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塔の魔王は小さな花を慈しむ  作者: トウリン


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19/41

望むこと、為すべきこと

 ようやく、完成した――完成してしまった。


 アストールは机の上に置いていた指輪を手に取り、見つめる。

 月の色を映したような乳白色の小さな石が一つ付いたその指輪の内側には、精緻な紋様が刻まれている。その原理はこの塔にある他の魔術具と同じだ。


 塔には、侵入者に反応する報知器、食材を保存するために低温に保った室、塔の内部を一年中快適な温度に保つ空調、衣類や食器などの洗い物を入れておけば勝手に洗ってくれる各種洗濯機などなど、魔術で動く様々な道具があるが、どれもアストールの魔力で動いている。

 基本的に、魔術具は使用者が触れて魔力を供給し続けないと作動しない。だが、それらの道具に対して終始アストールが触れているなど不可能だから、離れていても魔力の受け渡しができるようになる術式を考案した。この指輪の内側に刻んだ紋様は、それを応用したものだ。


(これを渡せば、フラウは僕を必要としなくなる)

 魔力を与えるアストールがいなくても、フラウはどこにでも行けるようになる。


 アストールは指輪をきつく握り締めた。

 こんなもの、作りたくはなかった。

 完成しなければいいと、ずっと思っていた。だが、同じくらい、フラウにとって必要なもので、作らなければいけないものだと、ずっと思っていた。


 再び開いた手のひらには、丸く指輪の跡がついている。

(もしも、フラウがこれを要らないと言ってくれたなら)

 アストールがいるのだからそんなものは必要ないと、フラウ自身が拒んでくれたなら、彼女を傍に引き留めておける。

 アストールはフラウがそう言ってくれることを切実に望んでいたが、それが正しいことではないこともいやというほど判っている。

 彼の中で望むことと為すべきことが完全に真逆を向いていて、この指輪を手掛け始めてからの日々は、心が二つに引き裂かれるような痛みに苛まれ続けるものとなっていた。


 力を暴発させてフラウの手の中の花束を散らしてしまってから、彼女とは寝台を別にしている。眠りに就いても浅いものにしかならず、ふと気づくと、手があの温もりを探してさまよっていたということもしばしばだ。やけに身体が重く感じられるのは、そのせいもあるのかもしれない。


 知らず、重い溜息がアストールの口から洩れる。と、その時、書斎の扉が控えめに叩かれた。音からして、フラウだろう。夕食後に書斎に来るように、ゼスに言伝を頼んでおいたのだ。


「入れ」

 応えると、ほんの少しの間をおいてから、扉が開かれた。

 そこから姿を現した、輝くような白銀の髪に、緊張からか、大きく見開かれた青灰色の瞳の少女。

 触れられるところにいる彼女を目にするのは、何日ぶりのことだろう。

 食事を運ぶフラウが扉越しに声をかけてくるたびに、彼女を中に引き入れたくて浮く腰を椅子の上に押しとどめた。寂しそうなその声を耳にするたび、息が詰まるほど胸が締め付けられた。


「アストールさま……お元気そうで……」

 そう呟いたフラウから溢れた安堵の思いが、アストールを温かく包み込む。

 冷たい態度を取り続けていたアストールのことをひと欠片も責めようとはせず、ただ、彼のことを案じていただけだということが、ひしひしと伝わってきた。


 アストールを見た瞬間、パッと顔を輝かせたフラウだったが、室内に足を踏み入れた後は、ためらいがちな足取りになった。まるで、彼との距離を縮めることを、恐れているかのように。


 もしかして、あの花束を散らしたのがアストールの力だと知ったのだろうか。フラウと出会う前の彼が何をしたのかも、ゼスから聞かされてしまったのかも。

(だったら、怖がるのも当たり前だ)

 いつもと違うフラウの態度を見ても、アストールの中に生じるのは自嘲と諦めだけだ。彼女を責める気持ちなど、微塵も湧かない。


 おずおずと足を進めてきたフラウは、互いに両手を伸ばせば触れられるほどのところまできて立ち止まる。それ以上は距離を詰めようとしない彼女に、アストールの方から近寄った。自分の肩ほどまでしかないフラウを見下ろし、ふと眉をひそめる。

「少し瘦せたな。ゼスが手を抜いていたのか?」

「いえ、違います! ゼスさんは、毎日おいしいご飯を作ってくれました。でも、ちょっと、あんまり食べられなくて……」

 言い始めは勢い良く顔を上げたフラウだったが、次第にうつむき尻すぼみになっていく。その様を見ていれば、言葉にされなくても判った。


(理由は、僕か)


 きりきりと胸が痛む。

 今すぐにでもフラウを引き寄せ、この腕の中に包み込んで、「悪かった」と言いたかった。この数日彼女と向き合おうとしなかったことに対してだけでなく、他の、様々なことに対して謝りたかった。

 だが、アストールは歯を食いしばり、それをこらえる。


「手を貸して」

 アストールの促しでフラウが出してきたのは右手で、彼はしばしそれを見つめてから、もう片方の手を取った。その薬指に、指輪をはめる。

 ふと、ここに来た日、ひどく荒れていた小さな手のことを思い出した。あの時、それを目にした瞬間覚えた胸の痛みも。

 今ではすっかり柔らかくなった白い手を持ち上げ、アストールは滑らかな爪に口づける。ついで、指輪にも。

 左手の薬指に指輪をはめたことは、アストールの最後の悪足掻きだ。いずれ、その意味を知れば、フラウ自身で他の指に移すだろう――その日が来ないことを、彼は心の底から願ったが。


「あの、アストールさま?」

 困惑の面持ちでアストールを見上げるフラウの手を、彼はまるで自分の腕を断ち切るような思いで放した。

「お前が人に触れられない理由は、相手の魔力を奪ってしまうからだということは、前に説明しただろう?」

 唐突に切り出したアストールにフラウは目をしばたたかせ、こくりと頷く。

「はい」

「その指輪は、触れずとも人から魔力を吸収し、お前に注ぎ込む」

「え? でも、それじゃ、ゼスさんが……」

 慌てて指輪を外そうとするフラウの手を押さえ、アストールは続ける。

「触れたときのように根こそぎじゃない。その人間が持つ魔力量に応じて、負担にならない程度だけだ。人が多いところにいれば問題ないし、今は僕が近くにいるからゼスからは殆ど吸収していない」


 フラウはその言葉に安堵し、まじまじと指輪を見つめる。次いでアストールを見上げた。

「どうして、これを?」

 青灰色のフラウの目の中に一番濃く渦巻いているものは、不安だ。

 それに気づき、アストールは眉をひそめる。何故、彼女がそんな顔をするのかが判らない。

「その指輪をしていれば、僕から魔力を受け取る必要がなくなる。僕の傍にいなければならない理由がなくなる」

 つまり自由になれるということだ。それは、フラウにとって良いことのはず。

 だが、アストールの説明を聞いて、彼女の表情はますます曇っていく。何故だろう、と当惑しながら、彼は言葉を重ねる。


「この指輪をしていれば、いつでもこの塔から出て行ける。ただ、ルイ村には留まっていて欲しい」

 たとえ容易には触れられない場所に行ってしまったとしても、これから先もフラウのことはアストールが持てる力の全てで守っていくつもりだ。

 今考案している転移の魔術が完成すれば、セイラム国の反対側にいても瞬時に彼女のもとへ行けるようになるだろう。しかし、それがあったとしても、できたらあまり遠くへ行って欲しくはない。たとえ傍にはいられなくても、完全に手放すことは、したくない。


 アストールが言葉を重ねるほどにうなだれていったフラウは、今や完全にうつむいてしまっていた。顔を伏せ、アストールから表情を隠したまま、フラウが囁き声で言う。

「わたしは、ルイ村に行くのでしょうか」

「そうだ」

 フラウの為には、その方が良い。

 首肯したアストールの前で、フラウがパッと顔を上げる。彼女は大きく目を見開き、アストールを凝視した。その目が、一瞬、ゆらりと揺れる。


(泣かせた……?)


 何故、と思うより先にアストールはフラウに手を伸ばしていたが、彼女はそれから逃れるように後ずさった。

「わたし……」

 フラウは口ごもり、顔を伏せる。細い肩が微かに震えているのを目にして、アストールは持ち上げた手をきつく握り込み、奥歯を食いしばった。全身に力を込めていなければ、この手足がどう動くのか、自分でも判らない。


 書斎の空気はピンと張り詰め、吐息一つで音を立てて崩れ落ちそうだった。

 静まり返った室内で、アストールは息をひそめる。

 気が遠くなるような長さに感じられた、だが、実際にはほんのわずかな間に過ぎなかった時を経て、先に動いたのはフラウの方だった。

 うつむいたまま、彼女がポツリと言う。


「わかりました」


 フラウが下した決断に、刹那、アストールの胸が切り裂かれたような痛みを訴える。フラウにルイ村に行くように言ったのは彼自身だったというのに、とっさに、「駄目だ」と返してしまいそうになった。

 口を開けばフラウを引き留める台詞しか出てこなそうで、アストールは無言を貫く。

 フラウは何かを待つようにしばらくその場に佇んでいたけれど、やがて、一歩後ずさった。一歩、また一歩、と下がり、ふいにくるりと身をひるがえす。


 アストールがその細い背中を引き寄せずにいるには、全身の力を振り絞らなければならなかった。

 彼が見つめる中、フラウの肩がほんのわずか動き、一瞬、彼女が振り返るのかと思った。やっぱり行きたくないと、言ってくれるのかと思った。

 だが、実際にはフラウが再びアストールを見ることはなく、彼女は小さな吐息を一つだけ残して書斎から出て行った。


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