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雪の化身さながらの

 新しい使用人を連れてきた馬車が到着したのは、予定として告げられていた昼過ぎどころか、太陽が地平の彼方に姿を消す寸前になってのことだった。

 人の訪れを報せる魔術が反応し、やれやれようやくかと迎えに出たアストールとゼスの前に一台の粗末な馬車が停まる。そうして屋根のない荷台から降り立った一人の少女に、アストールは目を瞠った。


 求めたのは、掃除と洗濯を担うことになる者のはずだった。

 そう、掃除と洗濯、だ。それはある意味、力仕事になる。

 だから、来るのは子どもだとは聞いていたが、それなりに体格の良い、その仕事に向いた者がよこされるものだと、思っていたのだ。


 が、しかし。


「ゼス。これはどういうことだ?」

 憮然とした顔で隣に立つゼスに尋ねたアストールに返ってきたのは、同じく困惑に満ち満ちた声だ。

「さあ、自分にもなんとも……」

 言いながら、ゼスは予め受け取っていた身上書に目を落とす。

「名前はフラウ。女の子。年齢は、――八歳」

「八歳、か」

 アストールは目を細めてその少女を見やった。

「あれが八歳に見えるか?」

「えぇと……」

 問われたゼスが言葉を濁す。

「見えないよな」


 外套の頭巾を目深に被っていて容姿を見て取ることはできないが、明らかに三つ離れたアストールの妹が八歳だった時よりも小さい。せいぜい六歳というところだろう。

 少女、いや、子どもは、さほど大きいとも言えない鞄を両手で抱え、小さな足でチョコチョコとアストールたちのもとへやってくる。そうして、二人から三歩分ほど離れたところで立ち止まった。


「はじめまして、フラウです。サイランさんのお家はこちらでしょうか」

 頭巾の奥で気持ち顔を上げ、銀の鈴が転がるような声で、少女はそう問いかけてきた。

 サイランはここでの偽名だが、滅多に使われることがない。一瞬、誰のことだと眉をひそめたアストールに代わってゼスが頷いた。

「ああ、そうだよ。君が、その、うちの掃除と洗濯を……?」

「はい。お掃除はあまりしたことがないです。でも、お洗濯ならちゃんとできます。お掃除も、できるようになります」

 声もやはり甘く幼いものだ。

 背も低いし、手も小さい。


「お前はまだ子どもじゃないか。たいして働けないだろう」

 こんな子どもをこき使う気にはとうていなれない。

 眉間にしわを刻んだまま言ったアストールの脇腹を、ゼスが肘で小突いた。

「ちょっと、アストール様!」

「何だ?」

「言い方! 言い方ですよ!」

「どこに問題が? 本当のことを言っているだけだ」

「真実をそのまま口に出せばいいってもんじゃありませんよ」

 ため息とともに吐き出されたその台詞に、アストールはムッとする。睨みつけると、ゼスは呆れたようにもう一度ため息をついた。

 と、そこに、おずおずと声が届けられる。


「あ、あの」

 アストールとゼスがパッと視線を下げると、子どもが頭巾に包まれた頭を微かに傾げた。

「わたしはここにいてはダメですか?」

「え?」

 目をしばたたかせたアストールに、子どもが再び同じ問いを口にする。

「わたしは、ここにいてはダメですか? 帰らないとダメですか?」

 どこか舌足らずなところが残った声でそんなふうに尋ねられ、平然と「そうだ」と頷けるのは冷血漢だけというものだ。

「いや、駄目、というわけではないが……」

 アストールは少女を見下ろした。


 彼の胸くらいまでしかない身長に、か細い肩。

 弟妹よりも小さい子どもを働かせるという状況には、かなり抵抗がある。


 歯切れの悪いアストールに代わって、ゼスが少女の前にしゃがみこんだ。そうしてもなお、ゼスの頭の方が高い位置にある。

「駄目じゃないよ、全然」

「おい、何を勝手に――」

 アストールの抗議の声に、ゼスは首だけで振り返る。

「洗濯してもらえるだけでも助かるし、掃除もおいおい覚えていってもらえばいいじゃないですか。ちっさい子に働かせるのが嫌だってんなら、あなたが手伝ってくれてもいいんですよ? この二年、うだうだしてただけでしょう? いい機会ですよ」

「なんで僕が!?」

「じゃ、フラウちゃんをこき使うことにしましょうか」

「ッ!」

 ぐうの音も出さずにいるアストールを無視して、ゼスは再び少女に向き直った。

「自分はゼスだ。こちらは主のアストール様。これからよろしく。ここは寒いし、長旅で疲れているだろう? いじわるなお兄さんは放っておいていいから、さっさと中に入ろうか」

 アストールには見せたことがないような満面の笑みとともにゼスがそう言うと、少女は勢い良く頭を下げた。

「ありがとうございます、がんばります」

 起き直った拍子に、少女の頭からスルリと頭巾が滑り落ちる。

 刹那、そこから現れたものに、アストールとゼスは同時に息を吞んだ。


 白。

 いや、白銀。


 耳の下ほどで短く刈られた少女の髪は、ふわふわと綿毛のように柔らかそうな白銀だった。丸く大きな瞳は、青みを帯びた灰色。肌も抜けるように白い。


(本当に、人間か?)

 疑念が、アストールの頭の中をよぎった。

 髪と瞳の色は、身に宿す魔力の強さを反映する。それが高ければ高いほど、濃くなるのだ。

 だから、アストールは漆黒の髪と瞳をしている。あまり魔力を持たないゼスは、亜麻色の髪に茶色の瞳だ。ゼスよりも薄い色の者もいるが、それでも、この目の前の少女ほど白い者は、未だ見たことがない。


(雪の精、みたいだ)

 少女を見つめたまま、アストールはそんなことを思った。

 薄曇りの冬の空を映したような瞳を縁取っている睫毛は髪と同じ白銀色だというのに、ふさふさと濃いから存在感がある。こじんまりとした鼻は形が良く、小さいけれどもふっくらとした唇は花びらを思わせる。

 少女は、身にまとう色だけでなく、造作もまた、人間離れをしていた。十年後にはどんなことになっているか、空恐ろしく思うほどに。作りが整っているうえに今は表情を欠いているから人形じみて見えるが、もう少し肉付きが良くなって、笑顔の一つも浮かべたら、きっととてつもなく愛らしくなるだろう。


 言葉もなく凝視する二人に、少女が目をしばたたかせた。次いで、首をこくりと傾げる。

「アストール、さま?」

 幼い子ども特有の甘い声で名を呼ばれ、アストールは我に返った。

「あ、ああ」

 生返事だけしかできなかったアストールの横で、ゼスが盛大なため息をつく。

「ああ、じゃないですよ。もうちょっと愛想良くできないんですか。悪いね、社会性がいまいちな主で。まあ、ちょっとひねくれてるだけで悪い人じゃないから安心して」

 そう言いながら、少女の荷物を取ろうとしたのか、ゼスが手を伸ばした。が、それが触れる直前で、彼女がびくりと後ずさる。


「フラウ?」

 宙で手を止め、ゼスが眉をひそめた。

「あ、あの、わたしに触ったらダメなんです」

「え?」

(触るな、ではなくて、触ったらいけない、なのか?)

 一体どういうことなのかと眉をひそめたアストールだったが、彼が問いを重ねるより先にゼスが動いた。

「そうか、じゃあ、荷物だけもらおうか。重いだろう?」

 アストールには見せたことがないような優しげな微笑とともにゼスが手を差し出したが、少女は小さくかぶりを振った。

「だいじょうぶです」

「そう? じゃ、それ持ってついておいで」

 ゼスの言葉に、荷物を抱き締めるようにして抱えたまま彼女がコクンと頷く。ゼスはもう一度笑みを浮かべると、手ぶりで少女を促してから歩き出した。


 ――ほとんど何も言えず、動けずだったアストールを、置いてけぼりにして。


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