が裂けても言えない。彼女の人気は、女子にも及んでいるのだから。
「提出は今日の昼だから、どうにか頑張ればいけるんじゃないかな」
「……佐藤くんは手伝ってくれないの?」
「敵に塩を送るわけにはいかないよ」とだけ言い残して、先生に記事を提出する。
我ながら無責任な励ましだと思ったが、金木さんは追い込まれると底力を発揮するタイプだ。これくらいでちょうどいいだろう。
記事を提出して、席に戻ろうとしたその時だった。
「全員、注目!」
ホームルームが終わり、次の授業が始まるまでのわずかな隙間に、聞き慣れない甲高い声が教室に響き渡る。
声の出所に視線を向けると、そこには少し小柄で神経質そうな、眼鏡の男子が立っていた。
「あいつは……確か近藤だっけ」
「佐藤くんって、結構記憶力いいよね。彼、そんな目立つ方じゃないのにすぐ名前出てくるなんて」
目立たないようにするには、情報収集は欠かせない。
ある人間にはどうでもいいことでも、別の人間にとってはとても目を引く行為になりえる。生徒全員の趣味や趣向に関する情報は、秘かに収集していたのだ。
近藤 司
確か、推理小説研究会の部長で、自分でも推理物を書いてるとか言ってたっけ。
普段は仲間たちと密室殺人のトリックについて語り合っているような奴が、こんなふうに急に大勢の前で声を張り上げている。
それだけで、俺にはおおよそ次の展開が予想できてしまっていた。
「生徒諸君。先日の青蓮院女史の宣言を覚えているだろうか。吾輩、青蓮院女史の姿勢にいたく感動した。そこで、近藤司はここに宣言する!」
近藤さん、いまどきの高校生は"女史"も"吾輩"なんて言葉は使いませんぜ。
ひょっとして、あなたも普段は使ってないんじゃないですか?同類の俺には分かりますよ。人前に立って目が泳いでいるあなたの心境が、良くね。
「青蓮院女史にあのような形で手紙を送りつけた、通称"ホリック"なる生徒を吾輩が暴き出して見せると、な!」
ほら、きた。
彼女があんな形で最初に宣言したもんだから、しばらくは鳴りを潜めていたのだろうが。あの下書きが公開された時点でこう言う奴らが出てくるのは予想できていた。
ネットニュースに名前が載る様な謎の人物がクラスにいるのだ。ついつい暴き立てたくなるのが人情というものだろう。
「近藤~。でもよ、どうやって見つけ出すつもりだよ?うちのクラスだけでも4000人だぞ?」
「ふ、良い質問だな」
待ってましたとばかりに眼鏡を輝かせる近藤氏。
おまえ、それがやりたくてわざわざそこに立ったんだろ。
「明日の同じ時間に、ここに集まってもらおう。その時こそ、諸君に犯人の名を明かす時だ。なに、吾輩が披露するのは簡単な推理だ。楽しみに待っていてくれ」
"犯人"とは随分と酷い言われようですね、近藤氏。
そもそも、毎朝ホームルームがあるんだからわざわざ言われなくっても明日もここにいるって。
やっぱり、ここまでの一連の芝居がどうしてもやりたかったんだろうな……。
「近藤くん、見つけられると思う?」
「さあ、どうだろうね。なにか勝算があるような言い方だったけど」
放課後、俺と彼女はいつもの喫茶店に集合していた。
あれから何度も頼み込んで、どうか教室から同伴で下校するのだけは遠慮してもらった。代わりに、ここを拠点にして商店街を巡ることにしたのだ。
普段とは違い、ここでは少し大人しめの彼女だったが、今は好奇心に目を輝かせている。
ちょうどいい機会だ。俺の方も聞きたいことがあったんだ。
「ところで、青蓮院さんの方はどうなの?見つけられそう?」
「うーん。それがどうにもうまくいかなくてね」
アハハ、と苦笑いを浮かべる。
困ったように肩をすぼめる、その仕草もとても似合っている。とにかく、どんな表情でも可愛い。
そうとは悟られぬように、真顔で彼女に見惚れていると、続けてこんなことを切り出してきた。
「でも、一つ分かったことがあるんだ」
「なんだい?教えてよ」
昨晩はあれだけ大見えを切ったが、やはり不安は常にある。
実は、ホリックの正体を簡単に見破る方法は存在する。
だが、彼女にはそのヒントが知られている可能性はない。ていうか、知られていたらとっくにバレてる。
それでも、俺は彼女の勘の良さを侮ってはいない。
周囲の空気を読み、誰とも摩擦を生まずに生活するには、超人的な感性が必要になる。たとえ、それが意図しないものだったとしても、だ。
内心冷や冷やしながら彼女の次の言葉を待つ。
すると、彼女は少し意地悪そうな表情を浮かべ、指を一本立ててコチラを指し示した。
──え?
一瞬で心臓が跳ね上がる。人に見られているわけでもないのに、視界が真っ白になった。
まさか……本当に一発で当ててしまったというのか?
「一つ分かったこと、それは、たぶん佐藤君じゃないってこと」
「……へ?」
緊張が解けて机に突っ伏したくなるのを必死にこらえ、彼女の次の言葉を待つ。
「私、なんとなく自分が好かれてるかどうかって、直感で分かるんだ。その直感が言うの、佐藤くんは私のことを好きじゃないって」
青蓮院さん、残念ですがその勘はオオハズレです。
どうやら、彼女の優れた洞察力よりも、俺の自制心の方が勝ったようだ。
嬉しいのか悲しいのか、複雑な気分だが、とにかく安心した。
不自然な間が空かないように、すぐさま言葉を隙間に流し込む。
「それじゃまるで、俺がキミのことを嫌いみたいじゃないか」
「え、あ……?ううん、そうじゃないよ!?そういう意味で言ったんじゃないの」
珍しく動揺したようで、慌てて両手を振って否定してくる。
「あれ?ひょっとして……私の勘、外れてた?」
例えそうだとしても、口が裂けてもそんなこと言えませんよ。ていうか、その通りなんですけどね。
口元を隠すために珈琲を顔に引き寄せ、少し不遜な声で返事する。
「この話の流れじゃ、YESでもNOでも不興を買いそうだから、コメントは控えさせてもらうよ」
まったく、二人きりの状況でこんな事言われたら、俺じゃなかったらとっくの昔に100回は告白してるぞ。
それくらい、近くにいる時の彼女の魅力はすさまじいのだ。
「とにかく、明日は近藤の推理を楽しみにしよう」
近藤氏。探偵Lとして、みごとに犯人を捕まえられるでしょうか?