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塔の魔王は小さな花を慈しむ  作者: トウリン


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アストールの過去

 ゼスはしばらく膝の間に頭を垂らしてから、勢い良く顔を上げる。彼は不安で瞳を揺らすフラウの目を覗き込み、柔らかく笑った。

「花束を壊してしまったのは、君じゃないんだよ」

「え?」

「アストール様なんだ」

「まさか!」

 思わず声を上げたフラウに、ゼスはかぶりを振る。

「アストール様だよ。あの人の力が暴発したんだ」

「そんなこと、あるはずがないです」

「いや、あるんだ。昔は、そんなの日常茶飯事だったよ。……ルイ村の人たちは、アストール様のことになると口を濁すだろう? 君が来てくれるまでは村から人を雇っていたんだけど、あの人がしょっちゅう物を壊すから、皆怖がってすぐに辞めてしまってね、その上その噂が村中に広まって、二年もしないうちに誰も来てくれなくなってしまったんだよ」

「アストールさまが……?」

 自制心の塊と言っても過言ではない今のアストールからは、想像もつかない。

 目を丸くするフラウに、ゼスが頷く。


「アストール様の力は、すさまじいんだよ。セイラム国では高い魔力を持つ者が生まれやすいけど、その中でもあの人は群を抜いている。君みたいに魔力をまったく持たない子も珍しいけど、アストール様ほどの力を持つ者も、今までいなかったんだ」

 ゼスの声は誇らしげだったけれども、そこには一抹の陰りも潜んでいるようにフラウには聞こえた。

「それは、良いことなんですよね?」

 アストールはその魔力を使って様々な道具を動かしている。完璧に。

 そんな力が、悪いものであるはずがない。

 眉根を寄せたフラウをゼスは見つめ、肩をすくめた。


「アストール様がお生まれになったとき、国中が沸いたよ。どえらい魔力を持っている、これは将来すごい人になるに違いないってね。ほとんどお祭り騒ぎで、自分も良く覚えている」

「国中、ですか?」

 ずいぶんと大きな話に、フラウは首を傾げた。彼女の訊き返しに、ゼスの眼が一瞬揺れたように見えたのは、気のせいだったのだろうか。

「……それくらい、すごい力だったんだよ。でも、お小さい頃はまだ良かったんだけど、あの人の魔力は膨らむ一方でね。あの頃のアストール様の手には納まりきらないものになって、少しお気持ちが乱れるだけで、暴発するようになってしまったんだ」

「暴発……」

「そう。当時、あの人の周りで物が壊れない日がなかったよ」

 それからしばらく無言が続き、フラウはそれでもう話が終わりだろうかと首を傾げた。と、再びゼスが口を開く。だが、彼の舌は重く、いつもの滑らかさを欠いていた。


「物が壊れるだけなら、まだよかった。でも、アストール様が十歳になったとき、人に怪我をさせてしまってね。アストール様にはまだ幼い弟君と妹君がいて、あの方たちに万一のことがあってはならない、と、この塔に移されたんだ。本当ならもっと使用人がいてもいいんだけど、その件で皆腰が引けてしまってね。誰も来たがらなくて」

 ゼスが肩をすくめる。

「自分の弟はアストール様と同い年で、あの人の乳兄弟なんだ。僭越ながら、アストール様も弟みたいに思ってたんだよね。だから、人の世話なんて自分には畑違いだけど、ついてきたんだよ」

 十歳で、家族と引き離されてこの塔に。

 フラウは親も兄弟もいないから、家族と別れなければならないことがどれほどつらいものなのかは解からない。けれど、大事な人と別れなければいけない時の気持ちは、今回のことで嫌というほど知った。


「アストールさまは、お家に帰りたいと思うことはないのでしょうか」

「し――家に、かい? 来たばかりの頃はともかく、多分、今はそんなこと欠片も思っていないんじゃないかな。君がいるからね」

「わたし?」

「ああ。君がいない生活に、あの人が我慢できるとは思えないな」

「でも……」

「出て行けって?」

 ゼスが、眉を上げて言い淀んだフラウの言葉を継いだ。彼女は眼を落とし、頷く。

「実際に君がここから出て行ったら、あの人、滅茶苦茶落ち込むよ、きっと」

 そう言ってゼスは笑ったが、すぐにまた真顔になった。


「アストール様が怪我をさせてしまったのは、あの方の乳母で――自分の母なんだ」

「ゼスさんの、お母さん?」

「そう。何がきっかけだったか忘れてしまったくらい、些細なことだったんだけどね、母が、アストール様のことを叱ったんだよ。アストール様にしてみたら、手を振り払ったとか、そんなくらいの感覚だったんだろうけど、そこにあの人の魔力が加わるとそれでは済まなくてね」

「大きな怪我、だったんですか?」

「まあね」

 返事は短いものだったけれども、否定ではなかった。きっと、かなりの怪我だったのだろう。

「アストールさまのこと、怒ってないんですか?」

 ためらいがちに訊ねたフラウに、ゼスはかぶりを振った。

「母を傷付けたとき、その場の誰よりもアストール様が怯えていたんだ。あの顔を見て、責められるわけがない」

 彼の目を見れば、その言葉が本心であることが判る。


 当時、アストールは十歳。

 まだほんの子どもだ。

 その年で人に怪我をさせてしまって、気にしないでいられるはずがないだろう。

 ましてや、フラウはアストールのことを良く知っているのだ。彼が人を傷付けて平気でいられるような人ではないことを。

 怯える大人に遠巻きにされて佇む幼いアストールの姿を思い浮かべるだけで、フラウの胸が痛んだ。もしも彼女がその場にいられたら、迷わず彼のことを抱き締めていた。そうできなかったことが、とても悔しい。


 きっと、今もアストールは大事なひとを傷付けてしまったことを悔いているに違いない。

 フラウは、彼のことをただただ強い人だと思っていた。

 生まれながらに強い人なのだと。

 けれど、違っていた。

 そういう後悔を踏み締めて、懸命に身につけてきた強さなのだ。


 そんなアストールに、この無力な自分は何をしてあげられるのか。


 思いを持て余してギュッと両手を握り締めたフラウに、ゼスの声が届く。

「大人たちがもっとうまくやれれば良かったんだよ。力の大きさに一番困惑していたのはアストール様だったんだから」

「ゼスさん……」

 肩を落としたゼスに、何て言ったら良いのか判らない。

 フラウの声にゼスが顔を上げ、口元に微かな笑みを刻んだ。自責の念を含んだ笑みを。

「力を制御するには努力も必要で、アストール様も小さな頃から頑張ってたんだけど、実を結ばなくてね。ちょっと自棄になり始めていた頃に――いや、だからこそ、あの事件が起きてしまったのかもしれないけど――とにかく、母に怪我をさせてからはその努力もしなくなってしまってね」

「今のアストールさまからは想像もできません」

 フラウが知るアストールは、自制心が強く、研究に没頭するあまりに寝食も忘れてしまうような人だ。力を制御できない自分をそのままにしておくなど、絶対にあり得ない。


「そうだな。自分も多分あの人のことを見誤っていたんだけど、最初はね、反抗的だし、不機嫌だし、魔術を学ぼうとしないのも、拗ねてるんだと思っていたんだよ。家から追い出されてこんなところに追いやられたことにね。実際、あの人自身がそんなようなことを言ってたし」

 でもね、とゼスが続ける。

「しょっちゅう力を暴発させて、制御する気がさっぱりないように見えてたけど、ここに来てから、どれだけ物を壊しても、人を傷付けることは一度もなかったんだ。今思うと、多分、他人を近づけたくなかったんだよな。近づけて、その人を傷付けてしまうことが怖かったから。怖がらせれば、逃げていくだろう? あの人は他の誰よりも自分自身を責めていたんだ。その自責の念に耐えられなくて他の者を責めるようになっちまったってのも、あったんだろうなぁってね。他人を近寄らせなかったのは、相手を守るためだったり、自分を罰するためだったり、気持ちが裏返ったり、色々混ざりあった結果だったのかもねって」

 ゼスの言うことは的外れかもしれないけれど、ずっとアストールの傍にいた彼の言葉の全てが見当違いだとは、フラウには思えなかった。


「今も、アストールさまはそんなお気持ちなんでしょうか」

 だったら、つら過ぎる。

「どうだろうね。ただ、君が来てから、あの人は変わったよ。それは確かだ」

「わたし、ですか?」

 フラウは目をしばたたかせた。そんな彼女を見て、ゼスが笑う。それは、温もりを感じさせる笑みだった。

「ああ。力を制御しようとするようになったし、何より、目に見えて精神的に安定した。多分、君を守らないと、と思ったんだろうな」

「わたしを、守る……」

 フラウは呟き、両手を胸の前で握り合わせた。


 この塔に来て、フラウは色々なものをアストールから与えてもらったけれども、その中でも一番大きなものが、「自分はここにいても良いのだ」という安心感だった。存在していることを許されているという、自信のようなもの。

 それはきっと、アストールがフラウのことをそんなふうに思い、大事にしてきてくれたから培われたものなのだ。


(そうだ。わたしは、ずっとアストールさまに大事にしていただいてきた)

 十年間、ずっと。

 その十年間で彼から注がれていたものは、ほんのひと時の会話で覆されてしまうようなものだろうか。


 唇を噛んだフラウの前で、ゼスが立ち上がる。見上げたフラウに、彼はニッと笑った。そうして彼女の頭に大きな手をポンとのせ、白銀の髪をくしゃくしゃと乱す。

「あの人の引きこもりを今まで放置してきたけど、そろそろ潮時だ。君のこともあるし、ちょっと、あの人と話をしてくるよ」


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