秘密の露呈
唇を引き結んだまま答えを拒んだアストールに、カイが続ける。
「あの鳥は間違いなく死にかけていました。手当をすれば百歩譲って命は長らえたかもしれませんが、あんなふうに飛んでこの場から逃げるなど、できるはずがない」
そう断言し、カイはアストールからフラウに眼を移した。
「フラウ、あれはあなたがしたことだ、そうでしょう?」
「え、でも、あの、わたし……わたしには、そんな力……」
しどろもどろに口ごもるフラウの前に、アストールは立った。射貫くようなカイの視線から彼女を守るために。
「違う、あれは僕の力だ」
無理があるのは百も承知で、アストールはカイを見据えながら告げた。そして、やはりカイはそれを唯々諾々と受け入れる男ではない。
「いいえ、彼女です。そうでしょう?」
再びカイは、アストールの後ろにいるフラウに向けて言う。
「あれは、あなたが為したことだ。あなたしかあり得ない。もしもアストール様によるものだとおっしゃるならば――」
彼は言いながら右手の拳を壁に叩きつけた。気色の悪い音は、骨に何か起きたためではないだろうか。背後でフラウが息を呑んだのが伝わってきた。
カイは微かに眉間にしわを寄せて、血塗れの拳を差し出す。
「この傷を癒してみていただけませんか?」
「知るか。フラウ、中に――」
――入れ。
そう続けようとしたアストールの横から、スッと小さな手が伸ばされた。
「フラウ!」
傷付いたカイの手を包み込んだそれを外させようと、アストールはフラウの腕をつかんだ。が、その瞬間、触れたところから彼女へと魔力が流れ込む。
しまった、と思ったがもう遅く、フラウの手をカイから剝がした時には、すでに傷は半ば以上癒えていた。
その現象に一番驚いているのは、恐らくフラウだろう。彼女は呆然とした顔で、自分が癒したカイの手を見つめている。
「素晴らしいですね」
カイは右手を開閉しながら感嘆しきった声で呟いた。
「物理の亜種、という訳でもないみたいだ。発動に術式も必要ない? いったい、どんな属性なんだ……?」
ブツブツと独り言ちるカイの中に好奇心がみなぎっているのが嫌というほど見て取れた。その好奇心を満たすために何をしでかすか、判ったものではない。
この男をどうするべきか。
アストールの頭を不穏な考えがよぎったとき、カイが目を上げた。彼はアストールの顔に浮かんだものを見て苦笑する。
「そんな怖い顔をなさらないでください。別に彼女を解剖して調べようとかは思っていませんよ?」
「調べたいとは思っているのだろうが」
アストールはまだ固まったままのフラウを自分の後ろに押しやりながらカイを睨み付けた。警戒心を露わにするアストールに、カイも悪びれることなく答える。
「それは、まあ、そうしたいのはやまやまですが……アストール様の庇護下になければそうしていましたけれど、なんであれ、あなたの意思に反することができるとは思っていません」
「お前の力なら、いざとなれば可能だろう」
「確かに、しようと思えばできるでしょうね。ですが、しませんよ。私は自分の力の重さを良く理解しています。私が力を振るうのは王が命じられたときだけですし、今回は、この力を使う許可は得ていません」
アストールには、肩をすくめたカイの言葉を鵜呑みにすることはできなかった。
「いずれにせよ、僕は帰らないし、フラウも渡さない。お前がここにいても意味がない。今日中に王都に帰れ。フラウのことは『黒檀の塔』には言うな。もしもフラウを奪いに来る者があれば、容赦なく叩き潰す」
一方的に言い捨てて、フラウの肩を抱いてその場を立ち去ろうとした。が、彼女に逃げられる。
「フラウ?」
苛立ちを含んだ眼差しで見下ろすと、フラウは顔を上げてアストールを真っ直ぐに見返してきた。
「ゼスさんたちのお母さんを治してはいけませんか?」
真剣そのものな、フラウの声。
「何をバカなことを」
答えながらアストールはもう一度彼女の肩に手を伸ばしたが、また、逃げられる。
フラウは一歩後ずさり、両手を胸の前で組んだ。
「わたしに治せるなら、治したいです」
「必要ない」
アストールはフラウの願いをにべもなく切って捨てた。どれほど懇願されようが、これだけは聞き入れるわけにはいかない。
癒しの力をフラウに自覚させたくなかった一番の理由は、これだ。力を自覚したフラウがそう言い出すことを、アストールは一番恐れていた。アストールではなく自分の力なのだと知れば、傷ついたものに出会うたびフラウは片っ端から癒そうとするだろうことが判っていたからだ――実際、今、カイに対してしたように。あの行動がどんな結果をもたらすか、フラウは全く考えていなかったに違いない。ただ、怪我を見て、その苦痛を取り除きたいとしか思っていなかったはずだ。
どれだけ口止めをしても、癒されたものが増えるにつれいずれ秘密は秘密でなくなり、フラウは世界中から狙われることになるだろう。
この辺境で傷付いた動物を助けるだけならいい。
だが、ヒトは駄目だ。たとえそれがエマでも。
エマを救うことでフラウに危険が及ぶことがあってはならないのだ。
フラウに癒しの力があると知ったとき、アストールの脳裏をエマのことがよぎったことは否定できない。フラウなら、エマを助けられる、と。だが、アストールは結局それを選ばなかった。彼は、とうの昔にエマよりもフラウを選んでいたのだ。
「お前は、何もしなくていい」
「でも、アストールさま……」
「駄目だ。カイ、このことを誰かに漏らせば僕はフラウを連れてこの塔を――国を出る。セイラム国とは二度と関りを持たない」
「アストールさま、そんなことダメです」
フラウがアストールの袖を掴んで訴えてきたが、無視する。彼女の身の安全が何より重要だった。
「またそのような……ですが、本当に、あなたはそうなさるのでしょうね」
カイがため息混じりに言い、やれやれというようにかぶりを振った。そしてぼそりと呟く。
「その力があれば正室としても許されるでしょうに……」
「黙れ」
叩き切る勢いで遮ったアストールに、カイは肩をすくめる。
「判りました。全てを失うくらいなら、現状維持の方がマシです。フラウのことは『黒檀の塔』には報告しませんし、私も今日中に出発します」
「そうしろ」
短く言い置いて、今度こそ、アストールはフラウを連れて歩き出した。




