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塔の魔王は小さな花を慈しむ  作者: トウリン


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フラウからのお誘い

 ここ数日アストールが取り組んでいるのは、転移の魔術の改良だ。転移の術そのものは既に存在しているが、転移先が視認できないと使えないため、さして役に立たない。取り敢えず、目印となる物を置けばそこに跳べるようにはできたのだが、まだ、何かの役に立てられるほど距離が伸びていない。


(この冬の間に、せめてルイ村くらいまでは行けるようにしたいな)

 アストールは眉間を揉みながら椅子の背もたれに身を投げた。と、机の隅に放っていた紙切れが、目に入ってしまう。彼は唇を引き結び、それを手に取った。


 今朝方届いた、王都からの手紙。


 何度読んでも内容が変わることなどないことは判っているというのに、そこに記されている文に目を通すのは、もう、これで三度目だ。

 アストールはグシャグシャと書を丸め、指を鳴らして火をつけてしまう。宙を舞う灰を手で払い、深く息をついた。

 冬将軍が居座る前のこの時期に王都から手紙が届くのは、毎年のことだ。いつもは当たり障りのない近況報告と機嫌伺い程度で、ちらりと目を通せば記憶の片隅にも残ることはなかった。


 だが、今年は。


 アストールが荒く息を吐き出した時、ふいに扉が叩かれた。

 静かな音にもかかわらず、気持ちが張り詰めていた彼の肩はビクリと反応してしまう。顔を上げると、柔らかな声での呼びかけが続いた。

「アストールさま?」

 下にいたはずのフラウの声に、一瞬戸惑う。

 アストールは立ち上がり扉に向かった。開けた先にいたフラウが、大きな青灰色の目を輝かせて彼を見上げてくる。


「どうした?」

 眉間にしわを寄せて見下ろすと、フラウが微かに首をかしげた。多分、本人は気づいていないのだろうが、仔猫のようなその仕草は彼女がアストールに伺いを立てる時の癖だ。

 フラウはアストールを見上げて問うてくる。


「あの、お昼ごはん、お外で召し上がりませんか?」


 一瞬、言われたことが解からなかった。

「……僕が? 外で?」

 問い返したアストールに、フラウが頷く。

「はい。焚火で作るんです。ゼスさんが、野営訓練というものでしたことがあるのだそうです。わたし、アストールさまと一緒に焼きながら食べたいです」

 両手を胸の前で組んだフラウの目は、期待に満ち満ちている。

 こんなふうに、フラウの方からアストールに何かを求めてくるのは、初めてではないだろうか。物はおろか行動でさえも、なかったと思う。


(何だろう、これは)

 アストールはギュッと胸元を握り締める。

 こみ上げてきた感情は、多分、喜び、だ。

 こんな些細なことでも、フラウが何かをねだってくれるのは、この上なく嬉しい。


「……アストールさま?」

 呼びかけられて、アストールは目をしばたたかせる。嬉しさのあまり、束の間思考停止していたようだ。

「ああ、行くよ」

 彼が頷くと、フラウの顔がパッと輝いた。

「良かった!」

 声を上げたフラウに、アストールの胸に何かがプスリと刺さった気がした。思わずみぞおちをさすったが、何もない。


 眉をひそめて首をかしげるアストールの手を、フラウが取った。

「行きましょう、アストールさま。アストールさまはお外で召し上がったことはありますか?」

「……いや、ない」

 王宮の庭園で催される茶会には子どもの頃に出たことがあるが、フラウが言うのはそれとは違うだろう。

「アストールさまも初めてなんですね。どんなふうなんでしょう。アストールさまは何を召し上がりたいですか?」

 よほど楽しみなのか、フラウは弾むような足取りで階段を下りていく。

 あまり目にすることのないフラウのはしゃぐ姿は、端的に言って、愛らしい。


 ふとアストールを見上げたフラウがパッと顔を輝かせる。

「なんだ?」

 眉をひそめてアストールが問うと、フラウはフフッと笑った。

「アストールさまが笑ってらっしゃるから」

「僕が……?」

「はい」

 いかにも嬉しそうに、フラウが頷く。

「僕が笑うと、嬉しいのか」

「もちろんです。アストールさまが幸せそうだと、わたしも幸せです」

「……そうか」

 声に出して一言返し、アストールは胸の内でつぶやく。お前の幸せは僕の幸せだ、と。そんな彼の心の声を聞き取ったかのように、フラウがまた微笑んだ。


 互いに胸の内を吐露し合ってから、フラウは薄皮が剝がれていくように日々表情豊かになっていっている気がする。

 そして、綻ぶ蕾さながらに変わっていくフラウと比べれば微々たるものだが、アストールも徐々に変わりつつあった。一番大きな変化は、彼女と寝台を別にするようになったことだろう。

 フラウがアストールの傍にいるのだと言ってくれたからだろうか。

 彼女の姿が視界から消えることに、不安を覚えなくなったのだ。

 かつては、フラウが見えていないと、焦燥のような落ち着きのなさでジリジリと胸の奥が焼けるような感覚に見舞われた。彼女に触れていないと、自分の身体の一部が欠けてしまったようで、まともに立つこともできない気がしていた。

 それらが、あの日を境に霧散した。

 五つ以上も年下の少女の言葉一つで安定してしまうのは甚だ情けないが、事実なのだ。

 結局、フラウに依存しているままなのかもしれないが、彼女はアストールから離れないと約束したのだから、構わない。


 アストールは、フラウの小さな手を握り締める。と、彼女が彼を見上げて、ふわりと笑んだ。

「アストールさま、わたし、アストールさまと色んなことをしてみたいです」

「色々なこと?」

「はい。ルイ村への買い出しも、アストールさまと一緒に行きたいです」

「ルイ村、か」

 あの村の人々の中で未だに囁かれ続けている自分の噂を、アストールは知っている。彼が村の中に立ち入れば、きっと、そこに油を注ぐことになるだろう。


 黙ったままのアストールに、フラウが眉を下げる。

「お嫌ですか?」

 何となく、彼女の背後に垂れた尻尾が見えた気がした。

「お前が、望むなら……」

 ためらいがちに答えると、フラウの顔が輝きを取り戻す。

「望みます。すごく、望みます!」

 そう言って、フラウはキュッとつないだ手に力を込めた。応えて、彼もフラウの手を握り返す。


 この柔らかな温もりは、アストールにとって何ものにも代え難い、決して失うことができないものだ。

 アストールはこの手を放さないし、フラウは彼の手を振り払わない。

(それは、この先ずっと、変わらない)

 ――たとえ、王都からどんな知らせが来ようとも。


 塔を出ると、小春日和の陽射しに束の間目がくらむ。眉をしかめながら落ち葉を積んだ庭に向かうと、準備万端でゼスが待っていた。

「さあ、フラウ、何から焼く?」

 そう言って、ゼスは様々な食材を披露する。

「じゃあ、これとか……」

 二人はしばらく額を寄せていたが、ややして、フラウも要領を得たのか、彼女を残してゼスがアストールの方へやってきた。


「あんなに喜んでくれるとは思いませんでしたよ」

 そう言うゼスも、嬉しそうだ。が、アストールを見て眉を上げる。

「どうかされました?」

 さすがに、ゼスは目敏い。

「――春になったら、王都からカイが来る」

「あいつが? こんなど田舎にですか? 自分には何も言ってきてませんが?」

「お前の弟してではなく、宮廷魔術師としてだ」

「ああ、なるほど。まあ、ちょうど十年ですしね。むしろ、今まで何も言ってこなかったのが不思議なくらいですよ。……気になるのはフラウのことですか? あなたのことは報告してますが、フラウのことは特に何も知らせてませんし、大丈夫じゃないですか? 魔力がないあの子に、あいつが興味持つとは思えませんけどね。興味のないものには近寄りもしませんから、あの子が他人の魔力を奪っちまうってところもバレやしませんよ」

 そう言って、ゼスはカラカラと笑った。


 確かに、魔力を持たないフラウなら、大丈夫だろう。


(だが、彼女は……)

 ゼスにも教えていないフラウの秘密を飲み込んで、アストールは、グッと奥歯を食いしばる。

(知られる前にさっさと帰さないとな)

 振り返ったフラウが浮かべた笑顔に、アストールはひとまず懸念を胸の奥に押しやった。


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