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塔の魔王は小さな花を慈しむ  作者: トウリン


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16/41

八百屋の息子

 塔での日々は、表面上は以前と変わらず流れていき、気づけば行商市の日から十日が過ぎていた。

 初冬のこの時期、フラウとゼスは冬本番に向けて準備を進め、アストールは忙しく立ち働く二人を横目に書斎にこもる。

 その行動は、例年通りだ。

 だが、あの日を境にアストールが身にまとう雰囲気はどこか変わってしまっていた。

 フラウが話しかけてもアストールは上の空で、いつも何か考えこんでいるように見える。前から、新しい魔術やフラウのための道具を作り出そうとしているときは寝食も忘れがちになる人だったけれども、フラウの話にはどんな時でもちゃんと耳を傾けてくれていたし、そういうときよりも、今の彼はもっと暗く思い詰めた表情をしている。


 それに、夜も。


 冬物の衣類を整理していたフラウの手が、止まる。


(ほとんど毎晩、うなされてるし)

 深い眠りの中、一体誰に向けたものなのか、小さな声で途切れ途切れの謝罪を漏らす、アストール。

 それは、「ごめんなさい」であったり、「すまない」であったりした。

 子どもと大人の口調の二つが入り混じることで、彼を悩ませているものが過去の記憶だけではないということがうかがわれ、フラウの胸はとても苦しくなる。


 人には過去がある。

 その過去が、楽しいものばかりではないということを、フラウは知っている。

 でも、過去は過去だ。それはどうやっても変えようがないし、より良い『今』で塗り替えるしかない。

 けれど、アストールが「すまない」という謝罪の言葉を口にするのは、きっと今現在の何かに対してで、今、フラウの目の前にあるはずの何かなのだ。


 それは、いったい何なのだろう、と。


 フラウが抱き締め背を撫でていると次第に落ち着くけれど、彼は、夜毎に悪夢を見ていることを覚えているのだろうか。


 うつむき唇を噛んだ彼女に、リン、と、鈴のような音が届く。それはある程度の大きさがある生き物が塔に近づくと、教えてくれる知らせの魔術によるもので、耳で受け取るものではない。ここに来てからアストールが編み出したものだとゼスが教えてくれたのは、フラウがここに来て間もない頃のことだった。

 訪問者は、きっと、八百屋のカールだ。

 ルイ村からは、およそ十日ごとに荷が届けられる。運んできてくれるのは、たいてい八百屋の息子のカールだ。肉や他の日用品も購入していて、以前は他の店の人たちも順番で訪れていたけれど、この一年ほどは、もっぱらカールがその役を担っているようだ。きっと、一番若くて体力があるからだろう。

 フラウは立ち上がり、玄関へと向かう。途中、厨房に顔を覗かせた。


「ゼスさん、荷物が届いたみたいなので出てきます」

 夕食の下ごしらえをしていたゼスにそう声をかけると、彼はちらりと壁の暦に目を走らせた。

「ん? ああ、そうだっけか。じゃ、頼んだ」

「はい。何かカールに伝えておくことはありますか?」

「特にないかな……っと、この間のユズ茶、残ってたら次の時持ってきてって言っといて」

「わかりました」

 頷き、フラウは厨房を後にする。


 玄関から出て外で待っていると、ややして馬車が見えてきた。フラウに気づいたらしく、まだ離れたところから御者台で手綱を取るカールが手を振った。

 少し早足になった馬車がみるみる近づき、フラウの前で止まる。

「こんにちは、カール。いつもありがとう」

「やあ、フラウ」

 カールはいつ見ても楽しそうだ。今も満面の笑みで馬車を降りてくる。

「今日はいい青菜を持ってきたよ。漬物にするのはちょっともったいないけど、あんまり日持ちはしない奴だから。ああ、でも、君のところの氷室なら十日くらいはいけるかもしれないな」

 カールが言うのは、フラウが来てからしばらくしてアストールが造ったものだ。そうしようと思えば、氷さえも融かさずに置いておくことができる。

「魔力が供給できれば、村にも造れるってアストールさまはおっしゃっていたけど」

「いやぁ、村の住人全部の魔力を集めてもあの人には遠く及ばないんじゃないかな。母さんなんて、あの人のこと、未だに怖がってるんだけど、なんか昔は凄かったらしいね」

「昔……」

 フラウは呟いた。ゼスも前に同じようなことを言っていた気がする。

 カールにもっと話を聞きたかったけれども、彼女が尋ねる前に出鼻をくじかれてしまう。

「オレも良く知らないんだけど、使用人がなかなか居付かなかったって聞いてるよ。君が来たときは、早々に誰が引き取るか話し合ってたとか。もしかしたらオレの妹になってたかもなんだよな」

 カールは「そうならなくて良かったよ」と笑いながら、荷台から荷物を抱え上げた。アストールのことを知り損ね、落胆しつつ、フラウも袋の一つを取り、彼の先に立って氷室へ向かう。


 荷を運ぶ間、カールはこの十日の間に村であった出来事を話してくれる。

「裏の家で仔犬が生まれてね、うちも一匹もらったんだよ」

「仔犬?」

「ああ。見たかった?」

「はい、見たいです」

 フラウがパッと顔を上げて頷くと、カールはほんの一瞬息を詰め、微笑んだ。

「茶色で、毛が長くて君みたいにふわふわでね、……可愛いよ、すごく。雪が降る前にもう一回くらい配達に来られると思うから、次、連れて来るよ」

「うれしい。動物、この塔の近くでは見られないから」

 そんな話をしながら三度往復して、荷台の上は空になった。が、空っぽだと思われた荷台から、カールが何かを持ってくる。


「フラウ、これ……」

「? お花、ですか?」

 花なら、まだ庭にも咲いているけれど。

 首を傾げたフラウに、カールが気持ち顔を赤くする。

「ああ、いや、君のところに行くなら持っていけばって、隣のおばさんがくれたんだ」

「ありがとう。きれいだね」

 実際、フラウの拳よりも一回り小さいくらいの八重咲きの花で、素朴だけれども薄紅色の花弁が可愛らしい。鼻先に持っていくと、微かな甘い香りが感じられた。


「ねえ、フラウ」

 呼ばれて、フラウは花から顔を上げる。彼女と目が合うと、カールはグッと顎を引いた。

 どうしたのだろう、何だか少し緊張しているように見える。

「この塔って、フラウたち三人しかいないんだろう? 寂しくない? その、村で暮らしたいな、とか、思ったことは?」

 どこか窺うような眼差しでカールが訊いてきた。

「全然」

 迷うことなくフラウが即座にかぶりを振ると、彼の肩が少し落ちる。

「えっと、全然? でも、ここって君くらいの年頃の女の子には不便だし面白いものもないだろう? 村の方が楽しくない?」

「いいえ」

 また、即答。

「ここにはアストールさまがいらっしゃるから。あの方のお世話があるもの」

 しようと思えば何でもできてしまうアストールには、本当はフラウの手など大して必要がないのかもしれないけれど、ほんの少しでもいいから何か彼の役に立てたらいいなと思う。役に立って、傍にいることを許していて欲しい。


 答えたフラウをカールはしばし見つめ、そして、苦笑を浮かべた。

「オレのことなど眼中にない――っていうか、君の頭の中には、本当にあの人のことしかないんだな。この一年、他の人たちにはバレバレみたいだったんだけどな。仕方がない、諦めるか」

 小さな声でぼそぼそと呟いて、カールは息をついた。彼のその言葉があまりよく聞き取れなかったせいもあってか、フラウには今一つ話の流れが解からない。

「諦めるって、何を?」

「ん? こっちの話。気にしないで。取り敢えずオレが一番手だったんだけど、さっぱりダメだったって、他の奴らにも言っておくよ」

 だから、いったい何の話なのだろう。

 眉根を寄せたフラウに、カールがふっと笑う。まだ苦笑混じりだったけれども、先ほどのものよりは、明るい。


「まあ、村に来たいって思ったら、いつでもオレに言ってよ。五年くらいなら余裕で待つから」

(五年……?)

「えっと、ゼスさんがいるからだいじょうぶ。でも、ありがとう」

 花ごとペコリと頭を下げると、カールは「最後まで全然噛み合ってないな」と笑って御者台に上がった。

「じゃあ、またな」

「はい、またお願いします」

 フラウの返事に、カールは笑いとも何ともつかない表情をした。そうして、手綱を振るう。


 馬車が見えなくなるまで見送って、今日のカールはおかしかったなと思いながらフラウは踵を返した。と、誰もいないと思っていた戸口に佇む人に、目を瞠る。


「アストール、さま?」

 名を呼んだけれども、応えがない――フラウと、目も合わない。

 暗い彼の眼差しは、彼女の手の中にある花束に向けられていた。


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