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塔の魔王は小さな花を慈しむ  作者: トウリン


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30/41

カイという男

「――トール様……アストール様?」

 しつこく呼びかけてくる声に、アストールは物憂く目蓋を上げた。

 眼を向けた先にいるのはカイだ。彼は兄であるゼスとは真逆の生真面目な面構えで、アストールを見据えている。

 カイから話があると言われ、渋々ながら書斎に入れたのはかれこれ四半時ほど前のことだ。

 部屋に入るなり話し始めたカイだったが、昨日の展望台でのフラウの様子が頭の中を占めていたアストールは完全に耳から耳へと聞き流していた。

 展望台から下りるときには笑顔を浮かべていたフラウだったが、やはり何か思い詰めているらしいことは伝わってきて、アストールはそれが気掛かりでならない。


 上の空のアストールに、焦げ茶色のカイの瞳がスッと細められる。

「私の言葉をお聴きでしたか?」

「聞いてない」

 素っ気なく即答したアストールに、カイは眉一つ動かすことなく言う。

「城にはいつお戻りになるおつもりなのかとお尋ねしました」

 恐らく同じことを繰り返させられたのだろうに、カイの声に苛立ちは欠片もなく、いたって淡々としたものだ。が、淡々としていてしつこいのが、厄介なのだ。


 カイはアストールと同じ二十二歳だが、三十路のゼスよりよほど落ち着いている。いや、落ち着いているというよりも、そもそも、波立てる感情を持っていないというべきか。

 アストールほどではないものの、カイも幼い頃から高い魔力を持っていた。アストールのように暴走して他者を傷付けるようなことはなかったが、力の高さよりも種類ゆえに、五歳の誕生日を待って『黒檀の塔』へと預けられていた。

 普通の幼児は、親と引き離されるとなれば泣いて駄々をこねるものだろう。しかし、出立の日、ゼスと兄弟の母でありアストールの乳母であるエマと共にカイを見送ったのだが、彼は全く別れを惜しむ素振りなく迎えの馬車に乗ってしまった。涙ぐんでいたのは、エマだけだ。


 今もカイが身を置いている『黒檀の塔』は、建物を指す呼称ではない。それは魔術の研究と後進の育成を目的とした組織のことで、頂点に宮廷魔術師が立ち、その下に魔術士、見習い魔術士がいる。

 魔力を持ち、それを操ることができる者でも、小さな火をともしたり、小石ほどのものを動かしたりする程度であれば市中で普通に暮らしている。しかし、人に危害を加える可能性があるとされるほどの力を持つ者は、『黒檀の塔』で管理されていた。幼少期から塔に引き取られて指導を受け、力を制御できるようなれば塔に残るか市井に戻るかを選択できる。

 カイは十になる頃にはもう充分に力を手中に収めることができるようになっていたが、家には帰らず塔に残った。エマは我が子が決めたことに何も言わなかったが、ふとした拍子に見せる横顔に、その心中が垣間見えた。彼女がアストールに注いだ愛情のいくばくかは、本当はカイに与えたかったものではなかったかと思う。


(だから、彼女は僕を見放そうとはしなかったのかもしれないな)

 他の誰もが――実の親でさえ遠巻きにしていたというのに、エマはアストールから決して離れようとはしなかった。

(さっさと離れていれば良かったものを)

 そうすれば、彼女はあんな怪我を負わずに済んだのだ。

 この十二年間、エマのことを思うといつもその結論に至る。自分の傍にいなければ、今でも彼女は不自由のない身体で幸せに暮らしていただろうに、と。


 グッと奥歯を食いしばったアストールに、そんな彼の心中など知りようもないカイが再び声をかけてくる。

「もう完全にお力を制御できておられるのに、何故、王都に――あなたが在られるべき場所にお戻りにならないのですか」

「僕がいるべき場所はここだ」

「アストール様」

「しつこい。何度言おうが無駄だ。僕はここにいる。お前こそさっさと帰れ」

 カイの口を封じるように、アストールはピシャリと告げた。だが、カイは食い下がる。

「あなたのそのお力は、このようなところでくすぶらせておくべきではありません。城に戻られることがためらわれるなら、『黒檀の塔』にいらっしゃればいい。いえ、塔こそあなたに最も相応しい場所です」

 カイの断言を、アストールは氷よりも冷ややかに切って捨てる。

「行かない」

 にべもない一言に、カイの眉間に微かにしわが寄った。

「あなたがそんなにもここに固執される理由は何なのですか」

「……」

「こんな不便な、何もないところにどうしてこだわるのです」

「……」

 アストールがむっつりとそっぽを向いてカイを無視していると、彼は独り言ちるように呟く。


「ここにはあって、王都にはないもの――あの娘、フラウ、ですか?」

 ふいに出された彼女の名前に、多分、微かに反応してしまったのだろう。カイが小さく息をついた。

「それなら、連れて帰られたら良いではないですか。身分も力もなくても愛でるだけの側室ならば――ッ」

 カイに、最後まで言わせなかった。ピシリと空気が弾ける音がして、彼の頬に赤い線が走る。

 怒気を含んだ目をすがめてアストールがカイを見据えると、彼は頬を伝う血を指で拭いながら謝罪を口にした。

「……申し訳ありません」

「二度と言うな。とにかく、僕は帰る気はないんだ。王位継承権は返上する。死んだことにして王家から存在を抹消してくれても構わない」

「あなたほどお力がある方を? そんなことができるわけがないではないですか」

 そう言って、カイはため息をつく。

「皆様、アストール様のお帰りを心待ちにされています。お小さかった弟君、妹君もアストール様にお会いできる日を心待ちにされていました。母も――」

 アストールはふいと目を逸らし、窓の外を見る。ひたと向けられたカイの視線は感じていたが、アストールは薄曇りの空を見つめ続けた。

 アストールもカイも口をつぐんだまま、時間だけが過ぎていく。


 と、そこに。

 コンコン、と、控えめに扉を叩く音がする。


「入れ」

「失礼いたします」

 アストールの声に応じて扉が開き、茶と菓子をのせた台車を押したフラウが姿を現した。

「茶など頼んでいないだろう」

 それまでのカイとの遣り取りで鬱積した苛立ちが、フラウに向けた声ににじみ出てしまった。しまった、と思ったが、こぼした声はもう喉の奥には戻らない。

「あの、ゼスさんが、そろそろ険悪になっているころだろうからって……お邪魔してしまいましたか?」

 口ごもりながら答えたフラウに、アストールは臍を噛む。

「いや、いい。ありがとう」

 務めて声を和らげそう告げると、フラウの顔の曇りがパッと晴れた。名前を呼ばれた仔犬のようなその変化に、つい、アストールも頬を緩めてしまう。


 フラウは音一つ立てることなく机の上に茶の用意をし、一礼して踵を返した。そのままカイの横を通って部屋を出て行こうとしたが、ふいに立ち止まる。

「血が……」

 呟いたフラウが見ているのは、カイの頬だ。アストールがつけた、頬の傷。

 さほど深いものではないから傷そのものは塞がっているが、伝った血の跡は残っている。恐らく無意識に、彼女はそこに手を伸ばした。


「フラウ!」

 アストールの声に、今しもカイに触れようとしていたフラウの指先が、ビクリとはねた。彼女は慌てて引っ込めた手を胸の前で握り締める。

「すみません、アストールさま、わたし……」

 カイに触れるなというアストールの指示を破りかけたことに対するものであろう謝罪の言葉を、フラウはこぼした。肩を縮めた彼女の様子に、アストールはそんなふうにさせた自分に内心で舌打ちをしたくなる。

「もういい、行け」

 言葉だけでなく眼でもそれを促すと、フラウはペコリと頭を下げ、いつもより早い足取りで部屋を出て行った。


 フラウに対して声を荒らげてしまったことに、アストールは眉をしかめる。と、カイが何かをうかがうように彼を見つめていることに気が付いた。

「何だ?」

 不機嫌さを隠さぬ声で問うと、カイはかぶりを振る。

「いえ、別に。ひとまず今日の説得は終わりにします」

「ひとまず、ではなく、諦めてさっさと王都に帰れ」

「それこそ、お諦めになってください。では、また」

 終始淡白な態度を崩さぬまま、カイは去っていった。

 昔から、カイはそうだった。単純明快で考えるよりまず動くというゼスとは正反対に、五歳にして何を考えているのか解らない奴だったということを、アストールは今更ながら思い出す。そして、くわえた骨は決して放さない飢えた犬さながらに、こうと思ったことはとことん突き詰めていく奴だということを。


「厄介なことにならなければいいのだがな」

 呟いても、聞き入れてくれる者はここにはいなかった。

 アストール自身のことはいい。執拗に帰還を迫る声はうっとうしいが、それは耳から耳へと聞き流しておけばいい。それより何より、フラウのことだ。


(カイがフラウに興味を持つことだけは、回避しないと)

 フラウにはカイに近づかないように言い含めてはいるが、普段、アストールとゼスしかいない塔の中で過ごしている彼女は、警戒心が皆無だ。

(さっきだって、もう少しであいつに触るところだったじゃないか)

 アストールはトントンと指先で卓上を叩いて苛立ちをしのぐ。

 何かが起こる前に、カイを追い返さなければ。

 カイにとってアストールは魔術を極める同志として有用な存在だが、フラウはそうではない。彼女は、カイの興味の対象となり得る者なのだ。それも、一生をかけて追いかけることになっても不思議ではないほどの、興味の対象に。

 カイには重々気を付けるようにフラウには言い含めてはいるが、彼女のことだ、長くは持たないだろう。


(きっと、近いうちにしくじるに違いない)


 ――そんな懸念は抱いていたが、それが実現するのがあれほどすぐのことになるとは、アストールも予測できていなかった。


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