地味な俺とド派手な彼女†
翌朝。
さすがに気になったので、ほんの少しだけ早く登校したのだが、案の定クラス中であのラブレターの話題で持ちきりのようだった。
文面を読めば、あのラブレターを書いたのがこのクラスの中の誰かであることは自明だ。
「アイツが怪しい」だとか、「実はお前なんだろ」と言うように犯人探しをする者もいれば、「『宇宙世紀編』のこのくだりが良かった」などと、ラブレターの感想を言い合う者もいた。
幸い、と言うか予想通り、アレを書いたのが俺だと疑うような声は一ミリも聞こえてこなかった。
4000人もいるクラスメイトの中で、たった一人の作者をあぶりだすのは至難の業だろう。
改めて、俺は心の中で静かに安堵のため息をつくのだった。
「ねえねえ佐藤くん、読んだ?あれ……」
「まあ、少しだけね。よくもまあ、あれだけの枚数の手紙を書き続けられたもんだと、驚いたよ」
隣の金木さんが恐る恐る尋ねてくるが、軽く笑いながらいなしてやる。
いくら自分のことだとばれていなくても、露骨に悪し様に言われるのはさすがに気分が悪い。いつもの戦術で、話題を巧妙にすり替えてねじ伏せてしまおう。
そう思って俺が口を開きかけた、その次の瞬間──
ガラッ
勢い良くドアを開けて入ってきたのは、この学校の特異点。いや、今やweb小説界の特異点となった彼女だった。
いつもとは違い、始業前に教室に入ってきた彼女の表情は、遠目に見ても硬く強張っていた。
何か思いつめたような気配に、いつもは気さくな挨拶をかける友人たちも尻込みして近づこうともしない。
……やっぱり、怒ってるのかな?
背中にびっしりと汗をかきながら、彼女の一挙手一投足に意識を集中させる。
そして多分、俺と、その他3998人のクラスメイトもそれは同じはずだった。
そんな7998本の視線を、いつものようにものともせずに受け止めて、彼女は教壇に立ってこう切り出した。
「あの手紙、読みました」
開口一番のそのセリフに、教室中が確かに騒めき、そしてその波はすぐに静まる。
彼女がこの後にどう続けるか、気になるからだ。
「あんなに多くの手紙を一度に、しかもあんな風に受け取ったのは初めてだから、少し驚いたけど、好きだという気持ちは嬉しいよ」
そういう彼女の目線は、教室の中のいたるところに同時に向けられていた。
今更でなんだが、今、彼女は手紙の主に向けて発言している。つまり、この俺に。
「でも、どうしても直接会って言いたいことがあるんだ。だから、どうか名乗り出てほしい」
「どうすんだ?やっぱ、直接胸ぐら掴んでぶん殴ってやらなきゃ気が済まねえか」
茶化すような男子の台詞を、少し表情を崩して軽くいなす。
無視もせず、変に同調もしない。ここまで張りつめた雰囲気で、彼女の空気の読み方とそのあしらい方の旨さは、やはり天性のものがある。
「それも、直接会った時に話すよ。だから、どうか今ここで名乗り出てほしい」
どこまでも真っすぐな彼女の申し出に、答えるものは一人もいなかった。
それは当然だ。当人であるこの俺が、そんな大注目を浴びるような無謀な真似を絶対にするはずがないからだ。
だが、そんな事情を知る由もない彼女は、しばらく返事を待った後にこう切り出した。
「わかった。名乗り出ないのならそれでもいい。でも、ここで私は宣言させてもらうよ」
少し間を空けて、彼女が大きく息を吸い込む。凛として透き通った彼女の声が、馬鹿デカい教室中に響き渡る。
「手紙の主さん。あなたは、私が絶対に探し出して見せる!どれだけ隠れても無駄だからね。どんなことをしても、どれだけ時間がかかっても、必ずあなたを探し出して見せる!」
それは、彼女からの宣戦布告だった。
彼女がどうしてそんなことを言い出したのか、正直俺には分からない。
誰かが言うように、あんな手紙をばらまいたことに対する怒りをぶつけたいのか、それとも手紙に心打たれて直接会って交際を申し出るつもりなのか。
彼女の表情からは読み取ることができなかった。
だが唯一、これ以上ないほどに明確なことがある。
彼女は本気だ。本気で、この俺を探し当てるつもりなのだ。
──ドクン──
そう思った瞬間、俺の心の奥で煮えたぎる様な衝動が不意に沸き上がった。
平穏だけを願い続けてきた俺の人生で、こんな衝動にかられたのは初めての経験だ。
うねり上がる情動が、自然と俺の口を動かしていた。
「……いいだろう」
誰にも聞こえないように、小声で俺はその宣戦布告を受けて立つ。
不思議と、今までにない程に強烈な創作意欲が沸き立つのを感じていた。沸騰するマグマの様に、熱く、迸る様なヤツだ。
「青蓮院琴音。君の挑戦を受けとった」
新作の投稿をしないと言ったが、それは取りやめだ。
この三日間、君と直接知り合うようになって、君への想いはさらに強くなった。
そのうえ、そんな挑戦状まで叩きつけられたのなら、黙ってはいられない。
毎日、書き続けてやるよ。君へのラブレターを。いくらでもね。
突き止められるものなら、突き止めてみるがいい。
自分を隠すのが誰よりも得意なこの俺を、4000人のクラスメイトの中から。
もしも見つけられたのならば、君の勝ちだ。俺はおそらく学校中、いや日本中の注目に晒されて、原子レベルで崩壊することになるだろう。
だが、見つけられなければどうなる?
投稿を重ねるうちにサイトのランキングも駆け上り、いつか年間一位の栄光に届くかもしれない。
そして、いつかきっと"究極のラブレター"を完成させるだろう。そうなった時は、俺の勝ちだ。
「二人だけの、真剣勝負の始まりだ……!」
教室の隅っこで、俺は一人で不敵に微笑むのだった。